5月3日~6月11日「チェルノブイリから見えるもの」展
チェルノブイリから見えるもの 貝原浩『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』を中心に
2011年3月11日は、東日本の広い範囲をおそった巨大地震と津波によって、私たちの歴史が大きく変わった一日と 記憶されることでしょう。
とりわけ、福島原発の深刻な事故による放射能汚染は、日本の在り方を根底から問い直される出来事となりました。
《原爆の図》を描いた丸木夫妻は、生前一貫して原発に反対の立場をとり、被害を受ける人びとの視点で事故を未然に 防ごうと努力してきました。
しかし、そのおそれがついに身近な現実として突きつけられる日がきてしまいました。
史上最大の事故と言われるチェルノブイリ原発事故から25年。
私たちが、その教訓から何を学び、あるいは学んでこなかったのか。
いまだに事態が収束していない福島原発事故の現実に、どのように向き合っていけばよいのか。
チェルノブイリの事故で被害を受けた“風しもの村”チェチェルスクに生きる人びとのつつましくたくましい 暮らしぶりを丹念に描いた画家・貝原浩のスケッチや、写真家の広河隆一、本橋成一がカメラを向けた現実を通して、 ひとりひとりが考え、想像力を広げることのできる展覧会を、緊急企画として立ち上げます。
画像:貝原浩画文集『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』原画
貝原浩 チェルノブイリの風しもの村を描いた画家
チェルノブイリ原発事故の当日、爆発によって巻きあげられた放射能が、強い北風によってベラルーシ(白ロシア) 一帯の穀倉地帯に広範囲、無制限にまき散らされました。
風向きの悪戯で、死の灰が集中的に降ってきた場所が数多く点在しています。それが「風しもの村」です。
初めて訪れた1992年2月、写真家の本橋成一さんと、零下20度のベラルーシの「風しもの村」チェチェルスクに 立っていました。
精力的に動き回る彼の横で、背後に広がるとらえきりようのない大地に、こわばる自分を感じていました。
横なぐりの雪の中、動くこともままならず、平衡感覚さえもマヒしてくる。(中略)
そして5月再度、樹々の花咲き乱れる春のチェチェルスクを訪ね、出会う人の片っぱしから印象につめ、 人々を通して楽天すぎるほどの「人間だもの」をつめ込んできました。
それと共に私にとっては、想い出すことのできるたくさんの友人が彼の地にできたという喜びが大きいのです。
彼らの、つましく、温かく、たくましい、そして伝えるべき生き方の一端を、感じとっていただけたらと思います。
(貝原浩画文集『風しもの村チェルノブイリスケッチ』(1992年平原社、2010年パロル社)より)
貝原浩(かいはら・ひろし) 略歴
1947年11月24日 岡山県倉敷市に生まれる
1966年 岡山県立倉敷天城高校卒業
1970年 東京芸術大学工芸科VD専攻卒業
1980年代から東京・大阪・京都・福岡などで個展を多数開く
1992年には丸木美術館企画展《大地の結び展》に出品した
2005年6月30日 耳下腺がんにより闘病の末、永眠。享年57歳
その後も現在まで各地で展覧会が開かれている。
ウェブサイト 絵描き・貝原浩
●原爆の図・丸木美術館http://www.aya.or.jp/~marukimsn/
5月4日(水)晴れ
久しぶりに上尾・丸山公園までサイクリング。親子連れでいっぱい。榎本牧場も同じでアイスクリーム売り場は長蛇の列。横目に見ながら通過するほかはなかった。
花粉シーズンは終わったというのに花粉症が出て気分は今ひとつ。四国や九州では出なかった。空気の汚れが影響しているのだろう。放射能のほうは大丈夫だろうか。親たちはどんな風に考えているのだろう?
娘や妻の話によると丸木美術館は大にぎわいだったらしい。昨日から始まった「チェルノブイリからみえるもの」がNHK(関東ローカル)で紹介されたせいか、300人近い人が来館したという。マスメディアの役割の大きさを思う。
今日(5日)はぼくもいってみよう。自転車で2時間くらいか。越辺川・都幾川の岸辺の菜の花はまだ残っているかな?
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