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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

ビラ配り

2013-05-09 06:33:30 | 病状

5月8日(水)晴 風あり

一応庭のテッセンが花盛りです。

写真: 今日は30度になるとか。一応庭のテッセンが花ざかりです。

去年に続いてひまわりの種をまきました。岩手と福島の産です。

午前中に妻が口周りのヒゲを剃り落してくれました。タルセバ(抗がん剤)をやめて3週間が過ぎ、カミソリを当てても皮膚を傷める心配がなくなったのです。

これですっきりしました。一年三ヶ月ぶりかな。

抗がん剤を止めてからの変化といえば毎日のように咳が出るようになったことです。「苦しい」というほどのことではありません。治療らしいことは何もしていません。

 このところ風が強くて自転車漕ぎも無理ですから、毎日、散歩がてら、近所のお宅にビラ配りをしています。「中国家庭料理・家園」。

 1987年、妻が市議選に出るというので「ニュース」配りに歩いて以来です。駐車場つきのきれいなアパートが増えました。なるべく声をかけるようにしています。

 自分ではこれも闘病かなと思ったりします。美味しくてあったかい雰囲気のお店を紹介するのですからやりがいがあります。やりたいことをやって少しでも体を動かしていると、ガンに打ち勝つ力もどこかで生まれ出ているだろう、勝手にそうおもっているのです。

 ビラの効果が現れて店主夫妻の笑顔が増えるといいな。それがまた薬効になります。


抗がん剤は休止

2013-04-16 12:38:29 | 病状

4月15日(月)晴

前日の強い風でコリンゴの花びらが宙に舞いました。新緑へと季節が移っていきます。

昼過ぎ、癌研有明病院の西尾誠人医師の診断がありました。

「CT画像で見る限り、右肺に転移したガンは3ヶ月前よりは確実に増殖しており、抗がん剤”タルセバ”の効能はなくなったと考えられる」

先生からは新たな抗がん剤治療の提案もありましたがどれも確実に効き目があるとはいえません。副作用や体力の消耗を考えるとここら

で抗がん剤治療を休止するのが妥当かと考えました。先生も理解してくれ、ともかく一ヶ月、抗がん剤と縁のない生活を送ってみることにし

ました。

左肺摘出手術から7年4ヶ月、右肺転移から5年余りです。抗がん剤の点滴・服用を続けながら何とか元気に生きることができました。ここ

までこられたのは「僥倖」だと元主治医の中川医師は言ってくれました。いやな顔一つせず付き合ってくれた友人たちや四六時中付き添っ

てくれた妻のおかげだと思っています。各地の美しい風景やきれいな大気も応援してくれました。

親にもらった丈夫な骨格のおかげで片肺でも自転車や散歩に挑戦することができました。これらのすべてが僕の闘病を助けてくれたので

す。

これからも生活のありように変化はありません。いくらか疲れやすくなったかな、という感じはありますが、許される限り動き回りたいと思って

います。「命ある限り生きなきゃならない」。父の言葉を思い起こしながらあれこれと楽しい計画を練っています。これからもどうぞよろしく。


 

午後、Rさん一家に招かれて昼食のご馳走になりました。

「参鶏湯(さんげたん)」。ソラさんは烏骨鶏(うこっけい)丸ごと一羽ずつを調理して待っていてくれました。

近頃食が細くなって、本当に食べきれるかと思ったものですが、なんと見事に平らげてしまいました。われながら天晴れ!

妻の証言によれば僕がこのようにきちんと食べつくしたのは初めてだとのことです。

好き嫌いの激しいのが僕の欠点で自分から参鶏湯を注文することはありません。

ところがどうでしょう。この日は違いました。食べていくうちに美味しさが徐々に徐々にわかってきて本当にどんぶり一杯をきちんと食べるこ

とができたのです。

ソラさんの思いが一杯につまったご馳走だったからに違いありません。

 

 

 


「いのちある限り、精一杯」

2013-03-19 05:48:17 | 病状

3月18日(月)晴

 11時前、癌研有明病院の西尾誠人医師の診断がありました。

「血液検査に目立った問題はない。このまま抗がん剤<タルセバ>の服用をつづけ、4月のCT検査の状況を見て治療方針を考えましょう」。

明日からの帰郷の旅の帰りに先生の故郷を訪ねると伝えたら破顔一笑。お母さんが元気に生活しておられるとのことです。

診察前にNさんが声をかけてくれました。

「川越だより」を読んでくださっているというガン友です。先に東大で行われた脱北者Kさんの講演を聴きにいってくれたそうです。「川越だより」に元気づけられています、といってくれました。うれしく、ありがたいことです。

闘病13年、<タルセバ>の効能がなくなり、緩和治療に移行するとのことです。厳しい現実を穏やかに語ってくれました。「命ある限り精一杯生きましょう」。父の言葉を思い出しながら伝えました。「お互いに」といって握手してくれました。

 夜、一郎くんから28日に高校の友人たちとの交流の会を設定したと連絡がありました。堀川の桜の盛りで花見を楽しみながらの会にしたそうです。心は土佐の高知に飛んでいます。

 


今日はナリちゃんの卒業式です。来日4年、よくがんばって中学を巣立ちます。午後、「おめでとう」の声を届けて、7時半有明埠頭からオーシャン東九フェリーで徳島に向かいます。

iphoneでブログの投稿ができるようになったので、「室戸だより」「高知だより」「紀州だより」「志摩だより」などと発信できると思います。話題の「南海トラフ」を行き来するわけですが今回ばかりは楽しい花便りが続くかな。

おーしゃんさうす

オーシャン東九フェリー●http://www.otf.jp/

 

 


タルセバは効能尽きるか

2013-01-22 08:27:46 | 病状
1月21日
癌研有明病院の西尾医師の診断あり。「抗がん剤の効き目が弱くなったのか左肺のガンが少し大きくなった。」
もうしばらくタルセバを服用して次の対応を考えることとする。

午後は川崎で息子のお連れあいの両親と交流。夜は横浜の招福堂に移る。
今朝(22日)は雨もようだが三浦半島に向かう。j本文




タルセバの効能つづく

2012-11-27 08:42:14 | 病状

11月26日(月)曇雨

 2時前癌研有明病院で西尾誠人医師の診断がありました。「血液検査にもレントゲンにも目立った変化は見られない。ここまま抗がん剤タルセバの服用を続けましょう」。次回検査・診断は12月26日です。

 タルセバに効能があり、小康状態が続いているということです。目だった副作用もありません。ここまま穏やかに年を越せるかな。

7年前(2005年)の今頃はあわただしい日々でした。

 11月16日(水)公立学校共済組合関東中央病院より職場への電話で「ガン」告知。

     17日(木)癌研有明病院で診察を受ける。

     22日(火)癌研CT検査

     24日(木)癌研気管支鏡検査

     28日(月)癌研PET検査

 12月1日(木) 癌研有明病院呼吸器外科中川健医師の診断

     2日(金)勤務先の学校で病気休業のための諸手続き。

     7日(水)入院

     9日(金)左肺摘出手術

     23日(祝)退院

 旧友にすべてを託せる幸せな患者ですが、手術の夜から退院まで眠られない日々が続いたことを思い出します。本人が自覚する以上に身も心も緊張していたのでしょう。

 5年生存率30%といわれました。

 抗がん剤治療が続き副作用の後遺症がいろいろあるとはいえ元気に手術から7年の日を迎えられそうです。

12月1日には高校のクラス会があります。主治医・執刀医であった中川くんにも会えるでしょう。喜んでもらえるのが何よりです。


 

 滋賀県の嘉田知事が脱原発諸党派を糾合すべく努力中というニュースがありました。かすかな希望。

 

 


東京を走る 

2012-10-30 07:07:04 | 病状

 10月29日(月)快晴

 2時ごろ癌研有明病院西尾医師の診断がありました。「血液検査に異常はない。CT検査。右肺に転移したガンは3ヶ月前と変わらず、横ばい。引き続き抗がん剤タルセバを続けましょう」。次回のCT検査は来年一月です。

 12月で左肺摘出からは7年になります。執刀医だった中川先生は「君の場合は僥倖」と評してくれました。日々を元気に生きて、もらった命をあだやおろそかにはしたくないものです。

 

 久しぶりの東京都心縦断記。

 9時前に豊島区要町の佐和子ちゃん宅を出発。順子号に乗るのは本当に久しぶりだ。今年は夏にただの一度もなかった。

池袋で軽い朝食。江戸川橋から飯田橋、そして千代田区役所。Kさんは元気かと訪ねてみたら特別休暇とか。堀端を東京駅へ。

面目一新の駅舎、観光客でにぎわっている。それにしてもバックのビルは何だ。(八重洲側にはもう何年も行ってないなあ。)いくら土一升金一升だといっても近頃の高層ビルラッシュは異常すぎないか。景観も何もあったものじゃない。

 

皇居前広場に続く反対側の景観。青空。こちらも高層ビルラッシュは変わらないが秩序は保たれているか。

癌研からの帰りは風が出てきたので池袋には帰らず、江東区を横断して江戸川区の葛西を目指すことにする。洪さん宅に自転車を預かってもらおう。

 湾岸に沿った道をどんどん行くと「荒川河口大橋」に出た。思いがけず自転車道もあった。(この橋は高速道路の橋だとばかり思っていた)。橋の中央から見える「大東京」。

 突然の来訪だが洪(ほん)さんは大喜び。この夏にたどったお連れ合いとの東北「鎮魂のたび」の詳細を語ってくれた。暮れには勤続25年になるお連れ合いと函館の旅。「北斗星」の切符の手配も済んでいる。末の娘さんが挨拶してくれた。今春に就職が決まったという。

三人の娘さんを立派に育て上げて洪さん夫婦にも余裕の時が来たのか。とはいえ、お連れ合いは若く職場での緊張は続く。「体をいたわって俺よりは長生きをせよ」。この弟分には強く言い聞かせた。

大東京の彼方に陽が沈む。富士山も見える。12月、新潟で会おうと約して辞去した。

 

 
 

 

 

 

 


旧友

2012-09-25 16:40:04 | 病状

9月24日(月)晴れ

 3時前に癌研有明病院西尾医師の診断がありました。「血液検査・X線検査に格別の異常はない。したがって抗がん剤タルセバの服用を継続する」。次回は10月末でCT検査があります。

 小康状態が続いているということです。

 うれしいことがありました。待ち時間に中川健・元主治医が会ってくれて久しぶりにゆっくり相手をしてくれたのです。「名誉院長」になっても外来には出ていますが「経営」の第一線からは解放されて表情がとても穏やかです。

 市井の町医者になる気はないかとたずねてみました。「とてもそんな自信はないよ」。これが答えです。肺がん手術の第一人者も40年以上この道一筋です。専門家中の専門家になってしまったのです。そういうものかと納得しました。

 そんな先生も若いときに田舎の村で医者をやったことがあるとのことです。開業医だった父上が急逝されたときに、医療施設などをすべて村に寄付し、「一ヶ月」の期限付きで診療所長をやったといいます。(今の町立梼原病院の起源はここにあるのかな。)

 梼原とはすっかり縁がなくなったという旧友からこんな話を聞くのは初めてです。何とはなしにうれしくなります。

中川くんとは中一以来の付き合いです。人生のおしまいにしっかり世話になっています。心強い存在です。

70歳を過ぎて第一線を退いたら「世界の中川」もたまには一緒に遊んでくれるかな? そんな願いもあります。

 

 

 

 


小康状態続く

2012-08-28 06:21:25 | 病状

8月27日(月)晴れ

 13時前、癌研有明病院呼吸器内科の西尾医師の診断がありました。

「血液検査にさしたる問題点はない。体調もよいので引き続き抗がん剤(「タルセバ」)服用を続けよう」。次の検査・診断は9月24日。

予約時間より遅れること一時間半、僕に言い渡されたのはこれだけです。味気ないといえば味気ないのですが順調だということなのでさっ

さと退室してきました。

 昨年8月「イレッサ」服用を始めて一年になります。肝炎を併発する副作用があり、薬は「タルセバ」に変わりましたがこちらはたいした副

作用もなく、右肺に転移した癌の増殖を押さえ込んでいます。

 今年の夏は暑さに負けることもなく動き回っています。CTによる病状検査は10月ですがこの分だと元気に12月を迎えられそうです。

左肺摘出手術から満7年になります。

07年3月の退職以来、あらゆる社会活動から「隠退」して、自分の健康のためだけに生きてきた日々です。多くの知友のおかげで充実し

た闘病生活を送ることができました。今しばし、人生の余韻を楽しませてもらえそうです。感謝のほかはありません。

夜、高知の功くんが見舞いの電話をくれました。中学以来の同級生ですが今も現役の医者です。休みの日に「お四国めぐり」をしているそう

です。奥さんと一緒に川越を訪ねてくれるのを心待ちにしています。

 

【川越だより】のアクセス・ランキング

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過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

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”さしたる変化なし” タルセバ服用続行 

2012-07-22 12:59:43 | 病状

7月23日(月)晴れ

 13時半(予約は11時半)がん研有明病院の西尾医師の診断がありました。

  CT検査 右肺に転移した癌は3ヶ月前とさしたる変化が見られない。脳などへの転移の兆しは認められない。

  血液検査に異常はない。

  抗がん剤タルセバの服用を継続しましょう。

小康状態が続いているということです。次回血液検査は8月24日。本格的な夏をエンジョイできそうです。

がん友のHさんと会いました。98歳になる父上はいまも名古屋で音楽活動(老人ホームの慰問など)を続けているそうです。びっくり仰天です。

来週には娘さんが気仙沼でボランティア公演です。私たちも参観させてもらいます。縁を大切にする生き方もいいものです。


赤平立坑

2012-07-12 20:03:26 | 病状

7月12日(木)☁

 癌研有明病院に往復して一日が過ぎました。CT検査。通知簿は23日です。

赤平炭鉱のズリ山(777の階段)登攀の後遺症で脚に疲れがあり、ぼやっと過ごしています。

この階段からも赤平鉱の立坑が遠くに見えます。写真は近くでとったものです。旧赤平炭鉱の遺跡はJR

赤平駅から近いところです。往時の姿がほぼそのままに?残っています。北海道に行くときには寄ってみてください。

参考●http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/parts/01tatekouyagura.html


李鶴来(い・はんね)さん

2012-06-19 06:54:11 | 病状

6月18日(月)☼

 14時すぎ、癌研有明病院西尾医師の診断がありました。「血液検査に異常はない。X線検査でも肺炎などの兆候はみられない。」「抗がん剤タルセバ治療を継続しよう」。次回は7月23日。

 右肺に転移した癌は抗がん剤によって小さくなっているようです。X線ではよくはわからないので7月にはCT検査をおこないます。このところ体調も良く、元気に71の誕生日(7・25)を迎えられそうです。

 ガン友のHさんと会いました。奥さんの故郷・土佐に帰っていたばかりで梼原の印象が強いようです。8月のはじめに娘さんの気仙沼公演が決まったとのことです。うまくいけば一日を共にできるかもしれません。夏の楽しみ。

 帰りに衆議院議員会館によって韓国・朝鮮人元BC級戦犯者の名誉回復のための立法の実現を目指す集会に参加しました。

日本軍の一員として連合国の捕虜監視要員として働かされた旧植民地出身者が戦後、戦犯として裁かれました。一度は「死刑」を宣告されたことがある李鶴来さんはサンフランシスコ講和条約発効後、日本国籍を失いましたが引き続き巣鴨プリズンに収容され、日本軍人としての罪を背負い続けました。56年に釈放されましたが日本国民ではないという理由で援護と補償から排除され続けてきました。

 写真: 李鶴来さん  衆議院議員会館

不条理を訴えつづけてきた仲間の多くも世を去り、無念を償う特別立法も難航しています。

A級戦犯を含め旧軍人が手厚い軍人恩給を受給してきた中で一切の補償からシカトされたのですから無念の思いはいかばかりか。

87才になられるとのことです。誰もが心を痛めているのに国会が動かない。本当にこの国は絶望的です。


スカイツリー開業というが‥

2012-05-22 05:05:39 | 病状

5月21日(月)☼

 午後3時前、癌研有明病院の西尾医師の診断がありました。(予約は1時半)。

 「血液検査に目立った異常はない。タルセバ服用を続けよう。生活はいつもどおりで良いが直射日光に留意。」

初夏の風情になってから体の動きもまあまあです。食欲は旺盛?。タルセバで皮膚が弱くなっているので注意が必要です。日焼け止めを塗ったりはしています。自転車漕ぎや散歩の時は長袖にしなければならないか。

 次回は一箇月後、しばらくはまた病気を忘れて生活を楽しむことができます。

 今日は仙台に向かいます。3・11から1年2箇月、仙台南部から陸前高田までの海岸部を見てきます。帰りには08年に被災した栗駒山麓にも寄れるかもしれません。

 先日、富士山麓の再開拓に生涯を賭けた熊谷さんにお会いしたばかりです。栗駒の耕英地区も同じように満州から命からがら逃げてきた人々の営みがあったところです。地震でめちゃくちゃにされてから4年です。開拓2世の復興に取り組む力強いメッセージが印象に残っています。

 川越だより「栗駒山麓 耕英地区」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/d4ddc8f0e304976e3c545a8c77af8316

 1000年に一度の大災害であってもそれが自然の摂理である限りは「復興」ということがいつかは出来ます。人間にはそういう力が備わっているようです。しかし、原発事故はそうはいきません。放射能の半減期は半ば永遠です。

 今日は東京スカイツリーの開業だといいますが浮かれていていいのか。高知の小倉さんの警世のブログを読んで考えさせられています。

 

東京スカイツリーは砂上の楼閣

 http://www.janjanblog.com/archives/72012

 


「タルセバ治療は順調」

2012-04-24 04:19:14 | 病状

4月23日(月)☂

 11時癌研有明病院で血液検査とX線撮影。一時前、西尾医師の診断。

「血液検査にもX線にも格別の問題はない。タルセバの医療効果は続いている。このまま継続しましょう。」

抗がん剤「タルセバ」の服用開始から2箇月、心配された副作用は今のところ軽微だということです。鼻腔にかさぶたができる症状は続いていますが抗生剤服用の成果か顔面などの湿疹は目立たなくなりました。痒みもありません。

それでもヒゲを剃るのは無理です。妻が時々、頭髪とともにハサミでヒゲも整えてくれます。縄文人に近づいてきたかと肯定的に捉えることにしています。

 冬の寒さとタルセバの影響か、昨年に比べると体力が落ちています。体重も落ちていましたが近頃目立って回復基調です。食事が美味しい。陽気の回復と共に自転車漕ぎと散歩に精を出したいと思います。

 5月にはきいちご移動教室があります。文京の「1G」のクラス会もあるとか。楽しみです。


「タルセバに薬効あり」

2012-04-05 09:28:26 | 病状

4月4日(水)☼

 13時15分、癌研有明病院で西尾医師の診断がありました。

 「CT検査。右肺に転移した癌は2月に比べると著しく小さくなった。「タルセバ」の薬効。

 血液検査。目立った問題点はない。

 以上から判断して「タルセバ」の服用を継続する。」

「タルセバ」の副作用で頭部、口周り、顎下などに皮膚障害が顕著になったので抗生剤の服用を開始することになりました。

薬効が確かめられたのでともかくは一安心。次回の検査は23日(月)。

 

ケンチャンのブログから。高知・堀川の桜http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-de98.html

5年前の今頃、遠戚の有光のオンチャンの帰郷作戦を支援しました。泊まったのがこののっぽのホテルです。「なつかしい」と言ってくれたオンチャンは夏を待たず身罷りました。

関連「川越だより」

「Aさんの故郷訪問」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/03e9e2466109fcc9b0a417caccd1bd92

「僕たちは親戚だった」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/3a73d48a91f24e701eea1ea6c3c9c157


鈴木啓介の運命 「がん医療の現場」

2012-03-13 06:02:19 | 病状

明日(3・14)から2~3日「川越だより」はお休みです。

2010年12月に放送されたフジTVの番組が読み物にもなっていることをやっと知りました。今年から中川院長は名誉院長となり、癌研外来での診療を続けておられます。中土佐町からほど近い梼原町の育ちです。 

 2010年12月20日

がん医療の現場
Vol.10「ダブルチェックを疑え ~健診の知られざる実態~」
都立高校の社会科教師だった、鈴木啓介さん、69歳。
2005年、職場の健康診断で左肺におよそ7cmのガンがあると告げられた。
この時、手術を担当することになった医師が、ある疑問を抱いたという。
「毎年、レントゲンを撮ってるのに、1年でこんなにデッカくなるっていうのは、 ちょっとおかしいから、前のやつ(2004年)を病院へ行ってもらってきてくれと」 (鈴木啓介さん)
三千例を超す肺ガン手術を手がけている、癌研有明病院の院長・中川健医師。
2005年当時に主治医として、鈴木さんの2004年に撮影されたレントゲン画像を確認したところ、目を奪われた。
「私は驚きましたよ、これ、今年(当時2005年)の間違いじゃないのって、その時言っちゃいましたけど。」
Q,それはなぜ?
「だって、あまりに立派なもの(ガン)があるのに、これがチェックされてないからです。  これは見落とされた方が、はっきりと責任があると思います」
鈴木さんが肺ガンを告知された、2005年の画像。
2004年の段階でも、すでに6センチほどのガンが見えていた。
さらに、2003年の画像にも、ガンの影があった。
「それは早い段階で見つかっていれば、見つかっているほど、治る確率的には増えたと思います。少なくても、今よりは症状が軽かったということは言えます」
(中川健医師/癌研有明病院院長)
鈴木さんは手術で左肺を全て摘出したが、リンパ節の転移があり完治できなかった。
2008年には、右肺に転移。
“あと一年、手術が早ければ完治できたかもしれない”、そんな思いがよぎる。
「素人目でも分かるものが、見落とされていたということですから、どうしてだろうと」
(鈴木啓介さん)
鈴木さんが健診を行った関東中央病院に説明を求めたところ、当時の病院長ら関係者が自宅を訪れたという。
「明らかに影がある、これを見逃すということは、ちょっと有り得ないことでありまして、何らかの理由でそれを見なかったのではないかと。 本当に深くお詫び申し上げるしかございません」
(鈴木家が関東中央病院側の承諾を得て録音した音声記録より、院長の発言)
実は、鈴木さんの肺ガンを見落としたのは、当時80代の開業医だった。 関東中央病院は、都立高校教員の健診に必要な検診車を持つA事業団に委託。 そこからB社を経て、開業医(80代)がレントゲン画像を読影するという、二重三重の下請けの構図が存在していた。
納得がいかない鈴木さんが、さらに詳しい説明を求めたところ、開業医から『詫び状』が届く。 ボールペンで、こんな言葉が綴られていた。
『今後、このような事態を避ける為には、読影者を複数にするしかないと思います』 
当時の事情を聞くため、取材班が開業医を訪ねると、開業医の診療所は二年前に廃業していた。 開業医は2005年当時、推定83歳。 命を左右する健診の読影作業は、高齢の開業医ただ一人に委ねられていた。 レントゲン画像の読影は、見落としを防ぐため、 二人の医師によるダブルチェックが基本である。 しかし、コストがかかるため、必ずしも徹底されていないという。
「読影の管理は、わが国では行われてない。 同じ日本国民なのに、住んでいる所や、受けている検診機関によってバラつきがあるのは事実なので、それを何とか改善していかなきゃいけない」
(西井研治医師/日本肺癌学会•集団検診委員会)
取材に対して、関東中央病院は画像のダブルチェック体制をとっており、2005年当時、A事業団に対して、契約時にダブルチェックを指示した、と回答している。 だが、結果として、鈴木さんの肺ガンは見落とされた。
原爆の図の作者であり、ノーベル平和賞の候補になった、丸木夫妻の美術館。
ここで鈴木さんは、ボランテイアでガイドをするつもりだったが、 肺ガンで体力が低下、断念せざるを得なかった。
「人の命というのは、皆それぞれに大切で大事なもので、 それはまた、社会にとっても大事なものです」
(鈴木啓介さん)
これまで、知らされていなかった、レントゲン検診の限界。
そして、ずさんな実態。
肺ガンから命を守るため、いま変えるべきことがある。
2010年12月15日

出典●http://www.fujitv.co.jp/nj/jidai_no_chart/jidai_no_chart_cancer.html

TV放送の画像はこちらです。●http://www.youtube.com/watch?v=BG9uiim3u7o