川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

僕たちは親戚だった

2007-04-08 17:46:01 | ふるさと 土佐・室戸
今回のAさん故郷訪問の支援は高知に住むN君夫妻との共同事業でした。N君は高校3年間の同級生です。
昨年10月、帰郷のおり、同級生が僕の健康恢復を祝って、ミニクラス会をやってくれたのですが、N君と僕とはどうも親戚らしいという話になったのです。
正月になって解明作業をする過程でAさんのお兄さんが遺して置いてくれた家系図をその長男の方が提供してくれました。
そこにはA家を中心にしてたくさんの人のつながりが記録されているのですが、なんとその最下層の両端にN君と僕の名前があるのです。
何ともいえない感動がありました。
Aさんのおばあさんと僕の父の祖母とが姉妹で室戸の出身だったのです。
それにしても会ったこともない遠い親戚のおじさんが僕の名をどうして知ったのだろうと今でも不思議です。
N君とは血のつながりはないけれど親戚であることは解明されました。

この解明作業に協力してくれたのがAさんの娘さんです。
感謝の言葉を伝えた時、もし父上が故郷を見てみたいといわれたら応援しますと付け加えたのです。
これが始まりでした。

計画の進行の過程でNくんに協力を頼んだところ、ホテルとの折衝など受け入れ態勢の構築に敏速に対応してくれました。
障害を持つ高齢者の旅行に対応する施設はまだまだ整ってはいません。
娘さんはベットに柵をつけることやレンタカー探しに苦労し、一度はこの計画をあきらめたこともありました。
そんなときN君の存在は心強かったと思われます。

N君夫妻はAさんが高知に無事到着した夜、私たち夫婦を近所の焼鳥屋で接待してくれました。
高知に住む僕の従姉も呼びました。
親戚であることを確認してはじめての共同事業が順調に進行していることを喜び合いました。
私たち夫婦がNくんのお連れ合いに会うのはこれが3度目です。
女同士は初対面から気が合い、仲良しになっていることは知っていましたが、この共同事業を通じて私たちはさらに気さくな友達になれたのだと実感しました。

僕が嬉しかったのはこの人たちが昔、僕が授業を担当するすべての生徒に「5」をつけて新聞やTVで話題になったことを覚えていて、その真意を聞いてくれたことです。
互いの生き方に深く関わることをこうして語り合うことはなによりの喜びです。

翌日訪ねた五台山では従姉たちが一行におでんの接待をしてくれました。
従姉の母違いの姉が土産店を営業していたのです。
従姉は最近ここで働くようになったとのことですが、僕がお姉さんに会うのは幼児期以来です。
僕も妻も何度もこの店に立ち寄っているのに店主と従姉妹どうしなどとは夢にも思わなかったのです。
姉さんは喜んでAさんの孫のH君に満腹するまでおでんを勧めていました。

私たちのAさん帰郷支援事業はこうして終了したのですが、結果としてみれば親戚発見の旅でもあったことになります。
Aさんのおかげで私たちは結ばれたのです。


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1 コメント

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情けは人のためならず (カツヨシ)
2007-04-11 16:32:06
 今回も心地よい読後感です。Aさんのお世話のつもりが、実は自分たちのほうが何倍も大きなものを貰っていたという、心温まる一編。自分のルーツを知り、友達の輪を広げ、肝胆相照らす仲になってゆく喜びのひと時が活写されています。ふと、「君と語るひとときは十年の読書に勝る」という言葉を思い出しました。そして、このブログ中の「互いの生き方に深く関わることを語り合える喜び」というさり気ない表現の持つ重量を想像しています。
 わが家にも、父が晩年、従弟と共にまとめた「過去帳」があります。江戸時代までさかのぼるルーツの旅は想像力を刺激してきて楽しいものです。
 それにしても、いろいろなことを考えさせてくれる「川越だより」は、もっともっと広く読まれていいと思います。友人たちに声をかけようと思います。
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