唯物論者

唯物論の再構築

不可知論2

2014-01-07 23:36:07 | 各論

 不可知論は、ヒュームとカントの二系統で存在している。ヒューム型不可知論は、世界に真理や必然が存在せず、経験的な傾向と蓋然だけが存在する経験論である。もちろんこのような「『真理や必然は存在しない』という真理が、必然的に存在する」との言い方は、あからさまな論理矛盾である。カント型不可知論は、この論理的不備を整備して次のように言い直す。世界に真理や必然は存在しているのだが、人間にはその先験的形式と存在以外の属性を認識できない。その限りで人間は、真理や必然を認識できず、経験的な傾向と蓋然だけを認識できる、とである。ヒューム型不可知論は、存在論も認識論も成立不可能な理屈であり、言うなれば論理の泥沼である。それに対するカント固有の存在論と認識論の先験的分断は、ヒューム型不可知論の泥沼から抜け出すための条件となっている。この分断をもってカントは、存在論を不可知に措いたまま、認識論の可知を宣言した。そのことは、認識が存在から切り離されても形式を得ていると言うカントの先験理論に拠っている。ただしカントの考えた先験が本当に先験に値するかどうかは、別の問題である。実のところカントは、認識論を基礎づける理屈を放棄し、そこに先験という印籠を置いただけにすぎない。
 カントにおいて認識形式は、認識のための箱として、箱の内容物が無いまま意識の誕生以前から存在している。もっと言うならその認識形式は、宇宙の始まり以前から存在している。ただしこのようなカントにおける存在と認識の分断は、物質が認識を規定する唯物論や、存在と認識が一体化する現象学に比べると、問題からの逃避、または問題の先延ばしになっている。それは生命発生の謎を、別宇宙に託すだけの生命飛来説に似ている。生命飛来説は、飛来後の生命を語ることに留まるのを良しとして、それを科学の限界として扱う。カントが哲学に持ち込んだ存在と認識の分断は、その生命飛来説の哲学版である。彼の先験理論も、存在の認識を語ることに留まるのを良しとして、それを哲学の限界として扱う。ただしカントにおける存在と認識の分断には、モデルが既にある。それは、既存哲学における形而下学と形而上学のロゴスの二層構造である。カントは、この同じ二層構造を哲学自体に持ち込んでいる。結果的に哲学世界には、認識論と存在論の哲学の二層構造が生まれるようになった。認識の謎は、存在の壁において遮断されたわけである。本来なら認識論の謎も、存在論に託されなければならない。しかしカントは存在論が認識論を語る権限を、先験と言う天与の特性で片付けている。なるほどカントは、この先験理論により経験論を死滅させるのに成功した。ところがその破壊力はそれだけに留まらず、哲学そのものを一旦死滅させてしまった。このような哲学の二層化は、ハイデガーが存在論と言う言葉を流行させるまで哲学さえもが自覚することは無く、フッサールでさえカントに歩調を合わせて超越論こそが存在論だとみなしていた。しかし超越論とは、名前は格好良いのだが、要するに認識論である。そして不可知論とは、要するに存在論の放棄宣言である。超越論が存在論になる道は、最初から頓挫していたのである。
 ヒューム型不可知論の場合、「真理は不可知である」との物言いは、その不可知の真理宣言においてギャグである。その真理宣言は、恒常的な虚言者が自らを嘘つきだと証言するのと同じように、証拠能力を持たない。ヒューム型不可知論では、不可知の対象が存在一般だったからである。しかしカント型不可知論の場合、「真理は不可知である」との物言いが、同じようなギャグとして現れにくい。カント型不可知論では、不可知の対象が物体を含めた経験的カテゴリーに限定されたからである。先験的カテゴリーとみなされた認識論理の諸形式は可知であり、その対比で経験的カテゴリーに対する不可知の真性も成立している。このためにヒュームにおける不可知が全くの不当だったのに対し、カントにおける不可知が全くの正当のごとく現れるようになった。当然ながらヒュームにおけるひねくれた経験的独断も、カントでは素直な先験的懐疑に置き換えられている。カントは、ヒュームの経験的独断を傲慢として捉える。しかしカントの目には、経験的カテゴリーに対する可知は、ヒューム以上に傲慢なものとして映っている。
 実際には不可知論における可知論に対する傲慢の指摘は、そのまま可知論における不可知論に対する傲慢の指摘に転用可能なものである。ヒュームにおける独善と同じ事が、カントでは哲学の二層化において、理不尽な哲学的身分制度として顕在化するからである。カントは自らを超越論と扱うことで、既存哲学に対して超然とした位置に立ったつもりでいる。またもともとカントは、先行する経験論に対抗した意味で、先験論の称号を得やすかった。一方で彼に対立する思想にすれば、カントが手に入れた称号は厄介なものである。その称号は、まるで征夷大将軍の称号のように、他の思想を哲学的な逆賊に変えるからである。簡単に言うとそれは、自らが先験だと先に自称した者の勝ちである。しかし結果として見下された哲学は、押しなべてカントの独善に憤慨し、カントが拠って立つ特権に対して疑問を呈さざるを得ない。すなわち、むしろ見下されるべきなのはカントの側ではないのか、と言うのがカント批判派の言い分である。ヘーゲル以後の哲学がカントの物自体に対して見せた反発は、アリストテレス以後の哲学がプラトンのイデアに対して見せた反発と全く変わらない。この古代の先験理論は、地上の存在者がイデアに成り代わるのを、身の程知らずの傲慢に扱う。同じように後代の先験理論も、地上の人間が無限者を見ようとするのを、身の程知らずの傲慢に扱う。イデア論の傲慢さは、そのままカント先験理論の傲慢さなのである。ちなみに唯物論であれば、天上にイデアを措いたプラトンが傲慢なのか、それとも地上に形相を措いたアリストテレスが傲慢なのか、という問いを次のように言い換える。可想界に物自体を措いた観念論が傲慢なのか、それとも感性界に物自体を措いた唯物論が傲慢なのか、である。ここでの相互の傲慢非難合戦は、極端に言えば信仰する神をどこに見い出すかの差異である。もちろんその信仰の対立は、物理的事実の規定的優位を拒否する観念論、および物理的事実の規定的優位を認める唯物論の対立にほかならない。つまりそれは、物理的事実の実在を信じない観念論、および物理的事実の実在を信じる唯物論の信仰対立である。

 カント不可知論への批判は、ヘーゲルからも出されているし、ヴィトゲンシュタインからも出されている。それぞれの批判が拠って立つ基盤は、ヘーゲルでは事実上の唯物論であり、ヴィトゲンシュタインでは独我論である。しかし両者の不可知論批判の骨子は、ほとんど変わらない。ヒューム型不可知論とカント型不可知論の差異は、前者が真理の存在を認めなかったのに対し、後者は真理の存在を認めることにある。すなわちカントは、対象の質料的認識を不可知と扱う一方で、対象の形式的認識を可知だと認めている。したがってカント型不可知論では、対象がいかなるものかが認識不能だとしても、対象の有ることは認識可能でなければならない。しかし存在の真が集積するなら、そこには対象の全体像が先験的に構築されてしまう。点の存在を集積するなら、そこには何らかの姿が浮かび上がるようにである。もちろん時空を直観のアプリオリな形式と認めたのは、カント本人である。不可知を可能にするために敢えて映像化を拒否した時空を想定すると、今度は時空の形式性自体が損壊してしまう。それでもまだそのような対象像の構築を不可能とみなすなら、逆に対象の有ることも認識不能となるべきである。存在と認識の架け橋は、もうどこにも存在しないからである。その場合に対象の有ることは無根拠な思い込みとなり、カント型不可知論は、ヒューム型不可知論と差異を持たなくなる。結果的に、カント型不可知論が引き受けるべき困難は、冒頭に述べたヒューム型不可知論の論理的不備となる。
(2014/01/07)


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