くまがい桂子 の  エッセイ  「木もれ日あびて」

「民報ゆうばり」に隔週で掲載している
エッセイ「木もれ日あびて」です。

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戦争になるの?

2004年05月17日 | Weblog
天気の都合と自分の都合を見はからって「年金問題」と「イラク問題」、党のミニパンフ「こんにちは 日本共産党です」の街頭宣伝を続けています。

 いつものように一通りの話を終え、マイクを片付けていたところに、遠巻きにしていた小学2~3年生の女の子が二人寄ってきて、「この辺も戦争になるの?」と心配そうな顔できいてきました。 

この幼い少女たち、私の話だけを聞いて、心配になったのではないと思うのです。
イラクへの自衛隊強行派兵、そして民間人が巻き込まれていくイラクでの戦闘のようす、さらに日本人人質事件、そのうえ、イラク人捕虜の虐待・拷問事件。

報道規制されているとはいえ、次々と起こる平和を脅かす出来事が断片的にでもテレビを通じて映し出され、少女たちの小さな胸に暗雲が立ち込めていたのでしょう。

その不安げな顔がいじらしくて、つい「ううん、この辺はまだまだ、ぜ~んぜん大丈夫!」と笑顔で答えてはおいたのですが・・・。

前回もこの欄でふれましたが、「憲法9条があるから、日本は絶対大丈夫!」これはなんと心強い、そして何にも勝る、幸せな響きだったことでしょう。

つい、過去形で書いてしまいましたが、憲法が危ない!特に9条が危ない!
高遠菜穂子さんがイラクで人質にされた時、武装勢力と交わした平和論がインターネットで伝えられています。

「なぜ、あなた方は対話による平和を目指さないのか。日本は五十年非戦を通してきた。インドにも非暴力主義がある。こういう世界の現実をあなた方は知っているのか。」ときくと、武装勢力のイラク人はもっと聞きたいと近寄ってきたそうです。

 平和への願いは万国共通です!

憲法五十七歳に

2004年05月04日 | Weblog
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、・・・中略・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

日本国憲法前文の冒頭の文章です。
最初にこの憲法を知ったのは小学校の社会科の授業でした。
むずかしいことはわからなくても「戦争放棄」だけはよくわかりました。

当時、テレビでも新聞でも頻繁にベトナム戦争の報道がされており、その悲惨な映像や写真を見るたびに「日本に生まれてよかった。日本は戦争を絶対にしないって決めたんだから・・・。」と安心しつつ、隣人の不幸に胸を痛めていました。

私が小学校入学の年から二十一歳まで、十五年間続いたこの戦争報道によって、枯葉剤によるダイオキシン被害も含めた戦争の悲惨さと、圧政に命がけで立ち向かう人々の誇りや勇気を教えられたように思います。

湾岸戦争もアフガニスタンもイラクも、どの戦争も悲惨さは同じはずなのに、最近は戦地の悲惨な状況や、劣化ウラン弾の被害もめったに報道されません。厳重な報道規制が敷かれているからです。

世界中のほとんどの人々が戦争はしたくないと思っているのに、ほんの一握りの(戦争によって莫大な利益を得る)人たちによって、戦争への道が準備されてきました。
報道規制で、国民の目や耳が今なおふさがれています。

「政府の行為によって再び戦争」に巻き込まれないために、そして本当に信頼できる「国会における代表者」を選ぶためにも、私たち国民の「不断の努力」が不可欠です。