
訪米中の小野寺防衛大臣、ヘーゲル米国防長官と会談。集団的自衛権行使を容認するという、閣議決定でひねまげた憲法解釈を反映して、日米防衛協力ガイドラインを作り直すと説明し「強く支持」されたらしい。9月に中間報告を作成することでも合意したらしいけど、その勝手な解釈改憲が実現可能になるための法律がそこまでに出来上がるとは思えず、こうやって既成事実を一つ一つ積み重ねて、口先だけの制約をなし崩しにしちゃうのではないかと不安。
が、まだ終わった訳じゃない。勝手な憲法解釈は閣議決定のレベルで留まっている。これが法治国家である日本で国としての憲法解釈となるまでには、いろんな法律を変えねばならない。有権者のあたしたちにとっては、これからが踏ん張りどころだと思う今日この頃。が、どうやって踏ん張るのかな~、いまいちそれが見えてこないのがもどかしいところだ。
戦争・内戦と聞くと、あたしには忘れられない記憶がある。2010年に仕事でウガンダで国内避難民のトランジットキャンプとパボの難民キャンプを視察した時のこと。
難民支援の拠点となっているグルには海外支援団体も沢山入っているため、シンプルだしお湯は出ないけどホテルは許容範囲だった。翌日パボのキャンプを視察してグルに戻る途中レストランで昼食をとり、グルに戻るまで数時間車に乗るからトイレはこちらでどうぞという話しになった。昼でも薄暗くドアを閉めたら真っ暗になる小部屋の真ん中に丸い穴が空いているだけのその場所で、あたしは怖くてドアを閉めることも出来ず、当然用を足すことも出来なかった。でもそのレストランはその町で唯一外国人使用に耐える場所、とのこと。その前までの難民キャンプの様子でギブアップ気味だったあたしは、そのトイレを「ここではこうなのね」と余裕をもって受け入れることができなかった。青い顔して席に戻ってきたらしい(苦笑)。グルまでの車中は自分のひ弱さにショックを受けて、一言も出なかった。と同時に、自分と自分が当たり前と思っていることが、いかに恵まれているものなのかを実感した。それよりも前にナミビアでもスラムに連れて行かれたことがある。が、そのときは目の前の状況は自分のことじゃなかった。
国民の生命財産を守るとか、同盟国とともに戦うとか、言葉にするのは簡単だ。一国の元首として自尊心をくすぐられる、さぞかし自己陶酔できる言葉だろう。が、武力で守らなくてもよい日本でありたいという憲法の崇高な目標のまえに、そんな傲慢は惨めだ。外交努力、経済援助、文化交流、相互理解、日本が今まで頑張ってきたこと、これからも力を発揮できることはいくらでもある。仲良く出来ない国とはつきあわない、政治家個人としての貧相な人間関係をこの国の対外関係に反映しないでほしい。ましてや国内の難民とも言える被災地の状況をみるにつけ、「国民の生命財産を守る」ってことば、まずは国内でしっかり実現してもらおうじゃないか、ったく、ちゃんちゃらおかしいぜ。
現場で汗を流し、弱き者に寄り添うような方たち、例えばもと国連難民高等弁務官の緒方貞子さんや、ペシャワール会の中村先生のような方が「集団的自衛権行使が必要」とおっしゃるなら、あたしは信じよう。でも中村先生は「そうなったら、自分たちはもう活動ができなくなる」と強く反対していらっしゃる。
今日たまたま池袋で国連UNHCR協会が「毎月倶楽部」の申し込みカウンターを設けていた。今まできっかけがなかったので毎月の寄付はやってなかったけど、今日はなんとなく「始めるなら今日だな」って気がして、手続きを済ませた。お金で済むことじゃないんだけどね。でもやっぱり、自分が置かれた状況がいかに恵まれているのか、毎月意識するのは悪くないと思った。本来世襲であってはならない民主主義国の政治家という職業を家業にしちゃってる政治家とかその支援者っていう「恵まれた」人たちにも、どうぞって勧めたい気分(苦笑)。
とにかく、アメリカの後について行った先に、いったい何があるのか、日本は、日本人は、もっとちゃんと考えるべき。戦争しなくても良い国=日本を、いまの世襲のボンボンたちになし崩しにされてはたまりません。
が、まだ終わった訳じゃない。勝手な憲法解釈は閣議決定のレベルで留まっている。これが法治国家である日本で国としての憲法解釈となるまでには、いろんな法律を変えねばならない。有権者のあたしたちにとっては、これからが踏ん張りどころだと思う今日この頃。が、どうやって踏ん張るのかな~、いまいちそれが見えてこないのがもどかしいところだ。
戦争・内戦と聞くと、あたしには忘れられない記憶がある。2010年に仕事でウガンダで国内避難民のトランジットキャンプとパボの難民キャンプを視察した時のこと。
難民支援の拠点となっているグルには海外支援団体も沢山入っているため、シンプルだしお湯は出ないけどホテルは許容範囲だった。翌日パボのキャンプを視察してグルに戻る途中レストランで昼食をとり、グルに戻るまで数時間車に乗るからトイレはこちらでどうぞという話しになった。昼でも薄暗くドアを閉めたら真っ暗になる小部屋の真ん中に丸い穴が空いているだけのその場所で、あたしは怖くてドアを閉めることも出来ず、当然用を足すことも出来なかった。でもそのレストランはその町で唯一外国人使用に耐える場所、とのこと。その前までの難民キャンプの様子でギブアップ気味だったあたしは、そのトイレを「ここではこうなのね」と余裕をもって受け入れることができなかった。青い顔して席に戻ってきたらしい(苦笑)。グルまでの車中は自分のひ弱さにショックを受けて、一言も出なかった。と同時に、自分と自分が当たり前と思っていることが、いかに恵まれているものなのかを実感した。それよりも前にナミビアでもスラムに連れて行かれたことがある。が、そのときは目の前の状況は自分のことじゃなかった。
国民の生命財産を守るとか、同盟国とともに戦うとか、言葉にするのは簡単だ。一国の元首として自尊心をくすぐられる、さぞかし自己陶酔できる言葉だろう。が、武力で守らなくてもよい日本でありたいという憲法の崇高な目標のまえに、そんな傲慢は惨めだ。外交努力、経済援助、文化交流、相互理解、日本が今まで頑張ってきたこと、これからも力を発揮できることはいくらでもある。仲良く出来ない国とはつきあわない、政治家個人としての貧相な人間関係をこの国の対外関係に反映しないでほしい。ましてや国内の難民とも言える被災地の状況をみるにつけ、「国民の生命財産を守る」ってことば、まずは国内でしっかり実現してもらおうじゃないか、ったく、ちゃんちゃらおかしいぜ。
現場で汗を流し、弱き者に寄り添うような方たち、例えばもと国連難民高等弁務官の緒方貞子さんや、ペシャワール会の中村先生のような方が「集団的自衛権行使が必要」とおっしゃるなら、あたしは信じよう。でも中村先生は「そうなったら、自分たちはもう活動ができなくなる」と強く反対していらっしゃる。
今日たまたま池袋で国連UNHCR協会が「毎月倶楽部」の申し込みカウンターを設けていた。今まできっかけがなかったので毎月の寄付はやってなかったけど、今日はなんとなく「始めるなら今日だな」って気がして、手続きを済ませた。お金で済むことじゃないんだけどね。でもやっぱり、自分が置かれた状況がいかに恵まれているのか、毎月意識するのは悪くないと思った。本来世襲であってはならない民主主義国の政治家という職業を家業にしちゃってる政治家とかその支援者っていう「恵まれた」人たちにも、どうぞって勧めたい気分(苦笑)。
とにかく、アメリカの後について行った先に、いったい何があるのか、日本は、日本人は、もっとちゃんと考えるべき。戦争しなくても良い国=日本を、いまの世襲のボンボンたちになし崩しにされてはたまりません。
集団的自衛権行使を容認することに賛成、て自分の国内が怪しくなっているところへ渡りに船、って人々でしょう。
人のふんどしで相撲をとるな!
あっ、だれに誰が言うておるのかな。(笑)
たいていは国民に国内問題から目をそらすための
ま、目くらましです。
長々と書きましたが、要するに
そんなのにつきあわされるなんて愚行を
あたしの税金つかってやるな~って話しです(笑)