kebaneco日記

日々の出来事、考えたこと、行った場所、見たもの、なんかを記録してます

智祥院廉山保祐居士

2018年06月23日 | 猫ら&家族
昨日の夜はホテルを予約してあったけど、主人と同じ便で帰京できるタイミングで全てが終わったので、不要なものはキャンセルして昨晩遅く主人と一緒に帰宅した。主人が「一人で帰るのは辛かっただろうから、お父さんの差配だね」と言ってくれた。そうかも。

さて、智祥院さんの戒名に込められた意味。智は仏の智慧を意味し、廉は私欲がない様子を意味し、祐は助けること、だそうだ。

通夜の夜住職と父の人となりのお話をさせて頂いた時、子供の頃に住んでいた実家にあったプールもどきのことや、ここに書いたようなことをお話しして、父は自分の家族を何よりも大切にしていて、そういう優しさは家族だけじゃなくて同僚や後輩にも向けられていて、本当に敵のいない人、だれも敵になろうなんて思えないような人だった、というような話をした。それを聞いてくださってこういう戒名になったと思う。

父に見せるために電子化してあった写真をiPadにコピーして持参した。それを見ながら「これはどこで撮った写真?」「これは誰?」「若いね〜」「気づかなかったけど、AちゃんはBさんににてるね」とか、和やかな通夜だった。法要は日曜日に済ませてしまっていたけど、22日は母の49日だった。その日に父の葬儀になったのは、やっぱり母が呼んだのだと思った。

父の棺の前で「呼んだからには、お母さんは三途の川のほとりの木陰に隠れて’お父さん、そっちは深いから、こっちの浅い所を渡りなさい’って教えてあげるだろうから、安心だね」と主人が一言。しかも木陰からこっそり覗いてそうな身振りで。毎年の夏の家族旅行の計画を一人で立てていた母を知っているので、そうに違いないとみんなが思った。そして、笑うしかなかった。

写真は弟から遺影用の写真を持ってきてと言われた時に、もう一枚「これぞわがと〜ちゃん」という写真として選んだのがこちら。これも年齢詐称著しいと却下された(苦笑)。そのかわり、母の遺影に使った写真の父の姿を父の遺影にした。珍しくそっぽを向いている、というのは弟の勘違いだったようだ。遺影を頼まれなかったら、iPadに電子化した写真を持参しなかっただろうし、そうしたらプールもどきの話やら、この人は誰?という会話もなかったかもしれない。ナイスな勘違いだった。

それもこれもすべて父のおかげ。通夜や葬儀に参列した人は皆口を揃えて、優しい人だった、すごい人だったと言ってくださった。私たちもそう思う。二人とも今年が初盆になる。弟が送ってくれた二人並んで弟の自宅に飾られてる遺影の二人は穏やかな顔をしている。母は特に嬉しそうに見えた。

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ご愁傷さま (しまそだち)
2018-06-23 15:58:37
素敵なおとうさまに 立派なご戒名です
kebaさんのおとうさまの事をうかがってから
父の事を 思い出していました
kebaさん みたいに 充分してあげなかったから
(そんなに早く亡くなるなんて思わなかったので)

おやおや同じ百科事典が  って思いました
お父さま トロフィーが 沢山
何のトロフィーですか

急にお淋しくなられましたね
(合掌)

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しまそだちさま (keba)
2018-06-23 17:39:45
住職から見せられた、戒名や今後の法要日程が書かれた紙に
「廉山」の文字を見た叔父叔母の顔が一瞬曇りました。
なんで「安いの?」って。
でも、廉の文字にはまっすぐな、私欲のない、という
素晴らしい意味があるということを教わったので
お骨を拾ってくれてその場でお別れした叔父叔母に
メールで意味を知らせたりしました。

百科事典同じですか、もう漬物石にもなりませんねぇ(苦笑)
トロフィーはゴルフです
小さい頃はつき合わされました(苦笑)。
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優しいお父様 (よう)
2018-06-23 18:55:01
おかあさまと 夫婦 仲良かったんですね。
そして 子供たちや親せき 友人の皆さんから 和やかな思い出話で見送られて
いい人生でしたね。
お父様の力ですね。
うちは両親そろって90歳となり これから正念場です。
いい人生だったねという 穏やかな最期を迎えてほしいと
あらためて おもいます。
ご両親を一度になくされて お寂しいでしょうけど
これから 一緒に初盆 一緒に年忌法要を営まれていかれるのは
なんだか 暖かい気持ちになれますね。
kebaさん お力落としでしょうが ゆっくりお休みください。
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素晴らしいお父様 (みどり)
2018-06-23 21:24:23
kebaさんのブログをずっと読ませてもらっていて、kebaさんご一家の暖かい雰囲気を感じていました。
お父様の優しさに負うところが大きかったのですね。
そしてお母さまの49日に葬儀。
お母さまの計らいだったのでしょうか。
ご両親が良い人に囲まれた良い人生であったこと、一ブログ読者の私にも察せられました。
短い間にご両親を亡くされてお寂しいとは思いますが、どうぞお力落としなきよう。
心よりお悔やみ申し上げます。合掌


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ようさま (keba)
2018-06-23 22:47:52
看取った弟と従妹によると、「今のが最後の息だった?」
と顔を見合わせた、といいます。
眠るような最後だったそうです。
それがなにより嬉しかったです、亡くなったことは悲しいけど。

父をよく知る人たちだけが集まって
暖かい穏やかな通夜とお葬式でした。

ようさまがおっしゃるとおり、
今年の初盆をはじめとして年忌法要は毎年一緒
仲良し夫婦はあの世でも仲良しです
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みどりさま (keba)
2018-06-23 22:53:24
父は猛烈サラリーマンだったので
子供の頃はあたしたちが起きる前に出かけて
あたしたちが寝てから帰ってくる、という
「其の存在は知っているけど、あまり目撃されない」
存在でした(笑)。

それでも家族の結束は固かったし、
親類縁者との付き合いも濃かったです。
それは全部父母の人柄なんだろうと思いますし
多分何者にも代えがたい「遺産」だと思います。
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ご冥福を (tomoke)
2018-06-25 10:19:57
お久しぶりです。

まさか、ご両親が逝去されていたとは...。
いろいろお仕事をしながらの対応は、
大変な事もあったかと思います。
ご冥福をお祈りします。

仲の良いご夫婦だったのですね。
きっと、お母さんが待ってますね。

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tomokeさま (keba)
2018-06-25 11:23:41
ご無沙汰してます、お元気ですか?

そうなんです、父よりずっと長生きするだろうと思ってた
母がいきなりラストスパートをかけ父を追い抜き
自分の49日に葬儀をあげさせるべくお迎えに来ました。
仲良しなのでしかたないです…

元気だして日々を大切に生きるしか恩返しの方法はないみたい。
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