
二日目は飛鳥へ。電車の乗り継ぎもあるので大きな荷物は宅配便で東京に送り返した。身軽になってJR奈良駅から近鉄奈良駅までバスに乗り、そこからは近鉄を乗り継ぎ飛鳥へ。近鉄飛鳥駅到着直後に駅前のレンタサイクルで、電動アシスト自転車を借りた。ガイドブックには比較的平坦と書いてあったけど、なだらかな坂道が多くて電動アシストが威力を発揮した。
何はともあれ高松塚古墳へ!である。が、飛鳥路は道路標識が貧弱で、いきなりキトラ古墳方面に進んでしまった(苦笑)。ガイドブックに記載のあった目安の所要時間からして絶対おかしい!と、途中で引き返して大正解。そんなことが何度もあった。正直プチ切れしたぜ。ただ、その道案内が貧弱なため農作業の手を休めて談笑しておられる地元の方に道を聞き、あたしたちに驚いて駆け出した猫をみて「かわいいですね」と言った主人に「猫、連れて行かんかね」と言われたり、なかなか面白いやりとりにもなったのでよしとする。だけどこれだけ自転車用道路が整備されてんだから、道案内を充実させてくれ〜と声を大にして叫びたいkebaです。
最初の写真は高松塚古墳、1300年前の直径23メートルの円墳。広々とした公園のような場所に現れる。その近くには、緑に埋もれたように立つ高松塚壁画館がある。今年は壁画発見50周年だそうだ。
こぢんまりとした建物の中には
副葬品の模型と共に、精巧な模写が展示されている
飛鳥美人の皆さん勢揃い
ここから自転車で(本来なら)12分の距離にある亀石を目指す。自転車と歩行者は道路の下をくぐるようになっていたのだけど、ガイドブックにも道端の案内にもわかりやすい記載がなく、kebaここで本日2度目のプチ切れ(苦笑)。
亀石、寝てるのかな?
飛鳥時代のものとされるものの、何のために造られたかはわかっていないらしい。酒船石や亀形石造物のあたりで説明してくださった地元のボランティアのおじさまによると、亀は邪悪な存在ではなく動物の中の格は高かったと思われるので、俗世と神聖な世界との結界の意味合いをもつか、あるいは、人間社会を邪悪なものから守ってくれるように置いたのではないか、とのこと。
次に目指したのは橘寺。聖徳太子が自らの生誕の地に建立したと言われる。本堂には聖徳太子坐像が安置され、往生院は天井画で有名、収蔵庫には太子絵伝などが展示されている。
じつはこの往生院の天井画が素晴らしいということは、前の晩に食事をしたイタリアンのシェフから教わっていた。西門で拝観料を支払う時に「天井画が立派と伺いました」と一言口走ったら、そばにいた女性が「わたし、その絵を描いたんです。そして奈良県からは久しぶりに二科展の審査員に選ばれたんです」と話しかけてこられた。あらぁ〜、と何気なく「あたし、子供の頃二科展のジュニアの部に2回ほど入選してます」と答えたら「ええぇぇ〜!」と飛び退かんばかりに驚かれ「ジュニアで入選するなんて、難しいことなのに〜、この子は2回も、すごいわぁ〜」といきなりハグされた。主人はその様子を「還暦過ぎてんのにこの子だって〜、ぷぷぷ」と眺めてた。「会ったばかりの日本人にハグされたのは初めてだよ〜」「今から50年以上前に小学生の油彩は水彩に比べれば圧倒的に少なかっただろうから、出せば入選するって状態だっただろうし、驚かれたことに驚いたよ〜」と笑った。奈良に来て、奈良の人が繋いだ小さな出会い(こんなんですみません・・・)。
思わぬ長めの立ち話になったその女性からは「もう描かないの?わたしも主婦やって介護やって、その後また描き始めて今は大学で教えてるので、あなたも描けばいいのに」と勧められた。たしかにイーゼルや画材入れなどはいまだに手元に置いてるけど、それは母が描いてくれた名前が綺麗に残ってたり絵の具でいい感じに汚れてるからであって、あたしはもう描く気はない。主人にあとから「そういえばどうしてやめたの?」と聞かれて「劣等感に苛まれるから」と答えて、妙に納得された(苦笑)。だから諦めず再び筆をとり大学で教えるまでになったその女性は、本当にすごいと頭が下がる。あたしは鑑賞することは好きなので、そうやって初志貫徹されたみなさんの作品を見せていただこうと思う。そっちは一生の趣味。は、さておき
美しい本堂
右が善面で左が悪面といわれる2面石
人間の二面性を示すと言われるけど実は謎。ただ、悪面の方が大きいのは、人間が悪の面が多いってことなのか、悪い奴は態度がでかいってことなのか、考え始めると面白い。記録に残されて全てがわかっている時代のものと違って、なんだかわからない考古学の世界は、当時と今との相違点と共通点の匙加減で解釈の幅があって想像力を掻き立てられるのであろうし、それゆえほんの少しでも残された遺物が持つ情報が貴重なのであろうと、ちらと思った。
静かな佇まいの観音堂
紅葉が始まって木々の美しいこと
清々しさを放つ本堂と静かに佇む観音堂。法隆寺のような大伽藍の持つ圧倒的な美しさとは違う、木々や建物や地面からすらも、訪れる人の心を和やかにさせる優しいものが降り注いだり湧いてでいるかのような、心が安らぐ素晴らしいお寺だった。あたしはあまり霊的なものとか感じたりしないのだけど、たまに、ほんとにたまぁ〜に「なんかいい」「なんか気になる」って場所に巡り合うことがあある。それがうちの近所の今宮神社だし、この橘寺だった。
さてと、ここからは石舞台古墳を目指す、約10分のサイクリング。今の時期は空気が乾燥していて日差しも柔らかく一番いい季節だった。当初夏休みに飛鳥に来ることを考えていたけど、あれは無謀なことだったと改めて思った。この時期にこんな青空の下でサイクリング、最高だ。
日本最大級の横穴式石室を持つ古墳、蘇我馬子の墓ではないか?といわれる
巨大な石室、最も大きな石は77tもあるそうで、石は全部で総重量2300t
決して観光客がいなかったわけじゃないけど、写真を撮るタイミングでは誰もいなくなってる、不思議〜。青い空に狐が女に化けて踊ったのではと言われる石舞台の時代に、しばしタイムトリップ。
その次に目指したのは飛鳥宮跡
飛鳥時代の4つの宮殿の遺構が重なっている遺跡だそうだ。中大兄皇子と中臣鎌足がここで蘇我入鹿を倒して大化の改新が幕を開けたという、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)もそのうちの一つ。ただ、復元されているのは天武天皇の時代の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)の遺構。
ここは駐輪場がなかったので大木の日陰に「愛車」をとめた
流石にお腹が空いてきたので、微妙にお昼時間を外してランチ難民にならないよう、奈良県立万葉文化館のカフェを目指す。有名なカフェはランチの予約を受け付けていないか、予約しようにも到着可能時刻が予想できなかったので予約ができないか、珍しく昼食の予定が未定のなのであった。が、その前に2箇所ほど立ち寄る。
酒船石に向かう坂道
竹林の丘の中にぽつねんと存在する石造物
丘の下にある亀型石造物が発見され、酒船石と共に祭祀に使われたのではと推測されている
入り口を入って歩いていたらボランティアのおじさまが「どこからいらしたんですか?」と寄ってこられた。説明しましょうかという一言もなく「今の上皇がいらした時にご覧になった場所にお連れしましょう」とスタスタ。去年の11月に東大寺の天蓋門を見ていたら「今日ボランティアデビューなんですよ」と男性が寄ってきて説明をしてくださった、あの時と同じように違和感なく近寄ってきて説明をしてくださる、面白いなぁと思ってお話を伺った。ちなみにこの亀型石造物のあった場所にはかつて小学校があって、ご自身もお子さんたちも通われたのだそうだ。万葉文化館を建てるときに石造物が発見され、このように展示されているのだと説明を受けた。掘り返したら何か出てくる、そういう土地柄なのね〜
ここで朝食のエネルギーを使い果たし、敷地内のカフェに飛び込んだ。
ここらあたりまで 足を延ばしたことは 無くて 雨の今日 わたしも 出かけた気分で
楽しませていただきました
確かに 標識は 残念ですが 観光地に変身して、 お土産物やカフェが 軒を連ねるってことが 無いのが 奈良の良さでもありますわね
私の場合は方向音痴の自分を責めます。
飛鳥か、私も一度行ってみたいです。
お天気も良くって最高の旅になりましたね。
同じ頃、九州で開催されているポンペイ展に泊まりがけて行ってきました。kebaさまのブログを読んで絶対行ってみたいと思っていたんです。行けて良かったです
大学時代の友人が県庁に努めておりますのでよくよく言い聞かせておきます。、、
グロブ拝読せよとも伝えておきます。
お疲れさまでした。
ボランティアもいなくて ただ地図を見て車で回っただけでした。
ところが翌年 その近くの橿原神宮そばにある奈良芸術短大を受験することとなり
オープンスクールで 生徒たちが実技指導を受ける時間に
希望する保護者が バスで近辺を案内してもらえることとなり
歴史に詳しい教授の案内付きでした。
やっぱり知らないところは ガイドがあると理解が深まり いいなあと思いました。
そのころはまだ 高松塚古墳が 発掘調査されたばかりだったので
見せてもらえるところが少なかったですがそれだけに神秘的でした。
ただ 雰囲気的には うちの周辺とそう変わらないのですけどね。(笑)
こちらも 新しく何かを建てるというと まず試掘調査をしてからでないと
掘り返せないところが多く ウッカリ 何かが見つかると(笑)
着工が1,2年遅れるのはざらです。
父も定年後に 遺跡の発掘作業のアルバイトをしていました。
何しろ いよいよとなると へらや刷毛でやるのでしょうから 遅々として進まない。
年中いくらでも仕事があるのです。
だから 近代化が進まなくて いいのでしょうね。
標識は、なんとか上手な方法でもっと分かりいやすくしてほしいと思います(苦笑)
でも、全体として、本当にいい旅ができました。
動体視力が脅威的にいいか、一度地図を見たら忘れない記憶力があるか、特技がないとダメなんじゃないかとすら思いましたよ(苦笑)
あとね、ここだけの話ですが、でもって薄々気づいてたんだけど、方向感覚ある然としてる主人、実は全然ダメだってバレちゃいました、あはは。
そうでしたか、ポンペイ展いらしたんですね、よかったって思っていただけてよかったわん。
福岡、どうでしたか?
あたしは従兄弟がいるけど全然いってないなぁ。。。
ほんとですか?県庁に?ぜひ!ぜひ!ぜひ!
もったいないですよ、あたしたちの前にも何人も方向間違った人がいました。
初めてきた人に地図だけ持たせて、目的地に行くのにどこで困るか教えてもらったらいいと思います。
そしてその場所に「○○はあちら」っていう矢印を立てるの。
シンプルだけど、その土地に住んでる人やカーナビで移動する人にはわからない感覚だと思うのです。
奈良愛ゆえの鞭だと思ってくだされ〜
しかもご近所の風景がまるで飛鳥か斑鳩か(笑)!
我が家は団体旅行は絶対いやなのですが、要所要所で説明は聞きたいな、っていうわがままな旅行者です。そういう意味では奈良のボランティアのシステムは本当にありがたかった。
主人の実家の敷地には日本最北端の遠方公園分があり、昔からいろんな言い伝えがあったそうです。今は市の教育委員会に寄付しているのでそちらで管理しています。いつだったか夏に帰省した時に、耳に素敵なピアスをした若い女性が一人で発掘調査をなさっていて、暑いのに大変ですね〜って話しかけて少しお話をさせていただいたことがあります。
あるとわかったり、何か出てきちゃったら、調査しないわけにはいかないらしいですね、大変だ〜