土曜日のエントリーの続きざんす。
コーヒーで一服して、気を取り直して本館へ。目指すは土偶、踊る人々。それから本館2階のレトロな内装を拝見いたそう。脇目も振らず2階を目指す。前回来たときには入れなかった2階への大階段通り放題〜!!
踊り場のランプ
鋳鉄のフレームからガラスに柄がリレーされて上へ上へと伸びていくデザインは、うっとりと見つめてしまうしかできない
内装はぐっとこらえて後のお楽しみにして、まずは1−1室 日本美術のあけぼのー縄文・弥生・古墳の部屋を拝見。最初に目に入る銅鐸などを一瞥して右を向くと、目指すかわいこちゃんがいるんだよね〜。
埴輪 踊る人々 古墳時代6世紀
埼玉県熊谷市野原古墳出土。片手を上げて踊る人と言われていたんだけど、近年では、片手をあげる所作と腰に下げる鎌から、馬の手綱を引く2体の男子像である可能性も指摘されているらしい。この省略の美、かわいいというかユーモラスというか。みてると幸せになる。
みみずく土偶 縄文時代後期 BC2,000-1,000年 重要文化財
極端にデフォルメされた顔の表現が鳥のみみずくに似ていたことからついた名前。耳には丸い耳飾り、頭部は髪型や串を指している様子なのか?土偶は当時の風俗をうかがう材料となっている、と説明文にあった。これは埼玉県さいたま市真福寺貝塚出土とのこと。
仏教が伝わると、作風も随分と変わってくる。また、仏道や仏塔を建立する際に、その土地に住む神を鎮めて建物の永続を願うため、建物の基壇の下に様々な宝物を埋める習慣が始まる。死者の来世での豊かな生活を願う気持ちや、建物が長持ちするように願う気持ちは、世界共通なのかも。そういえば人柱の発想はリガ(サンクトペテルブルクと把瑠都2カ国旅行記 7日目 リガ午前中 - kebaneco日記)でもあった。
これらは奈良の興福寺の中金堂地下から発見された鎮壇具
水晶・瑪瑙・ガラスの玉・銅銭(和同開珎)など
世界各地で物を埋めて安寧を願うだけでは十分ではないと思い始めたのは、一体いつごろからだったのだろう。折しも日本は西日本で豪雨。災害を何度も経験してのことだったのだろうか?とちらと思ったけど、いやいや温暖化前だから脅威と言ったら火災とか戦火とか異教徒の侵入とか、人災系のことが原因で、誰か人に入っててもらわなきゃって思ったのかな?とか、勝手な妄想。
茶の美術の展示も充実していて、重要美術品とされる朝鮮時代に16世紀に焼かれた大井戸茶碗有楽井戸の展示もあった。でも、あたしはどっちかというとこちらに惹かれた。
彫三島茶碗 銘 木村 朝鮮時代16-17世紀
彫で刻みをつけてそこに白土を象嵌した作品。日本からの注文で作られた高麗茶碗と考えられている。外に花文があるのは珍しく、外花手(そとはなで)と呼ばれているそうだ。と、だいぶ疲れてきたのでここで内装に目を転じることにした。
貴賓室前の立派なシーリングライト
同じくガラスにまで意匠が施されている
2階中央部にある貴賓室 通称便殿(びんでん)
開館当時、両脇に控えの間が付属した貴賓室として造られた。通称の便殿とは中国で貴人が休憩するための仮の御殿のこと。つまりここは天皇・皇族方がお出ましの際の休憩所だった。今では皇族方のみならず国賓や公賓の休憩所として利用されているという。外から本館を見たとき、正面車寄せの上にあたる3つの窓にだけバルコニーのようなものが付いている。そっか、あれは貴賓室プラス両脇の窓だったんだと納得した。
つくづく、東博は建物も含めて博物館なんだなぁと実感したのでした。次回は主人と来る予定。
いいですよ〜、コロナが落ち着いて東京が諸悪の根源(by兵庫県知事)と言われなくなったら、是非おいでくださいませ。
主人に写真を見せたら、行きたいと仰なので、改めて予約して一緒に行く予定にしました。
そういえば、33Tab(みみたぶ)というアプリに、いといせいこうとみうらじゅんの東洋館音声案内コンテンツがあるんです。それがめちゃくちゃ面白くて、聞いていると目の前の作品に集中できん!と途中からやめました(苦笑)。何度も聴けるので、次は行く前にバスの中で聞いていきます。