EigenWolf

今度の東北大震災がきっかけでBlogを始めました.

「go to ...」とインパール作戦

2020年09月20日 13時43分58秒 | 報道/ニュース

「go to travel」、「go to eat」は無謀に見える。「感染者の横ばい状態」を期待してのことかも知れないが、コロナ再爆発の危機が迫っている。横ばい状態は物理学でいうところの鞍点に似ている。峰は終息であり、谷は感染爆発に対応する。鞍点から峰(終息)に進むためには国民の新たな団結のエネルギーが必須であるが、谷底(パンデミック)へ落ちるのは容易である。鞍点は安定状態ではない。「横ばい状態」を維持するには国民の絶え間ない努力と犠牲が必要であり、それはまさにendlessである。

コロナを制すれば経済も成功する。しかし、経済を優先すればコロナで失敗し、経済も失敗する。どちらの道がより賢いのか小学生でもわかる簡単な命題である。まずコロナを制し、その後経済に力を入れる、というわかりやすい道を何故かたくなに拒否するのであろうか。世界がパンデミックに苦しみ、抜け出せずにいる中で、日本が世界の手本となり日本の知性を証明するまたとないチャンスである。コロナ制覇は日本国民への敬意につながり、日本製品への信頼の向上にもつながるはずである。これに勝る宣伝広告は考えられない。

感染爆発の犠牲は全て国民が負うことになる。「go to...」作戦は、インパール作戦の失敗を彷彿とさせる。自信過剰で傲慢な軍部がもたらした大災厄であった。指導部のミスはそのまま国民の負債となって跳ね返ってくるという事実を忘れてはいけない。4月の感染爆発を制していれば、我々はとっくにマスクの不要な、安全な生活を手に入れることが出来ているはずである。しかもそれは確実に出来たはずのことである。「インフルエンザよりも死亡者が少ない」などという理屈が通るわけもない。病気になりたい人などどこにもいない。それが生命体の本質だからである。

次の感染爆発は制御不能になる可能性がある。「social distance」の手段では到底抑えきれない爆発である。理由は簡単である。どこの社会にも集団の行動に反する何割かの「super spreader」が必ず存在する。感染者が少ない段階では、これらの「super spreader」の行動は「social distance」の効力に圧倒されて無視することができた(※)。しかし、例えば一日一万人を越えるようなパンデミックになると、それらの「super spreader」だけでネットワークを形成してしまい、制御ができなくなるのである。興味深い事に、この制御不能のパンデミック状態は政府が期待するところの「横ばい状態」にそっくりなのではあるが。

※:「super spreader」が少数に止まる範囲では、感染者の自然消滅が起きる。分岐過程の消滅確率が関係している。家系の断絶も同じ現象である。