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泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

となりの漱石

2016-01-25 11:44:28 | 読書
 

 今年の12月9日は、夏目漱石の没後100年になります。
 100年経っても『こころ』はよく売れているし、『坊ちゃん』はテレビドラマにもなる。
 ちなみに『こころ』は、本当は『心』で、出版をした岩波茂雄(岩波書店の創業者)が勝手に変えてしまったそうです。
 しかも自費出版! 岩波はしたたかな人で、新聞連載を読んで感動し、ぜひうちで出版させてくださいと申し出て、その席で費用は先生が出してください、と言ったそうです。
 岩波はまだ出版経験がなかった。
 漱石没後は漱石全集を出した。今の岩波書店の原点にも漱石と岩波のゆるい師弟関係がありました。
 そんな漱石好きにはたまらない小話がちりばめられています。
 また、気になるのは、「神経衰弱」の具体。
 そもそも明治以前まで、人々に「神経」という概念がなかったというから驚きです。
 日本に鉄道が開業したのは1872年。
 漱石が生まれたのは1867年。
 フロイトの『夢診断』が出版されたのは1901年。
 漱石が49歳で亡くなる1916年には、すでに第一次世界大戦が行われていた。
 神経衰弱という心身の不調を身をもって体験し、この社会の課題を作品に仕上げた日本最初の人。
 心の存在を描こうとした人。だから私は繰り返し読み、接して学ぼうとするのかもしれません。
 やはりぐっと来た『私の個人主義』の引用から引用。
「何かに打ち当たるまで行くということは、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは10年20年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出されるとき、あなたがたは始めて心を安んずることが出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首をもたげてくるのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかもしれませんが、もし途中で霞か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てるところまで行ったらよかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方の御家族のために申し上げる次第でもありません。あなた方自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申し上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏み潰すまで進まなければ駄目ですよ」(221頁13行-222頁10行)
 私のとってようやく掘り当てたのは、書くことと走ることになろうかと思います。
 
 山口謠司著/ディスカヴァー・トゥエンティワン/2015
 

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