泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

ツツジを見上げる

2021-04-15 20:05:07 | フォトエッセイ
 練馬区立美術館で開催中(4月18日まで)の「電線絵画展」観てきました。
 すごく面白かった。
 電信柱は、今では邪魔者扱いされることが多いと思いますが、明治の始めは最新技術だった。
 浮世絵の完成形の錦絵にも登場。郵便や電車の始まりと並行している。
 夏目漱石はたくさんの葉書を残しましたが、それもまた最新の情報伝達方法だったわけです。
 描く人によって、電信柱や電線の描き方もばらばら。意図的に描かない人もいた。電線だけ描かない人も。
 私は、震災直後の気仙沼で見た電信柱が忘れられない。
 ガレキと化した街の中で、電信柱だけが真新しく、すっくと立ち、人々をつなぎ、支えているように見えたから。
 宮沢賢治の作品にも電信柱、有機交流電灯、そして電車(銀河鉄道はSLではありません)が出てくる。
 一方で、もう私たちは、水俣病をはじめ、原発事故まで知っている。
 科学技術の進歩で得た恩恵は計り知れないし、戻ることはできない。
 ただ薬と同じで副作用があることを無視してはいけない。
 現代に近づくにつれて、電線絵画はその暗部も透けて見えてきたように感じた。
 私の心に残っていて、思わず再会した画家が二人。
 一人は佐伯祐三。もう一人は香月康男。
 佐伯は、下落合にアトリエ記念館があり、カウンセリングの通学路だったので知った。
 2枚の「下落合風景」は1926年頃描かれたもの。
 どんよりとした曇り空の下、電信柱が乱雑に立っている。
 電信柱は、当初軍事目的だった。佐伯は白い柵も描いていたけど、透けて後ろが見えている。
 30歳で結核で亡くなった。私の暗い20代とも重なって、大切な画家の一人です。
 もう一人の香月は、大学の先生が紹介していて知った。
 シベリア抑留体験があり、日本に帰ってからシベリアシリーズを発表している。
 今回観たのは「工事」(1960年代制作)。
 電信柱に登って工事している人が描かれているのですが、人が一番黒い。
 真っ黒い人の周りがうっすらと白み、焦茶色の電信柱が支えている。
 何とも不思議な絵ですが、これが一番引かれた。
 来年は「香月康男展」が開かれるそうで、絶対行くでしょう。
 帰りには大泉学園駅で途中下車し、牧野記念公園へ。
 あの植物学者の牧野富太郎が住んでいた家が保存され、庭園が無料で公開されています。
 ダイオウマツの巨大な松ぼっくりにも驚いたけど、一番の衝撃は写真に収めた。
 ツツジを見上げるのです。
 ドウダンツツジもまた立派な木となり、私のはるか上から垂れ下がっていた。
 私が見慣れていたツツジたちって、何だったんだろう?
 もしかして、人に飼い慣らされた姿しか見ていなかったのかもしれません。
「花あればこそ吾れも在り」
 牧野富太郎93歳のときの言葉。

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