泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

よいお年を

2012-12-29 17:05:13 | エッセイ
 今年最後のブログ更新となるかもしれませんのでご挨拶を。
 いつもこのブログをかわいがってくれてありがとうございます。大変お世話になりました。
 なにげに毎日の訪問者数やコメントを支えに生きています。
 また来年もよろしくお願いします。

 私にとっては本格的に走り始めた年でもありました。思えば今年は階段すら降りられない強烈な膝痛から始まっていました。
 累積走行距離は、1月36キロ、2月36キロ、3月42キロ、4月67キロ、5月103キロ、6月75キロ、7月76キロ、8月43キロ、9月114キロ、10月163キロ、11月111キロ、12月115キロ。合計すると981キロ。981キロ? 東京からだとどこまで行けると思いますか?
 測ってみました。北は北海道、旭川。南は鹿児島の最南端。西は韓国に上陸。北朝鮮までは足りていない。
 だからどうした、と思わなくもないのだけれど、この調子でいったらやはり来年は海外だなと思う。日本からはみ出す距離に達します。
 国内のマラソン大会を巡回しつつ、海外の大会にも行けるようになりたい。語学の勉強も続けています。
 なんであほみたいに走ってるんだろう、と思わないこともありません。しかし、もう心身が求めている。生活の一部になっている。私の心身にとって必要なのだと感じます。みんなにとってマラソンが有効だとは決して思いません。「すごい」とほめてくれる人がいる一方で「信じられない」と半ば軽蔑の眼差しを向ける人もいます。それでいいのだと思う。何かに打ち込むことで確かに人は反応する。その反応によってその人の今がわかる。マラソンは反応がわかりやすい。走ることを通じて自分自身をも含めたコミュニケーションの幅を広げようとしているのかもしれません。そしてその経験が楽しい。私は何かに打ち込む人が好きなのだということも思い出しました。

 反応と言えば「私の名前は」という題で小説を書き上げました。小説に対しても人さまざまな反応があります。
 中には読んでくれる人もいます。さらにその中には感想を書いてくれる人もいました。
 レポート用紙に12枚にも渡って批評を寄せてくれた人には本当に感動した。
 そして。
 次の作品に取り掛かっていたのですが、感想を何度も読み返すうちに書き直そうという気持ちが強まりました。
 池袋の「かぶらや」という立ち飲み屋で、次に「木の声」というそばバーで時間をともにした友が「書き直さないんですか?」と言った。それが結局最後の一押しとなった。
 うまくできるかわからない。でも3人集まれば文殊の知恵ともいうけど、3人以上の意見が手元にあります。すべての意見を生かすことはできないだろう。
 でも。書き直すべきはわかった。
 書き上げてぼくは余裕などないからそのまま応募してしまった。しかし、それでは作品は半分しかできていなかった。
 推敲。削ったり膨らましたり。その作業がぜひとも必要でした。この事実に体験を通じて学べたことがよかった。
 一人で書くのだけど、読者がいて初めて作品は成立するのだと身を持って感じた。
 だからもう、小説を書くことを恐れない。立ち向かっていけるだけの人とのつながりを持っていると感じられるから。作品を楽しみに待っている人がいるから。
 目標は6月末締め切りの「ぼっちゃん文学賞」。夏目漱石を、浪人時代以来、読み返してもいます。
 感想を寄せてくれた人の2人が、誰よりも漱石を愛していたから。ぼく自身、文学の入り口には漱石がいたから。

 基本に立ち戻った一年だったとも言えます。
 走ることも書くことも読むことも語学が好きだったことを思い出して日々NHK教育テレビを録画していることも。
 教育テレビばかり見ている。ときに高校講座の地学を見ている。ハートネットTVを見ている。
 本当に浪人時代に戻ったみたい。
 そして今の目標は、大学に入ることではなく、文筆で食っていけるようになること。文学賞、新人賞を取ること。
 本当に、作家になりたいと思う。
 自分を最大限に生かす道はそれしかないと思う。
 作家になるための再教育中。自分で自分の育て直し中。
 思いばかりが先行しがちなのも私のくせです。それも走ること、書くことでよくわかった。あるいは若い女性への接近で。
 心技体。すべての調和が大切だとやはり思う。
 一歩ずつ、ずっと修練を重ねたい。思いと具体、実務をかみ合わせて、一行ずつ、前へ。行動の結果としての作品。あるいは結婚。

 これから年賀状を書きます。
 年賀状が届いた人も届かなかった人も、みなさま、よいお年を。
 来年、私は年男になります。
 お世話になった大学の先生がめでたく定年退職することになり、最終講義を聴きに行きます。
 やっと再会することができます。
 大学出てから12年。
 大学時代があまりに悲惨で情けなくて、会いたいのに恥ずかしくて会うことができなかった。
 細々と年賀状だけのやり取りを続けていました。
 東北大ということでちやほやする人もいるけど、ぼくの体験は本当に惨めなものです。落ちこぼれもいいところ。強がって強がって結局他人に尻ぬぐってもらって。
 そんなぼくを、そんなぼくでも、先生なら、と信頼できる真の大人でした。
 やっと、もう、会っていいんだなと思う。

 ああ、書き出すと止まりませんが、みなさま、お元気で!
 また来年お会いしましょう。
 来年こそ、自分の花を咲かせましょう。

 最後にもう一言。
 今年を一言で振り返るなら。
 「宿命」でした。
 みなさまにとってはどんな一年でしたか?

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