僕にとって、ヘッセは、友人以上の存在です。彼の好んで使った呼びかけを借りるなら「兄弟」でしょうか。
暗闇の中、霧の中でこそ、彼はとても身近で、僕を一歩でも前に導きました。
大学を出て、就職もせず、家でぶらぶらしていたころ、とりあえずの勤め先を探していましたが、決定的な一打は、彼が書店で働いていたことでした。だから僕も従った。
彼もまた、ユングのもとで、精神分析を受けています。40を過ぎ、最初の妻が精神病を発症し、苦しんでいたときのこと。小説『デミアン』が書き上げられたのは、そのすぐ後です。
まだ言いたいことはあるのですが、今回読んで、ぐっときたもの、心に刻みたい詩を、紹介します。
幸福
幸福を追い求めているかぎり
たとえ望みのものを残らず手にしても
君はなお幸福であるにふさわしくはない
失われたものをなげき悲しみ
目標を定めてひたすら励みゆくかぎり
君はなおやすらぎを知ってはいない
すべての望みを捨てさり
目標も熱い思いももはや知らず
幸福の名を呼び求めることをやめるとき
そのときにこそ世の生業に煩うことなく
君は心しずかにやすらうのだ
目覚め
喜びと響きの満ちわたる色鮮やかな世界よ
おまえはなんと壮大で美しいことだろう
すべての騒がしい渇望の後に
なんと穏やかな風が僕の周りに吹くことだろう
あんなにも激しく僕を燃やし尽くして
あの灼熱の愛は去っていった
その混乱した魔法の国は背後に退き
はるか彼方に暗くやすらっている
なんと長いこと僕は夢に惑わされ
疲れたさすらい人となって
心に偽りと妄想をいだきながら
熱い砂漠をさまよっていたことだろう
今、偉大で真実であるすべてのものへの
古い喜びが目をさます
僕の熱い胸は鎮まり
太陽の日差しのように明るくなる
なんときらびやかな朝につつまれて
こんなにもさわやかに明るく
喜ばしい命が笑いかけることか
仲間よ、くじけるな、元気を出せと
僕の前にはこんなにも明るく道が続き
荒々しい闘いへ、喜ばしい行為へと
義務が親しみをこめて呼んでいる
元気を出せ、動揺するなと
両親に
あなたがたには辛かった歳月が
僕ら子供たちには清らかだったと思えるのです
喜びあふれ、えり抜かれて
こよなく軽やかだったと思えるのです
あなたがたには労苦と不安を通っていった道も
僕らにとって軽快な青春の歩みでした
僕らには香りのように通り過ぎても
あなたがたには長かったのです
でも今は僕らの方が
それらの歳月の花輪を味わいましょう
僕らの若々しく強い手で
それらの宿命の向きを変えて
生の重荷の僕らの分を引き受けます
だからあなたがたは休んでください
海の夢
闇につつまれた僕の足もとへ
こんなにも呼びかけ、騒ぐのはなにか
それは海だ、それは海だ
それは僕の青春からの挨拶だ
声高く叫ぶ熱い挨拶だ
ああ、海よ、遥かに青い岸辺よ
かつて僕らがうっとりと魅惑され
この美しい熱い南の国で
おまえの潮のうねりに触れてから
おまえは僕を忘れなかったのだ
おまえは歌の中の歌を歌いながら
遠くから僕に挨拶を送ってくれる
そして声高にむせび泣き、激しく騒ぐ
ああ、海よ、僕の愛する海よ
僕らはいつまた会えるのか
孤独
道は苦しい、道は遠い
だが引き返すことはできない
孤独よ、おまえに捕らわれてしまえば
その者にとっておまえは死であり、幸福なのだ
あこがれが燃え立つようにわき起こる
下の方から世界が母親のように呼んでいる
なんと重々しくその呼び声は愛に満たされ
なんと赤々と喜びに輝いていることだろう
だが孤独の杯に唇をつけて
その最初の水を飲んでしまえば
その者に鳥が感謝の歌を歌うことはなく
もはやふたりで行くこともない
これで、僕のもの、僕たちのものに、なったのでしょうか。
声に出してみてください。これこそ詩だと、僕は思う。
ヘッセの詩を、もっと手軽に読みたい人には、新潮文庫の『ヘッセ詩集』がおすすめです。大学生のとき、眠れない夜、枕元に置いたものです。そして、今も手元にあります。二重丸や傍線や書き込みや、年月の染みとともに。
ヘルマン・ヘッセ著/日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会編/島途健一訳/臨川書店/2007
暗闇の中、霧の中でこそ、彼はとても身近で、僕を一歩でも前に導きました。
大学を出て、就職もせず、家でぶらぶらしていたころ、とりあえずの勤め先を探していましたが、決定的な一打は、彼が書店で働いていたことでした。だから僕も従った。
彼もまた、ユングのもとで、精神分析を受けています。40を過ぎ、最初の妻が精神病を発症し、苦しんでいたときのこと。小説『デミアン』が書き上げられたのは、そのすぐ後です。
まだ言いたいことはあるのですが、今回読んで、ぐっときたもの、心に刻みたい詩を、紹介します。
幸福
幸福を追い求めているかぎり
たとえ望みのものを残らず手にしても
君はなお幸福であるにふさわしくはない
失われたものをなげき悲しみ
目標を定めてひたすら励みゆくかぎり
君はなおやすらぎを知ってはいない
すべての望みを捨てさり
目標も熱い思いももはや知らず
幸福の名を呼び求めることをやめるとき
そのときにこそ世の生業に煩うことなく
君は心しずかにやすらうのだ
目覚め
喜びと響きの満ちわたる色鮮やかな世界よ
おまえはなんと壮大で美しいことだろう
すべての騒がしい渇望の後に
なんと穏やかな風が僕の周りに吹くことだろう
あんなにも激しく僕を燃やし尽くして
あの灼熱の愛は去っていった
その混乱した魔法の国は背後に退き
はるか彼方に暗くやすらっている
なんと長いこと僕は夢に惑わされ
疲れたさすらい人となって
心に偽りと妄想をいだきながら
熱い砂漠をさまよっていたことだろう
今、偉大で真実であるすべてのものへの
古い喜びが目をさます
僕の熱い胸は鎮まり
太陽の日差しのように明るくなる
なんときらびやかな朝につつまれて
こんなにもさわやかに明るく
喜ばしい命が笑いかけることか
仲間よ、くじけるな、元気を出せと
僕の前にはこんなにも明るく道が続き
荒々しい闘いへ、喜ばしい行為へと
義務が親しみをこめて呼んでいる
元気を出せ、動揺するなと
両親に
あなたがたには辛かった歳月が
僕ら子供たちには清らかだったと思えるのです
喜びあふれ、えり抜かれて
こよなく軽やかだったと思えるのです
あなたがたには労苦と不安を通っていった道も
僕らにとって軽快な青春の歩みでした
僕らには香りのように通り過ぎても
あなたがたには長かったのです
でも今は僕らの方が
それらの歳月の花輪を味わいましょう
僕らの若々しく強い手で
それらの宿命の向きを変えて
生の重荷の僕らの分を引き受けます
だからあなたがたは休んでください
海の夢
闇につつまれた僕の足もとへ
こんなにも呼びかけ、騒ぐのはなにか
それは海だ、それは海だ
それは僕の青春からの挨拶だ
声高く叫ぶ熱い挨拶だ
ああ、海よ、遥かに青い岸辺よ
かつて僕らがうっとりと魅惑され
この美しい熱い南の国で
おまえの潮のうねりに触れてから
おまえは僕を忘れなかったのだ
おまえは歌の中の歌を歌いながら
遠くから僕に挨拶を送ってくれる
そして声高にむせび泣き、激しく騒ぐ
ああ、海よ、僕の愛する海よ
僕らはいつまた会えるのか
孤独
道は苦しい、道は遠い
だが引き返すことはできない
孤独よ、おまえに捕らわれてしまえば
その者にとっておまえは死であり、幸福なのだ
あこがれが燃え立つようにわき起こる
下の方から世界が母親のように呼んでいる
なんと重々しくその呼び声は愛に満たされ
なんと赤々と喜びに輝いていることだろう
だが孤独の杯に唇をつけて
その最初の水を飲んでしまえば
その者に鳥が感謝の歌を歌うことはなく
もはやふたりで行くこともない
これで、僕のもの、僕たちのものに、なったのでしょうか。
声に出してみてください。これこそ詩だと、僕は思う。
ヘッセの詩を、もっと手軽に読みたい人には、新潮文庫の『ヘッセ詩集』がおすすめです。大学生のとき、眠れない夜、枕元に置いたものです。そして、今も手元にあります。二重丸や傍線や書き込みや、年月の染みとともに。
ヘルマン・ヘッセ著/日本ヘルマン・ヘッセ友の会・研究会編/島途健一訳/臨川書店/2007
早速、ご返答をいただきましてどうもありがとうございました。アマゾン・ドイツで調べたところ、翻訳の底本とおっしゃる本と思われるものが見つかりましたので、早速注文いたしました。原題と年代をお知らせいただきましたので、原作にたどりつけると思います。本が手元に届き次第調べてまたご報告させていただきます。
本当にどうもありがとうございました。
翻訳の底本は「ドイツ語版へルマン・ヘッセ全集(フォルカー・ミヒェルス編、ズーアカンプ社)」です。
「目覚め」の原題は「Erwachen」です。ただし同じタイトルで2編あります。一つが1894年に書かれ僕が引用したもの。もう一つは1903~1910年に書かれたとされています。
訳者の島途健一さんは東北大学大学院国際文化研究科の先生です。電話は022-795-7651 です。
本稿の『ヘルマン・ヘッセ全集』はへルマン・ヘッセ友の会/研究会が編集、翻訳しています。
ホームページはhttp://www.h5.dion.ne.jp/~diyberg/contentstomonokai.htmlです。
上記に住所、メールアドレスが載っています。
訳者に直接電話して聞いてみるのが一番手っ取り早いかと思います。
この情報で不足でしたら、またコメントしてください。
僕にとっては、「困ったときのヘッセ」です。
ヘッセを読んで、前進しないことはなかった。
本質をさらけ出すからこそ、僕は彼を信頼できます。
確かに、疲れるときもありますが。
僕もまた、困難な人生を少しでも進むために、自分に平和をもたらすために、書いているのだと思います。
ヘッセはずっと人生を悩みながら本を、詩を書き続け、答えを模索するために書いたのだと、ヘッセの研究されている教授から聞きました。私の場合は、行き詰ったとき、もうこれ以上は前に進めないという時にニーチェやヘッセの作品から答えを見出すことができることがありました。たくさん読んでいるわけではありませんが、ヘッセの作品の中で、人の本質をさらけ出す表現がありますが、共感するところもあり、また、反発するところもあり、読み進める時に、とっても疲れる時があります。そこが魅力だと思います。