クリスマスが終わり、ほっとしています。
書店で働き始めてもう20年。毎年、クリスマスは一番働くときになっている。
子供向けのラッピングが増えるからですが、今年ほど「ありがとう」と言われたこともなかったかなと思う。今までだって言われていたと思うけど、今年はその言葉の一つずつがしみて、ありがたかった。小説を読んでもすぐ泣くし、なんだろう、感度が上がっているのか、単に年を取ったのか。
クリスマスが終わるともう来年の準備。これから年賀状も用意します。その前に、今年の振り返りを。
私の今年一年、漢字一文字で表すなら「平」でしょうか。
「平」を作った。「平」が完成した。新しい地平に立てた。新しい地平に立つ準備ができた。これまでの自分を平定した。もちろん、コロナよおさまれ、という願いの「平」でもある。
前作の小説を仕上げて提出して予選落ちして、夏に新しい小説の構想を得て、温めて、形になってきて、動こうとしていて。
今はまだ次作を書いていないけれど、確かにここにある。原稿用紙に向き合っていなくても落ち着いて準備を進めることができている。
小説は、やっぱりマラソンと似ている。フルマラソン8回も完走したから、わかる。マラソンは準備が9割だと。
大会で実際に走るのは残りの1割。結果の9割は、準備の質と量で決まる。
小説もそうだった。準備も不十分なまま、書かないと不安だからと書き始めても、途中で息切れしたり、怪我したり、トイレの場所もわからずその辺でしたら近所迷惑だし、何より自分のペースや力量を把握していてこそのレースプランや目標がある。私の初マラソン大会も散々の出来だった。ほんと死ぬかと思った。初小説でもそうだった。本当に死にそうだった。一作一作、一本一本、経験を積み重ねて、学んで学んで今がある。洗練に洗練を繰り返し、無駄に気付いては捨て、枝葉や本当の愛ではないことを痛みとともに知ってきた。失敗に謙虚に学び続けることは、幾つになってもできる。
次こそがデビュー作だ、と信じています。
小説に近づき、小説の中に入り、小説に怖くなって、小説から離れ、小説が恋しくなって、また小説と出会う。小説の奥深さや意味を、拾い集め直した一年でもありました。
私の中で、いつからか、小説家になることと結婚が結びついています。文章でお金を得るまでは結婚できない、あるいは一人前の男ではない、なんていう観念。実際、正社員として働くことをずっと拒否しているので、今の収入で不自由なく暮れせているのは、自分が独身で実家のお世話になっているから。自分の読み書き走りの時間を確保し、実践してきた日々でもあった。
でも、それも変わってきた。
正直、家から出るのが怖かった。一人暮らしの失敗を引きずっていて。
それも「平定」されたので、自分が新居を二人で作っていくことに「楽しそう」と思えるようになった。ま、それも相手あってのことですが。ただ、それももうできるんだなという実感があります。これもまた新しい「平」。
「平和」であることのしあわせもまた、今まで以上に感じる年でした。健康であることも平和と言えるかもしれない。今年は尿路結石の再発もない。レモン白湯を十分摂るようになって、疲れも溜まりにくくなったと感じています。
一日に、このブログの訪問者が千人を越えた日がありました。『「うつ」の効用』でした。「千」は、今まで見たこともなく、現状突破の兆しは確かに感じられました。ツイッターを有効活用するようになったのも大きい。それも夏からの変化。伝えることそのものの質を上げる工夫の一つ。
走ること、書くことは、自分にとって、生きていることを喜ぶためだったと知ったのも今年でした。これは、コロナ禍が続いたからこそ鮮明に悟ったと言えます。
来年は、やっぱりマラソン大会を走りたい。今まで行ったことのない土地を走り、人々と食べ物と風景と出会いたい。
そしてもちろん、小説が書きたい。どんなに苦しんでも、恥を晒しても、書き抜いたら必ずもっと魅力的な次があることも知ったから。
そんなことで、強烈なクリスマス寒波の中ですが、どうかご自愛されてください。
自分を愛することもまた、より一層深まった一年でした。
自分が自分を適切に愛することは、どうしてけっこう難しいのでしょうね?
書店で働き始めてもう20年。毎年、クリスマスは一番働くときになっている。
子供向けのラッピングが増えるからですが、今年ほど「ありがとう」と言われたこともなかったかなと思う。今までだって言われていたと思うけど、今年はその言葉の一つずつがしみて、ありがたかった。小説を読んでもすぐ泣くし、なんだろう、感度が上がっているのか、単に年を取ったのか。
クリスマスが終わるともう来年の準備。これから年賀状も用意します。その前に、今年の振り返りを。
私の今年一年、漢字一文字で表すなら「平」でしょうか。
「平」を作った。「平」が完成した。新しい地平に立てた。新しい地平に立つ準備ができた。これまでの自分を平定した。もちろん、コロナよおさまれ、という願いの「平」でもある。
前作の小説を仕上げて提出して予選落ちして、夏に新しい小説の構想を得て、温めて、形になってきて、動こうとしていて。
今はまだ次作を書いていないけれど、確かにここにある。原稿用紙に向き合っていなくても落ち着いて準備を進めることができている。
小説は、やっぱりマラソンと似ている。フルマラソン8回も完走したから、わかる。マラソンは準備が9割だと。
大会で実際に走るのは残りの1割。結果の9割は、準備の質と量で決まる。
小説もそうだった。準備も不十分なまま、書かないと不安だからと書き始めても、途中で息切れしたり、怪我したり、トイレの場所もわからずその辺でしたら近所迷惑だし、何より自分のペースや力量を把握していてこそのレースプランや目標がある。私の初マラソン大会も散々の出来だった。ほんと死ぬかと思った。初小説でもそうだった。本当に死にそうだった。一作一作、一本一本、経験を積み重ねて、学んで学んで今がある。洗練に洗練を繰り返し、無駄に気付いては捨て、枝葉や本当の愛ではないことを痛みとともに知ってきた。失敗に謙虚に学び続けることは、幾つになってもできる。
次こそがデビュー作だ、と信じています。
小説に近づき、小説の中に入り、小説に怖くなって、小説から離れ、小説が恋しくなって、また小説と出会う。小説の奥深さや意味を、拾い集め直した一年でもありました。
私の中で、いつからか、小説家になることと結婚が結びついています。文章でお金を得るまでは結婚できない、あるいは一人前の男ではない、なんていう観念。実際、正社員として働くことをずっと拒否しているので、今の収入で不自由なく暮れせているのは、自分が独身で実家のお世話になっているから。自分の読み書き走りの時間を確保し、実践してきた日々でもあった。
でも、それも変わってきた。
正直、家から出るのが怖かった。一人暮らしの失敗を引きずっていて。
それも「平定」されたので、自分が新居を二人で作っていくことに「楽しそう」と思えるようになった。ま、それも相手あってのことですが。ただ、それももうできるんだなという実感があります。これもまた新しい「平」。
「平和」であることのしあわせもまた、今まで以上に感じる年でした。健康であることも平和と言えるかもしれない。今年は尿路結石の再発もない。レモン白湯を十分摂るようになって、疲れも溜まりにくくなったと感じています。
一日に、このブログの訪問者が千人を越えた日がありました。『「うつ」の効用』でした。「千」は、今まで見たこともなく、現状突破の兆しは確かに感じられました。ツイッターを有効活用するようになったのも大きい。それも夏からの変化。伝えることそのものの質を上げる工夫の一つ。
走ること、書くことは、自分にとって、生きていることを喜ぶためだったと知ったのも今年でした。これは、コロナ禍が続いたからこそ鮮明に悟ったと言えます。
来年は、やっぱりマラソン大会を走りたい。今まで行ったことのない土地を走り、人々と食べ物と風景と出会いたい。
そしてもちろん、小説が書きたい。どんなに苦しんでも、恥を晒しても、書き抜いたら必ずもっと魅力的な次があることも知ったから。
そんなことで、強烈なクリスマス寒波の中ですが、どうかご自愛されてください。
自分を愛することもまた、より一層深まった一年でした。
自分が自分を適切に愛することは、どうしてけっこう難しいのでしょうね?
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