北の隠れ家

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夢のまた夢 ・ 十二部

2016年04月28日 12時54分42秒 | 夢のまた夢
☆マイホーム新築☆


       



 
【マイホームの新築】

昭和五十七年十一月、長男が五歳、次男坊が四歳、アッシが三十七歳、カミさんが二十五歳の時に、新築の新居に引っ越しをしたんでごぜぇますだ。
世帯を構えてから、二度目の引越しで、自分たちの持ち家に引越し出来たんでごぜぇます。

子供たちが、保育園に行っているときにマイホームを建てるのが、一応目標でごぜぇましただ。てぇのは、小学校へは保育園の仲間たちと同じ小学校へ進むのが多かったもんでやんすから、そうしてあげたいと思っていたのでごぜぇます。





学校の転校と云う事を出来るだけ避けたいと、思っていたんでやんす。そういう構想を持っておりやしたので、まぁまぁ人生設計通りに家を建てることが出来たのでごぜぇますだ。

土地は、頭金を全財産と、女房の実家から五十万、敏信兄から五十万、残りを今は姿を消した北海道拓殖銀行から五年間借入金したんでごぜぇますだ。その完済と同時に、現在の家を建てたんでごぜぇます。 
それまで、6畳間と4畳半という狭いところで暮らし続けていた反動でしたのでしょうか、この新築にゃ、なんと身分不相応な大きな家を建てちまったんでごぜぇます。


この家を建ててから気が付いたんでございますが、家てぇものは必要以上の大きな家は建てるもんじゃありませんなぁ。家てぇものは三度建てて、初めて、満足に値する家が出来るてぇ良く申しやすが、こりゃ本当のことだとつくづく想いましたなぁ。 





新築した折にゃ左側のお隣りさん、現在の佐藤さん宅がまだ空き地でごぜぇましたので、屋根は三角屋根にしたんで。十年は空き地でしょうと聞いていやしたんでね。
ところがなんと翌々年、その左側の空き地に家が建っちまったんでごぜぇますだ。矢張り心配していた通り、アッシんちの屋根の雪が隣の敷地内落ちてしまうんで。
慌てて屋根をスノーダクト、へぇ、無落雪の屋根に改造しましたんでごぜぇますだ。こりゃ、予算外のことでしたなぁ、へぇ。雪国てぇのはてぇへんお金が掛かることで。  



そんなこんなでアッシんちは、右二軒隣が保育園、五十メートルほど行ったところに、春光小学校が有るという、てぇへん恵まれた住宅街に有ったので、へぇ。

翌年の昭和五十九年四月、我が家の右二件隣の「蘭契保育園」に長男坊の俊輔が入園したのでごぜぇますだ。一年間の保育園でしたなぁ。
次男坊の祐輔も同じ保育園に入れたかったのですが、あいにくと満杯で入園出来ず、自転車で十分ほどのところにある「こまどり保育園」に入園したのでごぜぇます。確か、クラスは「たんぽぽ組」だったと記憶しておりやすが。





カミサンが毎朝、自転車で送っていっておりましたなぁ。翌年には兄が春光小学校へ入学しましたんで、兄の行っていた「蘭契保育園」に入る事が出来たんですでごぜぇますだ。
二人の保育園時代は良い時代でございましたなぁ。今の不透明な、そしてリストラ時代なんてぇ事は考えられなかった時代でございましたなぁ。

二人の保育園の「運動会」にゃ本町のばぁ様も来てくれて、そりゃ楽しい運動会でございましたんでごぜぇます。
なんと云っても、親の出番が多かったでございましたからでございましたでしょうからですかねぇ。息子たちよりも、張り切っておりましたなぁ。
そういえばカミサンが、「蘭契保育園」のPTA副会長をしておりやして、運動会じゃ挨拶なんぞぅしていおりましたなぁ。カミサンが人前で挨拶している光景を拝見したのはそれが最初で今の所、最後でごぜぇますだ。





そんなこんなで平凡ではありますが幸せな日々をすごしていた年でごぜぇやしたが、その年も暮れ、迫ってきた十二月二十五日、なんと京都に居る「文雄兄」が旭川へ遊びにやってきたのでごぜぇますだ。
九年振りの再会でしたなぁ。前回、逢ったときはまだ新婚時代の頃で息子たちも産まれていなかったんで、今回は息子達と初ご対面でごぜぇましただ。
クリスマスプレゼントといって、息子たちにレーシングカーを買ってくれたのを覚えておりやす。今想うと、文雄兄が四十七歳、アッシが三十九歳の時でごぜぇました。






つづく


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