和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

礼文島、利尻島を訪ねる旅 Ⅰ 宗谷岬

2022-10-21 09:04:26 | 日記

日本最北端の地の碑

その前で次々並んで記念撮影

ロシア サハリンまでは43キロメートル

40数年前、以前来た時はボニージャックスが歌う「宗谷の岬」の曲が大きな声で繰り返し繰り返し流れていました。
今はボタンを押さないと聞けません。流れてくる音も小さいです。

作詞 吉田弘  作曲 船村徹 

ただいま日本一周の新婚旅行中



間宮林蔵の像



野生化したアルメリアがここでは自生しているらしいです。

10月12日から3泊4日の利尻礼文のツアー旅行に行って来ました。
羽田を10時45分発のANAの稚内便は12時35分ほぼ定刻通りに稚内に到着。今日は満席で身動きもできないほどでした。仕事の方も見受けられましたがあらかたは旅行者が大半のように見受けました。
最近は手荷物は預けないで機内に持って入る人が多く、遅く来た人は上の棚が満杯で入れる場所に困っていました。羽田からの稚内行きは一日一便しかありません。
今回の旅の添乗員とは稚内空港での待ち合わせとなり総勢20人のツアー旅行はまずは宗谷岬見学からスタートしました。40数年前にも家族で訪ねた宗谷岬でした.。
日本最北端の地の碑は、北緯45度31分22秒、宗谷岬の突端に位置し、まさに日本のてっぺんに建てられていて当時と同じ姿でした。。
碑は、北国のシンボル北極星の一稜をかたどった三角錐をデザインしたもので、塔の中央にあるNの文字は「北」を、そして台座にの円形は「平和と協調」を表しています。。

世界地図にただ一人日本人の名を残した探検家・間宮林蔵は、安永9年、現在の茨城県伊奈町の出ですがその間宮林蔵の像は、 林蔵の生誕200年にあたる昭和55年(1980)7月に、彼の偉業を顕彰し、時代を担う
青少年には世界へ羽ばたく夢と勇気を培ってもらおうとの願いから建立されました。
林蔵が樺太(現・サハリン)へ渡る決意を秘め、はるか樺太を望見している立像で、栽付袴に羽織、足袋、二本差しと、肩には測量用の“縄索(じょうさく)”をかけているブロンズ像です。

丁度新婚旅行で日本一周を目指しているバイクのカップルにも出会いました。香川県を出発してからフェリーで小樽に上陸してからただいま稚内まで走ってきたそうです。
ロマンがいっぱい、これから道内を一回りして東北道、東海道、山陽道から九州鹿児島まで走りぬくそうです。元気なカップルに巡りあったものです。
稚内港からの礼文島行きフェリーは定刻14:45の運航で多少の揺れはあったものの(高波3m)礼文島香深港には16:40に着岸しました。ただし高波のため今日はタラップでの下船となりました。
下船後はすぐにホテルに入りました。

礼文利尻に行くツアーは各旅行会社で毎日何本も出していますが、10日、11日出発のツアーは高波4メートル以上のために11日のフェリーが朝の一便のみの運行となりスケジュールが大幅に狂ったそうです。
10日に礼文島に渡っていたツアーは利尻島見学もできずに早々に翌日の11日の一便で稚内に戻るしかなかったそうです。
離島に行くということはそんなリスクも含まれていたのですね。私たちはラッキーでした。