和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

六地蔵を歩く 五番霊巌寺  芭蕉ゆかりの地深川

2017-01-21 08:00:36 | 日記

芭蕉稲荷神社

史跡展望庭園の芭蕉翁像

深川飯の由来

みやこ(深川飯)

五番霊巌寺

赤穂浪士が吉良邸討ち入りした12月14日の前日の13日、私達は両国駅に集合して回向院を手始めに本所松坂公園にある吉良邸跡などを見て回りました。この日はガイドさんに連れられて忠臣蔵ゆかりの場所を巡るいくつかのグループに出会いました。ブログには書きませんでしたが、本命の泉岳寺は一番品川寺の六地蔵を訪ねた時に寄り道をして浅野内匠頭と四十七士のお墓にお線香を手向けてお参り済みですので今回はカットしました。当時に思いをはせながら、討ち入りの後浪士が歩いた万年橋通りを小名木川に架かる万年橋まで歩いてみました。芭蕉が37才から住んでいた深川の芭蕉庵は小名木川と隅田川の合流点近くにあり、今はその後に芭蕉稲荷神社が祀られています。芭蕉が江戸を遠く離れた大坂で51才の生涯を閉じたのは1694年ですから討ち入りがあった1703年より10年近く前のことになります。もし芭蕉があと10年長生きをして江戸を沸かせたこの大事件を目の当たりにしていたらどんな句を詠んだことでしょう。
ここ深川は江戸時代より砂州が広がっている地形で多くの貝類が獲れたそうですが、深川の漁師達が仕事の合間に食べる賄い飯であった「ぶっかけめし」が深川飯のルーツだそうです。せっかくここまで来たのだからとお昼には写真にのせたお店のみやこで湯気の立ち上る熱々の深川飯を食べました。食べることは皆で歩く楽しみの一つでもあり美味しかったです。昼食後はまた歩き出して、清澄公園や清澄庭園の横を通り清澄白河駅近くで水戸街道を守護する為に造られたと言う五番霊巌寺の六地蔵を訪ねることが出来ました。


寒椿折り取り一つ供へたし