南品川3丁目
京急青物横丁駅から5分の所
笠をかぶっていない六地蔵
帰ってきた鐘楼
昨年は小学校の同級生五人と「六地蔵」を何回かに分けて訪ねました。みんな同じ酉年生まれです。
宝永から享保年間に江戸に出入りする六箇所の街道(東海道、奥州街道、甲州街道、旧中仙道、水戸街道、千葉街道)の入り口に鋳造された地蔵菩薩座像が一体ずつ置かれました。
これを(江戸の)六地蔵と呼びますが、この地蔵は1708年(宝永5年)に江戸深川の僧、地蔵坊正元の発願により浄財を募って鋳造寄進されたものだそうで、台座にはその寄進者の名前が刻まれていました。
六地蔵の一番目が品川寺(ほんせんじ)です。起点である日本橋から銀座、新橋、品川まで、旧跡や碑などを見ながら約11キロ程歩いてたどり着きました。地蔵は旧東海道の面影を残している商店街の中にある寺に安置されていました。街道を通る人の旅の安全を見守ってくれているような優しさを感じさせる大きなお地蔵様です。そしてこの寺には”洋行帰りの鐘”の物語もありました。1867年のパリ万博に、1871年のウイーン万博に出品された後、行方不明になっていた鐘が昭和になってスイスのアリアナ美術館で発見されて1925年に帰国出来たお話です。無事に戻った梵鐘の開眼式(昭和5年5月5日)に列席した高浜虚子が詠んだ句碑が二首ありました。
座について供養の鐘を見上げけり この鐘は暮れゆく春のひびきかな
とありそれ以来鐘供養が晩春の俳句の季語集の仲間入りをしたとの事で毎年5月5日にはこの寺で句会も開かれているそうです。運良く丁度境内にいらしたお寺の方から聞くことが出来ました。
初夢の思い出せねど吉とせむ