本日、平成26年4月6日(日)、北九州市若松区の旧古河鉱業若松ビルで行われた「軍艦防波堤を語る会」に行ってきました。
この「軍艦防波堤を語る会」は、旧日本海軍の駆逐艦「柳」「冬月」「涼月」の船体を沈設して作られた同じく若松区にある「軍艦防波堤」について意見交換する催しです。
内容は大学生の方の軍艦防波堤研究についての発表。駆逐艦「柳」の102年前の設計図の展示。沈設している駆逐艦の元乗組員の方のお話、などがありました。
特に関心があったのは、沈設している駆逐艦「冬月」「涼月」元乗組員の方のお話でした。
・駆逐艦凉月、元乗組員 太田五郎様 95才のお話
海上特攻隊として戦艦大和と沖縄へ向かう凉月に乗船。海軍一等兵曹で、前部2番砲塔10糎高角砲旋回手。大和の沈没で作戦の中止命令を受けたが、涼月は艦首破損のため、バックで佐世保へ帰還した。
・駆逐艦冬月、元乗組員 大下清一様 88才のお話
沖縄特攻に参加、艦橋で電信員をしていた。敵機来襲で航海長が両手を切断された、もう助からないと思った。大和が魚雷を受けるのを数えていたが、最後は大爆発した。作戦中止後夜遅くまで救助にあたった。命の尊さを感じた。
※写真は会場の若松ビル入口に展示してあったポスター 写っているのは軍艦防波堤で駆逐艦「柳」の船体です
貴重なお話をお聞きすることができました。関係者の皆様ありがとうございます。