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「世界はひとつの教室」を読んだ所感。

2015年10月20日 21時31分48秒 | 読書


世界はひとつの教室
学び×テクノロジー

ダイヤモンド社
定価(1600円+税)
2013年5月23日発売


部屋の本棚を片付けしている中で積読(ツンドク)になっていたことに気づいて、
フト読んでみた本。

簡単に言うと、Youtubeを通して子どもたちの学習環境を
世界中に広げようとした著者サルマン・カーンの教育のあり方とその軌跡が紹介されている。

彼の考えの中では、教育を歴史的に見るとその背景にあるのは曖昧な定義であって、
100年以上もの間、教育現場は変化をしていない。
これからの時代を生き抜いていく子どもたちのために必要な学習とは何か。
学びを国語・算数・英語のように切り分けることによって失われているものはないか。
たとえ90点でも物の本質を捉えていない勉強のあり方が、
その子どもの今後を延長線を見ることができるのか。

箱物としての学校・授業。
箱に閉じ込められたように行われる一方通行と思われる授業。
そのような現状に一石を投じ、それが形になっているサクセスストーリーでもある。
そして、成功者のアメリカンストーリーなのだ。

松阪市はどちらかといえば、というか日本でもIT教育が進んだ先進地だ。
その現場にいる先生は、例えばタブレットのことを手段と呼び、
それは授業をより高みに上げるための道具に過ぎないと話していた。

この本に書かれている方法全てとはいわずとも、
彼の考えのおもしろさは生かす点があると思う。
例えば、補修的に授業を映像化して配信するのはおもしろそうだ。
市内の受験生向けに、授業を動画にして配信する。
または、小学校に上がる前の子どもに基礎的な学習や学びの場をつくる。
色々再構成する方法はありそうだ。

仕事は多様化する。未来の選択肢も多様化する中で、
そのモトを育てる学校環境も変化をしなければならない部分もあるだろうと思う。

また僕はこの映像のインターネット上への掲載にロングテールも感じた。
当然課題解決も感じた。ロマンを感じた。

彼は世界を学習から変えていこうと試みた。
俺も俺にできる方法で、これまで生業としていた動画を使った何かを、
はじめてみたいと感じた。

以下、本の中で気に入ったフレーズをいくつか紹介する。


・学習内容を自分のものにし、10年後でも必要なときに応用できる生徒と、
 テストのために公式を覚え、翌月には忘れてしまう生徒。
 前者にあって後者にないものは、学習内容どうしの関連性の理解です。

・「夏のあいだずっと、あなたのユーチューブのレッスンを受けていました。
 ・・・感謝してもしきれません。・・・先週、数学のクラス分けテストを受けて、
 いまは数学上級クラスにいます。・・・あなたが僕と家族みんなの人生を変えてくれたのです。」
 ヘッジファンドで働いていても、こんな手紙はなかなかもらえません。

・いまの若者たちが10年後、20年後に何を知っていなければならないかが正確に
 予測できない以上、大切なのは何を教えるかではなく、どのように独学の姿勢を
 身につけさせるかなのです。

・私もひとりの親として、わが子が世界でいちばんかわいいと思う気持ちはよくわかります。
 どんな母親も父親もそうでしょう。それは生物学上の問題です。
 しかし、この生物として自然な親の愛情には、なにやら危険な影響がつきまといます。
 ときに私たちは、個人としても社会としても、子どものためなら
 身勝手になってもかまわないと考えることがないでしょうか。
 どう見ても、これでは偽善者です。
 それでも私たちは、みずからのDNA、みずからの家族のために行動します。
 感情的には正しいけれど道徳的には誤っていることを、自分たちには無条件で認めます。
 わが子が教育をうけているかぎり、
 よその町、よその国、よその大陸の子のことなど気にもかけません。
 しかし、この孤立主義的・自己優先的な立場をとることが、
 本当にわが子のためになっているのでしょうか?
 私はそうは思いません。
 むしろ、不平等が拡大し、不安定さが増す世界で生きることを
 子どもに強いるようなものです。
 わが子を救うもっとよい方法は、すべての子を救うことです。

・教育の歴史上、最も古い疑問のひとつが、「創造性は教えられるか?」です。
 この問いに確固たる答えを見出した人はだれもいませんし、
 私ももちろん、ここで答えを出すつもりはありません。
 でも、これだけは言えます。教えられるかづおかは分からないにしても、
 創造性をつぶすことはできると、
 そして、いまの工場モデルの教育はまさにそのために設計されているかのようです。

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