僕は最近、自分でわかるのだ、元気がない。
元気がないというか、覇気というか、そういう源泉みたいなのがチロチロになっている。
周りからみると、それでも僕はエネルギッシュらしい。そういうわけでは、自分としては思っていない。
僕は最近後ろ向きな言葉が増えたかもしれない。
年のせいにしているかもしれない、仕事のせいにしているかもしれない。
家庭を持ってバランスをとることを必死になっていて、
どこかハマりきれないのかもしれない。それでよいと思う部分があるのも事実だけれど。
情熱的だと今もいわれる。
面倒見がよいともいわれる。
だけど僕は、その1つ1つを打ち消してきた、言葉で。
自分の口に一番近い耳は、自分の耳である。
僕は自分に暗示をかけていたのかもしれない。
俺はノーマルな人間で、いたって普通の人間で、
別に特別なことをしているわけでもなくって、ただ正しいと思えることをしたいって思ってて・・・。
でも、そうやってどこか、自分の個性ややりたいことを、
いろんなことを言い訳にして押さえつけてきたのかもしれない。そうじゃないだろう?
僕にはやりたいことがあって、人生の折り返し地点を迎えようとする中で、
人生ってのは楽しむものなんだなという気づきもあって、
その楽しみ方に家族はとても重要なものだってことに気づいて、
俺は、もっと、俺は本来の俺らしく、もっと生きていいんだって。
だれか、だれか一緒に楽しんでくれる人を俺は探しているんだと思う。
結婚前ならそれがめがねだったかもしれない、ちょっと前までは水谷君だったのかもしれない。
ずっと金児なのかもしれない。だけど、今、俺にそういう相棒がいないから、だから。
きっと俺は燃焼し続けることができずに、焦げ付き気味で、どこか、湿っている。
仕事というのは、だれかを幸せにする以外にありえなくって、
怒られることはあっても、感謝されることも多々あって、
そりゃいやなこともあるけれど、感謝されることもあって。
だれかに幸せにしてもらう以外に、だれかを幸せにすることもやっぱり幸せなんだって。
俺はそうやって、そうやって生きていたい。
いい、別に、馬鹿にされたって。いや、馬鹿になんてされていない。
俺が変わっているって言われたっていい。俺にはやりたいことがある。
俺は「伝える力」をもっと高めたいんだと思う。
それを通して、この社会の役に立ち、恩返しがしたいんだと思う。
家族も仕事も今まで以上に大事にしたいんだと思う。どっちも大切にできると思う。
衰えつつある体力なら、運動を増やして鍛えればいい。
同じように、精神も、コロナや自粛でひきこもりがちだった考え方や気持ちを、
今一度、また今のやり方にあった形で広げればいいんだ。できる。きっとできる。
つらいこと、これからもある。だけど、生きるってやっぱりたのしい。
たのしんでいこう!全部たのしんでいこう!
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