10月6日、7日と京都に出張しましたが、その折7日早朝に、明治23年東山山麓の川べりにつくられた桜並木1.8キロメートルの「哲学の道」を散策しました。明治時代から昭和にかけてのの哲学者、西田幾多郎が好んで散歩ししたところから名付けられた道です。
『人は人、吾は吾なり。とにかく吾行く道を吾は行くなり 寸志』
これは、昭和14年、西田幾多郎がその晩年に人生の指針を示した碩学の教えです。ちなみに、「寸志」とは西田幾多郎の居士号です。
「秋を彩る木々の影が
悠々閑々と流れる
疎水の水面に映えて
往古の東山文化を偲ばせる
南禅寺、永観堂、霊鑑寺、
安楽寺、法然寺、若王寺
そして銀閣寺、金閣寺
あたりの名刹から
朝の梵鐘がこだまして
如法念仏の歴史を秘め
京都で最も浄域というに
ふさわしい」
そのような感覚にさせられた約2時間の散策でした。
『人は人、吾は吾なり。とにかく吾行く道を吾は行くなり 寸志』
これは、昭和14年、西田幾多郎がその晩年に人生の指針を示した碩学の教えです。ちなみに、「寸志」とは西田幾多郎の居士号です。
「秋を彩る木々の影が
悠々閑々と流れる
疎水の水面に映えて
往古の東山文化を偲ばせる
南禅寺、永観堂、霊鑑寺、
安楽寺、法然寺、若王寺
そして銀閣寺、金閣寺
あたりの名刹から
朝の梵鐘がこだまして
如法念仏の歴史を秘め
京都で最も浄域というに
ふさわしい」
そのような感覚にさせられた約2時間の散策でした。