日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

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サナート・クマラは非常に古い魂で、「白色同胞団」として知られる、次元を超えた銀河評議会の一員です。(2)

2023-05-25 18:44:53 | 森羅万象

 

 

(2022/9/2)

 

 

 

『UFO軍事交戦録』

元国連広報担当官が公開する爆弾文書

エイリアン・クラフト実在の証拠とその軍事的分析

コールマン・S・フォンケビュツキー 徳間書店  1992/7/1

 

 

 

世界の安全保障をおびやかす、エイリアンの軍事的脅威とは……。>

「国連で配布されたこの文書は、地球上でのUFO活動について最も興味深く有益なメモランダムである。大変な興味を持って拝読させていただいた」

 

・「かつて、これほど重大な文書が出されたことがあるだろうか。これはガリレオが“それでも地球は回っている”と繰り返し主張したこととまさに同じではないのか。全ての政府に対して“それでもUFOは存在する”と立証したことに他ならない」

 

・UFOとはエイリアン・クラフトをさす。

 

・エイリアン・ウォーズをどう防ぐかが人類の緊急かつ重要な課題である。

 

・米軍はUFOという名称で円盤を識別している。エイリアンは世界の安全保障にとって潜在的脅威である。

 

・キャトル・ミューティレーション、FBIの極秘文書があった。

 

国連UFOプロジェクト

・1965年の7月からひきつづき1966年の2月まで、私は国連本部事務局のスタッフとして、つまり広報担当室の室員として、まさに自分の経験や知識を総動員していました。

 上司のウ・タント事務総長から命じられて、国連のためにガイドラインと分析システムを練り上げ、UFOの全地球的な活動を管理しようとしていたのです。

 

・国連UFOプロジェクトで私が提言したのは、各国政府が一致協力してUFOのもたらす国際的な問題にあたり、地球を探索する銀河間勢力と平和裏に交流を計るということでした。

 

・これは今までの膨大な証拠ではっきりわかっていることですが、意図的な偽情報で惑わされた諸国は宇宙戦争寸前のところにいるのです。というのは、“宇宙を探査する勢力”が不法に侵入したエイリアン(UFO)の挑発や、そのために起きた武力衝突の事実を隠蔽しているからです。それは各国の怠慢のせいでもあり、実際に国連に任せようとしないことがUFO問題のもとになっているのです。

 

それは地球に向けて活動している銀河勢力が恐ろしいほどいるということと、それを軍事的、科学技術的に調査するやり方はまちがっていないということです。

 

またこのときによくわかったのは、過去現在を問わず政府の世話になった偽善的な科学者がどれだけ情報機関に操られているかということでした。情報機関は国家や国民の注意を完全に混乱させようともくろみ、隠したあとで漏れ出た事実にふたをしていました。その事実とは、「わが天体の近辺に地球外勢力の活動を確認した」というものだったのです。

 政府を訴えた結果、米国の情報機関が私のところへしょっちゅう来たせいで――しだいにはっきりしてきたことがありました。そしてとうとう強大な力をもつ巨大な軍隊や宇宙探査機構の姿が私の眼前に現れたのです。

 

第1章解説

・第ニ次世界大戦中、ロサンゼルス上空へ飛来したUFOに対して1430発もの砲弾を浴びせた戦闘があった。この事件は真相が語られることなく、戦後も「敵国(日本)の気球爆弾」あるいは、「航空機」という形にいちおうおさまっていた。

 

・ロスUFO対空砲火事件も、こうした証拠公文書が公開されなかったら、「1942年2月、ロス上空に日本の航空機が空爆に来た」という誤った記録が、今日でも残されていたに違いない。

 

・また本章では、これまで日本で公開されていなかった重要な軍事情報や発言録が多く含まれている。たとえば、1953年の国防総省書簡では「唯一残された答は、他の惑星から来たものだと言うことです」と記されている。

 

UFO問題を取り扱うために

・未確認飛行物体(UFO)および、それに起因する問題に関する調査・確認のための唯一の法的機関は、国連軍事防衛安全保障軍である。

 その武装軍隊は、平和時および戦争時に当該国家の領土・領空の主権を保障し、それらに対する不法な行為に対して、ただちに報復する責任がある。

 

ロサンゼルス上空の空中戦(1942年2月25日、カリフォルニア州)

・20~25個の点滅する「銀色の光」のUFO船団が、ロサンゼルスの西120マイル(約193キロ)の地点を太平洋岸の軍事施設および海軍基地に向かっていたことが海軍情報部によって報告され、極東戦略作戦本部へ通信された。

 真珠湾攻撃の80日後、午前2時15分、問題の物体が日本の航空機である疑いがあるとして、第37沿岸砲兵旅団の対空砲兵中隊が警戒体制に入った。

 

・第ニ次世界大戦中、1942年2月24、25日の夜に起きた、カリフォルニア州ロサンゼルス上空での空中戦は、UFOの軍隊による軍事的偵察活動の最初の歴史的証拠である。

 

・また、太平洋戦争の連合国軍の最高司令官ダグラス・マッカーサーは、最初に入手したUFO情報に基づいて、合衆国の軍事・科学当局に対して次のような、より現実的で重要な警告を発している。「世界各国はひとつにならなければならない。次の戦争は惑星間戦争となるだろうから………」、「地球上の諸国家は、いつかは他の惑星からの宇宙人の攻撃に対し、共同戦線を張らなければならないだろう………

 

<●最高機密の調査開始

・合衆国参謀本部による、未確認「円盤」に関する徹底した、広範囲な調査のもっとも古い証拠のひとつとして、航空資材部本部司令官、ネーザン・トワイニング中将の機密解除になった極秘報告書がある。

 この第ニ次世界大戦当時の参謀長は、「報告された現象は現実であり、幻想でも虚偽でもない」と断言している。

 

<●地球へ飛来している機種分類

・多種多様な未確認飛行物体を地球規模で分類してみると、彼ら(UFO)の戦略作戦本部および基地が地球外でしかありえないという結果となる。

 

<●編隊の軍事的鑑定

・1951年8月31日、米国民間人のカール・ハート・ジュニアは、ニューメキシコ州からテキサス州ラボックへ向かって波状の「V」隊形で飛行している、少しずつ形の異なる「光」の一団の写真を4枚撮影した。

 

<●宇宙船の立体的分析

・ブラジルのイタイプ要塞は、1957年11月4日午前2時00分、オレンジ色に発光する物体が「熱線」を発射して2名の歩哨を倒し、警備隊全体をパニックに陥れたという場所である。

 

<●地球上で活動する異星人(ホモ・コズミックス)

1952年はUFOによる偵察活動が当時もっとも激しく、ヨーロッパ、アメリカ、極東に集中した年である。そしてハリー・S・トルーマン大統領はこの年の7月24日、UFOに対して開戦を宣言した。

 

<●ペンタゴンの発言

・1953年1月26日、UFOについての数えきれぬ科学的論議にもかかわらず合衆国国防総省(ペンタゴン)は、空軍のUFO活動の調査機関「プロジェクト・ブルーブック」が、彼ら(UFO)の起源について。「唯一残された答は、他の惑星から来たものだ」と述べた事実を公式に認め、一般にも公表した。

 

<●アメリカ合衆国保有の墜落UFO

・この物体はアルミニウムに似た見慣れぬ金属でできていた。衝撃で20インチ(約51㎝)砂にめり込んでおり、構造的損傷はまったくなかった。物体は楕円形で、直径はおおよそ30フィート(約9m)であった。

 

エイリアン・クラフトの軍事的脅威

第2章解説

・本章では、国家の安全保障という観点からUFO問題を取り上げている。冒頭にあるベンジャミン・チドロー将軍の「円盤を迎撃すべく努力した結果、われわれはたくさんのパイロットと戦闘機を失っている」という証言は、国家の安全保障に対して責任ある立場の人が行なった、UFO問題への貴重な言及で、一般に報道されるUFO問題とのギャップを埋めるものだろう。

 さらに重要なものとしてUFOの軍事的取扱報告や軍事規定までも収録している。

 

超大国のUFOに対する防衛活動

<●アメリカ合衆国

・1953年2月、合衆国大陸防空司令部担当のベンジャミン・チドロー将軍のコメント……「空飛ぶ円盤に関する報告が山積している。われわれは事態を真剣に受け止めなければならない。円盤を迎撃すべく努力した結果、われわれはたくさんのパイロットと戦闘機を失っている」

 

<●国際連合

・1967年6月、ウ・タント国連事務総長のコメント……

私は、UFOがベトナム戦争に準じてわれわれが直面しているもっとも重要な問題であると考えます

 

<●旧ソビエト社会主義共和国連邦

・「UFOの調査の課題と目的は、いかなる努力をも正当化するほど深刻である。国際的協調が重要なことはいうまでもない」

 

<●UFO撃墜命令

・第ニ次世界大戦中のヨーロッパや極東戦域における「フー・ファイター」(幽霊戦闘機)と呼ばれたUFOの活動と、戦後も継続した同じフー・ファイターによる合衆国の「立ち入り禁止」領空内侵犯、さらに全大陸におけるUFOの作戦行動に関する調査の結果、合衆国と旧ソビエト連邦はそれぞれの同盟国の最高機密として、地球起源ではないと鑑定された不法なUFOの侵入を牽制するために、予防防衛的処置を余儀なくされた。

1952年7月、ハリー・S・トルーマン大統領、そして合衆国全軍の最高司令官である統合参謀本部議長オーマー・N・ブラッドレイ将軍は、次のような判断を下した。

国防総省は、着陸指示に従わないUFOを撃墜するよう命令する

 

<●1954年3月 合衆国統合参謀本部

・JANAP1952/146は、合衆国の防衛当局の最高責任を担う統合参謀本部による最初の友好な文書であり、国家安全保障上の事態に対処し、武力行使を行なうことを指示したものである。

 

<●1954年8月12日 合衆国空軍省

・合衆国空軍参謀長ネーザン・F・トワイニング将軍が発行した空軍規定(AFR)200-2は、空軍内でのUFO報告手続きを表わしている。

 

地球軍と地球外生物(UFO)の交戦記録

武力衝突と兵器実験

<●ロサンゼルス上空のUFOへの先制砲火

・1942年2月25日。はじめて公式に確認された、UFOに対する防衛目的の武力行使。

 

最初の軍事命令

・1944年12月13日。フランス、パリ。アメリカ合衆国ドワイト・D・アイゼンハワー将軍は、ナチスの新型空中兵器であるとして「浮遊する謎の球体」、「フー・ファイター」、「ドイツの火の玉」の軍隊に対して宣戦布告した。

 

<●戦艦の上空を飛び越えた「金星」

・1945年2月。西太平洋。合衆国海軍の戦艦ニューヨークとその護衛の駆逐艦が12インチ砲で銀色の物体に砲撃。物体は2階建ての家ほどの大きさと推定された。硫黄島作戦に向かっていたこの戦艦上のパニックを避けるため、物体は金星であったと発表された。

 

<●戦死者名簿の始まり

・1947年7月。合衆国空軍ウィリアム・L・ダビッドソン大尉がUFOの追跡を命じられ、墜落、死亡。

 

<●合衆国空軍がUFOに対して行なった性能テスト

・1952年、アメリカ合衆国、場所不明。合衆国空軍のプロジェクト・ブルーブックの指揮官であるエドワード・J・ラベルト大尉はその著書『未確認飛行物体の報告』の中で、合衆国のUFOに対する軍事的抵抗がまったく「無力」であったことを記述している。

 合衆国空軍士官学校の教本『宇宙科学序論』第2巻、物理370には、この事件について462-463ページに詳細が掲載されている。

(解説)

 この空軍士官学校の教科書は、一般に出回る書籍刊行物ではない。日本の防衛大学校で使用されている教科書が一般に出回らないことを考えれば当然といえる。しかしこの教本には、マンテル大尉が金属製の円盤型の航空物体を撃墜するために迎撃したことがはっきりと書かれている。

 

<●UFOの搭載光線銃とその性能

・1954年7月2日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ユティカ、ロケット弾を装着した第27戦闘機飛行隊のスターファイヤー・ジェット戦闘機2機にUFO迎撃命令が下った。UFOは近いほうの迎撃機に光線を浴びせた。パイロットとレーダー手は爆発炎上した機体から脱出、機体はニューヨーク州ユティカ近くに墜落、地上にいた2名が死亡した。

 

<●合衆国極東軍事上空のドッグファイト(空中戦)

1956年10月。琉球諸島、沖縄。ジェット戦闘機のパイロットが、米軍最強の基地のひとつである沖縄の軍事基地上空でUFOを追跡、攻撃中に死亡。

 

<●超音波銃による攻撃

・1957年11月4日。ブラジル、イタイプ要塞。要塞の頭頂部に配置されていた2人の歩哨が、オレンジ色に発光する巨大な円盤型の航空機に攻撃された。

 2名の衛兵は光線銃で撃たれ、火傷を負った。負傷者は三度の火傷で病院へ収容されたが、医学的な検査によるとなんらかの高周波によって引き起こされたものと推定された。

 

<●合衆国太平洋艦隊上空をかすめたUFO群

・1966年12月20日。ベトナム、トンキン湾。合衆国海軍原子力戦艦ロングビーチの誘導ミサイルおよび空母キティホークのロケット弾、さらに艦載機のファントム・ジェット戦闘機が、ベトナム、トンキン湾に停泊中の第7太平洋艦隊上空をかすめた「北ベトナムのものと伝えられる航空機」の撃墜に失敗した。

 

<●ハノイ上空の怪物体に向けて発射されたSAM(地対空)ミサイル

・1972年9月29日。北ベトナム首都ハノイ。オレンジ色に発光する物体が北ベトナム首都上空の高高度に静止、滞空し、首都は警戒体制に入った。

 物体を撃墜すべくSAMミサイル(射程、約10キロ)が3基発射されたが、物体の高度まで到達しなかった。

 

<●海底活動するUFOへの機雷攻撃

・1972年11月12日~27日。ノルウェー。NATO大西洋艦隊の部隊と協力して、ノルウェー艦隊が確認不能な地球外潜水艦に機雷攻撃を行なった。この潜水艦はノルウェーのフィヨルド(峡湾)の中で1週間半以上も活動していた。

 潜水艦に爆雷を落とすと、ノルウェー艦隊の電気通信機、レーダーと作戦行動中の艦船の全電子機器が突然作動不能となった。ソナー機器も不能となった

 

<●未知の力によって捕われた陸軍ヘリコプター

・1973年10月16日、アメリカ合衆国オハイオ州マンスフィールド空軍基地。午後11時10分、葉巻型のわずかに丸みを帯びた金属的な灰色の物体が、音もなく合衆国陸軍のUH-1Hヘリコプターの上空に襲いかかった。

 操縦していたローレンス・J・コイン少佐をはじめとする乗組員によると、ヘリコプターは、この巨大な物体から発せられる未知の力により、4分間で1500フィート(約457メートル)から3800フィート(約1158メートル)まで上昇させられた。

 

<●撃墜された日本のファントム・ジェット戦闘機

1974年6月9日、茨城県、百里基地。ナカムラトシオ二等空佐の操縦するF-4EJファントム戦闘機は、夜間、東京空域に出現した赤みがかったオレンジ色の円盤型の航空機を迎撃するよう命令された。

 ナカムラ二等空佐は物体を撃墜すべく20ミリ・キャノン(バルカン砲)を準備した。物体は高度1万フィート(約3048メートル、すでにファントム戦闘機の3倍の高度)へ急上昇し、急激なダイブ(急降下)を行なって戦闘機の攻撃を避けようとした。

 UFOが戦闘機に衝突したのか、あるいは戦闘機を撃墜したのか、戦闘機は制御を失って炎を上げながらきりもみ状態になった。ナカムラ二等空佐のパラシュートは炎上し、二等空佐は死亡、コ・パイロットのクボタシロウ三等空佐は生還した。

 4年間の調査の後、航空自衛隊は、このF-4EJ戦闘機、製造番号17-8307は「航空機」または「未知の物体」と衝突したと発表。この未知の物体は発見されず、未確認のままである。

 

<●今まででもっとも危険なUFOの兵器

・1974年秋、韓国、ビン。直径およそ100ヤード(約91メートル)の金属製の円盤が、韓国の沿岸防衛の対空砲兵中隊に接近した。

 対空砲兵中隊は遠隔操作のホーク・ロケットを発射したが、物体から発せられた「白い光線」によってたちまち撃墜された。円盤からの第二次攻撃による光線は発射台を狙い、残りのホーク・ロケットは発射台とともに完全に溶解して原形をとどめぬ金属塊と化した。

 

<●地中海上空の砲撃戦

・1974年秋。イタリア、サルジニア島。ミサイル弾道管制の上にセットされた映像カメラが、はるか地中海上空に滞空する、頭頂部がドーム状の巨大な発光する円盤型の機体をとらえた。ミサイルが近づいたとたん、物体からレーザーのような光線が発せられ、ミサイルを分解した。

 

<●UFOの軍事戦略および技術の優秀性に関する警告

・1976年9月19日。イラン、メヘラバード。F-4戦闘迎撃機がUFOを追撃中、ミサイルを発射後、地上と連絡しようとした際、通信機能が麻痺してしまった。

 

誘拐に関するUFOの活動

<●消えた戦友

・1915年8月21日、トルコ、ガリポリ。第一次世界大戦中、連合軍司令官イアン・ハミルトン将軍は、コンスタンチノープル奪回のため、地中海スブラ湾の軍隊に援軍を送った。8月21日午後、8個の600~800フィート(約183~244メートル)の長さの奇妙な魚雷型をした明るい灰色の雲が、干上がった入江の水没道路のあたりの上空に浮かんでいた。道路上では英国第1、第4連隊が第60高地を目指していた。

 事件の目撃者は、「数百名の兵士が道路の上に降りてきた雲の中へ行進していったが、誰一人として雲から出てこなかった」と証言した。後に、雲は静かに地上から離れて上昇し、他の雲に混じって北のブルガリア方向へ移動していった。

 トルコが降伏し、捕虜の確認を行なったとき、トルコ軍はこの連隊の兵士については捕えていないばかりか、聞いたこともないと陳述した。

 

<●消えた6機の合衆国海軍機

・1948年12月6日。アメリカ合衆国フロリダ州フォート・ローダデール。5機のTBMアベンジャー魚雷爆撃機の飛行小隊が、いわゆるバミューダ・トライアングルの中で、沿岸警備隊の慣例の哨戒飛行中に不思議な状況下で消滅した。追って、13名の乗員を載せたマーチン・フライング・フォートレス機が哨戒機の救助に向かったが消息を断ち、まったく足跡を残さずに再び消滅した。

 ただちに海軍本部は、空母ソロモン、海軍および沿岸警備隊の艦船21隻、300機の航空機による捜索を指令したが、この地域一帯には機体はおろか、残骸、油さえも発見できなかった。

 

<●合衆国空軍参謀長、UFOによる誘拐活動を認める

・1968年夏および1969年。ベトナム非武装地帯。合衆国空軍参謀長ジョージ・S・ブラウン将軍は、UFOに関する新聞発表において、1968年に非武装地帯で、そして1969年にハイランドのプレイクでも、「見えない敵」と戦闘があったことを認めた。これらの戦闘において行方不明になった米兵の数は公表されなかった。

 

<●誘拐されたパトロール隊長

・1977年4月25日午前4時15分。チリ、アリカ、パンパ・ラスクーマ。

 

・すると宇宙船は速度を落として彼のほうへ近づいてきた。

止まれ!身元を明かせ!」ヴァルデス伍長が叫んだ。しかし答の代わりに、アルマンド・ヴァルデス伍長は、部下の眼前で瞬間的に消滅してしまった。

 

UFO軍の機動作戦と大戦略

<●コントロールされた沖縄からの軍事撤退

・1972年3月12日付の軍事報告書の抜粋………

 沖縄(嘉手納空軍基地)において、1972年3月5日未明(0215時)、私および合衆国空軍警備警察官が、商用ジェット機でも気象観測機材でもないUFOが、島の他の施設へ移動配備中だった核兵器の護衛隊を追尾するのを目撃。

 この物体は地平線の32度上空をマッハ1の速度で飛行し、驚くべきことに地平線に向かって直角に曲がった。この宇宙船は突然停止したり、静止状態からいきなりマッハ1のスピードを維持することが可能であった。

 

・1972年3月7日、沖縄、那覇の海軍駐屯地で停電が起こった。数名の目撃者から海軍情報部および地元当局に、地元の発電所近くでUFOを目撃したとの報告があった。

「私が配置されていたこの基地(嘉手納)では、過去2週間に5回のスクランブルがあった。これらのスクランブルは嘉手納の防衛レーダーから半径2000マイル(約3218キロ)以内でUFO目撃があったことを示している。私の信ずるところでは(UFO出現には)パターンがあるようです。この情報を使用し………」

 

<●地上侵略のハイライト

・1973年10月11日、ミシシッピ州パスカグーラ、合衆国海軍造船所。原子力潜水艦の極秘実験の現場。この事例では三体のロボットのような生物が2名の造船所職員を誘拐し、彼らの宇宙船内で生物学的実験を行なった。

 

<●ヨーロッパ大陸におけるUFOの戦略

・ヨーロッパおよび中東の地図に、過去7年間に報告されたUFOの目撃地点を重ねてみると、地球外軍隊による<綿密な支配>と<正確な監視>が、世界の国々から中東の武力紛争の火種となっている国々まで、軍事施設、エネルギー施設などに正確に合わさっている事実が一目で明らかになってくる。

 

厳重な統制下にある大きな国際海港

・地球上の兵器製造国および輸出国を、UFO側が把握しているということは、海港周辺のUFOの集中して現われる現象から明らかになってくる。

 

人間への敵対行動

<●異星人は防弾服を着ている

合衆国空軍士官学校教科書「宇宙科学序論」

・1955年8月22日、日曜日の夜、サットン農場(ケンタッキー州ケリーから約800メートル)には大人8人、子供3人がいた。彼らによると、子供の一人が明るく輝くUFOが納屋の後ろ側(彼の立っていた場所からは見えない位置)に着陸したと証言した。

 

・散弾とピストルの弾が、まるで金属に当たって跳ね返るような音が彼らに聞こえた。その生物は倒れたが、飛び起きて逃げ去った。

 

<●ブラジルでカービン銃による銃撃戦

・1967年8月13日、ブラジル、サンパウロ近郊のゴイアス・エステート。農業を営むイグナチオ・デ・サウサ氏(41歳)は、彼の家の近くの砂利道に着陸した。円盤型の宇宙船から上陸した3体の人間型生物にカービン銃で発砲した。

 緑色の光線が、幅30メートルもある宇宙船のドームから発射され、サウサ氏の身体は麻痺した。はじめの2日間、サウサ氏は吐き気を催していたが、それからサンパウロ病院に入院した。10月、彼は「未知の放射線」が原因の「白血病」により死亡した。

 

<●光線銃による銃撃

・1966年11月。アメリカ合衆国ネバダ砂漠、国道。午前3時、トラック運転手フランク・ハーモン氏(30歳)が運転中、マンホールの蓋ほどの大きさの明るく輝く物体に追跡された。彼はリボルバー(拳銃)をもってトラックを降りた。物体が頭上に滞空し始めたとき、彼はそれに向かって2発、発砲した。

 すると物体から青い光線が放出され、ハーモン氏の身体を焦がし、胴体の肉を切り裂いた。

 

<●ガンマ光線による銃撃

・1969年7月4日、南米、コロンビア、アノライマ。アンセシオ・バミューデス氏は、彼の農場上空に低空で滞空している発光体に懐中電灯で信号を送ろうと試みたところ、この物体は彼の信号に対して光のフラッシュで反応した。

 7月6日、バミューデス氏はボゴダの病院に重体で収容され、同12日にガンマ線による放射線障害を示唆する症状を伴って死亡した。

 

<●殺人スパークと霧

・1970年7月7日、午後4時45分。フィンランド南部イムジャーヴィ郊外の森。林務官アーノ・ハイノネン氏(36歳)および農業エスコ・ヴィルヨ(38歳)は、ハイノラの北北東16キロにある森の中でスキーをしていた。するとブーンという音とともに、ドーム型の物体が空から降下してきて、地上からおよそ3~4メートルで滞空した。

 突然、物体から明るい光線が発射され、身長90センチの生物が光の輪の中に現われた。

 

・二人はハイノラのパウリ・カヤノヤ医師を訪れたが、この医師には病名の診断ができなかった。彼らは最終的に、さまざまな放射線障害患者の科学的研究・医療が専門的に扱われているスウェーデンのゲーテボルグ病院に入院した。両名の放射線障害は不治であり、同病院にて死亡した。

 

UFOによる障害

<●烈火の赤色ビーム

・1953年8月9日、午後9時、フロリダ州パーム・ビーチ。ボーイスカウト隊長のソニー・デスヴェルゲス氏は、円盤型の宇宙船から発せられた炎のような赤い光に撃たれた。同氏は目と顔を覆い、光は彼の腕、手、髪の毛を焦がした。

 3名のボーイスカウトがこの事件を目撃し、同氏が意識を失って地上に倒れているところを発見した。

 

<●ビーム・ショット

・1968年3月19日、午後8時30分。オハイオ州ウィルソン。13歳のグレゴリー・ウェルズ少年が、地上10~15メートルに滞空していた宇宙船の光線銃で右肘および肩を撃たれ、地上に叩きのめされた。着ていたジャケットは燃えてしまった。

 

<●炎の「舌」

1969年2月7日。ブラジル、サンパウロ近くのピラスヌンガ。ティアゴ・マシャド少年(当時19歳)が幅10メートルの土星型の物体に近づいた。「炎の舌がその機械から飛び出してきて、僕の膝から足までを直撃した。僕は痛くて地面に倒れ、麻痺状態になった」と同少年は語った。

 

<●青い失神光線

・1976年、4月22日、ウィスコンシン州エルムウッド。元警察署長、現救援警察官のジョージ・W・ウィーラー氏が、車の中で巨大なオレンジ色の物体から発射された青い光線に撃たれ、気を失った。

 同氏は車の中で発見され、ウィスコンシン州メノモニーの記念病院に収容され、14日後に意識を回復した。

 

大衆と財産に対するUFOの活動

<●誘拐事件(重要な事件のみ)

・1961年9月19日 アメリカ合衆国ニューハンプシャー州ポーツマス。バーニー・ヒル氏とベティ・ヒル夫人。生物医学的検査目的と思われる誘拐事件発生。両者とも解放された。

 

・1975年8月13日 アメリカ合衆国アリゾナ州ヒーバー。トラビス・ウォルトン(22歳)森林警備員は、生物医学上の検査目的で、UFOに6日間誘拐された。

 

・1975年10月15日 ブラジル、ミナスゲライス州サンフランシスコ・デ・サルー。アントニオ・ビラス・ホラス氏は、人間のような生物によって誘拐され地球外起源の女性と性交を強制された。

 

UFO情報の陰に隠された事実

第3章解説

ハイネック博士たちは、物質として存在するUFOではなく、人間の精神文化あるいはパラレルワールドから飛来している可能性と、その仮説を発表した。この説は旧ソ連でも受け入れられ、旧ソユーズUFOセンターによっても支持された。

 しかし著者は、UFOやその搭乗者が別の世界(目に見えない)から飛来し、高度な文明をもち、人類に影響を及ぼす可能性よりも、むしろ目に見えた形で事件として存在するものが、人類に影響を及ぼしてきたと主張している。

 こうした起源について議論することと、UFO問題を政治・軍事問題で取り扱う次元の相違についても、著者の主張は一貫している。

 

<●ハイネック博士はCIAの回し者だった

・センセーションを追い求めるメディアはとくに超心理学的な説明を支持するため、UFO問題は過去数十年にわたってこういった説明で語られてきた。現実に起きた事件の証拠すらも、「異次元」「超常現象」「超現実」といった、さまざまな非現実的な解釈へと歪められてきたのである。

 人類の歴史を通じて、地球上の国家に危険を及ぼしてきたのは、けっして目に見えない世界などではなく、大陸間弾道ミサイルをはじめとする殺人的兵器を使う、物質的肉体をもった人間そのものであった。

 プロジェクト・ブルーブックによると、UFO着陸現場の中には地面に3万トンに及ぶ重量の着陸痕を残した例があり、幽霊、亡霊、非物質化した、あるいはプラズマの生命体が物理的に関与したとする推測とは矛盾する。もちろん、幽霊が恒星間旅行に建造された宇宙船を必要とするのなら話は別だが………。

 

・これらの概念の科学的学説が国連総会の注意をそらし、UFOの作戦行動を、地球の平和と安全に対する潜在的脅威として認識するのを妨げているのです。

 

・ハイネック博士は、UFO否定からUFO肯定へと転向した科学者として知られ、表向きはUFO肯定側を擁護する科学者の顔として映っているが、UFO肯定側を誤導するためにCIAとの関係を断ち切っていないものと著者は見抜いていた。

 

科学者が流したUFO誤情報の典型的証拠

<●「金星に化けたジミー・カーター大統領目撃のUFO

・ジミー・カーター氏が合衆国大統領になってから、NASAは彼の目撃報告をねじ曲げ、「通常の」金星であると公表した。

(解説)

 UFO情報公開を選挙のとき公約した「カーター大統領」が誕生したが、公約はまもなく大統領でさえ公開できない分厚い壁にぶちあたり、公開を待ち望んでいたUFO探究者たちをがっかりさせた。カーター大統領は、任期中それ以後一度もUFOについて公式見解を発表したことはない。

 あれほどまでに意気込んで出馬した大統領でさえ沈黙を余儀なくされる非公開理由というのはいったいなんなのだろうか。

 

<●合衆国の安全保障担当官の国連に対する警告

・アメリカ合衆国国務省、国家安全保障局副長官、マイケル・A・G・マイコード氏は1978年6月に次のように宣言した。

他の星系からやってくる異星人たちはわれわれにとって潜在的脅威であり、われわれもまた、彼らにとっては潜在的脅威である

 


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