『日本神仙伝』
(不二龍彦)(学研) 2001/5
<宮地水位>
<日本初の本格的「霊界探訪記」『異境備忘録』を著した宮地水位>
<シャンバラも含む幽界の多様性>
・また、チベット密教で言う「シャンバラ」とおぼしき幽区についての記述もある。
シャンバラというのは、代々一人の王によって統治されてきたとされるヒマラヤ奥地の理想郷で、永遠の光の下、賢者だけの理想国家を築いていると伝承されている。この霊的な王国には、未来のいつの日か、邪悪な勢力を最終戦争によって打ち滅ぼすという神聖な使命があり、今もそのための活動を密かに行っているというのである。
・今でこそ、広く知られるようになったシャンバラだが、水位の時代には、ごく一部の学者以外、その存在を知っているひとは皆無といってよかった。
・ところが水位は、「西洋国のヒマラヤ山」に「中凹(なかぼこ)」の「支那上代」の神仙界があり、「山上は闇夜でも昼の如く」輝いていると、ちゃんと記述している。
しかも、この「支那上代の神仙界」がある山は、神仙界では「地軸」と呼ばれているらしく伝説の西王母(せいおうぼ)が住んでいるというのも、シャンバラ伝説と通いあうところがあって面白い。
『術』
綿谷雪 青蛙房 1964
<天狗飛切りの術と軽身の習練>
・仙界に出入りしたという紀州のモグリ医者島田幸庵の報告によれば、仙人界と天狗界は同じ系列の特別世界で、その階級は仙人界のほうは神仙、山人(やまびと)、異人(霊人)、山霊(やまのかみ)、山精(こだま)、木精(すだま)、鬼仙(おに)、山鬼(たかがみ)、境鳥(たかとり)、麒麟(ましか)、鳳凰(ながなきどり)、霊亀(おうかめ)と順次し、狗賓(くひん)のほうは大天狗、小天狗、木葉天狗、魔天狗、邪鬼の順であるが、両界通じていえば、大天狗は仙界で山人の階級に相当するという(-『幸庵仙界物語』)。
・もとより架空の観念的構成にすぎないが、しかし古来、仙人も天狗もいろいろと変わった型のものがあって、綜合的に考慮するとすれば、結局右のような組み立ては常識的といえるかも知れない。
さすれば仙界・天狗界とも、上級者には超自然的な神仙型の飛翔を想像し、下級の者に鳥獣型の飛翔を想像するのは当然のことで、下ッ端の天狗は翼をもって飛ぶと考えられていました。
・では翼のない上等の天狗は、どのように飛翔したのか?私どもが、子供のころ聞いた話では、天狗は羽団扇をもっていて、それであおいでふわりふわりと翔ぶということでした。じつは羽団扇は飛ぶときの目標を定めるレーダー式のもので、下降するときには、方向舵の用をすると仙童寅吉は語っています。
・年代はよくわかりませんが、和歌山藩の餌差役で某という者が、鷹の餌にする小鳥をもとめて深山へ分け入り、小鳥網を張りました。知らず知らず殺生禁断の高野山の一部へ入りこんだらしく、おもしろいほど小鳥がかかる。
と、どこからか一人の異様な老人が立ち現れました。某をにらみつけながら、小鳥を次ぎ次ぎと網からはずして逃がしてやり、ここは殺生禁断だから、あきらめて帰れという。
某は何だか怖くなって帰ることにしたが、異人は気のどくに思ったのか、せっかくの機会だから跳ぶ術を教えてやると云い、某を高く突き出した岩石のうえへつれてゆきました。
・「さあ、谷底へ飛び下りてみろ。おれが下へ行って受け止めてやるから」という。しかし、怖くて、どうしても飛べない。ちゅうちょしていると異人は、うしろからいきなり某を突き落しておいて、すぐに谷底へあらわれてズシンと受け止めました。
「どうだ怖くないだろう。もういちどやってみろ」
こうして何回も飛び下りて受けてもらっているうちに、どうやら身のこなしなども会得して、平気で跳べるようになりました。
・某は礼をのべて和歌山へ帰り、高い屋根へ飛び上がったり飛び下りたりして人々をおどろかせるようになったが、その後三年ほどして、ふと飛ぶことに恐怖をおぼえ、急にそれっきり飛べなくなったという(-『積翠雑話』)。
・積極的な精神力が或る程度の危険を克服する事実は、この一話からも汲み取れるでしょう。跳躍は、昔は“軽身の術”とか“軽業”とかいいました。
(2022/7/29)
『日本怪異妖怪事典 東北』
朝里樹 (監修)寺西政洋、佐々木剛一、佐藤卓、戦狐
笠間書院 2022/4/27
・東北地方は妖怪の宝庫です。例えば「日本民俗学」の創始者であり、現在の日本における妖怪研究に多大な影響を与えた柳田國男の代表作『遠野物語』には、岩手県の遠野地方に伝わる話が収録されており、座敷わらしや河童、マヨイガなど、よく知られた妖怪たちがたくさん登場します。
<青森県>
<赤い童子>
・青森県三戸郡新郷村西越貝屋敷における怪異。
大正11年(1922)の末、貝屋敷の某家での出来事。亭主の妻が独り囲炉裏端でまどろんでいると、不意に囲炉裏から赤い童子が出て掴みかかってきた。妻が叫びを上げて逃げ出し、家の者が駆けつけたときには、童子の姿は影もかたちもなかったという。
<赤顔・白顔>
・青森県三戸郡八戸町(現・八戸市)に伝わる。項目名は佐々木剛一の提案による。
三日市の呉服店・高半が繁昌していた時代、主人は座敷わらしを目撃することがあった。その顔色が白く美しく見えるときは家に吉事があり、赤く見えるときは凶事があった。店が傾きかけた時期は常に赤顔に見えたという。
伝承では座敷わらしの去来と家運の盛衰が関連づけられることが多いが、この話では座敷わらしの見え方が吉凶を示していることになっており、興味深い。
<赤倉様>
・青森県弘前市と鯵ヶ沢町の間に聳える岩木山(赤倉山)を信仰の場とする鬼神。
岩木山北麓の赤倉は古来「鬼の棲む地」といわれ、ゴミソやカミサマと呼ばれる民間宗教者の聖地となって、昭和期には多数の堂社が建立されて信仰は隆盛を極めた。
・大同二年(807)、津軽の蝦夷征伐に苦闘する坂上田村麻呂のもとに出雲大神第五王女である赤倉の鬼神が出現、鬼神祭祀を勧めたという。更に鬼神は赤倉沢にて賊を消すという不思議をあらわし、朝廷は赤倉に堂を建てて鬼神を祀るようになったという。宝泉院には鎌倉時代の作という鬼面が伝えられている。
・これとは別に、明治頃に種市村の太田永助という行者が赤倉に入って神様になったとも伝えられている。鬼神の姿になった永助が雲に乗って赤倉山へ飛ぶのが目撃されたこともあるといい、生神様たる永助への信仰も盛んになった。永助の実家である屋敷内には赤倉神社が建てられ、当主が信者の指導にあたった。
・内田邦彦『津軽口碑集』には、種市の某氏が奇異なふるまいから「神さま」と呼ばれ信仰を集めはじめるも、明治37、8年頃に衣類だけを残して消息を絶ったという話がある。他にもこの「変人の神様」にまつわる不思議な逸話が記されているが、どうやらこれも太田永助のことであったらしい。
<赤治鬼(あがちおに)>
・青森県青森市浅虫に伝わる。坂上田村麻呂が滅ぼしたとされる悪鬼の一種。
かつて浅虫の蝦夷館には赤治鬼が潜んでおり、坂上田村麻呂将軍がこれを退治しにやって来た。だが、鬼は昼は館にこもり、夜しか外に出てこない。将軍は一計を案じ、人形を作り外で大いに囃したてた。すると鬼が見物しに館から出てきたので、うまく捕らえることができた。これが「ねぶた」の起源なのだという。
<河童>
・青森県の河童に類する妖怪にはカッパ、カワタロウ、メドチ、スイコ、シッコなどの呼び名がある。水辺に出没して人畜に危害を加える、人に懲罰されて悪戯を詫びる、薬の製法を伝えるといった伝承がある点は他の地域と同じ。鯵ヶ沢の田中町で河童は川に住むもの、めどちは海に棲むものというように、別物として呼び分ける場合もある。
また、水虎様として水難除けの信仰に昇華されている河童もいる。
<キャトルミューティレーション>
・Cattle mutilation――牛などの家畜が血を抜かれたり体の一部を切除されたりして変死する怪現象。アメリカでは1970年代に報告が増加した。UFO(未確認飛行物体)やその乗組員たる宇宙人の仕業と主張される際にこの語が使われる。
日本では1989年に青森県三郡田子町の牧場で発生した牛の変死事件が、この現象の事例として扱われる。早瀬の牧場で黒毛和牛が乳房などを切られて死亡、長野平でも同様の雌牛の死体が発見されたもので、変死事件自体は『読売新聞』青森版でも取り上げられたという。同じ時期、青森では奇妙な発光体の目撃が相次いでいあっという。
<キリスト>
・青森県三戸郡新郷村の戸来に「キリストの墓」と称する遺跡があることは現在よく知られているが、これは天津教教祖の竹内巨麿が、所蔵する古文書(竹内文書)に基づき主張した説に由来する。曰く、キリストは処刑されておらず、ゴルゴダの丘で死んだのは身代わりの弟イスキリであった。難を逃れたキリストは八戸に上陸し、戸来で女性と結婚。
・竹内文献の影響を強く受けた山根キクは『光りは当方より』を昭和12年(1937)に上梓、キリスト日本渡来説を世に広めた。さらに山根は天狗=キリスト説も主張している。「天狗とはキリストの事なり」というのは絶対的事実で、全国各地で祭祀され、伝説に残る天狗とは、渡来したキリストが日本中を巡った痕跡であるらしい。赤ら顔、高い鼻、鋭い眼光といった天狗の特徴は、当時のキリストの風貌を伝えるものだとか。
<岩手県>
<暴れる座敷わらし>
・岩手県一関市大東町に現れる座敷わらしは、暴れることで有名らしい。座敷わらしが出ると「触れられて、怖くて、寝ることができない」そうである。やはり同地区に座敷わらしが現れたが、その家で大変暴れ、最後にその家は火事で焼けてしまったそうである。大東町での座敷わらしはどうも、災厄を運ぶ存在であるようだ。
<オドデ様>
・岩手県九戸(くのへ)の江刺家岳(えさしかだけ)に棲む、オドデさまと呼ばれる、見た目は愛嬌のある怪鳥。毛だらけの小さな顔に、フクロウのような大きな光る目玉を持ち、毛だらけの胴回りが二升樽くらいの体をし、人間の子供のような短い足が二本ある。常に人の心を読み、ドデンドデンと啼く。また天候や失せ物をよく当てるので、その村の名主は神として祀ったが、金儲けの道具にされたため、名主の毎晩数える銭の音が嫌になって逃げてしまった。
・相手の考えたことを、すぐに当てて言葉を発することから、人間の心を見透かす妖怪覚(さとり)に近い能力を持っている。九戸村、江刺家岳限定の山の怪鳥である。
<小本の狒々(おもとのひひ)>
・岩手県下閉伊郡岩泉街小本地区に伝わる。遠い昔のこと。小本地区ではヒヒが人を攫って喰うため、地域の人々は恐れていた。それから村人たちは、毎年若い娘を裸にしてヒヒに供えた。後に、娘たちの魂を鎮めるために人殺(とがくし)神社が建立されたが、明治時代以前に廃社になったという。
岩手県内で、狒々の話は岩泉町にしかない。狒々の正体は、赤坂憲雄『異人論序説』に指摘されるような、異人の漂白と定住が根底にあるのかもしれない。
<母娘連れの座敷わらし>
・小国(宮古市川井小国地区)の峠付近で、美しい母娘が休んでいた。どこから来てどこに行くのかと聞くと、その女たちは、「今までは遠野の郷の海上嘉善長者におったが、今にあの家も瓦解してしまうのだから、これから小国の道又家に行くのだ」と言った。その後、道又家には母娘連れのザシキワラシがいるという噂が立ち、家の主人の目には、時折その姿が見えたということである。
・似たような話が柳田國男『遠野物語』第18話にある。ある男が二人の娘に会い、何処から来たと問えば「山口の孫左衛門の所から来た」と答え、何処へ行くと聞けば「それの村の何某が家に」と答えたという。
<クラワラシ>
・岩手県遠野市遠野町の市川家での話。市川さんが一人で家にいると、座敷わらしを見た。髪は、黒くて長く切り下げ、顔は赤く、素足であった。その後、今度はクラワラシを見た。座敷わらしよりも顔がより赤く見えた以外は、殆ど同じであったそうだ。
<子供を喰らう河童>
・岩手県西磐井郡平泉町に伝わる話。衣川の上流と下流に、たくさんの河童が棲んでいた。河童たちは、上流と下流で手紙のやり取りをしながら、美味しそうな子供たちを食べていた。ある時、旅の僧が機転を利かせて手紙の内容を書き換えて、上流の河童と下流の河童の間に争いを起こさせた。その後僅かに生き残った河童たちは、ある岩穴の中に隠れ住んだ。しかし、岩穴に坊さんの像が置かれ、坊さんが苦手な河童はそこから出ることができなくなり、河童は全滅した。
<座敷婆さん>
・岩手県岩手郡岩手町の遠藤家の奥座敷には、座敷婆さんが出ると伝わる。その遠藤家に、試しに泊まった女祈祷師がいた。夜中の2時ごろ、床の間から音がしたと思うと婆さんが近付いてきて「起きろ、起きろ」と言う。女祈祷師は声を出したくとも出ない。次は「餅を食え、餅を食え」と言う。次は「柿を食え、柿を食え」と言うが、布団の中で震えていると立ち去った。四尺五寸(約135センチ)くらいの婆さんであったそうだ。
<座敷婆子(ざしきばっこ)>
・岩手県栗橋村字砂子畑にある「清水の六兵衛」という裕福な家の奥座敷には、夜寝ていると部屋の床の間の辺りに、坊主頭の老婆が現れる。ゲタゲタと笑っては、四つん這いになって寝ている者の近くに寄り、また離れていって笑うを繰り返す不気味な老婆が、佐々木喜善『遠野奇談』に「座敷婆子」として紹介されている。
<寒戸の婆>
・岩手県遠野市松崎町に伝わる話。ある家に住む若い娘が突然行方不明となり、30年後の風の強い日、老いさらばえた婆様として帰って来た。それから風の強い日は、サムトの婆が帰ってきそうだと言われるようになった。
しかしもともと地域に伝わっていた話は、寒戸の婆が帰ってくるたび暴風雨が吹き荒れるので、村人たちが困っていた。そこで山伏に頼んで、山と里の境界に道切りの法をかけてもらい、そこに寒戸の婆が来られないように結界石を置いた。
寒戸の婆は六角牛山の山男に攫われたので、結界石は六角牛山と里との境界に置いた。寒戸の婆は、六角牛山の乙女ヶ沢にある岩窟で暮らしていたそうである。
<猿の経立(さるのふったち)>
・柳田國男『遠野物語』第45話には、「猿の経立はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盗み去ること多し、松脂を毛に塗り砂を其上に附けてをる故、毛皮は鎧の如く鉄砲の弾も通らず」と書かれている。『捜神記』の中の「豭国(かこく)」に、女性をさらい交わってしまう玃猿(かくえん)の話があることから、この猿の経立の性格は、中国から輸入されたものが結び付けられたのだろうか。日本が中国から輸入して参考にした、李時珍『本草綱目』にも、この玃猿(かくえん)が紹介されている。
猿の経立が女色を好むというのは、中国経由で伝わった猿のイメージであった。
<山中の不思議な家>
・昭和61年(1986)6月、初夏の穏やかな日に、岩手県大船渡市三陸町綾里田浜に住む山下トリさんは、いつも慣れ親しんだ山へと蕗採りへ行った。ところがいつもの道を歩いていたはずが今まで見たことのない場所に辿り着いた。そこには見たこともない立派な家があった。その家では、とても綺麗な女性が布団を干していたという。山で迷ったので電話を借りようと思ったが、何故かそのまま通り過ぎ、急に体が動かなくなってしまった。目が覚めると、目の前には、いつも見知った道があり、先ほどの立派な家に続く道は消えていたそうである。家に帰ってそのことを話すと、狐に騙されたんだろうと皆が言ったそうである。
<大工の呪術と座敷わらし>
・岩手県東磐井郡大東町中川村(現・一関市大東町中川)に伝わるザシキワラシは、禍を呼び込むものとされている。柱を逆にして家を建てたり、柱に童形の人形を彫ると座敷ワラシが出ると古くから伝えられていた。あるとき、施主と大工が賃金のことで口論となり、頭に来た大工は密かに柱を逆にして家を建てた。そして、その新築の家にザシキワラシが現れ、家は没落し施主は死ぬという話がある。
<宮城県>
<太郎大王>
・宮城県大崎市鳴子温泉に伝わる狐の統領。太郎狐とも。中山平、堺田峠付近の遠鈴山という山に棲み、何千何万という眷属を従え、里に下りて家畜を奪ったり、人々の持ち物を取り上げたりと暴れ回っていた。
<秋田県>
<赤倉山の八面鬼>
・秋田県五城目町、上小阿仁村に伝わる。赤倉山は別名を「八面山」と言うが、これは昔、頭が八つある鬼が住んでいたためだという。山頂から少し脇へ下った辺りに洞窟があるが、鬼の住処の穴ともされる。
<天狗の再生術>
・昔、雄猿部(北秋田市鷹巣七日市)の深山に大きな楠木があり、その梢に死骸が引っ掛かっていた。この死骸の身元は比内(大館市)に住んでいた作之丞という男だとされていて、天狗に攫われてこうなったのだいわれていた。作之丞が失踪してから80年経ち、比内に残っていた作之丞の子孫の家に作之丞を名乗る男が訪ねてきた。自称作之丞は次のようなことを述べたという。「自分は40歳の頃に、山で知り合った大男に未来を占ってもらおうとしたところ、大男が「お前をこの場で殺し、80年後に目覚めさせた上で30年の寿命をくれてやる」と言うなり自分は首を絞められて気絶し、目を覚ましたら大男に按摩にされていた。山を降りてみると、村の様子は変わっていたが、間違いなく自分の知っていた雄猿部の集落で、ここまで帰って来た」。家人は訝しんだが、更に聞いてみると昔のこの辺りの様子を詳細に語るし、雄猿部にあった梢の死骸も消えていたので、最後には本当に本人だろうと納得したという。この人はその後、大男との約束通りに30年ほど生き、正徳年間(1711~16)末に病死した。
<二面合鬼>
・秋田県男鹿市に伝わる。昔、二面合鬼というモノが女米木(雄和)の高尾山に住んでいた。
<ヒヒ憑き>
・秋田県横手市に伝わる。昔、田代沢から筏に嫁に来た女が娘を産んだが、女は産後の肥え立ちが悪く死んでしまい、生まれた赤ん坊は田代沢の母親の実家へ帰された。7、8歳になった頃、この娘は夜になると、見えない何者かと会話している様子で独り言を言うようになった。更に時を同じくし、台所に覚えのない魚の塩引きが置かれているのが発見されることが続いた。同居していた婆さんが「お前どこからか盗んだのではないか?」と叱ったが、娘は否定した。叱ったその日は魚が台所に置かれることはなかったが、代わりに火棚にいつの間にか木屑が置かれる悪戯がされていて、危うく火事になるところであった。それから娘を褒めればいつの間にか食い物が台所に出現し、叱れば酷い悪戯がされるようになった。ある日、娘を酷く叱ったら、鍋にどっさりウンチがされていた。激怒した婆さんが娘を詰問すると、娘は「私ではない。ヒヒがやったのだ」と言う。詳しく問い質すと、娘にはヒヒの姿が見えていて、独り言と思ったのはヒヒと会話しているためらしい。その日の夜、娘を叱ったからか、またもや火事が起きかけたので、婆さんは「ヒヒが憑いてる子供など置いておけん」と、筏にある父親の実家へ娘を突っ返したという。
<福島県>
<宇宙人>
・福島県福島市飯野町青木の千貫森はUFO(未確認飛行物体)の出現地として愛好家に知られ、1992年にはふるさと創生事業の一環で「UFOの里」が開園した。園内の施設ではUFOや宇宙人に関する展示等も行われる。UFOの里公式ウェブサイトによれば、千貫森は三角形のシルエットから古代のピラミッド説もあり、昔から発光物体が飛来する不思議な地だったとのこと。他にも千貫森はUFO基地だととの説や、異星人と交流できる文明があったのではないかとの説もあるそうだ。
・寺井広樹・村神徳子『東北の怖い話』には、福島出身の某氏が中学生の頃、千貫森でUFOから降り立った宇宙人を見たという話がある。それは白人の中年男性、アラブ系の子供、日本人の青年にみえる三人組で、後にそれぞれが世界的な影響を及ぼす著名な人物になったらしい。
<さとり>
・人の考えることをすべて読み取ってしまう妖怪。各地の昔話などに登場する。
<天狗様>
・古峰ヶ原参詣にまつわる怪異として、福島県東白川郡塙町真名畑に伝わるもの。
明治初期、古峰ヶ原詣でに行った真名畑の人の中に心がけの悪い者がいた。その人は風呂に入っているとき、天狗様によって風呂桶ごとどこかへ隠されてしまったという。
<天体の神様>
・太古に会津の里に集まっていた日・月・星の神々。
・はるか大昔、今の滝沢町の高台に日光・月光が祀られる荘厳な社殿があり、そこにお星さまたちが集まっていた。あるとき神様たちがわけのわからない叫びを上げ、4月15日には大洪水、大地震、大津波が発生、社殿は崩壊して泥海に沈んだ。これは日光・月光・星座の間に大革命が起こったためで、天体の神様たちは一瞬にして滅亡してしまったのだという。星々に捨て去られた会津だったが、時を経て越後の海へ水が引くと、鳥や獣たちがやってきて、人間も生活するようになった。神々の聖域は、後に稚彦霊命の拠点になった。これらは菊池家の祖先ヒエタノアレが口伝した夢のような神話だという。
<東北広域>
<悪路王>
・東北各地の坂上田村麻呂伝説や田村語り(坂上田村麻呂、藤原利仁をモデルとした田村丸利仁にまつわる物語)に登場する蝦夷の長。鬼であるともされる。陸奥国胆沢で活躍した蝦夷の族長、アテルイと同一視する見方もある。
<油取り>
・子供を誘拐し油を搾ると噂された怪人。『遠野物語拾遺』にある岩手県遠野の例がよく知られている。明治維新の頃「油取りが来る」という風聞が村々に広まった。夕方を過ぎてからは女子供は外出無用とのお触れが庄屋や肝煎から出されるまでになり、遊びに出ていた娘が攫われた、子供がいなくなったなどの噂が流れた。同じ頃、河原にハサミ(魚を焼くための串)が捨てられており「子供を串に刺して油を取ったのだ」とひどく恐れられた。油取りは紺の脚絆と手差を着けた人だともいわれ、これが来ると戦争が始まると囁かれていた。
『羽前小国郷の伝承』によれば、山形県最上郡最上町でも明治初頭に油取りの噂が流布したという。油取りは子を攫うので、他所者には気をつけ、夕方には早々に帰るようにと子供らにきつく言い聞かせていたという。人々は昔話の「油取り」(異国人などが人の油や血を絞って染物を作る話)を思い起こし、特に女の子は綺麗な油をたんと絞られるといって恐れていたらしい。
昔話の油取りは各地で語られていたもので、主人公が捕まり油を搾られそうになるが、実はそれは夢だった――という、どんでん返しの結末が多い。岩手県二戸郡浄法寺町では、博打うちが爺と婆の家に泊めてもらうが、実は二人は人肉を焼いて油を取る者で、慌てて逃げようとした瞬間に悪夢から覚めるという話が採集されている。
<大武丸>
・「おおたけまる」(大武丸、大嶽丸、大竹丸)という名の蝦夷、もしくは鬼の首領が、東北各地の坂上田村麻呂伝説や田村語り(坂上田村麻呂、藤原利仁をモデルとした田村丸利仁にまつわる物語)に登場する。「おおたけまる」と聞くと、御伽草子『田村の草子』や『鈴鹿の草子』に登場する、伊勢国鈴鹿山(もしくは奥州霧山)の鬼神「大嶽丸」を思い浮かべる人が多いであろう。阿部幹男によれば、東北に伝わる「おおたけまる」たちは、この「大嶽丸」が各地の寺社縁起や地名伝説に取り入れられたもので、その背景には、先述の御伽草子を底本とした奥浄瑠璃『田村三代記』が東北地方に流布したことがあるという。
<大人(おおひと)>
・巨人、ダイダラボッチのような地形を作り変えるサイズの者を大人と呼称する場合と、鬼や山男の顔を大人と呼ぶ場合の二例がある。前者はその大きさから地形の由来として語られる場合が多く、秋田県では鳥の海(伝説の湖)を開拓したダイダラボッチが挙げられる。このダイダラボッチは三吉様の化身だともいう。地形由来で特に多いのは沼や窪地を大人の足跡とするもので、枚挙にいとまがない。
<おしら様>
・おしら神、おしら仏とも。岩手県や青森県を中心に東北地方一帯で信仰される民俗神で、家の神、養蚕の神、馬の神、狩猟の神、男女和合の神、子供の神、女の病の神などと伝えられ、霊験あらたかで祟りやすいとされる。家々に男女一対の神像が祀られていたり、イタコなどが持参して神事を行ったりする。
<座敷わらし>
・岩手県を中心に東北地方で伝承される妖怪。柳田國男や佐々木喜善による紹介で広く知られるようになり、現在まで目撃・体験談も多く語られている。5、6歳から12、3歳ほど、すなわち童子(わらし)の外見で、土地の豪農や由緒ある旧家の奥座敷などにいるとされるのが一般的。性別は男女どちらの場合もある。座敷わらしがいる家は富貴繁盛が続くが、いなくなると家運も衰えていくという。
・『遠野物語』は「旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず」として、上閉伊郡土淵村(現・遠野市)今淵家、佐々木家、山口家のザシキワラシについて記す。山口孫左衛門家にいたザシキワラシは二人の女児で、ある年に他村の豪農の家に移ってしまった。間もなく、7歳の女の子を除く山口家の主従20数人は、茸の中毒で1日のうちに死に絶えたという。
・佐々木喜善『奥州のザシキワラシ』によれば、座敷わらしの伝承は青森、岩手、宮城、秋田各県にみられ、岩手県で圧倒的に多く採集されている。「ザシキワラシ出現の場所及家名表」には、岩手だけで100ヶ所もの出現地が挙げられている。福島県にも伝承があるとされ、山形県にはザシキワラスの話がある。
・座敷わらしは悪戯を好むものも多く、寝ている家人に枕返しをしかけた話などが各地にある。『遠野のザシキワラシとオシラサマ』では、奉公人に相撲を挑む、座敷に入った娘の目を突く、寝ている者をくすぐる、厩の馬を話す、物置の茶碗などを投げるといった座敷わらし行動の例がみられる。
・岩崎敏夫は座敷わらしの現れ方は大きく三通りあると分析している。一つは足音や楽器、箒で掃くなど、音だけを出すもの。二つ目は室内や布団の上を歩く、子供たちと一緒に遊ぶなど、姿を現すもの。三つ目はそれまで聞こえていた不思議な音が止んだり、残された足跡によって座敷わらしが去ったことを知り、家の衰退が示されるものである。
家人に対して言葉をかける例もある。
・座敷わらしを高貴な身分の存在だと語る例も時折みられる。『遠野物語拾遺』には綾織(現・遠野市)の多左衛門どんの家には元お姫様の座敷ワラシがいたとある。これが去ると家は貧乏になったという。
・一般的な童子形以外の外見的特徴をもつ座敷わらしもいる。岩手県江刺市のある家では、ザシキワラシは小さい子供で、一本足、目も一つだけ、人に姿は見せず、部屋を箒で掃除するといわれた。稗貫郡亀ヶ森村の箱崎家にいたザシキワラシはツルツルの坊主頭で裸だった。当主にだけ姿が見え、仏前に手を合わせていると灯明をフッと吹き消すことがあったという。岩泉町尼額大沢の水車小屋にいたザシキワラシは3、4歳の女の子で、手の指一本と足の指一本をそれぞれ赤い布きれで結わえていたので、指が6本あるのだろうといわれていた。おとなしく心優しい子で、小屋に来た村人の仕事を手伝い、大好きな団子をもらうこともあったという。
・座敷わらしにはカラコワラシ、ザシキボッコ、カブキレワラシなどの別名もあり、さらに細かい種別があるとも伝わる。岩手県江刺郡稲瀬村倉沢(現・奥州市)の某家にはザシキワラシの他に米搗(こめつき)ワラシとノタバリコがいた。ザシキワラシのうち最も色白で綺麗なものをチョウビラコと呼び、ウスツキコやノタバリコになると種族の中でも下等なものだとされる。青森県八戸市などでは土蔵にいるものを蔵わらしと呼んだ。『遠野物語拾遺』にも、遠野の家の蔵に住む御蔵ボッコの記述がある。
盛岡地方ではザシキワラシをザシキボッコとも呼び、貉などが化けたものだろうともいった。上閉伊郡栗橋村栗橋(現・釜石市)の家にいたザシキワラシは元河童だという。悪戯者の河童がある家の者に懲罰されて反省し、その家のザシキワラシになったという。下閉伊郡田野原村猿山では、河童が暮らし向きのよさそうな家を選び、ザシキワラシに姿を変えてやって来るといわれた。
・座敷わらしが住んでいるという旅館は各地にあり、その中でも岩手県二戸市の金田一温泉・緑風荘はテレビ番組や雑誌にもたびたび取り上げられ、全国的な知名度も高い。緑風荘の座敷わらしは名前を「亀麿(かめまろ)」という。旅館を経営する五日市家の祖先の子で、南北朝時代に6歳で亡くなったといわれている。「槐(えんじゅ)の間」で座敷わらしに遭遇し、幸運に恵まれた宿泊客たちは、お礼におもちゃを供えていく。五日市家の座敷わらしは昔から語られ、見た人は幸運で戦士ならば鉄砲の弾に当たらないし、役人なら立身出世するという。心霊研究家として著名な中岡俊哉も、緑風荘で御殿女中のような座敷わらしを目撃したと語っている。遠野市材木町の民宿とおのには5歳の男児と6歳の女児の座敷わらしがいて、ある祈禱者に「近行」「ゆかり」と名付けられたという。
・今や座敷わらしがいるとされる宿屋施設は関東から九州にまで存在しており、スピリチュアル方面での高い需要がうかがえる。
・「わらしちゃん」こと座敷わらしを呼び寄せられるブレスレットなど、開運商法に利用される例もみられる。
<山男>
・全国的に語られる山に住む異相の者たちのうち、見た目が人間の男に似た者を指す。山おじ、山爺、山人などの別名もある。大人(おおひと)と呼ばれる場合もあり区別が難しいが、ダイダラボッチタイプの巨人ではない者は、大人名義でも当項目で扱うこととする。
秋田県では田代岳、森吉山、赤倉山、太平山などを中心に広く伝わる。秋田で一番有名な山男は太平山信仰において崇拝される三吉様で、「太平山には三吉という山男がいて、心が邪な者はこれに攫われ、川の淵に投げ込まれ溺死させられる」と当時囁かれた噂が載っている。このためか、
太平山を行き来する山男の話は多く、秋田市から仙北刈和野へ超える峠では、毎晩のように山男たちが大声で話しながら太平山から女米木へ行き来したので、峠の茶屋は我慢できずに店を畳んだという。
・北秋田市にそびえる森吉山周辺は山男伝説の宝庫であり、数多くの伝説やそれに因む史跡が残されている。明治中頃までは、周辺で行方不明者が出ると「森吉山の山人に連れて行かれた」と言い表した。
・田代岳では、頂上付近にある神田は土用になると山人が耕すとされる。山人の見た目は腰が曲がり、頭には角のような瘤がある。人に見られるのを嫌がり、人気を感じると姿を隠してしまうという。また、山男は相撲が好きとされる。秋田県井川町の伝承では、井川上流に「金壺の滝」という滝がある。この付近の山頂には土俵があり、昔、山男たちが相撲を取り、金壺の滝で水浴びしていたとされる。五城目町の伝承では、ある樵が山男たちと相撲友達になった。しかし、山男達は木樵の家でご馳走になって以降、たびたびやって来ては厚かましくも飯を集るようになり、木樵は気を病んで病気になってしまった。
少し変わった伝承としては、人間に使役される山男の話がある。戦国時代頃、五城目に三光坊という行者がいて「式神使い」と呼ばれていた。この三光坊が使役した式神の正体は赤倉山に住む山男で、三光坊は山男に無形法(人に姿を見せないようにする術)を教授したという。三光坊が京都に出張した際、式神を秋田の実家へ送り出したところ、一昼夜で京都秋田間を往復したともいう。マタギの左多六も皮投岳の山人を弟子にしていたとされる。
・青森県では、山中に棲むと伝えられた異類で鬼とも大人とも呼ばれる。岩木山などを中心に伝承され、人と関わりを持つ善神的な面が語られる場合も多い。弘前市鬼沢の鬼神社の縁起にみられる鬼(大人)がこのような伝承の代表例といえよう。昔、弥十郎という温厚で正直者が山で鬼に出会い、交流を重ねて友人となった。鬼は弥十郎が困っているのを察すると、田の開墾を手伝ったり、赤倉の谷から水路を切り開いて農業用水を引いたりするなど、人知れず彼の力になってくれた。しかし弥十郎の妻に悟られては神から咎められると言って、身に着けていた蓑笠と鍬を残して去っていった。
・岩手県では、沿岸域から内陸に聳える早池峰山までに連なる、山母森・鳥ッコ森・高滝森・妙沢山・地獄森・白見山などは、ずっと古くから山男や山女の棲んだ山々と伝えられる。大槌町金澤の戸沢にある末田家は、代々のマタギの家系だった。数代前の仁吉という者が、ある夕方、
妙沢山の裾のトウサナイ沢を更に奥に入り、「猿の一跳ね」と呼ばれる大岩の陰に潜んでいた。すると何かが近付いてきたので伸びあがって覗いて見ると、山男と山女が土坂峠を横切って行った。山男は、かなりの大男で、片手に何かを持っていた。そして、非常に長い髪の毛を邪魔なふうにして、何度もかき上げていたそうである。
・他にも外国人を山男と見なす話もある。
江戸時代、幕府は南部藩に対し、外国船の監視の強化を命じた。それ以前にも何度となく、難破船が岩手県沿岸域に漂着していた。『遠野物語』だい84話には「海岸地方には合の子中々多かりしと伝ふことなり」と書かれているように、難破船で漂着した外国人と浜娘が結ばれて、よく子を成したと伝わる。しかし鎖国となってからは、難破した外国人たちは鉱山などに連れて行かれ、労働力として使われていたようだ。『遠野物語』第5話には、橋野溶鉱炉がある笛吹峠に関して、こう記している。「近年此峠を越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふより、誰も皆怖ろしがりて」と。しかし調べてみると、どうやら峠を越える者達を恐れさせていたのは、溶鉱炉や鉱山で働く人夫たちであったようだ。『遠野物語』第89話で、山神の印象が記してある。「非常に赤く、眼は輝きて且つ如何にも驚きたる顔なり」と、日本人とは違う眼の色、そして白人特有の白い肌は、時には赤く染まり、確かに日本人のイメージする赤鬼のように見えたのかもしれない。
・他にも『遠野物語』第91話では、鳥御前という人が続石のある辺りで、山神と思われる男女に出会った話が載る。この男女は赤い顔をしていたとある。『遠野物語』第107話では、山神に占術を授けられた娘の話が載り、この山神も背の高さと朱を差したような真っ赤な顔いろに言及されている。『遠野物語』第7話では、上郷村の娘が行方不明となり、2、3年後、五葉山の麓辺りで狩りをしていた猟師と遭遇した話が載る。この話の中で娘は「自分を拐った恐ろしき人は異様に背が高く、目の色が少し「凄い」と瞳の色に言及している」のが印象的である。
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