日本は津波による大きな被害を受けるだろう UFOアガルタのシャンバラ

エーテル界の人類の源郷か?神の国か?天上のエルサレムか?
チャネラーとコンタクティの情報を集めています。森羅万象も!

ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(11)

2023-10-25 12:01:29 | 森羅万象

 

・天使は、色々な界層に分けられており、研究家によりそのわけかたが違っているといわれます。たとえば、「力天使(バーチューズ)は、神の力を用いて地上界に奇跡現象を起こす。能天使と協力して宇宙の物理的法則を保つ役割を果たす」とされています。また、シリウス星人は、「世界中で奇跡を演出している」という説を唱えている者もおります。

そうすると、シリウス星人は、力天使(バーチューズ)であると考えてみてもよいのではないでしょうか。「高次元に存在する異星人は、天使である」と考える人も最近では増えてきています。パラレル・ユニバース(並行宇宙)はすぐ隣にあるといわれます。

 

・人間の死後の世界については、幽界や霊界があり天国や地獄の概念も昔から語られています。さまざまな霊能者がいますが、スピリチュアル・カウンセラーとして活動している人々もいるようです。Amazonに「江原啓之」といれると241冊の書籍がわかります。多作のベストセラー作家のようです。ウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)をみても経歴がわかります。英国のスピリチュアリズムを学んだと語られています。

 

・人間の死後の世界、幽界や霊界は、3次元の地獄のような地球世界とちがって、天国のような素晴らしいところだそうです。筆舌に尽くしがたいという表現がなされますが、不思議な世界のようです。人間の死後の世界、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界ですが、私たち一般人は、当然詳しくはありません。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」そうです。「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっているといわれます」とのこと。「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたる」ともいわれています。

 

・天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人の存在が、チャネラーによって近年、明らかにされています。天使的な宇宙人、シリウス星人とイスラエルが通商協定を結んだという話ですが、どうなのでしょうか。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」ともいわれますが、謎の多い異星人種族のようです。

 

・天国から人間は修業のために地球に転生してきているそうです。「地球はシリウスの植民星だ」そうです。そこで誰でも死後の世界で、天使のようなシリウス星人と遭遇できるようです。「人は皆、記憶喪失の異星人だ」といわれます。異次元宇宙の実相も霊界通信などのチャネラーからの情報で解ってきています。

 

・昔は、「金星蛇人と火星霊人の戦争」とか言われていましたが、火星人の情報が少ないようです。昔は、それこそ、タコのようなイメージの画で火星人が描かれていました。現代では「米国に少数の火星人が住んでいる」という情報があったようです。目に見えない世界、天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人が存在するようです。異次元の金星人と火星人の壮大な文明の詳細は分かりません。また誤った情報も伝えられているそうです。ここでいう金星というのは副金星、異次元の金星、アストラル界にある目に見えない金星のことのようです。金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けた、といわれます。現在では、金星と火星の異次元(アストラル界)には、壮大な都市文明が存在しているそうです。金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となったと述べられています。

 

・「人間を実験室で創った」サタン(悪魔)と呼ばれるリラ星人と「人間を遺伝子操作や思念(?)で創った」といわれる天使的なシリウス星人との争い『スター・ウォーズ』が現代でも続いているともいわれ、不思議な与太話が多いようです。「現代風にいうと、ルシファーやサタン(悪魔)というのは遺伝子科学者の一団の名前だ」そうです。ある種の遺伝子実験に反対している科学者のグループだそうです。モンスター・タイプの生物を、ネガティブなシリウス星人が創造したので神に嫌われたといわれます。モンスター・タイプは底層4次元にいまだに存在すると語られています。スター・ウォーズでは「牛神」が「龍神」をテクノロジーの面で圧倒し、「爬虫類的異星人(レプティリアン)を低層4次元に追いやったともいわれます。

 

・シリウス星人とイスラエルが通商協定を結んだように現代は非常に速い速度で、宇宙連合の提携の事態が動いているようです。ネガティブ・グループの陰湿な宇宙人同士の争いがあるのでしょうか、米国人の死後世界、サマーランド(常夏の国)やブルーアイランドからこの世にさまざまな影響があるそうです。サマーランドのシリウス星人が、米国にどのような形態でいるのかは不明です。米国には、シリウス星人がウォーク・イン(憑依・人格転換)やワンダラー(転生)の形態で飛来しており、その数は、非常に多いともいわれます。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。「ネガティブ・グループのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれます。「透明人」とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置したのが爬虫類人だそうです。「二派の対立とは火星由来のアーリア人に対するアヌンナキ・レプティリアン(爬虫類人)の争い、戦争」ともいわれています。「爬虫類的異星人(レプティリアン)は低層4次元にいる」ともいわれ、クラリオン星人のコンタクティ、イタリア人のマオリッツオ・カヴァーロによると「爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間タイプは知性的な顔をしている」そうです。

 

・神のような者が「あの世」からかどこからか不明ですが、この世に現れるという現象は不思議な話です。神社の縁起や伝承からは、どうして神に特定したのかは理由がわかりませんが、神にかかわる話は日本でも多いようです。遥かに進化した異星人はウォークイン(憑依)やワンダラー(転生)や人間の精神体に憑依したりしてこの世に現れるともいわれています。宇宙人がUFOに乗ってやってくるという現象よりもはるかに進化した形態で、人間の守護霊になるともいわれております。「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」ともいわれています。「神々や天使は、背後霊や守護霊となり人間に憑依している」のですが、誰も認識できないようです。神々は憑依などで市井のひととなり普通の生活をしているので誰も識別できないようです。

 

・芸能の神とも言われる魔多羅神も専門家の間でも分からない要素が多い奇妙な障礙神のようです。神々がどこからこの世に来るのかわかりませんが、神智学ではエーテル界とかアストラル界という異次元の世界を説明しています。日本の伝承の神々もそのような異次元の世界から、さまざまな形態を通じて、この世にあらわれるのでしょうか。

 

米国人の死後の世界はブルーアイランドともサマーランド(Summerland)ともいわれるといわれます。人間の死後の世界の「幽界」にあたるようです。「精霊界」、「夢幻界」ともいわれ、パラレル・ユニバース(並行宇宙)の性格もあるそうです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は、目に見えないが、すぐ隣にあるといわれます。どちらかといえば青味がかったような色彩の世界、青い空の熱くも寒くもない常夏の海のリゾートの高層ビル群のイメージ、フロリダやハワイのホノルルを大規模にしたような都市国家のイメージのようです。「地球では白人種と定義されている「エリエン」のルーツはオリオン星雲にある」そうです。白人種の「エリエン」がサマーランドを創造したのかもしれません。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。

 

・オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。「不思議なゲイ(LGBT等)の現象は、宇宙人の人格転換である」という説もあるそうです。ゲイ(LGBT等)は世界中に蔓延している理解不能な不思議な現象です。日本でも社会問題になりつつあります。異星人の超テクノロジーによって、男性を別の人格の男性に変えることや多重人格も可能のようです。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。

 

・人間の死後の世界は幽界や霊界といわれ、多くの有識者が言及しています。死語の世界は、実在するようです。あの世とのコンタクティも多いようです。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。イギリスは幽霊大国といわれます。科学技術の進んだ国々に、異星人が現れるといわれます。

 

・アストラル界の様相も現代の研究者から、さまざまな情報が流れてくるようです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は「幽界」のように「この世」に似ている世界ですが非常に大きく違うアストラル界のような世界だと述べられます。しかしながら、その事実を地球人は認識できないそうです。目に見えない世界は、私たち一般人は、通常認識していません。「進化した宇宙人は人間の肉体や精神体に憑依するので誰にも分からない」とか「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだ」という説もあるそうです。神々は憑依などで市井のひととなり普通の生活をしているので誰も識別できないともいわれます。

 

・米国人の死後の世界「サマーランド」、「ブルーアイランド」の「あの世」がさまざまな影響力を現界にも行使しているようです。米国人の死後世界、サマーランド(常夏の国)やブルーアイランドからエイリアンが様々な形態で、「透明人」のように、この世にきているともいわれます。むしろ「あの世」で起こったことが時間を経て「この世」で起こるともいわれます。サブ・カルチャーとしての「あの世」が、想像を絶するパワーを持っているのかもしれません。

 

・「“透明人”とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人」がとてつもなく進化しており昔は「龍神」といわれていたようです。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」といわれ、シリウス星人も上位の異星人が造ったようです。人類の創造についても多くの異星人が関与したようです。

竜座人(ドラコ)が遥かに進化しており、このレプティリアン型生物の交雑種がイルミナティである。交配人種であるイルミナティが地球を支配しているといわれます。

 

・リラ星人のエロヒムが「人間を実験室で創った」といわれます。リラ星人は人類に3万年進化しているそうです。リラ星人も人類の源流ともいわれ謎の多い宇宙人種族のようです。もちろん日本人とも繋がりがあるようです。しかしながら、「シリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」そうで、スター・ウォーズも頻繁にあったようなのです。最大のスター・ウォーズが「オリオン大戦」だったようです。「オリオン大戦」やスター・ウォーズの原因や結果も詳しくは分からないそうです。「奇妙なことに、オリオン人はかっては琴座からの移民である人間らしい存在だったが、その後レプティリアンに征服されてしまった」という謎の話もあるようです。

 

・「爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間タイプは知性的な顔をしている」ともいわれ、グレイと人間の交雑種が「エササニ人」といわれます。遺伝子操作などで、「人間化」が進んでいるようです。が、3割の宇宙人が動物タイプともいわれています。人間タイプの異星人がどの程度の割合なのかは正確にはわかりませんが、0.1%程度という「奇説」もあるそうです。

 

・「二派の対立とは火星由来のアーリア人に対するアヌンナキ・レプティリアン(爬虫類人)の争い、戦争であった」といわれ、「爬虫類的異星人(レプティリアン)は低層4次元にいる」ようです。「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔」であり、日本でも2種類の異星人の末裔の対立・抗争の歴史があったようです。火星霊人と金星蛇人の対立・戦争もどのようになったのでしょうか。現在では目に見えない金星や火星の異次元には都市があり壮大な文明があるといわれます。金星人の美男美女という話は、少なくないようですが、同化している宇宙人は容貌からは判断できないそうです。

 

「遠野郷の民家の子女にして、“異人”にさらわれて行く者年々多くあり。ことに女に多しとなり。-遠野物語第三十一話」、「黄昏に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。-遠野物語第八話」の伝説の「異人」はオリオン星人だったようです。

 

・「ゼータ・レチクル星人のグレイと、オリオン座のリゲル人の長身のグレイ、オリオン座の有翼のドラコ族、恐竜から進化した地球のレプトイド(恐竜人)」がダルシー秘密基地やエリア51等のアメリカの秘密基地で活動しているともいわれます。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」といわれます。エリア51については、アメリカ政府は、その存在を一度も認めていないそうです。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。

 

・オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。宇宙人情報を公開すると主権が危うくなるともいわれます。オリオン座は「神の故郷」ともいわれますが、『闇の勢力』も経由地にしているようです。エルダーとよばれる天使のような人間タイプのオリオン星人が小柄なグレイと共に飛来したそうです。地球では白人種と定義されている「エリエン」のルーツはオリオン星雲にあるといわれます。「トールホワイト」とよばれる2メートルから3メートルの白人種のオリオン星人も報告されているようです。トールホワイトと米政府はコンタクトがあるといわれます。

 

・「ガーディアン(守護神)―昔、人間であったが、霊的に進化し、霊的存在となった。人間世界の指導をしている。コズミック・トラベラー(宇宙の旅人)-ガーディアン委員会の下で、ガーディアン委員会の特命事項を遂行する宇宙人」のように目に見えない天使のような宇宙人が活動しているようです。目に見えない神々や天使や堕天使の活動は分かりません。「米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、プレアデス人が招聘されたが、過去ヒトラーの人類浄化政策を画策し仏教を堕落させた」そうです。米国政府も騙すリゲル人は、爬虫類的異星人(レプティリアン)の部下として活動しているようです。「爬虫類的異星人(レプティリアン)も人間タイプは知性的な顔をしている」と語られています。

 

・グレイには、「ビーガン。シリウスA人の遺伝子から作られたグレイ」、「ゼータ・レティクリ1。地球人監視のためリゲル人が作ったグレイ」、「ゼータ・レティクリ2。遺伝子操作で作られたグレイ。爬虫類人に奉仕」などが存在するといわれます。異形異類のバイオロボットも自在に造れる進化した異星人の情報はアバブ・トップシークレットのようです。

 

アシュター(銀河連合の総司令官と呼ばれる存在)という存在がよく米国のスピリチュアルな本で言及されます。アシュター・コマンドというのは、現在、地球周辺の宇宙空間に滞空しているUFO艦隊の司令官アシュターならびに、主サナンダ・クマラという霊的な導きの下に存在する「光の偉大なる聖職者団(グレート・ブラザー/シスターフッド)の空挺部隊の事だといわれます。かってイエスであった存在は現在「サナンダ」と名乗っており、アシュタールとともに彼の宇宙船に住んでいると述べられています。アヌンナキとかサナンダといわれる金星のマスター(長老)が活動の中心ともいわれます。地上に存在するエーテル体のアセンション(次元移動・昇天)したマスターはアシュター司令部のメンバーであるといわれます。阿修羅はアシュタールという説もあるようです。帝釈天(インドラ)も人間化して、人知れず社会で生活しているのかも知れません。「宇宙人の実体をエーテリアン(霊人)と呼び、彼らの乗用する円盤のことをエーテル船(霊船)と呼ぶべきだ」いう説もあるといわれます。

 

・人間の死後の世界、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界ですが、私たち一般人は、当然詳しくはありません。目に見えない天国は地球と月の間にあるとか、アストラル界はマルドゥクというアストラルの惑星にあるとか、サマーランドからも進化した宇宙人が来ているとか不思議な話も多いようです。ちなみに「目に見えない霊界は、地上1メートルにある」ともいわれます。

 

・「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっている」、「人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたる」、「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」そうです。2012年からアセンション(次元上昇)の時代になっていますので、「プレアデスからシリウス(オリオン)の世に変わる」ともいわれます。アストラル界の宇宙人の影響力が強まっているのかもしれません。毎晩、夢の中で幽体離脱をしてシリウスの世界を往来している米国人もいると指摘されています。イスラエル政府と契約の「宇宙の商人」が シリウス星人だそうです。シリウス星人の超科学はとてつもなく進化しているようです。

 

・世界中の「人間の死後世界」は相似しているようです。後進国ではそれに応じた幽界のようなのでしょうか。江戸時代とか明治時代に死んだ人々はどのような幽界を体験したのでしょうか。進んだ国の死後世界、ブルーアイランドは、それなりに進化しているようにおもわれます。人間の死後の霊界は地上1メートルのところにあるともいわれます。時空を超えている世界ですから、宇宙の果ての果てにあることではないようです。また、天国も地球と月の間にあるともいわれます。

 

・異次元世界のアストラル界やエーテル界にも都市があるといわれます。また神々の都市もあるとも言われます。異次元の金星や火星にも都市があり壮大な異次元の文明があるようです。サマーランドの界層は地球圏に属し、地上時代の感覚や習性がそのままのこっているような世界のようです。ブルーアイランドの存在はタイタニック号の遭難で亡くなった人からの自動書記で分かり始めたようです。90年前の話です。タイタニック号の遭難のように一度に多くの死者が出た場合、多くの天使たちが人間の魂の救済に集まるといわれます。戦場で死者が多数出た場合も、天使の一団が出動するといわれます。西洋人のブルーアイランドは世界中の人々が来ているそうですが、日本人の「幽界」との関係はどうでしょうか。現代のサマーランドはどのようになっているのでしょうか。サマーランドは地球人にとって特別な「幽界」なのかもしれません。そこには和服でも着ている日本人の霊人でも少数いるのでしょうか。30年前にオリオンに行ってしまった日本人がいるそうで驚きです。オリオンやプレアデスに多くの日本人が住んでいるという法螺話もあるそうです。

 

・幽界に入ってそれ以上の高次元の世界「霊界」や「神界」へ行きたくない者、また行く資質のない者は、再生を選べるといいます。「再生」を自由に操作できるのは、シリウス星人クラスの高等知性体、天使クラスの異星人だといわれています。目にみえない世界は分かりません。

 

・ブルーアイランドは仏教の「極楽」ということですが、辞書によると「阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にあり、全く苦患のない安楽な世界で、阿弥陀仏が常に説法している。念仏行者は死後ここに生まれるという。極楽浄土・安養浄土・西方浄土・安楽世界・浄土など多くの異称がある」とのこと。キリスト教でいう死後に行くという「天国」と相似しているかもしれません。ちなみに仏教の如来がシリウス星人、菩薩がリラ星人、観音がプレアデス星人に相当するのかもしれません。「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」ともいわれます。

 

・amazonに「江原啓之」と問えば256件の書籍がわかります。多作のスピリチュアリストのようです。斯界に名を馳せている人といわれます。しかし、若い時は、自殺まで考えるほど非常に苦しんだそうです。一般に「霊媒体質」の人は、苦労をするといわれます。沖縄のユタも霊媒体質の人がなるようですが、一人前のユタになるまでは、苦しむといわれます。霊界や幽界とコンタクトするということは苦痛をともなうようです。「いつ、どこでも霊が見えた」という霊媒体質の人の存在は、私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。気味の悪い体験になれるまでは、大変のようです。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。

 

・「日本の心霊レベルは、欧米諸国に比べると50年は遅れている」そうで、映画「ハリー・ポッターシリーズ」の世界的なヒットも、そのような背景があるようです。映画「ハリー・ポッターシリーズ」では、ロンドンのパラレル・ユニバース(並行宇宙)が魔法使いたちの街になっていたようです。英国には古い建物が多く、地縛霊や浮遊霊がよく見られる背景になっているようです。古い建物が残っていると、地縛霊や浮遊霊たちは、「自分が死んでいる」ことを認識できないのかもしれません。人間の死後の世界、幽界や霊界では「自分が死んだことを認識しない」霊がいるそうです。全く奇妙な話のようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」といわれます。イギリスはスピリチュアリズムが発達しているそうです。また職業的なヒーラーも多く、病院にまで受け入れられているようです。幽霊スポットが、観光名所になっている幽霊大国のようです。

 

・「霊界通信」により、多くの情報がもたらされたようです。霊界と高等知性体の住む高次元は同じ様相のようです。天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人のことがチャネラーからの情報で分かり始めました。

 

・アストラル体(感情体)、メンタル体(精神体)、コーザル体(原因体)などで、「異世界」「異次元」などに幽体離脱することによって、神々の世界が見えてくるのでしょうか。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」といわれます。天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人が天使的な宇宙人のようです。

 

・誰でも夢の中で、異次元や異世界を体験しており、夢の世界が、アストラル界やエーテル界ともいえるようです。霊界に似た異次元世界が現代の科学者により探求されています。「エイリアン・エンジニアリング」がエリア51で研究されているといわれます。

 

・異星人文明との自由な交流が日常的になるのは、いつ頃なのでしょうか。「異星連合のメンバーに地球が参加できるのは、今から100年たっても不可能だ」そうですが。宇宙を2分する2大勢力がスター・ウォーズの原因となっているといわれているようです。エリア51で白鳥座61番星の異星人とコンタクトしていた日本人科学者もいたといわれます。エリア51については、アメリカ政府は、その存在を一度も認めていないそうです。「その彼らは地球から68光年離れた惑星クイントニアに住む宇宙人で母星から「エリア51」まで45分で移動できる」といわれます。

 

・霊界や神界へ行きたくない者、行く資質のない者は、再生を選べるといわれます。「再生」を自由に操作できるのは、シリウス星人クラスの高等知性体、天使クラスの異星人だといわれています。死後の世界の霊界の存在は常識的な事柄になりつつあるようです。いわゆる地獄の様相も諸説あるようですし、死後の世界で「自分であって自分でない」存在になる可能性がおおいにあるようです。「筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい霊界の世界」といわれます。死後の世界では、アストラル界やエーテル界と似ており、知的生命体が存在するといわれます。幽界については、多くの書籍があり、当然、その描写も似てくることになります。

 

 ・「幽界が、現在の我々の状況を規定する」という「量子力学」的な推論も存在するようです。天国に自由に出入りし、人間への“憑依”や人間の“転生”を自由に操作するシリウス星人の存在は、認識されていません。チャネリングができるチャネラーたちにより、霊界通信がもたらされ、霊界の様子が分かりだしたようです。霊界の様相も様々な書物からの情報によると相似してくるようです。

 

・あるタイム・トラベラーによるという書籍からの情報ですと「2015年核戦争予言(予言と言うよりも体験)」もでていたようですが、この本は、「至福1000年説」のようで“世の中色々”と言うことでしょうか。西暦2000年以前に出版された、全ての数十冊の書籍の「世界終末説・予言」「第3次世界大戦予言」「核戦争予言」は、みごとに全部はずれるという結果となりました。が、「核戦争をしないように」という力が、「危機をあおる」たびに抵抗勢力として、でてくるからでしょうか。これによると、未来は、異星人情報の公開に端を発して非常に明るいということでしょうか。「めでたし、めでたし」、異星人情報の公開がまたれます。ところが、マクモニーグルの未来透視に「23世紀と24世紀における2度の大戦で人類の人口が6分の1に大激減する」というのがあります。依然として人類の未来は悲惨な透視のようです。

 

・宇宙人は、パラレルワールド(平行世界)の目に見えないアストラル界やエーテル界に住むと仮定すれば、かなり理解がすすむと考えます。金星人は、金星の異次元に住んでいるので、目には見えないということでしょうか。探査衛星からの目に見える金星は、砂漠化しているようです。「天使」を体験する人たちが、欧米で増えてきているのは、現代の特徴のようです。宇宙を二部する勢力が、争うことは、天使団の3分の1を率いて神に反乱した堕天使ルシファーの物語を想起させます。人間の創造にも2種類あり、それが、人間同士が争い殺しあう原因となっているともいわれています。「現代的な解釈ですと堕天使ルシファーとかリラ星人のサタン(悪魔)という言葉は、遺伝子科学者の研究集団の名前だ」といわれます。

 

・アヌンナキとかサナンダといわれる金星のマスター(長老)が活動の中心ともいわれます。「キリストの転生歴を持つ金星のマスター(長老)、サナンダと宇宙母船上で会見したという日本人がいた」そうです。サナンダは神智学ではサナト・クマーラより上位の存在として「沈黙の監視者」と呼ばれています。「彼(デーヴィッド・アイク)はイルミナティの祖先をアヌナキだとする」といわれます。また「大天使は崇拝すべきではない」ともいわれます。また米国人の死後世界、サマーランド(常夏の国)やブルーアイランドからこの世にさまざまな影響があるといわれます。

 

・プレアデス星人は人類に6000年進化している種族ですが、人類に近く神でも天使のような宇宙人でもありません。プレアデス人の祖先は古代リラ星人だったようです。

 

・転生も一般的に認識され始めており、中国には、「生まれ変りの村」という「前世を記憶している人々が多い村」があるそうです。

 

「シャンバラ」は、エーテル界(異次元・亜空間)に突入した「都市型の超巨大な宇宙船」なのだという説もあるそうです。最も進化した人間タイプの異星人が、グレイと同時期に地球に飛来しているといわれています。グレイはバイオロボットといわれます。が、『厳秘』のために、「金髪碧眼」だとか、ノルデック・タイプだとかの、断片的な情報しか流れてこないようです。シリウス星人系のオリオン星人がきているという情報もあるようです。人気の米国の動画サイト「YOU TUBE」などでは、「ALIEN」の動画もネットで豊富に見れる時代になりました。

 

・アリス・A・ベイリーは、米国でチャネラーが活躍する前の時代の人なのですが、神の国の様相を明らかにしているそうです。

パラレルワールドの思想は、現代物理学のテーマでもあるらしいのです。が、普通の人には異次元の観念がないので、“不思議な現象”を説明ができないのでしょう。マゴニアという国から“雲の船”で乗ってきた人たち(異星人)の伝承も、後世にいろいろな話に脚色されており、正確なことはわかりませんし、フランスの民衆の中に溶け込んでしまっているのかもしれません。

 

・神々の乗物の巨大な母船(大城砦都市)は、古代インドの大叙事詩によく登場しますし、宇宙船ヴィマーナもまた、有名のようです。デニケンによるとジャイナ教と異星人とのつながりが指摘されているようです。宇宙空間に巨大宇宙船を飛ばすほど文明が進んでも戦争はつきないようですし、「“映画スターウォーズ”は、実話を映画化したもの」とも噂されたようです。「都市全体が空飛ぶ宮殿」となっているとは、宇宙船の母船の究極的な姿なのでしょうか。シャンバラも「都市型の超大型宇宙船」であるという説もあり、最も進んだ異星人の宇宙船の母船は、そのような形態をとり、アストラル界やエーテル界に滞空しているのでしょうか。「アストラル界やエーテル界にも都市がある」という説との相関が注目されますジャイナ教の昔の図絵にも大型円盤の描写があるそうです。

 

・ジャイナ教の絵画によると、巨大な宇宙母船が地上に着陸してそこから異星人が出てきて、群衆に取り囲まれているのがあります。異星人とジャイナ教の結び付きはあったようです。どこからの異星人だったのでしょうか?インド神界と日本神界は昔から繋がりがあったと語られています。「スサノオ命は絶対神ヤハウェにほかならない」という奇説もあります。西洋神界はスサノオ神とその系統の神々が1万年ほど前に拓いた地域で、シュメール族は「スサノオ神系」だといわれます。

 

「米軍兵士、アフガニスタンで4メートルの巨人を射殺」という話もフィクションかナンフィクションなのかはっきり分かりません。眉唾物で疑念が持たれる類の話です。ネットを見ていて、たまたま、でてきたので載せてみました。よく調べてはいませんが、「事実は小説よりも奇なり」なのかもしれません。ビッグフットの動画もYou Tubeで奇妙な動画が豊富に見られる時代です。

 

 

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・ブログ名称: UFOアガルタのシャンバラ

日本は津波による大きな被害をうけるだろう

・第2のブログ名称:UFOパラレル・ワールド

「神の国か?」「人類の原郷か?」 「天上のエルサレムか?」・・・・・・・・・

「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の殖民星が、地球か?」、「ネガティブのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こるのだろうか?」

「金髪碧眼のノルディックが住んでいたアガルタのシャンバラ情報の集大成を目指す・・・・・・・・・・」「金星蛇人と火星霊人の戦争はその後どのように展開したのだろうか」
「日本民族の神話の原郷『高天原(たかまがはら)』は、『都市型の超巨大宇宙船』なのか!?」「平家がプレアデス星人の末裔で、源氏がオリオン星人の末裔なのか」
「小人族のグレイの母船に同乗する金髪碧眼のノルディックは、”悪魔の王””ルシファー”なのか?!」

「円盤は神人や異人、悪魔の乗り物なのか!?」「天使は神の秘密諜報員なのか」「神は最初のフリーメーソンなのか」

「UFOは、人類の歴史が始まって以来、最も重要な現象なのか。UFO問題とは、人間にとっての死の問題を解くことなのだろうか。UFOはフリーメーソンの創作なのか」

「全宇宙を創ったという“虹の神々”も地球に来ているのだろうか」

「イルミナティなどのフリーメーソン組織に入ると神に会えるのだろうか」「金星の神々は地球に到着するやいなや、イニシエーションのためのフリーメーソン本部を設けたのだろうか」「フリーメーソン結社はこの大地が創出されるよりずっと前から、さまざまな太陽系をめぐって、存在していたのだろうか」「フリーメーソンとは、“現在、世界で信仰されているいずれの宗教より古い”教団となるのだろうか」

「国際連合の設立に動いたキリストの星、アプ星人とは」

「人は皆、記憶喪失の異星人だろうか」

「はるかに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊なのだろうか」「セドナ上空に見えないエーテルのシティが滞空するのだろうか」

「シリウス星人の故郷である天体イジュニュは、もっと高い周波数で共振する6次元の天体であり、地球の宇宙と同時に存在するパラレル・ユニバースに存在するのだろうか」

 

グーグルのブロガー(多言語翻訳)にも書いています→UFOパラレル・ワールド

 

  

 

 

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(10)

2023-10-25 12:00:19 | 森羅万象

 

『未知の事典』 

(コリン・ウィルソン)  (平河出版社) 1991/11

 

 

 

<「平行世界」(パラレル・ワールド)>

・「平行地球」が存在するかもしれないという証拠がかなりある。たとえば、UFOや人間出現現象などの現象を説明するために「平行地球説」が持ち出されてきたし、特異な現実らしさか、真に迫った夢、これまでにも全く知らなかった情報を教えてくれる夢なども、当人の心が何らかの、平行世界に入り込んだ結果なのかもしれない。夢の場合、証拠はよくてもせいぜい主観的なものでしかないのだが。

 

<(人間出現現象)>

・世界各国の神話、伝説、民話には不気味な「出現」の話が、よりどりみどり、たくさん含まれている。9世紀には、リヨンの大司教アゴバールが、マゴニアという国から「雲の船」に乗ってきた人たちがいるという農民の信仰について書いている。アゴバールは、そのマゴニア人たちに誘拐されたと主張する4人の人たちとかかわりあいになったが、4人の話を信ぜず、当然のことだが、マゴニアというのは、異教の象徴だと結論した。

 

<「UFO」>

・「接触したと称する人たち(コンタクティー、チャネラー)の多くは、宇宙人の声を頭の中で聞いたといっており、ジョージ・ハント・ウィリアムソンの『獅子の秘密の場所』には、宇宙人が自動書記でウィリアムソンに接触し、自分たちは1800万年前に地球に到来し、2万4000年前に大ピラミッドを建て、その地下室に宇宙船が隠されているとウィリアムソンに伝えたという」。

 

・「UFO目撃談は跡を絶たず、しかもその大半は自己宣伝をする必要のない普通の人たちの話なので、UFO現象は、純然たる妄想ではないという声が高まりつつある」

 

・「1969年英国空軍中将サー・ヴィクター・ゴダードはロンドンで講演し、UFOが平行世界から飛来している可能性があると述べた」。

 

 

 

『神々の帰還』

(エーリッヒ・フォン・デニケン)(廣済堂出版)1999/5/1

 

 

 

 スターウォーズ勃発

 <地球を周回する大城砦>

・古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の一部「ヴァナパルヴァン」では、神々の住まいは、宇宙城砦と呼ばれ、地球のはるか上空を周回した。また、「サバ・パルヴァ」にも同様の記載がある。これらの巨大な宇宙城砦は<ヴァイハヤス><ガカナチャラ><ケチャ>と言った名を持っている。いずれも連絡船ヴィマーナが巨大な門から悠々と着陸できるほどの規模だった。

 

古代インドの伝承文学の「マハーバーラタ」の「ドローナ・パルヴァ」には、地球を周回する素晴らしい三つの大城砦都市のことが出ている。これらの宇宙城砦は地球上ばかりか、神々の間にも騒ぎを引き起こし、これがきっかけとなってスター・ウォ-ズが勃発した。

 

 <古代の超科学>

・とりわけジャイナ教では、複雑極まりのないカルマの教えが微細に渡って述べられている。ジャイナ教は、ヒンズー教や仏教と並んでインドが生み出した三大宗教の一つだ。

 

・ジャイナ教は仏教よりも数百年早くインドに起こり、5世紀までにはインド亜大陸全土に広まった。しかし、ジャイナ教徒たちによると、この宗教が創設されたのは何千年も昔のことだという。

 

・ジャイナ教の経典は、聖書と同じやり方でまとめられ、シヴェターンバラ(白衣派経典)という名称で一括して呼ばれている。

 

 

 

『神々の帰還』

(エーリッヒ・フォン・デニケン)(廣済堂出版)1999/5/1

 

 

 

 <信じられない年代の数字>

・ジャイナ教の伝承の多くは、現代科学の観点から見ても、実に革命的である。時間の概念カーラは、アルベルト・アイン・シュタインの理論体系さながらの役割を演じる。

 時間の最小単位はサマヤ(時間点)で、これは一個の原子が自分の長さだけゆっくり移動するのにかかる時間で、無数のサマヤが集まって、初めてーアヴァリラになる。167万7216アヴァリラで、ようやく計量可能なームフルタになる。これは48分に相当する。三十ムフルタで一アホラトラになる。これはちょうど我々の一昼夜24時間に相当する!

 

 <カルパという空飛ぶ宮殿>

ジャイナ教の宗教哲学者たちは、さまざまな世界の住人たちが見せるさまざまな特徴までも描く、天界にも(カルパ)という名前がつけられている。そこには素晴らしい空飛ぶ宮殿がある。これは可動式の建造物で、「都市全体が空飛ぶ宮殿」になっていることが多いらしい。天界の諸都市は、階層構造になっていて、各階の中央部からはヴィマーナ(空飛ぶ乗物)が四方八方に発進できる。

 

<●●インターネット情報から●●>2016/8/23

 

<米軍兵士、アフガニスタンで4メートルの巨人を射殺 >

元米軍兵士が、アフガニスタンの洞窟で、身長4メートルの巨人を射殺したと証言している。L.A.マルズーリ氏が制作したドキュメンタリー番組で明かした。

 

「ミスターK」と名乗る元米軍兵士は2002年、カンダハールでの偵察行動中に、砂漠地帯で洞窟を発見。洞窟内を調査中に4メートルの巨人に遭遇したという。

 

ミスターK氏によると、巨人は赤毛で、指が6本あったという。米軍偵察部隊は巨人に発砲。約30秒間の銃撃により巨人は死亡したが、戦闘中に巨人の槍が貫通した兵士1名が犠牲になった。巨人の死体は救助要請で現場に到着したヘリコプターによって回収され、その後どうなったかは不明という。

 

「死体からは強烈なスカンク臭のような悪臭がした」とミスターK氏は証言している。洞窟の入口には無数の骨が散乱していた。巨人の存在は地元民には以前から知られており、人間を取って食べると恐れられていた。

 

 

 

 ■■■ 私が思うこと、聞いたこと、考えること ■■■

 

(2023/10/25)

 

 

 

・幽霊はそんなに「特殊な話題」ではないようです。街中ではタクシー運転手の「幽霊話」との遭遇はよくあるようです。東日本大震災でも、その後「幽霊話」の本が数冊でました。一時に多くの人が死んだ地域には「幽霊」が出るといいます。自分自身が体験すると衝撃的です。

昔から「幽霊話」は伝承として多くの記録にあるようです。幽霊の出現メカニズムはよくわかりません。が、誰も「幽霊はいない」と否定する人はいないようです。幽霊の存在を認めない人は少数説に立つ人でしょう。世界中に昔から「幽霊話」はありますので、集めると膨大な数になるでしょう。また昔から幽霊についての人々の強い関心から幽霊に関する「詐欺」もあったようです。

アマゾンでも「すべてのカテゴリー」ですと「幽霊」は5万件以上、「和書」だと1万冊以上、「洋書」だと5万冊以上にもなります。多くの著者がおり、多くの読者を集めているということでしょう。幽霊の小説や研究書も多いようです。

すなわち「幽霊話」は地域的にも個人的にも、わりと集めやすいということでしょう。しかしながら、「幽霊話」が怖いのは、殺人事件や大きな事故で「恨みを持つ幽霊」が出てくるということでしょう。幽霊話が世界で最も多いのがイギリスで、「ゴースト・ツアー」もあるようです。アメリカでも「ゴーストハンター」とか幽霊にまつわる関係者も多く、多くの映画になったりして、一般社会に組み込まれた普通の現象で「幽霊話」はある意味で人気のある話題のようです。

 

・「地縛霊(ぢばくれい)とは、自分が死んだことを受け入れられなかったり、自分が死んだことを理解できなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから離れずにいるとされる霊のこと。 あるいは、その土地に特別な理由を有して宿っているとされる死霊」といいます。それで地縛霊に遭遇することが多いのかもしれません。ある意味で身近な異次元現象なのかもしれません。

 

・ウィキペディアWikipediaでは、

「<地縛霊> スピリチュアリズムでは次のように説明する。戦争・事故・災害などで突発的に死んだ人は、なかなか自分が死んだことを受け入れることができない。また恨みや憎しみの感情を持って死んだ者も、そうした悪感情が災いし、いつまでも自分の死を受け入れることができない。また、自殺者も、自分は死んだつもりでいたのに実際には死んでいないことに気付き何度も自殺をしようとする、という。こうした霊たちは「死の自覚」を持てるまで、何カ月、何年、何百年と時間を要し、それまでのあいだずっと地縛霊として地上近くにとどまることになる、という」と記載されています。

 

人間の死後の幽界では自分が死んだという自覚のない人々がいるといわれます。幽霊現象や心霊現象・憑依現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。そして近年「幽界(精霊界)が縮小されつつある」という見解がありますが、今の段階では少数説のようです。誰にでも宇宙人は背後霊や守護霊として憑依していると語られています。つまり偉人にも普通の人にも犯罪者にも、誰にでも憑依できるそうです。

 

本書では「ドッペルゲンガー(ドイツ語で「二重に歩く者」)は生きている人々の幽霊のような分身だ。こうした分身の行動だとされているものは、不気味なものから平凡なものまで多岐にわたる」と記載されています。ドッペルゲンガーも悪魔(宇宙人)等が創造する異次元の「ダブル(複体・複製)」なのかもしれません。異次元世界には自分と同じダブルが4人いるといわれます。「エーテル体というのが肉体と同じ形状を しているということのようで、エーテルダブルや、 ダブル(複体)と呼ばれることもある」という話もあるようです。

 

ゴーストハンターのエド・ウォーレンは、ビッグフットのようなUMA(未確認動物)は、実は霊能者が作り出したタルパなのかもしれないと推測している」と記載されています。

UFO話では、「現代においてもビッグフットやサスカッチのような「獣人」を「空飛ぶ円盤」からオリオンETグループが降ろしている」といわれています。アメリカ先住民たちの伝説の中にはシャスタ山の山頂にすむビッグフットやサスクワッチと呼ばれている存在の話があります。

 異次元移動をするようで、なかなか実物を捕獲できないようです。またビッグフットの射殺禁止をしている州もあるようです。

 

「<亡霊> 本質の分離が完了すると、その人のアストラル生活は終る。そして、前に言ったように、メンタル界に移行する。しかし、死ぬ時、物質界に肉体を残すように、アストラル界で死ぬ時は崩壊しつつあるアストラル体を残して行くのである。

 亡霊の生命の長さは、それを活気づけている低級マインドの量によって様々であるが、これはいつも消え去って行く過程にあるので、亡霊の知性は、或る種の動物的な抜け目のなさはあるかもしれないが、着実に消えて行くものである」とさまざまな説が神智学ではあるようです。

 

・「<現象> 幽霊は、今、述べたことの好例である。厳密な意味ではないが、幽霊という言葉は普通アストラル界の殆どの住者に対して使われている。心霊的に進歩した人達は絶えずこのようなものを見ているが、普通の人が、普通の表現での「幽霊を見る」場合には次の2つの事のうちの1つが起こっているに違いない。つまり、幽霊が物質化したか、幽霊を見たという人が一時的なサイキック知覚の閃きを得たかの何れかである。もし、これらのことはいずれもありふれたことではないという事実がなかったら、我々は生きている人に会うと同じように、町で度々、幽霊に会うことだろう」という話もあるようです。

 

 

 

(2018/4/3)

 

・幽霊の話は世界中に膨大に存在するようです。特に欧米に多いのは、幽霊というトピックスが昔から書籍として取り上げられていたからでしょう。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。幽霊は、人間の死後の世界の「幽界」や「霊界」に存在しているようなのですが、気味悪く地上の人間に見られるのは、不幸な死に方をした地縛霊が多いからのようです。現代的な言い方をすれば「パラレル・ワールド」にいるのかもしれません。イギリスは特に「幽霊大国」といわれるほど幽霊話が多く、幽霊が出る場所は、「観光地化している」といわれます。

 

・パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だといわれます。人間が死後世界の幽界や霊界で出会う天使たちは、シリウス星人系列のようです。「はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物であると語られています。シリウスの意識たちは、3次元にいる人間の目に見えるように、時々、自らの波動を変えて出現することがあったそうです。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。米国には、シリウス星人がウォーク・イン(憑依・人格転換)やワンダラー(転生)の形態で飛来しており、その数は、非常に多いといわれます。シリウスのレベルは、もうすでに非物質のレベルですだと語られています。幽霊現象を研究する現代の科学者もいるようですが、ほとんど幽霊現象は、分析できないようです。

 

Amazonの「洋書」に「ghost」といれますと100万以上の書籍が分かります。量が多くて私たち一般人は、当然、全部を把握できません。幽霊というジャンルは、比較的人気があり、作家としても作りやすい分野のようです。ナンフィクションにしろフィクションにしろ「幽霊の本」は量が膨大で出版社も大変のようです。驚くことに東日本大震災の被災地で「幽霊話」が非常に多く出ているそうです。最近のものでは「Ghosts of the Tsunami: Death and Life in Japan’s Disaster Zone2017/8/31 Richard Lloyd Parry という本があります。

 

・果たして幽霊は異次元の存在なのかどうか不思議な話が多いようです。昔のアストラル界の本をみると『アストラル界』(C・W・リードビーター、神智学協会ニッポンロッヂ 昭和59年5月)。住者として「人間」「生きている者」(①アデプトとその弟子達、②サイキック的に進歩している人、③普通の人、④黒魔術師とその弟子)

 

「死者」(①ニルマナカカーヤ、②輪廻を待つ弟子、③死後の一般人、④亡霊、⑤魂殻、⑥活気づけられた魂殻、⑦自殺者及び不慮の死の犠牲者、⑧吸血鬼と狼人間、⑨灰色の世界の人間、⑩黒魔術師とその弟子)

 

「人間でないもの」(①我々の進化に属しているエレメンタル・エッセンス、②動物のアストラル体、③凡ゆる種類の自然霊、④デヴァ――カマデヴァ――ルーパデヴァ――アルーパデヴァ――デヴァラヂャ)

 

「人工的なもの」(①無意識につくられた四大霊――守護の天使――②意識的につくられたエレメンタル――③人的人工霊)が載っています。アストラル界の住人の種類も多いようです。また「アストラル界はとても巨大です。ここに存在する全ての世界からおよそ600億人の人間タイプの生物が集まっている」といわれます。

アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信する」といわれます。

 

 ・amazonに「英国 幽霊」といれますと、次のような本がわかります。『英国幽霊案内』、『イギリスに伝わる怖い話』、『幽霊のいる英国史』、『イギリス不思議な幽霊屋敷』、『ゴーストを訪ねるロンドンの旅』等の17件の書籍です。幽霊話は世界中にありますが、特にイギリスの幽霊というのは、イギリス国民の関心事でもあるようです。英国というと幽霊話が出てくるということで、繋がりが非常に強いようです。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。

 

 ・ちなみにハリー・ポッターシリーズの書籍や映画は世界中で大ヒットしました。ハリー・ポッターシリーズはファンタジー小説ですが、映画ではロンドンなどのパラレル・ユニバース(並行宇宙)を描いた設定でした。ハリー・ポッターが異次元に突入していく場面は多くありました。「1990年代のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターの学校生活や、ハリーの両親を殺害した張本人でもある強大な闇の魔法使いヴォルデモートとの、因縁と戦いを描いた物語」とのことですが、世界中の大衆ファンをつかんだようです。世界で合計4億部の大ベストセラーとなりました。映画も大ヒットしましたが、どれくらい映画会社が儲けたのでしょうか。ハリー・ポッターシリーズの背景には英国の幽霊物語や幽霊現象の謎があったのかもしれません。

 

 ・幽霊は人間の死後の世界の幽界や霊界の現象といわれます。異星人が存在するアストラル界やエーテル界と幽霊現象が関係しているようです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)から幽霊が我々の目に映るようです。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は「幽界」のように「この世」に似ている世界ですが非常に大きく違うアストラル界のような世界のようです。パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だともいわれます。パラレル・ユニバース(並行宇宙)は、目に見えないが、この世のすぐ隣にあるといわれます。人間は死後に、天使のような宇宙人に出あうようです。人間の死後の世界、幽界や霊界、宇宙人のアストラル界やエーテル界も似ている世界といわれます。「アストラル界にもアストラルの惑星がたくさんあり、アストラル界またはアストラル次元と呼ばれる世界を構成している」ともいわれます。人々がアストラル界で過ごす期間は、数週間から何百年にもわたるそうです。

 

 ・私たちがいるこの世は、縦、横、高さのある3次元と言われます。あの世が3次元に時間の要素も加わる4次元以上であると従来はいわれてきたようです。しかし、最近では「この世も3次元以上の高次元を含んでおり、9次元も含んでいる可能性がある」という新説がでてきたそうです。これですと幽霊現象のような「あの世」の異次元の現象を「この世」で普通の人々が体験できる理由の説明ができるようです。

 

 ・誰でもデジカメや携帯電話のカメラやビデオカメラを持つ時代ですので、心霊写真や幽霊の動画も豊富にとられるようになりました。もちろん、UFOやUMA(未確認動物)などの奇妙で不思議な写真や動画もインターネットやYou Tubeなどで溢れています。幽霊写真や動画にも偽物があふれていますが、高校生などの若い人々の非常に関心の高いテーマです。テレビでも時々、心霊現象やUFO現象の特番があるようです。近年では撮影などの特殊技術やコンピュータ・グラフィックスの技術の進歩で、特殊加工が容易で、真偽のほどが分からないものが増えているようです。インチキも巧妙になり識別ができなくなりました。

 

 ・自殺者の社会問題もいろいろと対策がとられているようですが、根絶はできません。交通事故を根絶できないのと同じのようです。増えている自殺の原因も私たち一般人には、理解不能なことが多いようです。「地縛霊とは、自分が死んだことを受け入れられなかったり、自分が死んだことを理解できなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから 離れずにいるとされる霊のこと。あるいは、その土地に特別な理由を有して宿っているとされる」とのこと。幽界には自分が死んだことを認識しない霊も少なくないそうです。幽霊に出会うと驚愕して恐ろしくなり、その正体を見極めようとする気持ちもなくなるようです。

 

 ・鉄道関係者は、自殺者や事故の死体を取り扱うことが多く、死体処理が初めての者にとっては、相当ショックのようです。鉄道の事故現場では地縛霊が多くでるという話です。大病院でもよく患者が死ぬようなところは、幽霊話が多いようです。人が死んであの世に行くまでに、この世の関係者に霊体や幽体が目撃されることもあるようです。幽霊現象や心霊現象は、宇宙人の異次元現象に似ています。「あのグレイも壁を透き通るようにして部屋に侵入してくる」そうです。宇宙人は異次元のあの世とこの世を自由に往来できるようです。アストラルプロジェクションが自由にできるようです。幽霊現象や心霊現象も「宇宙人現象」と理解すればかなり分かるようです。やはり目に見えない「霊界」や「幽界」と繋がっているようです。

 

 ・現代では幽霊現象も普通の学者の研究対象になりつつあるようです。幽霊はある意味で異次元現象なのですが、宇宙人の現象と似ているところもあるようです。異星人は、人間の死後の世界である幽界や霊界と似た異次元のアストラル界、エーテル界にある都市に壮大な文明を作っているといわれます。異次元に神々の都市があるそうですが、日本を管理する超高層ビルでもあるのでしょうか。幽霊も異次元の幽界や霊界から出てくるようです。普通の人でも夢の中で自分の家族の幽霊を見たり、この世で幽霊を見たりすることは多いようです。「2・26事件の青年将校の亡霊」といいましょうか、青年将校の亡霊が、天才作家、三島由紀夫に憑依して自衛隊での割腹自殺事件を引き起こしたという説もあるそうです。その事件の詳細はウィキペディアWikipedia(フリー百科事典)の「2・26事件と“英霊の声”」にも載っています。

 

 ・ノーベル文学賞の候補でもあり、海外のファンも多かった著名な作家の割腹自殺は多くの悪影響(クレイジーな印象)を外国人に与えたそうです。Amazonに「三島事件」とインプットしますと171件の書籍が分かります。死後の三島からのチャネリングを本にしたものもあったようです。私たち一般人は、文学者ではないので三島由紀夫については詳しくはありませんが研究者も多く「知る人ぞ知る世界」のようです。ちなみに、amazonに「三島由紀夫」と入れますと1517件の本が分かりますが、影響力の大きい天才作家だったようです。

 

 ・“心霊写真”の話も多く、幽界や霊界は遠く離れた異次元の世界ではなさそうです。もちろん、UFO写真と同じくニセモノも多いようですが。現代では動画の時代ですので“幽霊の動画”が急増しているようです。人間の死後世界の“幽界”はこの世とのパラレル・ワールドといわれますし、“霊界”は地上1メートルのところにあるともいわれます。それで、世界中の人間は頻繁に幽霊を見るようです。マスター(大師)やアセンディッド・マスターとのコンタクティやチャネラーがいるので、驚きです。そのような存在が異次元で活動しているとは誰も分かりません。

 

 ・「幽霊」の研究は、まともな学者がするものではないというタブーが近年、変化してきているそうです。「幽霊」を題材にしたりする作家や映画も多く、増えており、見世物の「幽霊屋敷」は消えつつあるようですが、「幽霊」話は依然多いようです。ドッペルゲンガーも不思議な現象です。「ドッペルゲンガーを見た者は、まもなく死ぬ」という不気味な与太話もあったそうです。ゲーテも自身のドッペルゲンガーを見たと言われています。ドッペルゲンガーとは、「特に本人にのみ見える自分の生霊」と定義されます。

 

 ・米国の未来透視家のジョー・マクモニーグルが見たという、バハマでのフットボール球場の三つ分はありそうな大きな円形の物体UFOは、『悪魔の船』だったのでしょうか。それとも"神々"でも搭乗していたのでしょうか。「巨大な空飛ぶ円盤」はたびたび話題になったようです。ジョー・マクモニーグルは超能力で知られていますが、どのようにして超能力がついたのかは分かりません。巨大な空飛ぶ円盤の母船に遭遇したことが、何らかのきっかけだったのかもしれません。宇宙人とコンタクトするだけでもテレパシー等の超能力がつくともいわれます。テレコン(テレパシー・コンタクト)ができるほど見えない宇宙人は想像を絶する進化をしているようです。

 

 ・「幽霊ハンス」というアルデバラン星人や「ゲルマンの神」と遭遇しただけでもマクモニーグル自身に超能力がついたのかもしれません。アルデバラン星人はアーリア人の「超人」であり、ゲルマンの神々だったようです。アルデバラン星人は「幽霊」のように現れたり消えたりするようです。シュメール文明を打ち立てたのが金髪碧眼のアルデバラン星人といわれ、牡牛座のアルデバランが故郷の惑星のようです。地球から68光年の距離にある牡牛座のアルデバラン太陽系の二つの惑星からなる“スメーラン帝国”はどのような国だったのでしょうか。ナチスは金髪碧眼のアルデバラン星人と交信していたともいわれています。ヒトラーも金髪碧眼のアルデバラン星人のコンタクティだったそうです。

 

 「幽霊ハンス」のようなアストラル界の住人が人間の姿を装い地上の人間とコンタクトする幽霊の話は、日本でも昔から多いようです。通常では見えないアストラル界の住人を幽霊として、変性意識状態で知覚するようです。私たちは、「目に見えない世界」に取り囲まれているようです。あの世が「実相」でこの世が、その反映された世界といわれますので、驚きです。「あの世」の動きが時間を経て「この世」に起こってくるともいわれます。「あの世」も私たち一般人には、訳の分からない奇説だそうです。

 

 ・空飛ぶ円盤や異星人とのコンタクトを通じて超能力がつく場合があるそうです。異星人そのものが超能力を持っている場合が多いそうです。空飛ぶ円盤や宇宙人の時代から「見えない神々や天使の時代」に移りつつあるようです。「異星人はとうに地球を訪れていて、地球人社会にまぎれ混み、密かに地球と我々の文明を監視調査し社会生活をしている」ともいわれます。「宇宙人と普通の人間が区別できなくなっている」そうです。

 

 ・また「遥かに進化した高次元の高等知性体・異星人は、人間の肉体や精神体に憑依するので誰も識別できない」そうですし、「遥かに進化した天使のような宇宙人は、人間の守護霊や背後霊になっている」ともいわれます。見えない世界の話で私たち一般人は、理解不能のようです。「神々も市井の人となり普通の生活をしている」ので誰も分からないようです。はるかに進化した宇宙人が人間の精神体に侵入してくる時代だ」そうです。また「宇宙人と普通の人間を区別できなくなっている」時代だそうです。

 

 ・「ドイツ語は悪魔の言葉」だそうですが、悪魔だったら幽霊としてでもでるのでしょうか。霊能力者は、通常、人が見ることのできない幽霊も見れるでしょうが、『幽霊のハンス』は、当時の米軍部隊内でも有名だったそうです。ゲルマンの神は、シュメール文明を作った、アヌンナキの系列の神のようです。「シリウスのテクノロジーは、アヌンナキによって地球にもたらされた」そうです。「エイリアン・テクノロジー・リバース・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」では、宇宙人の言語を学んでいるのでしょうか。最先端の科学者でも「エイリアン・エンジニアリング(宇宙人科学技術工学)」は理解不能のようです。米国とコンタクトのあるという白鳥座61番星の宇宙人は、どのような進化の段階なのでしょうか。米国が秘密協定を結んだのはラージノーズグレイというオリオン星人といわれています。オリオン星人は人類に5万年進化しているといわれ、「人間の魂の交換」ができるようです。「米国政府がリゲル人に騙されたことに気付いた後、プレアデス人が招聘されたが、過去ヒトラーの人類浄化政策を画策し仏教を堕落させた」という驚愕すべき情報もあるようです。

 

 ・アストラル界の存在で幽霊としてか見えないような存在が人間の姿を装い、地上にワンダラー(転生)やウォークイン(憑依)やその他の形態で出てくることは「アバブ・トップシークレット」のようです。人間の背後霊や守護霊も宇宙人が憑依したものかもしれません。「不思議なゲイの現象は、異次元の宇宙人の人格転換である」ともいわれています。

 

 『幽霊のハンス』は、ヒトラー・ナチスが崇拝したという金髪碧眼の『アーリアの超人』たちとは関係があるようです。金髪碧眼のアルデバランの異星人かゲルマンの神々だったのかもしれません。幽霊のような形態であの世とこの世を往復できるようなのです。幽霊と交信して幽霊の正体を正確につかんだという話はあまりないそうです。死んだ人々からのチャネリングを受けたという話は世界的にも多いようです。異次元視力が発達した人か意識の変性状態でないと幽霊は見えないのかもしれません。が、普通の人でも幽霊との遭遇話は世界的に多いようです。

 

 ・天国に自由に出入りして、人間の転生や人間への憑依を自由に操作できるシリウス星人は、『心霊攻撃ができる』といわれています。思念で人間を創った(?)というシリウス星人だけが『魂のメカニズム』を知悉しているのでしょうか。

 

 ・魂のメカニズムは誰も分かりません。遺伝子にすべてが組み込まれているともいわれています。『心霊攻撃』ができるシリウス星人に対抗できる異星人は少ないでしょう。「透明人」とシリウスA星人が創造し、りゅう座(ドラコ)に配置した爬虫類人ともいわれ、「龍神」の系列のようです。

 

 ・「死後、シリウス星人の宇宙船に乗る」という話は、外国の話でも少なくないようです。シリウス星人は高次元に存在する天使のような、神々に近い高等知性体なのでしょうか。「シリウス人は、別の非物質的存在の集団であるオハル評議会の創造物である」ともいわれ、「龍神」の上に「牛神」がいるそうです。「透明人」についてもよくわかりません。太古、地球には「龍神」と「牛神」の2種類の神が来て、人間を創ったそうです。旧約聖書の神が「龍神」で、新約聖書の神が「牛神」といわれます。牛神がテクノロジーで龍神を圧倒し「低層4次元」に追い払ったともいわれています。

 

 ・死後の三島由紀夫がチャネラー(霊的交流者)に霊界通信の形で、テレパシーで送ってきたそうです。「シリウスの宇宙船に乗った三島由紀夫」のその後とは、どうなっているのでしょうか。

 

 ・ちなみに、死後の三島由紀夫の霊界通信によれば、「自殺者は親に会えず、地獄に落ちてろくな目にはあわない」そうです。日本でも毎年3万人を超える自殺者がでています。しかし、いろいろと行政でも対策の手を打っているようですが、なかなか自殺者は減らず「末法の世」なのかもしれません。人が死ぬと遺体の周りに目に見えない世界の天使や堕天使の魔族が集まって来るともいわれます。

 

 ・死後、誰でも天使的な宇宙人のシリウス星人に会うことができるようです。「パラレル・ワールドに住む宇宙人、天国に出入りし転生と憑依を自由に操るシリウス星人の植民星が地球だ」そうです。そして、地球はシリウスの植民星であり、「ネガティブ・グループのシリウス星人の地球支配があまりにも巧妙なので、しょっちゅう戦争が起こる」ともいわれています。

 

 ・幽霊現象も学者の研究対象になりつつあるようです。幽霊はある意味で異次元現象なのですが、宇宙人の現象と似ているところもあるようです。異星人は、人間の死後の世界である幽界や霊界と似た異次元のアストラル界、エーテル界にある都市に壮大な文明を作っているといわれます。「金髪碧眼のマスター・レイス(支配人種)が火星より地球へとやって来て、古代伝説の神々(gods)となった」ようです。現在では、金星と火星の異次元(アストラル界)には、壮大な都市文明が存在しているそうです。「中世の我が国民に大きな影響を及ぼした勝道、空海、親鸞、日蓮らの御聖人方が、金星人、すなわち明星天子と会っている」という話もあるようです。「中世の我が国民に大きな影響を及ぼした勝道、空海、親鸞、日蓮らの御聖人方が、金星人、すなわち明星天子と会っている」という話もあるそうです。幽霊も異次元の幽界や霊界から出てくるようです。普通の人でも夢の中で自分の家族の幽霊を見たり、この世で幽霊を見たりすることは多いようです。幽霊話は世界中に豊富に存在するようです。「霊界ははるか遠いところにあるのではなく地上1メートルのところにある」という原因があるのかもしれません。

 

 ・心霊写真の話も多く、幽界や霊界は遠く離れた異次元の世界ではなさそうです。幽界はこの世とのパラレル・ワールドといわれますし、霊界は地上1メートルのところにあるともいわれます。それで、世界中の人間は頻繁に幽霊を見るようです。マスター(大師)やアセンディッド・マスターとのコンタクティやチャネラーがいるので、驚嘆します。そのような存在が異次元で活動しているとは誰も知りません。「この世」から「あの世」は、認識できませんが、逆では、容易に分かるようです。「世界は神々の描くシナリオ通りに動く」ともいわれています。

 

・ミディアム(霊媒)により、霊界の実在が実感できるし、ミディアム(霊媒)体質の人も多くいると主張されています。もちろん、日本にもいるといわれます。臨死体験を通じてミディアムの能力が目覚めたりするようです。英国には、スピリチュアリスト教会が多くあり、ミディアムが活躍しているといわれます。

 

・霊界と高次元の異星人、天使を結ぶものは何なのでしょうか。「天国」は、夏晴れの巨大な高層ビルが林立するシティなのでしょうか。霊界のあるエーテル界やアストラル界と、進化した異星人の住むエーテル界やアストラル界は、似ているといわれています。同じような相似の性質を持っているようです。

 

・霊界は時間や空間を越えているので、タイムトラベル的な現象が起こるようです。サマーランド(常夏の地)とは、雨や雪が降らないということでしょうか。

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(9)

2023-10-25 11:59:00 | UFO

 

<ひもじさと孤独に泣きながら……>

・霊能が向上するそんな素晴らしい日々のなかにも不安はありました。それはやはり経済面や現世においての立場でした。

 成人になってからも定職がなく、今で言うフリーターの傍ら、滝行と心霊研究という、なかなか人には理解されないことをやっているのです。

 他人から見れば、ずいぶん自堕落な生活に見えたのでしょう。よく周囲の人たちから注意を受けました。かつての私の友人、同級生などのなかにも、私の生き方を批判し、見下し、哀れむものも現われました。

「親もなく、独りぼっちで暮らしているから、あんな人間になったのさ」

「あんなのを常識馬鹿の成れの果てというんだ」

 背中を向けて去って行く友人、知人も一人や二人ではありませんでした。

 

・その言葉を信じて、霊能者としての相談を始めた途端、私はとんでもないことになったと気がつきました。その男は定職を持たない人で、私を商品として一攫千金を狙っていたのでした。

 確かに部屋は提供していただいたものの、お金は一銭も頂けません。そのうちに預金も底を尽き、地獄のような日々が続きました。

 

・守護霊というものを理解していない人たちはよく、「なぜ霊能者なのに守護霊が助けてくれなかったのでしょうか?」と私に尋ねます。

 しかし、守護霊は魔法使いではありません。私たちの願いをいつも聞いてくれるわけではないのです。いわば、私たちの教育係なのです。

 

・この方も私の背後にいる昌清霊のことを教えてくださいました。

「あなたの背後には立派な僧侶がいらっしゃる。この方が、あなたを導いている。あなたの今後の指導も計画しておられるね」

 

<「この世の神」に教えられる>

・私は以前に、神職の最低の資格は取得しておりましたので、スムーズにことが進みました。とはいえその当時、私にはまったく預金がありませんでした。

 

・ここで私は一日三役をする決心をしました。昼、神社の神主。夜、大学生。深夜、心霊相談の霊能者。この生活を2年間続けたのです。しかし、睡眠時間もろくにとれないような、こんな生活が長く続けられるわけがありません。よくダウンして宮司にもお叱りを受けました。

 

・現在、日本の心霊レベルは、欧米諸国に比べると50年は遅れていると言われております。私はそれを確かめるために、また研究と学習のために、毎年スピリチュアリズム(心霊主義思想)発祥の国、イギリスに行っております。

 イギリスの霊能者たちは、まさに技術者として確固たる地位を築きつつあります。特にヒーリングについてはその認知度は高く、イギリス全土の約1500病院によってヒーラーは受け入れられており、いつでも希望すればヒーリングを受けることができます。

 また、職業的ヒーラーも約9000人いると言われています。この国には心霊に関する団体、組合のほか、心霊学校まであり、心霊王国ともいえるアカデミックな研究がされています。

 イギリスでは、日本のように現世利益の色濃い心霊相談などあまりなく、霊能者は死後の世界を証明するデモンストレーターの役割が強いのです。

 こと心霊に関する限り、日本は困ります。霊能者についても霊界の道具ではなく神だと思っている方も多いのです。そして、一宗一派にこだわり、我欲の限りをつくしている人がいかに多いか。

 

・特に死の恐怖、死別の悲しみ、人生に不幸を感じるという人間最大の三つの苦から救われることはありません。

 

・人間は魂の価値観を持たなければ、物質主義的価値観・利己主義、すなわち不幸の生活原理しか出てこないのです。

 

<心霊は、非科学ではなく、未科学なのだ>

<人はみな「落ちこぼれ天使」>

<本当の「神」の姿>

・自然霊とは、この世に肉体を持ったことのない霊を言います。童話や伝承でおなじみのフェアリー(妖精)や天狗、龍神や稲荷なども、この自然霊に含まれます。

 これらは決して架空の存在ではなく、霊の世界には確かに存在しているのです。そして、霊能者である私は、このような自然霊を日常でもよく見かけます。また、当然のことですが、洋の東西を問わず存在しているのです。実は私たちのおおもとは、このような自然霊のなかから現れたというのが、心霊科学の常識となっています。

神や仏とは、このような自然霊のなかでも、最高位のエネルギーや霊格を持つものということです。

 

「生き神様」というものの正体は、多くの場合、低級霊の仕業です

・ですから、天照大神であろうと、観音であろうとゴッドであろうと、それは同一の神のエネルギー、最高の自然霊につけられた名前にほかならないのです。

 神と交信することは人々の夢でした。それゆえ神と通信できる、または神が降りるという霊能者もたくさんおります。

 しかし、私たち人間の力では神と通信することは不可能ですし、どんな霊能者であっても人間に神が降りることはありえません。

 まれに、高い波動を持つ霊が現れることもありますが、この場合でも神そのものが降りたわけではなく、代理程度の霊が現れたにすぎません。

 

<人はみな「落ちこぼれた天使」>

・魂は、永遠の霊性の進化を続ける旅人であります。人間世界を第一の修行の場として、肉体の死を通過した後、幽界、霊界、神界と進んでいきます。しかし、同時に、神もまた永遠の進化向上を目指す愛の光なのです。

 

・その意味では、私たちは実は無限の大我を目指す未熟な神でもあるのです。この世のすべての人々は神という神性を肉体で覆った神なのです。

 

人は誰もみな、おちこぼれた天使であり、神なのです

<守護霊の愛に見守られて>

<私たちと共に歩む守護霊>

・この守護霊(背後霊)を一つの霊だと思っている方が多いのですが、これは間違いです。簡単に説明しますと、その守護霊たちの中心となって働いている守護霊(ガーディアン・スピリット)、指導霊(ガイド・スピリット)、支配霊(コントロール・スピリット)、その他の補助霊(ヘルパー・スピリット)と大きく4つに分けられます。これらの霊を総称し、背後霊、守護霊と呼ぶわけです。あなたは、このような霊団と共に人生を送っているわけです。

 私は毎日、心霊相談に携わっているわけですが、この守護霊についても誤解が多く見られます。

 

<守護霊を構成する4つの霊>

○守護霊(ガーディアン・スピリット) 私たちの守護霊の中心的役割を果たしている霊魂です。統計的に見ると、4百年から7百年前に他界した先祖の霊魂がこの守護霊であることが多いようです。

 

○指導霊(ガイド・スピリット) 私たちの趣味や職業を指導している霊魂です。

 

○支配霊(コントロール・スピリット) 支配霊とは霊能者の心霊実験や交霊会で、霊界側のすべてを統括し、支配する高級霊であるといわれます。この支配霊は、私たちの十年程先もすべて見通すことができるようです。人生はすべて偶然や奇遇な出会いと思っている方も多いようですが、実はこの支配霊たちが私たちの人生と運命をコーディネイトしているのです。

 

○補助霊(ヘルパー・スピリット)私たちの守護霊、指導霊、支配霊のほかに、この三役の霊を手伝う補助霊という存在があります。

 

・私たちには、このような霊的な家族が存在するのです。この霊的家族を「グループ・ソウル(類魂)」と呼びます。

 

<英国心霊事情>

・よく言われることですが、どの国にもまして英国国民の霊に対する感情は非常にナチュラルで、その認識度も非常に高いものです。みなさんも英国に旅行したりすると、「霊の出るパブ」や「霊の出るホテル」、あるいは幽霊の出る名所めぐりツアーなどのあまりの多さにちょっとびっくりするかもしれません。

 しかも、結構大まじめに取り組んでいます。すでに社会を構成する一部分と言ってもいいかもしれません。英国は文字どおり、スピリチュアリズムの本場でもあるのです。

 それを証明しているのが、王室とスピリチュアリズムの密なつながりでしょう。

 

私が知る限り、この国の人の霊魂観はとても興味深いものです。キリスト教徒でありながら、霊魂の存在を認める人が非常に多いのです

 先程も述べましたが、ホテルやパブばかりでなく、国の名所であるハンプトンコートパレスやロンドン塔さえ、幽霊の出ることが売り物になっています。また、幽霊の出る場所を巡るゴーストツアーのようなものも、なかなかの人気で、私も参加してみましたが、ガイドの知識も豊富で驚かされました。専門用語が頻繁に使用され、聞くほうもそれをしっかり理解しているようでした。

 ですから、霊が出た話などは実に日常的で、誰に聞いても一つや二つは霊の出る場所は知っているし、霊現象を体験したという人もたくさんいます。

 

英国には浮遊霊、地縛霊が多い

・私たち霊能者がまず強く感じること、それは英国には日本と比べて格段に浮遊霊と地縛霊が多いということです。また、この国の霊は著しく実在感が強いのです。

 

 

 

『霊の探求』  (近代スピリチュアリズムと宗教学)

(津城寛文) (春秋社)    2005/10

 

 

 

<「霊の探求」>  

・近代スピリチュアリズムの最初にして最大の体系化はフランス人で英語の筆名を名乗るアラン・カルデックの「霊の書」によってなされた。その後のイギリスのステイントン・モーゼスの「霊訓」やジェラルディーン・カミンズの「不滅の道」などと並んで、スピリチュアリズム思想を代表するものとされるが、時代的にはカルデックがかなり早い。

 

・その後、社会的事件として、無視できない状況を受けて「ノーベル賞クラス」と強調される少なからぬ高名な学者たちを交えて、この現象の真偽や価値をめぐってスピリチュアリズムと神霊研究の違いは、前者が死後生存と「霊界通信」を前提とするのに対して、後者は、それらを(自然)科学的に説明、あるいは証明しようとしたところにある。したがって、心霊研究にかかわった人々の中には、スピリチュアリズムの前提となる現象に肯定的な人々と、それに否定的な人々が共存していた。

 

 

 

『前世あなたは誰だったのか』 

 (心を癒す)究極のヒーリング)

(平池来耶)(PHP文庫)   2005/9

 

 

 

<あなたの肉体は何重にもなっている>

・あなたの肉体も実は、スピリチュアルな存在です。前にも述べましたが、肉体だけでは、人間として存在できません。構成元素などの価値を計算すると、あなたは数百円程度の値段しかつかないのですから。

あなたは、まず肉体としてのボディを持っています。それはあなたにも自覚できます。見ることもできれば、触ることもできます。高さや冷たさなど、感覚としていつでも感じることができます。

 

・でも、その三次元の肉体に重なって、それよりはやや波動が細かな、エーテル体という体が存在します。これは、世に言う「気」の体です。三次元の肉体より波長が微細になります。

さらに、アストラル体(感情体)、メンタル体(精神体)、コーザル体(原因体)と、ボディの次元はたかまっていきます。ここまで、感じることができるようになれば、スピリチュアル・ワールドからのメッセージも受け取れるようになり、大いなる源へ帰っていく旅も、ずいぶん効率的になるのです。

 

 

 

『前世あなたは誰だったのか』  (心を癒す)究極のヒーリング)

(平池来耶)(PHP文庫)   2005/9

 

 

 

スピリチュアル・ワールドに本当のあなたがいる

・あなたが、今世」、生まれる前に中間世で達成しようと決めてきたことや、カルマのバランスをとるための大切なこと、それらを知る深いところにある自己・・・・それが魂意識(ハイアーセルフ)と超意識(スピリチュアルな世界を認識し、変性している意識)と呼ばれている意識。

 

・これらの意識は、あなたの一番の物知りの部分であるといえます。そして、この自己はあなたのことを何でも理解しているので、あなたにとってガイドのような役目を果たすのです。時には、洞察力と理解力を伴って、過去世の記憶に案内することもあります。あなたは、魂意識と超意識によって過去生で経験してきたすべてのことや感情を認識することができるでしょう。

 

 

 

『完全アセンション・マニュアル』 (上・下)

(ジョシュア・D・ストーン博士)

(ナチュラル・スピリット)2000/11/11

 

 

 

<地上に存在するエーテル体のアセンション(次元移動・昇天)したマスター>

 <アセンション(次元移動・昇天)>

・「まずヴァイワマスからの情報によれば、地上で肉体をもつアセンション(次元移動・昇天)したマスターは800人おり、うち約20~30%が女性の、約70%が男性の肉体を有しているという。さらにヴァイワマスは、地上に存在するエーテル体のアセンション(次元移動・昇天)したマスターに至っては、総勢1800人から2500人を数えると述べている。その多くは、アシュター司令部のメンバーである」

 

 ・「我々の銀河における異星人文明で、何累代も前から地球を訪れているものには、即座に思いつくだけでも、琴座星(リラ)系、ヴェガ星系、アルクトゥールス、シリウス、オリオン、プレアデス、そして言うまでもなくアシュター司令部がある。さらに将来には、異星人文明との自由な交流がごく日常になる」

 

 

 

『BASHAR 2006』 (バシャールが語る魂のブループリント)

(ダリル・アンカ)  (ヴォイス)   2006/2/17

 

 

 

<時間はイルージョン(幻想)>

・ すべては今同時に存在している。パラレル・ワールド(平行する現実)へ移行するということ。

 

・ 自分の周波数を変え、波動を変えるとき、皆さんは、以前にいた一つの世界から並行する現実、パラレル・ワールドに移行するのです。

 

・予測によって予測が外れる!?

 

・皆さんの時間で2015年には、この惑星のほとんどの人たちは、異星人、ETの存在に気づくでしょう。

 

・地球上の皆さんの一般的なエネルギーを見てみると、確かにエネルギーは、みなさんがETの存在に気づく方向に向かっています。

 

 <ETとのコンタクトーこれからの1000年>

・2005年頃~2010年頃/UFOの目撃が世界中あらゆるところで増える。

 

・2013年頃~/ETの存在に気づき情報が公開される。

 

・2015年までには、この地球上のほとんどの人が、ETが存在していることに気づくでしょう。

 

・ また、2015年くらいから、徐々に既に何年も前から知られていた、ETの情報が、ある政府によって公開されるでしょう。

 

・2020年頃~2030年頃/ほかの惑星・衛星で生物発見。とてもシンプルな形態の生物が存在することが発見されるでしょう。

 

・2030年頃/個人的なコンタクトが増える。

 

・2030年頃~2037年頃/グループのコンタクトが起こる。

 

・2037年頃~2040年頃/オープン・コンタクトが起こる。外交関係・宇宙連合に参加。

 

・そのような時代になると、私達は、地球をいわゆる宇宙連合の新たなメンバーとして迎えることになります。

 

・2040年頃~2050年頃/他文明との交流方法を学ぶ。後進文明を助けるトレーニング開始。

 

・ 2050年以降/地球上にパワフルな調和が続く。

 

・その調和は、その後、何百年も長い間続いていきましょう。

 

・3000年頃になると、人間はもはや人間の形をとって地球に生まれてくる必要がなくなるでしょう。これは何も人類の文明が絶滅するということではありません。

 

・地球の波動の中で、新しい生命体の形をとり、旅を続けます。

 

・また、その頃には、皆さんのスピリット魂は、もし望めば宇宙のほかのもっと進んだ文明に生まれる人もあるでしょう。

 

・しかし、みなさんの中には、あえて地球にとどまり、新しく生まれてくる生命体が進化するのを助けるスピリット・ガイドの役割を担うことを選択する人々もいるかもしれません。いずれにせよ、非常に喜びに満ちた楽しい状態に移っていきます。

 

 

 

『プレアデス・ミッション』 

(ランドルフ・ウィンターズ) (たま出版)  1997/12

 

 

 

<「パラレルワールド(平行世界)に住む」>

・プレアデス星人の祖先である古代リラ人の兵士たちがアザエルに率いられ、住むべき星を求めてさまよったとき、ちょっとした間違いが生じた。彼らの艦隊が一秒分、通常の時間の枠の外に出てしまい、地球の時間の刻みとは別次元のプレアデスに着陸してしまったのだ。そのため、地球の夜空に見える星プレアデスへといざ私たちが向かい、行き着いたところで、プレアデスには何も住んでいない。代わりに、青い太陽が空高く輝いている不毛の地があるばかりのはずだ。

 

・プレアデス星人は、私たちのいる世界よりも1秒ずれた、地球の時間の枠外に生きているのだ。だから彼らが地球にやって来るときには、少しばかり彼ら独自の機器類を使って時間のずれを調節し、ビームシップが私たちの目にきちんと見えるように細工しなければならない。さまないと、私たちは彼らの存在を認知することが全く不可能になってしまうからだ。

 

 

 

『トランス・ヒマヤラ密教入門』

(アリス・A・ベイリー著)(たま出版)   2002/3

 

 

 

<デーヴァ>

・キリスト教徒が天使と呼び、東洋人がデーヴァと呼ぶ非常に多くの存在が、ハイアラーキーのメンバーとして働いている。彼らの多くは、遥か以前に人間の段階を卒業し、デーヴァ進化系と呼ばれる、人間の進化系と平行な偉大な進化系に加わって現在働いている。この進化系には他の要素と共に客観的惑星の建設者と、これらの建設者を通してあらゆる形態―馴染みのあるものとそうでないものーを生み出す勢力で構成されている。ハイアラーキーの他のメンバーが形態内の意識の発達に関わっているのに対して、ハイアラーキーの努力と協力しているデーヴァは形態様相に関わっている。

 

<闇の勢力(ダーク・フォース)>

・「光のハイアラーキー」の外的顕現のような出来事がパワーを増大させて以来、この外的顕現を妨げるために働いている勢力による、それと平行した活動について触れておこう。あなた方も知っているようにアストラル界とメンタル界に「闇のセンター」と呼ばれるセンターが存在する。というのは、彼らの活動は、顕現と物質様相と物質質量の活動に強調をおいており、そのすべてのエネルギーが純粋に利己的な目的に従属されているからである。

 

・それは聖書の言葉で親しまれている、「この世の王国」と「キリストの王国」、「アンチ・キリストの勢力」と「キリストの勢力」の古い物語である。これは、アトランティス時代に大きな頂点を迎えた。光のハイアラーキーが勝利したが、それはかろうじてであった。今日、これら光と闇の勢力は再び物質界で表現と覇権をめぐって戦っている。

 

 <白魔術と黒魔術>

・白魔術師は、グループの福利を動機とし、そのために自らのエネルギーと時間を費やす。左手の道の魔術師は、裏で単独で働き、仮に他の人々と協力することがあっても、そのとき彼には隠れた利己的な動機がある。白魔術師は、ハイアラーキーの諸計画に協力し、惑星ロゴスの戦いを遂行するために建設的に努力するように奔走する。暗黒の兄弟たちは、ハイアラーキーの諸計画の外にあるもの、惑星光線の主な目的に含まれていないもの関わっている。

 

<ディヴァチャン(天国)>

ディヴァチャン(天国)。低位様相からの分離の跡に魂が入る、この地上生活の合間の中間状態。

 

・この経験(ディヴァチャン)について非常に多くの誤解があった。一般に次のように考えられてきた。アストラル体とメンタル体を除去する過程の後に、人間は、過去の出来事を未来と照らし合わせて再経験し再考する一種の夢見状態に入り、一種の休息期間つまり消化過程を経て、新たな誕生に乗り出す準備を整えること。このような間違った考え方が生まれたのは、時間の概念が真理の神智学的な解釈がまだ存在しているためである。

 

・物質界での経験から離れたときには時間というものは存在しないことを認識するならば、ディヴァチャンの概念全体がはっきりしたものになるであろう。

 

・濃密な肉体とエーテル体から完全に分離した時間から、そして除去の過程が始まったとき、人は過去と現在を認識している。また除去が完了し、魂との接触が生じ、マナス媒体が崩壊するとき、人は直ちに未来を認識する。なぜなら、予言能力は魂意識の財産であり、人間は一時的にこの財産を共有するからである。従って、過去と現在と未来は一つのものと見られる。

 

・「永遠の命」の認識が、転生から転生へと連絡する再生誕の過程の間に徐々に発達する。これがディヴァチャンと呼ぶことができる。(進歩した人間の正常な状態を特徴付ける)意識状態である。

 

<ハイラーキー>

・光の兄弟方であるハイアラーキーはいまなお存在し、その仕事は直実に進行している。彼らはすべて肉体として存在しているー多くの大師方のように濃密な肉体として、もしくはより高度な援助者や「世界の主」のようにエーテル体として、彼らが物質的に存在していること、彼らが、この惑星に私達と一緒に存在し、この惑星の宿命を統御し、その出来事を管理し、その進化を最終的な完成へと導いていること、これらは覚えておくことに値することである。

 

・このハイラーキーの中心本部は、古代の書で「白い島」と呼ばれるゴビ砂漠にあるセンター、つまり「シャンバラ」である。これはエーテル界に存在し、地上の人間がエーテル視力を発達させたとき、その場所は確認され、その実存性は認識されるであろう。この視力は急速に発達しつつある。・・・しかし、シャンバラの位置は、最後に明らかになるエーテル界の神聖な場所の一つになるであろう。と言うのも、「シャンバラ」は、エーテル界の第二亜界に存在するからである。肉体を持つ何人かの大師方は、ヒマラヤ山脈のシガツエの人里離なれた場所に住んでいる。

 

・しかし、もっと多くの大師方が、世界中に散らばっており、様々な国々の様々な場所に人知れず暮らしている。そして、そこで様々の大師が、「世界の主」のエネルギー焦点になっており、周囲の人々には「神の愛の分配者」として知られている。

 

シャンバラ

・シャンバラは、物質界に存在し、空間的に明確な場所を占めているといわれている。しかし、その物質質量とはエーテルであり、「世界の主」と彼の高い段階の援助者方は、エーテル質料でできた身体をまとっている。約1千7百万年前ハイアラーキーが渡来しシャンバラが創設された。それは、濃密な物質界に秘儀のための組織と本部を持ち、濃密な肉体で機能し、急速に目覚めつつある人類の必要を満たそうとするアデプトとチョーハンからなる一団を持つことであった。

 

・彼ら(サナート・クメラと彼の弟子方)が住んでいるシャンバラは、クメラ方と同様、物質界に存在している。しかし、それは物質界の高いエーテル亜層である。それゆえにエーテル視力を発達させた時のみ、このヒマラヤを超える神秘的な場所は明らかにされるであろう。

 

・ シャンバラ兄弟団のための最初の居留地は、南アメリカの中央にあるイベズの初期の寺院であった。その支部の一つは、かなり後になってから、古代マヤに設立されることになっていた。・・・二番目の支部は後にアジアに設立された。その働きは著しく変えられてはいるけれども、ヒマラヤ人と南インド人のアデプト方は、この支部の代表者である。将来、ハイアラーキーのかっての業績の真実性を現す発見がなされるであろう。古代の記録や、碑が明らかにされるであろう。幾つかは、地上にそして、多くのものは、地下の要塞に。カルデアトバビロンからトルキスタンを経、ゴビ砂漠を含み、満州に至るまでの地帯で中央アジアの神秘が開かれた時、イベス人の働き手についての初期の歴史の多くが明らかにされるよう計画されている。

 

 

 

『トランス・ヒマラヤ密教入門』3巻 意識の変化

アリス・A・ベイリー   (アルテ)  2008/9

 

 

 

 <ディヴァチャン(天国)>

・ディヴァチャン。低位様相からの分離に後に魂が入る、二つの地上生活の合間の中間状態。

 

・濃密な肉体とエーテル体から完全に分離した瞬間から、そして過去の過程が始まったとき、人は過去と現在を認識している。また、除去が完了した魂との接触が生じ、マナス媒体が崩壊するとき、人は直ちに未来を認識する。なぜなら、予言能力は魂意識の財産であり。人間は一時的にこの財産を共有するからである。したがって、過去と現在と未来は一つのものとして見られる。「永遠の今」の認識が、転生から転生へと連結する再生誕の過程の間に徐々に発達する。これがディヴァチャンと呼ぶことができる(進歩した人間の正常な状態を特徴づける)意識状態である。

 

 <敷居の住者>

・弟子が生命の門に近づくまで、敷居の住者がイリュージョンとグラマーの霧の中から現われることはない。弟子がイニシエーションの入口の微かなきらめきとその扉の側で待ち構える臨在の天使に体現される二重性の原理を把握できるようになる。現在のところ、私の言葉はあなた方にとって将来の状態と出来事を象徴的に表現しているだけであるが、右側に天使、左側に住者で表わされる相反する対をなすものの象徴の間に完全に意識して立つ日が必ず訪れる。そのときに、あなた方の人生の場が長きにわたって戦ってきたこの二人の対立者の間を真っ直ぐに突き進む強さがあなた方に与えられますように。そして、この二人が一人として見られる臨在へと入り、生命と神性しか知らなくなりますように。

 

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(8)

2023-10-25 11:57:55 | 森羅万象

 

<●●インターネット情報から●●>

 

『ブルーアイランド』

エステル・ステッド  ハート出版  1992/11

 

 

 

<ブルーアイランドの建物>

・霊界というと、非現実的で夢のような世界を想像なさるに違いありません。が、そうではなく、みなさんが外国に行くのとまったく同じなのです。地上と同じように実体があるのです。おまけに、比較にならないくらい興味のつきない世界です。

  やがて私たちは大きなドームのような建物の前に来ました。中を覗いてみると、ここも素敵なブルーで彩られていました。地上で見かける建物と変わらないのですが、その美しさが違うのです。

 

・そこにしばらく滞在して、それから軽い食事を取りました。私が地上でよく食べていたものに似ている感じがしました。ただし、肉類は見当たりませんでした。

 奇異に思えたのは、食事は必ずしも取る必要がないように思えたことです。目の前に置いてあるのですが、どうやらそれは必要性からではなくて、地上の習慣の名残にすぎなかったようです。

 

・父の説明によれば、あの建物は一種の休養施設で、地上からの新来者がよく集まるところだそうです。地上界の生活条件に近いものがいろいろと揃っていて、外観も地上の建物に似ているので、よく使用されるということです。同じ目的をもった建物は他にもたくさんあります。別の用途を兼ね備えたものもあります。

 

・それらの外観は一つ一つ異なり、似たものはありません。要するに“大きなビル”と考えればよろしい。博物館や美術館、あるいは巨大なホテルを想像されてもよろしい。だいたいそんなものに近いと思ってください。おとぎ話に出てくる夢のような宮殿を想像してはいけません。きわめて地上的で、変わったところは一つもありません。

 

・このブルーアイランドにはそうした建物が実にたくさんあるのです。というのも、この世界の第1の目的は、地上を去ってやってくる者が地上の縁者との別離を悲しんだり、無念に思ったり、後悔したりする気持ちを鎮めることにあり、当分の間は本人が一番やりたいと思うこと、気晴らしになることを、存分にやらせることになっているのです。

 

・元気づけるために、あらゆる種類のアトラクションが用意されています。地上時代に好きだったことなら何でも――精神的なものでも身体的なものでも――死後も引き続いて楽しむことができます。目的はただ一つ――精神的視野を一定のレベルまで高めるためです。

  書物を通じての勉強、音楽の実習、各種のスポーツ、‥‥何でもできます。乗馬もできますし、海で泳ぐこともできます。狩りのような生命を奪うスポーツは別として、どんなスポーツ競技でも楽しむことができるのです。もっとも、こちらでは地上で言う“殺す”ということは不可能です。狩りと同じようなことをしようと思えばできないことはありませんが、この場合は“死”は単なる“みせかけ”にすぎないことになります。

 

・そうした建物は新来者の好みの多様性に応じて用意されているわけです。こちらでは疲労するということがありませんから、思う存分それぞれに楽しむことができます。が、やがてそればっかりの生活に不満を抱き始めます。そして、他に何かを求め始めます。興味が少しずつ薄らいでいくのです。

  それと違って、たとえば音楽に打ち込んだ人生を送った者は、こちらへ来てからその才能が飛躍的に伸びて、ますます興味が深まります。その理由は、音楽というのは本来霊界のものだからです。ブルーアイランドに設置されている音楽施設で学べば、才能も知識も、地上では信じられないほど伸びます。

 

・さらには“本の虫”もいます。地上では失われてしまっている記録が、こちらでは何でも存在します。それがみな手に入るのです。ビジネスひとすじに生きた者にも、その才能を生かす場が用意されています。

  これには理由があります。こちらへ来たばかりの者は、多かれ少なかれ悲しみや無念の情を抱いております。それが時として魂の障害となって進歩を遅らせます。そこで、とりあえず悲しみや無念の情が消えるまで、当人がやりたいと思うことが何でも好きなだけやれるようにとの、神の配慮があるのです。それが実は進歩への地固めなのです。

  が、純粋に地上界に属する趣味は、やがて衰え始めます。一種の反動であり、それがゆっくり進行します。こちらでも物事は段階的に進行し、決して魔法のように一気に変化することはありません。

・その反動が出始めると、興味が次第に精神的なものへと移っていきます。もともと精神的なものに興味を抱いていた人は、引き続きその興味を維持し、拡大し、能力が飛躍的に伸びます。地上的な性格の趣味しか持たなかった人にも、いずれは変化の時期が訪れます。

  このように、ブルーアイランドにいる間は、多かれ少なかれ地上生活との関連性が残っています。最初は、ただ面白いこと、愉快なことによって自分を忘れているだけですが、やがて霊的向上のための純化作用が始まります。

 

 

 

『天国への手紙』

江原啓之  集英社    2007/3/20

 

 

 

<「たましい」の行方>

<臨終~舞台の幕が降りるとき>

・臨終のとき、すなわち死に臨む最期のときに、意識がはっきりしていて「さようなら」が言えるケースはほとんどないでしょう。亡くなり方にもよりますが、少し昏睡状態になってから、ということが多いと思います。

 前述しましたが、人間の肉体には、幽体と霊体というスピリチュアルなエネルギー体が重なっています。幽体は精神であり、霊体は私たちの本質である魂です。

・臨終の昏睡状態のときは、肉体から幽体と霊体が少しずつ離れつつある状態です。たましいが、ふるさとである「あの世」へと帰り始めているのです。

 ですから、意識が半ばもろうとしながらも、「さっき、死んだお母さんが会いに来たよ」などとつぶやくようになるのです。

 

・臨終のときには、ふるさとからお迎えが必ず来ます。すでにあちらの世界に帰っていった愛する人、よく知っている人が迎えに来てくれるのです。

 私たちが現世を生きている間、見守ってくれたガーディアン・スピリット(守護霊)は姿をあらわしません。その姿に私たちはなじみがないので、わからないからです。あちらの世界へ順応しやすくするには、誰が行けばもっとも効果的かと考えて、私たちのよく知っている懐かしい人が迎えに来てくれるようになっています。

 昏睡状態になることも、知っている人が迎えに来てくれることも、すべて旅立ちをスム―ズにするためです。死というひとつの喚問をラクに通過させる方法について、あちらの世界では、実によく考えてくれているのです。

 

<スピリチュアル・ワールドの階層図>

・ここで、スピリチュアル・ワールドの階層について、かんたんに説明しておきましょう。

 私たちが生きている現世は、「現界」です。人が亡くなると、先ほど述べたように、たましいは「幽現界」へ行きます。ここは、現界と重なり合うように存在するスピリチュアルな世界です。

 たましいは幽現界にしばらくとどまり、自分の死を受け入れて、現世への執着を断ちます。これができないと、未浄化霊としていつまでもここにいることになります。

 

・自分の死を受け入れて、執着を断ったたましいが次に行くのは「幽界」です。

 ここはとても広く、さまざまな階層(ステージ)に分かれています。この世にとてもよく似た下層部から、天国のように美しい上層部(サマーランド)までを含みます。

 幽界のどの階層に行くかは、生きている間のたましいのレベルによって違います。

 たとえば、人を妬んで悪口を言ったり、足を引っ張ったりするのが日常茶飯だった人は、同じような人ばかりが集まる下層部に行きます。

 そこには、仏教で「地獄にある」といわれているような針山や血の池などはありません。

けれど、低いレベルのたましいばかりが集まっているので、まさしく「地獄」といえるでしょう。その周辺はどんよりと曇っています。

 

・反対に、人のために尽くし、霊格の向上に努めてきた人は、明るく美しい上層部に行きます。いわゆる「サマーランド」と呼ばれる、とてもさわやかなところです。

 そこを抜けると、「霊界」に行きます。ここが、私たちのガーディアン・スピリット(守護霊)などの高級霊がいる世界であり、たましいのふるさとなのです。

 

・その上には、神の領域である「神界」が広がります。

 私たちは、なかなか神界へは行けません。そこまで霊格を向上させられる人はほとんどいないのです。多くのたましいは、霊界で自分を見つめ直し、再びたましいの修行を求めて現世へと再生をくり返します。

「現界→幽現界→幽界→霊界→神界」と高まっていくスピリチュアル・ワールドの階層を、頭に入れておいてください。

 

幽現界~現世に最後の別れを告げるところ

・ラストシーンを終えて舞台袖に戻った役者は、しばらく客席の反応を見つめます。芝居が終わったことを確認するのです。

 それと同様に、亡くなった人は「幽現界」にしばらくとどまり、現世に別れを告げます。自分のお通夜やお葬式を見たりして、死へのイニシエーション(通過儀礼)を行うのです。

 

・そこではっきり自分の死を自覚し、縁のあったいろいろな人に「お別れ」を告げに行きます。

 自分と絆のある人が亡くなったとき、フッと「虫の知らせ」が来ることがあるでしょう。なんとなくその人のことを思い出したり、ラップ音(物理現象としての音ではなく、スピリチュアルな現象による音)が鳴ることもあります。それは、亡くなった人からのお別れのメッセージなのです。

 

・仏教では「四十九日」という区切りをつけますが、だいたいそれぐらいの期間、たましいは幽現界にとどまります。

 とどまる期間は人それぞれです。とどまらずさっさと幽界に行く人は、ほとんどいません。必ず何か気になることがあるからです。たとえば、会社の机の整理から、相続財産の行方、飼っている猫のエサの時間、口座引き落としの日の銀行残高など、些細なことにいたるまで心配ごとや執着はたくさんあるのです。

 自分がもう死んだということを自覚して、現世への執着や未練が断ち切れないと、次なる「幽界」へは行けません。すると、幽現界にとどまったまま、未浄化霊となって「さまよう」ことになります。

 

・自分の死を受け入れて、執着や未練を断ったたましいは、幽現界にあまり長くとどまらず、次のステージである幽界へと進むことができるのです。

 

<幽界~心象風景がそのままあらわれるところ>

・「幽現界」を抜け出たたましいの多くは、まず「幽界」の下層部あたりに行きます。

 前述しましたが、幽界はさまざまな階層(ステージ)に分かれていきます。最下層部には地獄のように暗くてどんよりとした世界があり、上層部はサマーランドと呼ばれる天国のように明るくのどかな世界が広がっているのです。

 

・地獄といっても、閻魔大王がいるわけではありません。底意地が悪く、ケチで、自己顕示欲の強い人たちばかりが集まっているのです。俗世中の俗世といえるでしょう。ある意味で現世よりも俗世です。現世にも「闇の世界」は存在しますが、表面化はしていません。

現世の闇の部分がすべて表面化しているのが、幽界の下層部だと考えてください。

 

・反対に、サマーランドは、人が理想として思い描く天国に近いといえるでしょう。心の美しい人たちばかりがのんびりと集う、光に満ち溢れた世界です。

 二つの中間にも、さまざまなステージがあります。そのなかのどのステージに行くかは、生きていたときのその人の心の在り方によって決まります。生きていたときの心の状態とまったく同じところに平行移動するのです。

 

<「浄化」のシステム>

・幽界の最上部に行っても、まだ真っ白ではありません。完全に浄化してはいないのです。

 幽界の最上部まで進んだたましいは、あらたな気づきを経て、「霊界」に進みます。

そこで今度は幽体を脱ぎ捨て、霊体だけになるのです。これは「第二の死」と呼ばれます。

 

・あるとき突然、意識改革されるように感じるときがあるでしょう。それは、思念の連鎖がもたらす改革なのです。

 つまり、現世に生きる私たちと、亡くなって幽界に行った人々のたましいは、互いに切磋琢磨しているのです。

 

<霊界~「グループ・ソウル」への帰還>

・たましいの在り方が、小我から大我へ移っていくのです。

 

 小我とは、自分の幸せや快楽だけを考える、身勝手で小さな心。大我とは、自分以外の人や全世界の幸せを願う大きな心です。

 

 たしかに最上層部(サマーランド)に行くと幸せです。なぜ幸せかというと、自分も周囲も大我に目覚めているからです。

 

<再生~再びたましいの旅へ>

・大我に目覚めたたましいは、グループ・ソウルに溶けこみ、そのなかから再び新たな経験と感動を求めて、現界に再生します。

 

守護霊とは、現界を生きるたましいを常に見守り続ける高級霊のことをいいますが、再生を果たした自分と、それを見守る守護霊は、同じグループ・ソウルの一員です。ですから、守護霊は、二人羽織のように、自分が現界で生きているかのような気持ちで、たましいの旅路を見守っているわけです。

 守護霊は高級霊ではありますが、それは霊界にいるからで、実は現界に再生してきた私たちと同じ人格です。

 

・グループ・ソウルの一滴として現界に再び生まれ出て、守護霊に見守られながら、自分自身の本質をさらけ出し、さまざまな経験と感動を積んでいく。それによって、霊格を向上させていく。これが私たちのたましいが現世へと再生をくり返す目的なのです。

 このようにして、私たちは長い時間をかけ、何度も再生をくり返します。現世における死は、たましいの終わりを告げるものでは決してありません。たましいは、永遠なのです。

 

  

 

『あの世の存在に活かされる生き方』

パット・クビス&マーク・メイシー   徳間書店   1999/7

 

 

 

<新しい世界で生きるということ>

・霊たちのほとんどは、自分たちがこの新しい場所に「渡ってきた」ことを理解しているのですが、ここにどうやってたどり着いたのかを思い出せる者はいませんでした。

 「この新しい場所」とは、地球が所属する太陽系にはないマルドゥクという星のことです。この惑星はひとつの太陽の周りを公転していて、そのほかにさらに二つの太陽に照らされています。ここは決して真っ暗になることはありません。マルドゥクの円周は約12万7000キロメートルで、ここには地球の月よりも大きな月があります。エターナティ川という名の、最深1万7000キロメートル、いちばん広いところで幅3700キロメートルになる大河が惑星全体をぐるりと囲んで流れていて、この川のほとりには600憶もの人々が暮らしています。

 

・この星の風景は絶えず変遷しているわけではなく、なかにはまったく変わらないものもあります。また、街があり、学校や大学もあります。

 今日、アストラル界についてのこのような描写は珍しいものではなく、多くの人々が臨死体験や体外離脱を経験し、そのときのようすを個人的に家族や親しい友人に話したり、あるいは記事や本、講義などで公に発表しています。

 

 <低次のアストラル界 地獄や煉獄という概念のもととなった世界>

・低次のアストラル界は暗く、陰惨な世界です。一部の人々は死後、自分が持つ低振動の思考や行動によってこの世界に引き寄せられます。この領域は物理的世界の近くに存在し、混沌としています。霊界には時間も、空間も、引力もなく、この低次の世界に陥った存在たちは、混沌とした状態のなかで生きることになります。そしてときには、地球の時間で言えば数年から数世紀もの間、この困惑に満ちた現実のなかで暮らすのです。なかには自分が死んだことに気づいていない者さえいます。

 

・アストラル界下層にいる霊たちの多くは、地球上の種々の問題を引き起こす原因となります。彼らはテレパシーで地球上の人間と交信ができ、心の弱い人たちが悪い行いをするようにささやくのです。その人たちはそれぞれが自分自身の思考だと思い込んでしまいます。たとえば、死んだアルコール中毒患者、麻薬常用者、殺人者、またその他の凶悪犯罪人の霊は、地球上の自分と似たような性質を持った人間や意志の弱い人間に引き寄せられ、かつて自分たちが働いてきた悪事へと誘い込もうとします。このような否定的な心的存在たちは、とりついた人間の否定的な思考や態度、行動を煽り立てます。

 

 <アストラル界中層>

・私たちのほとんどが地球での教育―私たちの人格や忍耐力を向上させるための試練を与えてくれる学校―の後のリハビリテーションを行うための快適な領域です。

  タイムストリームや他のITC研究者グループから地球に送られてくるメッセージや画像はすべて、このアストラル界中層からのものです。彼らは、地球上のものに似たコンサートホール、博物館、病院、学校、家などについて描写しています。そしてその周りには、木や花、山々、野原、河川などの自然があり、このような景色は地球のものと似ていますが、ただただ息をのむほどに美しいということです。

 

  第三界とは、わたしたちがさらに高次の世界に進むか、それとも経験を積むために再び地球に生まれ変わるかを決めるまで過ごす、一時的な場所です。

 

 さらに高次のアストラル界

・さらに高次のアストラル界は、キリスト教徒が「天国」、スピリチュアリストが「常夏の国」と呼んでいる素晴らしい場所です。他界におけるITC実験の研究仲間の多くはこの高次の世界に暮らしていて、ITC(トランスコミュニケーション)の活動に参加するために自分の振動数を下げて第三界に「降りて」くるのです。

 

・心因界は、世俗的な欲望や葛藤とは無縁の神聖な霊感の領域です。ここにいる存在たちはテレパシーを使ってメッセージを送り、地球上の多くの芸術家や発明家にひらめきを与えています。心因界の振動を持つ「光の存在」たちは、インスピレーションや手引きを与えてITCのプロジェクトを援助しています。

 

 <天国と地獄>

・ほとんどの人によって天国だと考えられている世界は、アストラル界高層にあります。神秘家や霊能者はこの世界を「常夏の国」と呼んでいます。

 

  この常夏の国では、人々は私たちと同じように暮らし、その姿は若かったころのように見えます。ここには素晴らしい大学やデザインセンター、きれいな花や植物が茂る美しい風景があり、まさに天国を思わせる鳥たち、犬猫などの動物のほかに、こちら側の世界には見られない種類の動物たちがいます。またこの世には存在しない色がたくさんあり、初めてこのアストラル世界を訪れた人たちはそのまばゆさに目がくらんでしまうほどです。

 

・医者であり、リッチモンド全科診療専門学校の前学長だったジョージ・リッチ-博士は、1943年にアストラル界を訪ねる経験をしました。リッチーは巨大な半球形の建物に案内され、そこで存在たちが何かの製造作業をしているところを見ましたが、当時はそれが何かわかりませんでした。それがわかったのは十数年後で、ライフ誌に掲載された米国第2の原子力潜水艦の写真が、何年も前に彼が見た、アストラル界の存在たちが造っていたのと同じものだったのです。

 

・他界から通信してくる者たちは、多くのアイデアはまずアストラル界で生まれ、それが現世の発明家に与えられると告げています。発明家が研究開発に一心不乱に取り組んでいるとき、彼らはしばしば自分にテレパシーを送ってくる目に見えない仲間とともに作業をしていることが多いのです。発明家の多くは、まるで見えない何者かが自分の傍らにいるようだと言っています。

 

  多くの発明家たちが、貴重な情報を夢のなかで受け取ったという経験を語っています。他界の科学者たちにとって、人間が夢を見ている間というのは通信にもってこいの時間なのです。

 

・わたし(パット・クビス)はカリフォルニア州のコスタ・メサにあるオレンジコースト大学で教授として23年間教えていましたが、実はアストラル界の大学でも教壇に立っていたのです。わたしは自分をよく知る友人に向かってときおり、「こんなに疲れているわけよね。一日中ここのキャンパスで働いて、それからアストラル界でもやっているんだから」と冗談を言ったものでした。興味深いことは、アストラル界の大学のキャンパスは、あらゆる点においてコスタ・メサの大学と同じくらい「現実的」であったことです。ただ、アストラル界のキャンパスの構内と建物は地上のものとはまったく異なっていて、オレンジコーストよりもずっと大きなものでした。

 

・地球と常夏の国のいちばん大きなちがいは、常夏の国に住む人々は互いに異なった文化背景を持っているにもかかわらず、みんなが平和と調和のなかで暮らしているということです。実際、この平和と調和に対する理解が、インドの神秘主義者たちが「デイヴァシャウン」と呼んだ第四界、つまりアストラル界高層に進むための必要条件となっているのです。

 

・魂がアストラル界を離れて心因界に進む準備ができると、アストラル体に死が訪れ、進歩をふり返るための休息期間に入ります。しかしながら前にも書いたように、魂は別の選択肢として、再び地上に生まれて物理的世界でさらに経験を積むこともできます。

 

 

 

『河童・天狗・神かくし』

(松谷みよ子)(立風書房)1985

 

 

 

 <山の神などによる神隠し>

・ある時、この部落の小さい女の子がふっとかき消すようにいなくなった。部落総出で探してみても、いっこうに手がかりはない。幾日かたって、また、ふっと現われた。その現われ方がまた不思議なことだった。この部落のはずれの薬師堂の梁の上に、その女の子はちょこんと坐っていたんだ。村の衆は、あれは薬師様にさらわれたんじゃっていった。  (長野県)

 

・岩手県和賀郡和賀町横川目。私が15歳の頃(昭和10年前後)の事件である。大雨で村の中央を流れている尻平が氾濫した。その日、私の部落の幼児(5,6歳)が見えなくなったという騒ぎが出た。消防団も出たりして、部落総出で探しまわったが、夜中になってもわかりませんでした。きっと川に落ちて流されたに違いないというので、川下を探しまわった。ところが、朝になってその幼児が川向うの山の中で無事で発見された。これはどう考えても不思議な話でした。その川には、丸木橋一本かかっているだけで、当日の大雨の氾濫で大人でも渡ることができない状態でした。

 

・長野県上伊那郡。浦の新三郎猟師といえば、山の神様となれ親しんだ逸話の持ち主として知られています。明治の初年のこと、新三郎は金子勢五郎猟師と連れだって仙丈岳へ猟に出かけましたが、二人は途中の小屋で単独行動をとることにきめ、別れ別れになりました。それから1週間、新三郎猟師は、杳として消息を絶ってしまいました。村人に依頼して山中を捜索してもらいましたところ、勢五郎と別れた小屋に戻っているところを発見されました。新三郎の話では、小屋を出てしばらく行くと、立派な婦人が現われて手招きするのに出会いました。誘われるままについて行くと、苺などの実る場所へ連れて行かれ、たらふくごちそうになりました。こんなわけで、山にいる間は、ついぞ空腹を感じなかったという話でした。村人はその女性を山神であるとみていますが、山神男性説をとるこの地方にも、こうした観方のあることはおもしろいことです。

 

 出典:松山義雄著『山国の神と人』(未来社)

 

・和歌山県西むろ郡上三栖。紀州西むろ郡上三栖の米作という人は、神に隠されて二昼夜してから還って来たが、其間に神に連れられ空中を飛行し、諸処の山谷を経廻って居たと語った。食物はどうしたかと問うと、握り飯や餅菓子などたべた。まだ袂に残っていると謂うので、出させて見るに皆紫の葉であった。今から90年ほど前の事である。又同じ郡岩田の万蔵という者も、三日目に宮の山の笹原の中で寝て居るのを発見したが、甚だしく酒臭かった。神に連れられて、摂津の西ノ宮に行き、盆の13日の晩、多勢の集まって酒を飲む席にまじって飲んだと謂った。是は六十何年前のことで、共に宇井可道翁の璞屋随筆の中に載せられてあるという。

 

・昭和二十年頃の話。私の家の近くの男の子(小六年)が昼間、にわとりをいじめたから神かくしにあって大騒ぎとなりました。井戸のそばにしゃがんでいたそうなのに、家人にはその姿が見えず、子供には家人の姿が見えるけど声が出なかったそうです。二昼夜、その状態だったそうですから神かくしに違いないと、父母が言っていました。(青森県)

 

 

 

『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』

 自分のための「霊学」のすすめ

江原啓之     ハート出版         2001/10/25

 

 

 

<彷徨の日々>

<いつ、どこでも霊がみえてきた!>

・学校や人の集まるところには、よく霊が集まると言いますが、この

警備員時代に私が体験した心霊現象は枚挙にいとまがないほどです。そのうちのいくつかを御紹介しましょう。

 

・ある夜、私がこの警備室で待機していると、ガラス面に私とは違う人が座っているのが映っています。何度も横目で確かめてみたのですが、確かに違う人です。私は思いきって横を向き見定めました。

 映っていたのは同じ警備員の制服を着た60歳くらいの男の人です。目が会うとまもなく、その人の姿はさっと消えました。

 後日、古株の警備員に聞くと、蒼ざめた顔で「それはあの警備室で、座ったまま死んでいたSさんだよ」と教えてくれました。

 

・これもまた、同じ警備室での目撃談です。その日は夜に入って雨が降り出しました。雨の落ちる外の光景をぼんやり眺めていると、蒼白い光に照らされるように、若い学生らしい男が傘もささずに立っています。様子がおかしいと心配になった私は、事情を聞こうと外に出ました。

 すると、その若い学生は悲しげな顔を見せながら消えていきました。

翌日、このことを話すと、ちょうど同じ場所で飛び下り自殺があったといいます。また、その日が奇しくもその学生の命日でした。

・周囲の人たちは、私が完全に精神病に侵されたか、おかしな宗教にでも入ったと思ったことでしょう。

 このような体験が続くなか、一年ほどの期間で、私はいつ、どこでも霊が見えるようになっていきました。

 

・実生活でも受難のときでした。心霊現象のたびに寝込んでしまうのです。こういうありさまですから、警備の仕事も休みがちになります。当然、預金も底をつき、そうでなくてもお金のかかる大学を、私は退めざるをえなくなってしまいました。

 

<シルバーバーチの霊訓>

・それには、世の中には決して偶然はないということが書かれており、私は自分の今までの人生に起こったことの意義が、この本を読み進むうちに理解できるようになっていきました。

 すべての出来事には目的があり、また自分はその目的を達成すべく生まれてきたことを初めて悟りました。再生のこと。因果律のこと。初めてすべてが理解でき、涙をこらえることができませんでした。

 

・私の意識は変わっていきました。私は改めて、天地不変の法則を見つめ直しました。

 これも、死後は個性を永遠に存続し、再生を繰り返し、霊性の進化向上を目的とし生きるという、神界・霊界の法則です。

 

<この世の「使命」を求めて>

<滝行で霊体質がプラスに転じた!>

・道は定まったとはいえ、本当の自分の進むべき方向を見定めるには多くの時間がかかりました。

 私は寺坂先生のすすめもあり、私自身の同じ修験道に進むことにしました。「今の日本では、残念ながら霊能者という職業は社会的に認められていませんからね。法律の面からも自分を守らなくてはいけませんよ。しっかりとした自分の職業を持っているのといないのとでは、社会的信用が違います」

 寺坂先生は、霊能者を今までの神秘的なだけの存在から、アカデミックな存在にまで向上させたいとお考えでした。

 

・そこで、ある寺に通いながら、寺坂先生と共に歩むことにしました。私は毎日、寺での修行をこなしながら、(財)日本心霊科学協会の精神統一会や、師の主宰する清玲会などに通いました。

 そして、生業のために警備員のアルバイトを続け、今思えば感心するほどのハードな日々でした。

 

・夏の日も冬の日も毎日のように山に出かけて行きました。アルバイトと心霊研究、霊能開発、そして滝行の日々です。私はこの滝行によって憑依体質を克服できたのです。

 ずっと悩まされていたこの霊体質をマイナスからプラスへと転化できたのです。私は背後霊たちと一体になれるようになっていきました。

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(7)

2023-10-25 11:56:41 | 森羅万象

 

 

 

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

  

 

<霊界には7つの界層がある>

・霊界には7つの主要な階層があり、各々はさらにいくつかの階層に分れていて、お互いに重なり合ったり、複雑に混じり合っている。そのほかに、人が死によって肉体を捨てアストラル体になった時、霊界に適応するまで休息するための階層もある。

 

 <第一の界層>、最下層では波動は極度に低く、私たちが普通考えるような生命と言うようなものは、存在しない。邪悪の思考が渦巻く、光の届かない世界。地獄のようなという形容が当てはまるだろう。

 

 <第二の界層>、この世で他者を苦しめ続けた人間は、この界層に行く。向上するには、多くの転生を繰り返す必要がある。それにはこの世の年月で数千年もかかることがある(だが、どんな魂にも進化のチャンスがあることを忘れないでほしい)。

 

 <第三の界層>、第三と第四の界層は、この世を鏡に映し出したような所だ。私達の大部分が死後そこに住むことになるだろう。そこには、山、川、谷、海もあり、私達がこの世で美しいと思ったものは何でもある。

 

 物欲で生きた人たちは、大体において、第三の界層に行く。この世で頑張って働き、人生を楽しんだ。他者に危害を加えたわけではないが、他者のために特別いいことをしたわけでもない。つまり、平均的な人たちだ。また、他者のことは考慮せず、少し自己中心的だった人や、霊的なことなど考える余裕さえなく、お金やものを所有することしか頭になかった人もそこに住む。自分たちの上に高い階層があることを気づこうともせず、自分の枠の中しか知らない。周囲も似たような考えの人たちばかりだ。だが、多くの魂がこの界層内で進化を遂げる。中には、一つ上の界層に昇るものもいるが、一般的には、この世への転生の計画を立て、実行することを目下の目標とする。

 

 <第四の界層>は、第三の界層よりも美しく明るい。ここにいる人は、霊的にさらに進歩している。学びや進歩を自ら求める。この界層の中ほどにいる人は自分の限度に気づいているので、高い界層から降りてきた霊たちは彼らのために喜んで手を貸す。

 

 <第五の界層>は、まさしく楽園と呼ぶにふさわしいところだ。何もかもが、美しく光り輝いている。完璧さを目指して努力した人や、霊的に高度に進化した心優しい人もここに住む。美術や芸術など、霊感を使って技を極めた人たちもこの界層にいるが、彼らは自分たちの仲間と一緒にいる。

 幼児や赤ん坊は、ここで天使に相当する霊たちが、面倒を見る。この霊界の住民は、自ら波動を低い波動に調整することによって、下の界層にいる家族や友達を訪問できる。

 

この界層の上のほうには指導霊や教師の役割のある霊が住み、第六の界層から降りてきた師から教えを受ける。霊的に極めて進化した人も死後そこへ行くが、普通、そこに達した人は、もうこの世に生まれ変らない。彼らはそこで学び、教える目的で下の界層を訪れたり、霊的に向上したいと願うこの世の人たちを指導したり、助けたりする。地球の年月で、千年かそれ以上、そこで過ごす者もいる。

 

そして、この界層で、最上部で次の界層に昇る準備ができたものは、二度目の死を体験する。単に横になり心地よい眠りに入るのだ。非常に繊細で明るく輝いていたアストラル体をそこに脱ぎ捨てる。

 

 <第六の界層>で、彼らは、自らを愛する。そのとき、彼らは、エーテル体と呼ばれる。私達の目にはまぶしい光でたとえようもないほど美しく明るい姿になっている。この界層にいるものは、天使のような存在で、その高貴な美しさをどう形容したらよいかわからない。

 

 <第七の界層>は、神そのものである。そこには個々もなく、神の意識と完全に一体となる。霊がそこに到達するのに、どれだけ時間がかかるのか私には見当もつかない。

 

<4階建ての家>

・人は4階建ての家に住んでいるようなものだと私はよく思っている。しかし、大勢の人が地下室で暮らし、自分たちの上により明るくて暖かで素敵な部屋が4階もあることに気づいていない。

 この人々にとっては上の4階は存在していないのである。存在を知っている者がいても、閉まっているので入れない。彼らは階段をまだ見つけ出していないのである。地下室と1階の両方に満足して住んでいる人もいる。人生を送るうちに、上のほうからもれている小さな光を見つけるかもしれない。

 一旦霊的に目覚めさえしたら、ドアは開かれ、錠ははずされる。ドアは再び閉められるかもしれないが、鍵がかかることはないのだ。ということは、そっと押せばいつでも開くのである。

 

・あなたの家の鍵、全部の階の鍵は、あなたの中にある。外の世界に見つかるのではない。内面の世界に入って初めて自分の真実の霊的本質がわかるのだ。自分の家の階上にある部屋のドアを開けて、光を入れることによって、私たちは本当の意味で光の中で生きることができるのである。

 

 

 

『人生に無駄はない』 私のスピリチュアル・ライフ

江原啓之   新潮社     2008/2/27

 

 

 

<20周年の節目>

・私はごくごく普通の人間なのです。しかし、2000年を境に私が世間から注目されるようになって以来、残念ながら私自身の霊的能力ばかりがクローズアップされてしまっているように思います。

 

・「たましいのふるさとから、この現世に旅に来て、そしてやがて迎える死も。ふるさとへの里帰りに過ぎない。そして人生の名所とは経験と感動である」と、そう一貫してお話ししてきたのです。

 

・ですから、生きとし生ける誰もが、この目的のために生まれてきたのであって、特別な人など存在しあにのです。また逆をいえば、すべての人が、より高い人格を目指す特別な人とも言えるかもしれません。

 

・私はこれまでの人生の中で一度だけ、未熟ながら自らの守護霊に助言を求めたことがありました。

「この苦境を乗り越えるために、道を示してください」と。

しかし、返事は「それではぬしの人生ではなくなる」というひとことでした。

 

・このような経緯の中で私が目覚めたことは、人間は霊的世界の操り人形ではないということ。そして、人生と言う旅のなかで、その名所である経験と感動を味わい尽くして有意義に生きることが大切であるということです。

 このような「生きることの真理」こそ霊的真理であり、スピリチュアリズムであるのです。

 

<人にもまれて育ちました>

<「愚者の道」を歩み来て>

・私のこれまでの人生をふり返ると、それはひとことで言って「愚者の道」でした。

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。

 

賢者は先人たちが踏んだ道から人生の真理を悟ることができる。しかし愚者にはそれができず、自分自身が身をもって一つひとつ経験し、そこで得る感動をもとに学ぶという方法でしか人生の真理に到達しえない。そういった意味の言葉です。

 

<十代で世間の風にさらされる>

<人生を教えてくれた下町>

<恩師に恵まれ続けて>

・人生はなにごとも努力で切り開いていくものですが、私の人生のなかで、これだけは自分の努力の成果だけではなさそうだな、と思うことがあります。それは、つねにいい先生に恵まれてきたということです。

 

・しかし私が訪ねた霊能力者たちの多くはいかがわしい人ばかりでした。どの人も十分やそこらの面会時間で「先祖供養が足りない」などと当たり障りのないことを言っては高額のお金を要求するだけ。

 お金も尽きかけて、この人で最期かというタイミングで、T先生という現在の私の活動の基礎を作ってくれた恩師に出会えたことはほんとうに幸いでした。

 

・T先生に出会えなければ、いまの私はいないと断言できます。その後出会ったS先生もすばらしい霊能力者で、その後イギリスへスピリチュアリズムを学びに行ったのも、ふたりの先生の勧めでした。ふたりは異口同音に、「これからの霊能力者は拝み屋で終わってはいけない。アカデミックに心霊の世界を人々に説けるよう、スピリチュアリズムをしっかりと学びなさい」と強く勧めてくれたのです。

 

<出会う人の幅は自分自身の幅>

・人との出会いはつねに「波長の法則」の結果であり、みずからの波長が引きよせています。たとえば現在あなたをとりまく人たちは、どの人もあなた自身の映し鏡で、あなたとまったく波長の同じ人たちなのです。

 

・すべての事象には「光」と「闇」があります。光があれば必ず闇があります。闇の暗さを知るからこそ光のありがたさがわかります。数々のすばらしい先生たちとの出会いは、孤独という闇のなかに輝く光のようでした。

 

<経験と感動がすべて>

・本書では、私自身の人生を例にしながら、「人生に無駄はない」ことをくり返しお伝えしていきたいと思います。あなたは読みながら、あなた自身のこれまでの人生にもひとつも無駄はなかったと気づくでしょう。

 そして今後の人生に対しても「自分の学びにとって無駄なことはなにひとつ起きないはず」と確信できるかもしれません。そうなればきっと、なにがあっても受けいれていけるでしょう。それは、つまり「大人のたましい」への成長が約束されたようなものだからです。

 

<これからが本番です>

<後進を育てたい>

・これから本腰を入れていきたい仕事のひとつに、まずスピリチュアル・カウンセラーやスピリチュアル・ヒーラーの養成があります。つまり「後進の育成」ということで、これに関してはすでに少しづつ始めています。

 私の究極の理想は「霊能力者撲滅」であると、何度も書いてきました。スピリチュアル・カウンセリングやスピリチュアル・ヒーリングなどなくても、一人ひとりが霊的真理に目覚め、その「人生の地図」にしたがって自立して生きていければ一番いいのです。しかし現実は、この理想からはほど遠いでしょう。

 

<スピリチュアリズムを福祉に生かしたい>

・ふたつめに私が目指しているのは、福祉の世界です。福祉の世界、とりわけ「ターミナルケア」。「緩和ケア」といった分野にスピリチュアリズムを生かす道を作りたいと思っています。

 ターミナルケアは終末医療とも言い、回復の見込みのない末期の患者さんたちに施す、肉体的、精神的苦痛の緩和を目的とした医療のことです。

 

・具体的には、まず患者さんたちに、霊的視点からの「デス・エデュケーション(死の準備教育)」をしたいのです。死は怖いことでもないし無に帰すことでもない、懐かしいふるさとへの里帰りだということを知って安堵していただきたいのです。そして最後の一日、最後の一秒までいのちを輝かせて生きてほしい。

 

<内観こそ人生>

・「この世のすべては偶然ではなく必然」と私はよく言いますが、それは人の運命は定められているという意味ではなく、「因・縁・果」といういわゆる因果律をさすもの。今生または過去世をも含めて、自分自身が何かしらの種を蒔いた結果として、現在の状況があるのです。つまり、自分自身がいかなる種を蒔いたのか、その原因を過去にさかのぼって顧みるのです。

 

・大切なのは、何かのせいにすることではなく、自分自身の未熟さを反省する裁量に置き換え、自分自身をより成長させるための、たましいの肥やしにすることなのです。

 そのこと自体が、悪しき種を刈り取り、よき種を蒔くことにもなるのです。

 そして、大切なのは「絶対にポジティブに受け取ること」です。なぜならば、この世に起きるすべてのことはみな意味のあることであり、いたずらに不幸に陥れる出来事はないからです。すべては成長のために起こっているのです。

 

 

 

『江原啓之 本音発言』

江原啓之    講談社    2007/10/19

 

 

 

<スピリチュアル基礎用語>

(あの世)

死後の世界。この世との境にある幽現界を経て、幽界、霊界、神界へ移行する。

 

(カルマ)

因果律、業ともいう。自分の行動は善いことも悪しきこともいつか自分に返ってくることを意味する。

 

(グリーフケア)

家族や身近な人を亡くして悲しむ人(遺族)の心の痛みを癒す作業。江原の場合、亡くなった人のメッセージを伝えることによって悲しみを和らげる。

 

(幸福)

スピリチュアリズムにおける幸福とは、出世や収入などの物質的な成功ではなく、霊的真理によってたましいが浄化され、失う恐怖をなくすことを指す。

 

(シッティング)

霊能者が霊媒となり、霊的世界とコンタクトを取り、相談者から話を聞く前に一方的に相談者の属性や身の回りのことを言い当てていくこと。

 

(宿命と運命)

国籍や性別、家族など生涯変えることのできない人生の要素が宿命。それに対し、運命は自分の努力や周囲の協力で変えることのできる要素を指す。

 

(守護霊)

現世に生きる人間を見守っている霊的存在。

 

(スピリチュアリズム)

死後の世界や霊の存在を前提とした世界観および思想体系。スピリチュアリズムの真理(霊的真理)に基づいてカウンセリングを行うのがスピリチュアル・カウンセラー。

 

(大我と小我)

見返りを求めずひたすら他者に与えようとする考え方が大我で、自分のことを最優先する考え方が小我。

 

(たましい)

すべての人間の中に宿る霊魂のこと。スピリチュアリズムでは肉体はたましいの乗り物にすぎないと考えられる。

 

(波長)

たましいが生み出す想念のエネルギーを指す。波長には高低があり、偶然ではなく必然だと考えられている。

 

(物質中心主義的価値観)

すべての判断基準をお金やモノなどの物質に置いてしまう考え方、価値観。霊的価値観の対極にあるもの。時に物質主義的価値観、物質的価値観と省略して使われる。

 

(未浄化霊)

 

この世に未練や執着を残しているため、死後もあの世に帰れずにさまよっているたましいのこと。未浄化霊が生きている人間のたましいに撮り憑くことを「憑依」という。

 

(類魂(グループ・ソウル))

霊的世界におけるたましいの集合体。誰もが類魂の一部であり、類魂の全体の進化向上を目指している。

 

(霊界通信)

守護霊と交信することにより、メッセージを受け取ること。相談者などにとって、その必要がある場合のみ。メッセージがもたらされる。守護霊のメッセージから得られる教訓を広く「霊訓」と呼ぶ。

 

<スピリチュアリズム8つの法則>

1.(霊魂の法則)自分が霊的な存在であることを意識して生きること。

 

2.(階層の法則)肉体の死後、たましいは現世でいかに成長したかによって、それに応じた階層へと向かう。肉体を捨て「幽体」となると、最初は現世と幽界の中間地点である「幽現界」へ向かい、そこから「幽界」へ進み、やがて幽体をも脱ぎ捨て光となって「霊界」へと上昇する。死後の世界は明るい天国のような層から暗い地獄のような層まで幾重にも分かれており、現世での成長に応じて移行する層が変わる。

 

3.(波長の法則)一言で言えば「類は友を呼ぶ」、波長の高いたましいはポジティブな出会いを引き寄せ、波長の低いたましいはネガティブな出会いを引き寄せる。みずからの魂を向上させることで波長を高めれば、志の高い仲間と出会うことができる。逆に魂の錬磨を怠ると、周囲にやる気のない人間が集まってしまう。

 

4.(守護の法則)自分を見守ってくれる守護霊の存在を信じて生きること。依存してはいけないが、守護霊はどんなに苦しい試練の中にある時も、大きな愛で見守ってくれている。守護霊は役割によって4つに分けられる。生前から死後まで見守る中心的存在の「主護霊」、職業や才能を指導する「指導霊」、数年先までをコーディネイトする「支配霊」、これらを手伝う「補助霊」がいる。

 

5.(類魂の法則)どのたましいも、帰るべき故郷として類魂(グループ・ソウル)を持っている。類魂をコップの水にたとえるなら、それぞれのたましいは一滴の水。現世での修行を終えたたましいは霊界に戻り、グループ・ソウルに混じり合う。すべての経験が類魂全体の叡智となり、それぞれのたましいが純化することでコップ全体の透明度を上げることを目指している。

 

6.(因果の法則)自分のまいた種は、自分で刈り取らなければならない。自分の行動は必ず自分に返ってくる。自分がネガティブな想念を持っていれば、やがてネガティブな結果がもたらされる。自分が誰かを嫌うと、相手もまた自分を嫌うという現象はこのため、逆に、人に親切にすればいつか自分に返ってくるという「正のカルマ」もある。

 

1.(運命の法則)運命とは変えられないものではなく、自分の力で作り上げていくもの、たましいを磨く努力によって人生を切り拓くことができる。一方、国籍や性別など自分の力では変えられないのが宿命、ケーキにたとえるなら、宿命がスポンジで運命がクリーム。スポンジの特性に合わせてクリームでデコレーションするように、どんな宿命であろうと、自分の努力で運命を拓けば人生を輝かせることができる。

 

2.(幸福の法則)これまで挙げた7つの法則は欠けることなく実践すれば、霊的真理によって幸せを得ることができる。お金や出世などの物質主義的な成功を求めるのではなく、試練を克服しながら愛を学び、たましいを向上させることにより、「失う恐怖」から自由になることができる。それこそが、スピリチュアリズムにおける真の幸せを意味する。

 

 

 

『続 スピリチュアリズム入門』

 高級霊訓が明かす霊的心理のエッセンス&霊的成長の道

   (心の道場)

 

 

 

 <宇宙人の存在とその様子>

 <異次元の物質世界>

・高級霊の霊界通信は、宇宙に関する驚くような事実を明らかにしています。それは同じ物質世界でありながら、物質の状態が異なる別の物質世界(宇宙)があるということです。目に見える宇宙と目に見えない宇宙が存在している、次元の異なるさまざまな宇宙が重複して存在している、という宇宙像を描いています。

 

・こうした霊界通信が明らかにしている異次元の物質世界は幽界(最下層の霊的世界)と似ているように思われますが、そこは霊的世界ではありません。どこまでも物質次元に属する世界なのです。そうした異次元の物質世界が天体を取り囲むようにして存在し、そこに地球人とは肉体の次元を異にする人間(宇宙人)が住んでいると言うのです。

 

・太陽系のそれぞれの惑星にもこうした異次元の物質世界が展開していて、人間的存在(惑星人)が住んでいると霊界通信では述べています。そして、異次元木星には地球よりずっと進化した人間が存在し、異次元火星には最も進化の遅れた人間が存在しているということです。私たちの地球は、火星に次いで二番目に進化の遅れた惑星であると言われます。

 

・無数の異次元宇宙(そのどれもが物質次元の世界であって霊的世界ではない)があって、それらが重層して存在していると考えられます。

 

・異次元木星や異次元火星などを中心とした異次元宇宙が存在しているということです。その異次元惑星は私たちの地球人からは認識できません。

 

・宇宙人の進化の階段は第1レベルから第10レベルまであり、地球は第1レベルで、現在地球は、第2レベルへと上昇進化しているところだから、将来の地球人は、その潜在意識の心の力の10分の2を活用できるようになります。それは、DNAをもう1条活性化することが必要です。

 

 

 

『スピリチュアリズム入門』

スピリチュアリズムが明かす霊現象のメカニズム&素晴らしい死後の世界         (心の道場)

 

 

 

 <シルバー・バーチ霊の語る霊界の美しさ>

・「あなた方は、まだ霊の世界の喜びを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えば、どこへでも行ける。考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追及したいことにいくらでも専念できる。お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当たらないのです。

  その楽しさは、あなた方には分かっていただけません、肉体に閉じ込められた者には、美しさの本当の姿を見ることができません、霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなた方は、ご存じない。

 

・すでに死んで霊界にいる者の方が、生命の実相についてはるかに多くを知っています。住民の心には真の生きる喜びがみなぎり、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神にあふれ、互いに己の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。

 

・ここは光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。この世界に来て芸術家は、地上で求めていた夢をことごとく実現させることができます。

 

・金銭の心配がありません。生存競争というものがないのです。弱者がいじめられることもありません。霊界の強者とは、弱者に救いの手を差し伸べる力がある、という意味だからです。失業などというものもありません。スラムもありません。利己主義もありません。宗派も経典もありません。あるのは神の摂理だけです。それがすべてです。

 

  地上のいかなる天才画家といえども霊の世界の美しさの一端なりとも地上の絵の具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律の一節たりとも表現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で書き表すことはできないでしょう。

 

・あなた方は、地上の大自然の美を見て感嘆されますが、その美しさも霊の世界の美しさに比べれば、至ってお粗末な色あせた摸作程度でしかありません。地上の誰ひとり見たことのないような花があり色彩があります。小鳥もいれば植物もあり、小川もあり山もありますが、どれ一つとして地上のそれとは比較にならないほど、きれいです。そのうちあなた方も、その美しさをじっくりと味わえる日がきます。その時、あなた方は、霊になっているわけですが、その霊になった時こそ、真の意味で生きているのです」

 

 

 

『賤民の異神と芸能』

谷川健一  河出書房新社  2009/6/9

 

 

 

〈宿神と魔多羅神>

・秦河勝を祀るといわれている大酒(大避)神社は広隆寺の守護神の役割をもっており、実は地主神にほかならなかった。地主神は敬意を払われないときは、障礙神として妨碍するおそろしい神であった。この場合秦河勝は宿神であり、大避神社の地主神としての魔多羅神と一体化した「大荒神」であったと考えることができる。シュク神は在来の土地の神として荒神の側面を備えている。荒神は外来の悪霊の侵入を防ぐと共に、自分の占める土地を主張し、自分を共敬しないものに対しは敵対者、すなわち障礙神としてふるまう。魔多羅神は芸能神としてしての宿神であり、また荒神としての宿神であったと思われるのである。

 

<魔多羅神  障礙と祝福の地主神>

<魔多羅神の微笑>

・上方には北斗七星が描かれている。魔多羅神が猿楽の鼓打ちに似た格好をし、二童子も笹と茗荷を持って舞うことは、魔多羅神が芸能神であったことを推測させるに足る。

 

<魔多羅神の神秘>

・魔多羅神の正体は明らかではない。本田安次は『神楽』の中で出雲の鰐淵寺について「天台の寺であるだけに、常行堂に魔多羅神をまつっているが、その信仰は今も固く、常行堂は常の日も、調査団から希望が出ても、扉を開けることもしない。魔多羅神の名を口にのぼすことさえも恐れられていたようである」と云っている。このように魔多羅神が恐れられるのは、それが障礙神の一面をもつからである。障礙というのは、人に幸福を与えるのではなく、障りや災いをもたらす神ということである。

 

<障礙神から福神へ>

・比叡山の魔多羅神と同類とされる大黒天もダキニ天も人の精気を奪って死にいたらしめる「奪精鬼」とされている。とはいえ、これらの神は障礙神としての否定的な機能を発揮することがあっても、その神通力のゆえに、転じて福神に変るという道筋をたどる。この不思議な逆転の役まわりを演ずるのは、魔多羅神も同様である。障礙神のもつ負のエネルギーを利用して、修業を妨げる天魔や天狗などを除去する立場に転換する。つまり、魔多羅神は、自分に不敬があれば、人間の往生を障礙する神であるが、一方では往生を引導するという両面をもつ神である。

 

・これまでの一般的な見解と異なる魔多羅神の本質がここには語られているが、折口の論点をいくつかを抽出してみる。

 

一 魔陀(多)羅神は、土地の精霊であり、地主神である。

二 土地の精霊は最初は人びとに反抗するが、やがて祝福するような姿勢に変わる。

三 太秦の広隆寺で、魔陀(多)羅神は土地の先住者であった。それが牛祭のときは、寺の仏を祝福しにやってくる。

四 大和猿楽でも、翁が春日の大宮、若宮へ祝福しにやってくる。翁はあとでは位の高い神という印象を受ける伝説を作りあげているが、それは変化した形であり、翁ももとは地主神とか土地の精霊にほかならなかった。

 

 

 

『日本人の心のふるさと(かんながら)と近代の霊魂学(スピリチュアリズム)』

(近藤千雄)(コスモス・ライブラリー)  2006/3

 

 

 

<サマー・ランド、ブルー・アイランド>

・ 言って見れば、「因果律による審判が行なわれるわけであるが、皆が皆、素直に更正するわけではないから、三つの階層に収まることになる。

 

・ しかし、ここは、まだ虚構の世界で、死後の世界ではあっても、実相の世界ではないことが、肝心なところで、死ねば地獄か極楽へ行くとか、無で帰するというものではない。当分は、地上時代そのままの意識と姿で生活を続ける。驚くことに、自分が死んだことすら気づかず、地上時代と同じ感覚のまま生活している者がいるほどである。信じられないことであるが、それほど、幽体と幽界がうまくマッチしているということであろう。

 

・ (コナン・ドイルが死後まとめて送ってきた死後の階層の実相)

 

「幽界」

・ 1、邪悪で、自己中心的な欲望しか持たない。

・ 2、邪悪性はないが低級な煩悩から抜け切れない者が集まっている。

・ 3、何事も思うがままに、叶えられる世界(サマー・ランド、ブルー・アイランド、極楽)

 

「第二の死」。無意識状況を体験して霊界に入る。

1、 知的な理解の世界。

2、 直感的な悟りの世界。

3、 形体なき存在への変化。神界へ上がる資質の不足な者は、再生する。

 

再生への手続きが行なわれ、他の者は、神界へ行く。

1、 宇宙の造化活動への参加と活動

2、 宇宙的存在としての普遍的愛の活動

3、 ニルバーナ、涅槃(ねはん)

 

それ以上は、(超越界)で、人間的な理知では知りえない。

 

<「幽界では障害者はいない」>

・さて、幽体は肉体の成長と共に大きくなり、肉体の細胞の一つ一つに浸透している。幽体はさきに説明した通り、基本的には感情の媒体であるから、感情の持ち方が肉体に反応し、その逆、すなわち健康状態が幽体に影響することにもなる。これからますます、盛んになると予想される臓器移植の関係も、いずれはこの事実と直面することになると推察されるが、ここでは深入りしない。

 

・死によって、幽体が肉体から抜け出ると、ちょうど地上に誕生したときのあの肉の魂のような身体が、2、3年で一人前の体型を整えて地上生活が営めるようになるのと同じで、幽体も徐々に幽界の環境に応じた体型と機能を整えて、幽界生活を営むことができるようになる。

 

・地上時代との一番の大きな違いは、肉体の障害が全て消えてしまうことで、眼が見えなかった人は、自由になり、知能に障害のあった人は、正常に復する。そうした障害と不自由さがカルマと呼ばれている因果律によるものだっただけに、そのカルマの試練に耐え抜いた今、それがさまざまな幸せとなって報われる。

 

・その一方では、その正反対の報いを受ける者もいるであろう。他人に精神的苦痛を与えた人、殺人や障害の罪を犯した人は、言うに及ばず、いけないこととは知りつつ間違った生き方を続けた人。学者であれば、面子や名声をかばって、真実を真実として認めなかった人、宗教家であれば、間違いであることを知りつつ、もっともらしい、教説を説いてきた人。こうした人々は、その過ちに応じた報いを精神的苦痛の形で受けることになるという。こうした、いわば地上生活の清算は、さきに掲げた死後の界層の図にある中間境において行われる。

 

 <幽界>

・ 物質的身体に宿って、生活する場が物質界であるのと同じ原理で、幽質の身体に宿って生活する場は、幽界となる。身体が幽質の半物質で構成されているように、環境も同じ波動の半物質体で構成されていて、地上の人間が地球環境を実感を、持って認識しているように、幽界で生活する者はその環境を実感を持って認識している。

 

・決して地上の人間が想像しがちなように実態のない、フワフワとした取り止めのない世界ではないことを知っていただきたい。中には死んだことに気がつかない者がいるほど、地上生活と同じ主観と客観の生活が営まれているのである。

 

・そのことが、なかなか信じられないのは、実は今生活している地上界を構成している「物質」そのものについての理解ができていないからに過ぎない。最新の物理学が教えるところによれば、我々が、実感があるかに感じている物的環境は、究極的には「波動」で構成されているという、これはもはや常識といってよいほど、知られていることであるが、ではなぜ実態があるのに感じられないのか。

 

・それは、環境と身体が同じ波動でできあがっていて、五感によって、その存在が認識できる仕組みになっているからである。般若心経にいう「色即是空、空即是色」とは、このことであろう。ただ、認識できる範囲にも限界があり、その範囲外の波動は、認識できないから、幽界や霊界は存在しないのと同じことになる。

 

<死後の界層>

 <四魂説>

 ・人間の自我の本体が<霊>であることは、すでに述べた。その霊的存在が地球という物質世界で生活を営むための媒体として授かるのが、物的霊体、俗に言う肉体である。これまでの人間科学は、肉体的欲望はもとより、人間の人間たる所以である精神的活動もすべてその肉体、具体的に言えば、脳の機能の反映であるというのが、基本的概念であった。それが、スピリチュアリズムによって、完全に覆され、肉体以外に三つの媒体があって霊がそれらを駆使して生活している。脳はそのネットワークに過ぎないことが判明した。

 

・ 四魂説というのがそれであるが、論理的な帰結として、肉体の活動の場として、物質界が存在するように、眼に見えない他の三つの身体にもそれぞれの活動の場があるはずだということになる。そして、それを明解に解いた霊界通信が入手されている。

 

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(6)

2023-10-25 11:55:22 | 森羅万象

 

 

『現役鉄道員“幽霊”報告書』

幽霊が出る駅、路線……教えます!

氷川正   学研    2014/8/19

 

 

 

<鉄道にまつわる怪談で、幽霊が出る原因というのはほぼ人身事故と考えていいだろう。>

・私が鉄道業界に入ってから数十年が経過した。

 数多の職業があるなかで、私が身を置くこの業界は、意外に死に近い業界である。死体に接する職業といえば、葬儀関係者、医療関係者、警察、消防が思い当たるだろうが、その次あたりに鉄道員がランクインするのではないだろうか。

 本書では、現職の鉄道員という立場から、あまり一般には馴染みのない奇妙な出来事や、実際に私が体験した不思議な事件、事故を中心に、鉄道業界のタブーといわれる部分にも触れながら、鉄道業界のミステリアスな世界をお伝えしたいと思う。

 

 「人身だ!すぐホームへ行って目撃者を取ってこい!

・鉄道側にとって人身事故でいちばん重要なことは目撃者の確保である。

 これは、運転士に過失がないことを証明しなければならないためで、複数人確保するのが望ましい。事故後、早めに対応しておかないと現場は野次馬で溢れて目撃者探しもままならなくなくなるからだ。そして事故を目撃した人は、ショックのあまり現場を早々に立ち去ってしまうことも多い。

 

 ・人身事故の処理は、事件性がなく自殺と断定されれば、およそ1時間前後ですべての処理が終わる。

 車輪に挟まれ、レスキュー隊の手を借りなければ救出できない場合や、事件性がある場合だと、とても1時間では片づかない。

 現場の遺体は、ほぼパーツが揃っていればよく、肉片をすべて回収する必要はない。

 というのも、レールとの摩擦で“挫滅”してしまい、見つからないパーツが必ずあるからだ。

 

 <S駅で起きた2つの未解決事件>

・現在私が車掌として往復している路線で言えば、最近改装されてきれいになったO駅の上りホームが、私の身構えるポイントのひとつである。

 グーッとカーブを描くホームの中ほどに“何か”がいて、いつも私を睨みつけてくる。それはそのものズバリの霊的な存在とはやや異なる。

 もちろん人ではないのだが、O駅は昔から人身事故多発駅として知られており、悪意そのもののような、奇妙な“何か”と事故との因果関係は無視できないと私は考えている。

 

 ・2件の殺人事件が起きた場所にもまた異様な空気が漂っている。

 私の場合は車掌業務で必ずその場所を通らねばならず、そこを通るときはいつも“何か“の射すくめるような視線に必死に耐えている。

 私にとってこれらの場所は、いつも緊張を強いられる場所なのである。

 

 <姿見の中の自殺者>

・Hはなぜか姿見から目を離すことができず、鏡の中の男性が動き出したのを食い入るように見ていた。

すると男性は躊躇することなくホームから飛び降りたのである。

{あっ!}

ここでようやくHは我に返り、背後を振り返った。

しかし、線路に落ちたはずの男性はどこにも見当たらない。

姿見でもう一度落ちた場所を確認し、目を皿のようにして線路上を探したが、どこにも人の姿がない。

 

 ・自殺を予見した姿見は、駅員たちの間で話題となったが、その後はHをはじめ、誰も自殺者が映るという現象を見ることができなかった。

 そのうち、噂を気味悪がった駅員の苦情から姿見は撤去され、今も倉庫で埃をかぶっている。

 

 <踏切に現れる“女子大生の霊”>

・このS駅からT駅側に向かって2つ目の踏切は、管内でも有名な“心霊スポット”として知られている。

 事故が多い踏切ではあるが、決まって現れるのは“女子大生の霊”である。

“彼女”は、始発前の点検中の駅員や通りかかる運転士によって目撃されており、その頻度もかなり高い。もちろん誰でも見えるというわけではなく、見えない人にはまったく見えていないようだ。“彼女”が現れる理由ははっきりしている。

それは20年以上前に起きた人身事故が関係している――。

 

 ・女性の姿はそれから何度も目撃され、一時はお祓いも検討されたが、結局うやむやになって今に至っている。

 現在はほとんど話題にも上がらなくなっているが、それは女性の霊がいなくなったからではない。

 現在も“彼女”の姿は目撃され続けている。

 

 <“自殺の名所”の踏切で起きた不可解な自殺>

・東京近県にあるK駅の近くには、いわゆる“自殺の名所”といわれる踏切がある。

何の変哲もない踏切で、大きな公園が近くにあるため、やや暗い雰囲気

だが、昼夜分かたず人身事故が後を絶たない。

 駅からは歩いて十数分とけっして近くはないのに、まったく縁もゆかりもない場所からこの踏切を死地に選ぶ人もいる。

 いったいなぜ、ここが選ばれるのか。まったく見当もつかない。

 ・ちなみにSが夫婦の霊を目撃した宿泊室は、現在はリネン室となっている。この1件以降、頻繁に霊現象が続いたためである。

 

 <「Sトンネル」に出現する“Yばばぁ”>

・東京近県の山間部にあるS峠は、関東夜臼の心霊スポットとして知られている。

元々この道は江戸と幕府直轄領だったC地区を結ぶ由緒ある街道で、C地区の霊場を訪れる多くの参詣者が歩いた道である。

 

 ・そしてご多聞に漏れず、このトンネルにもオカルト話が伝わっている。それが運転士の間でも有名な幽霊、通称“Yばばぁ”である。

 なぜトンネルの名前のSではないのかはわからない。

ちなみにYというのはトンネルの下り出口がある場所の地名である。

前出のSトンネルに現れる四つん這いで走る女に似ているかもしれない。

夜、Sトンネルを走っていると突然運転席の窓をコンコンコンとノックする音が聞こえる。

 窓の外を見ると白髪の老婆が併走しており、運転席を心配そうな目つきで一瞥したかと思うとすぐに消えてしまうという。

 現在でも少なくとも年に一度は“Yばばぁ”が目撃されている。

そして目撃した運転士はそれから数週間のうちに、必ず人身事故に巻き込まれる。

 

 <「車掌室に子どもが乗っていた」>

・開業して間もない新たな地下鉄A路線では、低学年の小学生と思しき男の子が頻繁に目撃されたことがある。

実際に見たというのは乗客からの情報で、駅員のなかには誰も見た者はいないのだが、毎日数件の目撃情報が届けられていた。その多くは、ターミナル駅のI駅から前後数駅の区間に集中しており、ほとんどが「車掌室に子供が乗っていた」という内容のものだった。

 この路線は下り線でI駅手前からワンマンになるため、車掌は不在となる。その不在のはずの車掌室に、子供が乗っていたというのである。

 ・この謎の子供は、開業から1週間の間に多くの目撃例が相次いだが、そのうちパタリと止んでしまい、今ではまったく聞かれなくなった。

 はたして車掌室に乗っていた子供はいったい何者だったのか……?

 

 <寂しく佇む女子高生の霊>

・東京郊外のH駅には車両基地があり、その近くにある小さな踏切は小高い丘の上にある女子高の通学路になっている。ある雨の朝、通学途中の女子高生が基地に戻る電車に接触し、車輪に巻き込まれて即死した。

 ヘッドホンで音楽を聴いていたため、電車が来ているのに気づかなかったのである。

 それからというもの、雨の朝になると、決まって女子高生の幽霊が踏切脇に立つようになった。運転士の多くが目撃していたが、近くには山菜採りで山に入っていく近隣住民も多く、その姿を幽霊ではなく人だと思っていた運転士もいたため、その数を含めるとかなりの目撃例となった。

 

 <死んだ友人からのメッセージ>

・しかし友人は興味深い話もしてくれる。

 たとえば死後の世界とは思っている世界とは違い、自殺や不慮の事故、不摂生など自己責任の病気で死んだ人は、天命の年齢になるまで現世に留まっていなくてはならないという。死後の世界のしくみは、死者同士の情報交換から得られたものらしく、死者が集う場所は現世の接点としていくつかある。

 それが現世でいう“心霊スポット”なのだ。彼ら死者は、生前行ったことがある場所であればどこへでも行けるという。

 もちろん壁も通り抜けられ、空も飛べる。その世界は案外楽しそうなもののように思えた。

  

 

 

『現代幽霊論』  妖怪・幽霊・地縛霊

 大島清昭     岩田書店   2007/10

 

 

 

<幽霊と妖怪>

・一方、「幽霊」と「妖怪」を区別する立場としては、柳田國男、諏訪春雄が挙げられる。

 日本民俗学の創始者である柳田國男は、最初に「幽霊」と「妖怪」を区別した人物である。昭和十一年に公表された「妖怪談義」で、柳田は「オバケ」と「幽霊」を明確に区別する指標を述べた。前もって知っておかなければならないが、柳田は「オバケ」「化物」「妖怪」という言葉を同じ意味で使用している。従って、ここでの「オバケ」は民俗学では「妖怪」という意味で捉えられている。

 

 ・柳田は「誰にも気のつく様なかなり明瞭な差別が、オバケと幽霊の間には有ったのである」として、①出現場所の相違、②対象となる相手の相違、③出現する時刻の相違、という三つの違いを提示する。①は「オバケ」が「出現する場所が大抵は決まって居た」のに対して、「幽霊」は「百里逃げても居ても追掛けられる」という。②は「オバケ」は「相手を選ば」ないのに対して、「幽霊」は「たゞこれぞと思ふ者にだけに思ひを知らせようとする」と述べ、③は「オバケ」が黄昏時に出現するのに対して、「幽霊」は丑三つ時に出現すると定義した。

 

 柳田の目的は「妖怪」を研究することで「信仰の推移を窺ひ知る」という、所謂信仰零落説の立場を取るものであった。実際、昭和二六年の民俗学研究所が編纂した『民俗学辞典』には、「妖怪」の定義として「多くが信仰が失われ、零落した神々のすがたである」と記されている。

 諏訪春雄は、柳田の定義に対して反証を提示した後、独自の「幽霊」と「妖怪」の定義を展開する。諏訪は「妖怪」も「幽霊」も「広い意味でのカミ(精霊)といえる」とし、「しかも正統に祀られていないカミである」という立場を取っている。

 

 <幽霊と分身>

・「分身」と聞くと、私などは忍者かバルタン星人を想起してしまう。所謂「分身の術」である。しかし、ここで論じるところの分身は、「分身の術」のような特定の手法によって自らのコピーを創造することではない。一般的によく知られている言葉を使用すれば、「ドッペルゲンガー」という言葉もまた、それぞれの論者によって指示領域が異なるものである。「分身」や「ドッペルゲンガー」に深く関わる学問分野は、文字と精神医学が挙げられる。従って、文学では「ジャンル」の問題として、精神医学では病気の症状として、それぞれ指示領域を持っていることになる。殊に文学では、論者やアンソロジーの編者によってその集合の範囲は違ったものになっている。

 

 ・例えば、『書物の王国11 分身』(国書刊行会、1999年)は「分身」というテーマに沿って古今東西の小説や詩などとを収録している。ここで「分身」という射程には、自己像幻視、鏡と影、双子、二重人格、内なる他者、などが収められている。

 

 <憑霊>

・憑霊(或いは、憑依)は、容易に定義できるような概念ではなく、民俗学や人類学、宗教学において様々な論者によって議論がなされている。しかし、ここではそのすべてを追うことはできないし、また、幽霊という本書の主題とも大幅にズレてしまうので、簡潔に触れておきたい。

  佐々木宏幹は「憑霊とは、霊的存在または力が人間その他に入り込み、あるいは外側から影響して、当事者その他に聖なる変化を生じさせると信じられている現象である」と述べている。

 

 <場所に固定化した幽霊>

・「①屍体が存在する(した)場所に、幽霊は固定化する」といった場合、当然ながらその幽霊が固定している場所とは墓地や火葬場などが筆頭に挙げられる。そう考えると、これに該当するような事例は、極めてオーソドックスな幽霊と考えられる。

 

 ・大阪府貝塚市水間。昨年(1984年)お店でアベックのお客さんに聞いた話。夜、水間(観音さんや今東光さんで有名なお寺)の戦没者のお墓のそばに車をとめていると、ヘルメット(鉄かぶとのことか)をかぶって兵隊のかっこうをしている人が、スーッととんでいるみたいに歩いているのが見えた。他にも見た人が、よくいるという事だ。

 

 ・「学校の怪談」では、⒜に該当する事例として学校の建設される以前に、その場所が処刑場であったという事例を示したが、同様の事例は学校だけではなく、その他の建造物にも存在している。ここではその一例としてNHK放送センターに出現する幽霊を挙げておこう。

 渋谷のNHK放送センターに軍人の幽霊が出るというのは、有名な話。体験者は昔から、数えきれないくらいいますね。

 

 ・ここは陸軍の練兵場の跡地で、あの「2・26事件」の青年将校たちが処刑された場所なんです。昔、「幽霊が出た」という場所の頻度と、処刑された場所の関係を調べた人がいて、101スタジオという一番古いスタジオのあるあたりがどうもそうらしいと見当がつきました。

 

 ・NHK横にある2・26事件慰霊塔には、兵士たち(複数)が靴音を鳴らしながら歩いている音が聞こえるらしい。

 また、その近くにある小学校の校庭にもその兵士たちが現れるとか・・・。

 

 ・この事例では2・26事件で処刑された兵士たちが幽霊として出現しているが、幽霊となるのは日本人の兵士だけではない。次の事例は処刑場ではないが、米軍の兵士が幽霊となって出現するものである。

 

 ・Iデパートの建っている所は、昔、米軍の病院があった所だったため、今でも閉店後には洋服の間から米軍兵(幽霊)が出てくる。

 

 ・ホテルや旅館、或いはアパートの一室において、そこで亡くなった人間の幽霊が出現する事例は枚挙に暇がない。また、病院において亡くなった患者の幽霊が長期的に出現する場合も、ここに当て嵌るだろう。

  

 

 

『FBI超能力捜査官マクモニーグル』  「遠隔透視」部隊の現実

  (並木伸一郎・宇佐和通) (学研)       2007/2

  

 

 

<幽霊のハンス>

・幽霊もよく見る。亡くなった妻の母も会いにきた。陸軍時代、ドイツでも幽霊を見た。長旅を終えて新しい宿舎に着いた夜のことだ。洗濯をしようと地下に行ったが、どの部屋が洗濯室なのか分からずうろうろしていると、年老いたドイツの男性と出くわした。ドイツ人だと分かったのは、民族衣装を着ていたからだ。

 

 ・彼に『洗濯室はどこです』かと尋ねると『ああ、こっちだよ。ついて来なさい』といわれ、『ここだよ』と、部屋まで案内してもらった。私は、礼を言って洗濯を始めたが、目をあげると、彼の姿はもうなかった。

 

 ・私は、ドアと彼の間に立っていたから、彼が出て行くのに気付かないはずはない。不思議に思って、あちこち探したが見当たらなかった。

 

 ・同僚たちの部屋に向かう途中で、ふと当り前のことを思い出した。そこは情報関係の建物で、ドイツ人が出入りできるわけがないのだ。部屋に入って、『あのドイツ人は誰だ?』と聞くと『ああ、それは幽霊のハンスだよ』と、あっさりいわれた。部隊では有名な幽霊だったようだ。悪さをしないが、頻繁に姿を見せるという。

 

 ・現れたり消えたりしながら、アメリカ兵とのコミュニケーションを楽しむらしいのだ。その建物に取り付いているのだろう。ドアを開け閉めすることや、あるいは皆がいる部屋に入ってきたり、ポーカーをしているテーブルの脇でじっとしていることもあった。兵士の一人が怒って灰皿を投げつけたら、灰皿はハンスの体を通り抜けて壁に当たった。

  

 

 

太田千寿が解き明かす『霊界と天上界の大真実』

人類はサタンに騙されている  「消された記憶を取り戻せ!」

太田千寿  徳間書店     1996/8

 

 

 

<三島由紀夫氏が私のところに来た理由>

・亡くなった三島由紀夫氏が私のところに来たての状況は以前に詳しく書きました。しかし、三島氏がどういう理由で、地上に交信をしてくるようになったのか。さらには、どうして三島氏が地球を救うようになったのかはあまり触れていませんでした。私が知らされていたのは、次の三点です。

 1、死んだ直後、指導霊に連れられて富士の裾野に行ったということ。

 2、そこには生前「盾の会」のメンバーと何度も体験入隊した自衛隊がある場所だということ。

 3、三島氏が生まれる前に、18回転生しているが、彼らは、いずれも富士山の裾野にいたということです。

 

 ・――私三島由紀夫は、死んで間もなく富士のホールにいた。巨大なホールであった。あたりは――面真っ暗闇、私の前に『私』と名乗る男女が18人現れたのである。(『空間を超えて道を行く神』)

 

 ・では、いったいなぜ三島氏が地球を救うのでしょうか。6年ほど前、三島氏から霊界に行くようになった背景が送られてきて、はっきりしました。なんと、驚くべきことに、そのメッセージによると、三島氏は死の直後、宇宙船に乗せられたというのです。そして、とんでもない出来事に遭遇したのでした。

 

 <地獄からの生還>

・――UFOの中はすべてがガラス張りであった。鏡に映った自分の姿を見て、私は唖然と立ち尽くしていた。あれほど望んでいた背高のっぽになっていたのである。自分でもほれぼれするほどの男前、ギリシャ的な風貌。神が私の望んだとおりにしてくれた。何という奇跡だ。夢にまで見たこの姿。

 

 ・赤いボタンがいくつもある映像システムが何カ所も設置されている。『L』と記されているボタンを人差し指で押して見た。すると映像システムが一斉に動き出して、生前の私がはっきりと画像に映しだされている。

 ・そのとき、神々しき声がした。

 

『そなたは、この宇宙船で4年間、孤独に耐えるのだ。地獄に落ちたそなたの影は、20年かかって、地獄を制するであろう。もうすぐそなたの同胞が下界からやって来る。引田天功と田宮次郎だ。彼らがやって来たら三人で力を合わせて、この宇宙安寧のために働くがよい。そなたの心は私が全て見てきた。死に急ぎをしたな。しかし、そなたの死が無駄にならない日が必ず訪れる。それを信じて突き進むのだ。この宇宙船は、そなたのためにシリウスで作成したものである。天功と田宮が来たら、三人よく話し合いをして、月の空洞にある宇宙基地に移動するのだ。基地内には歴史上の人物がリーダーを求めて右往左往している。そなたはこの4年間で彼らのトップリーダーになれるよう、一時も無駄にしてはならない。時にはこうしてそなたに交信する。さらばだ』

神の声はこうして消えて行った。

 

 ・三島氏が自刃したのは昭和45(1970)年11月25日のことです。私がこのメッセージを受け取ったのは、平成2(1990)年ですから、ちょうど20年目のことです。

まさに清算期間の20年が終わった直後のことです。

 

 <二つに引き裂かれた三島由紀夫氏>

・なんということだ。私が、『生前の私』と『宇宙人としての私』として分離されてしまったのだ。一人は記憶を持ったままの私であり、もうひとりは記憶を失ってしまった私なのである。記憶のある生前の私は、地獄の20年を過ごすことになり、そしてもう一人の私は、宇宙船に乗って旅立ったのである。

 

 <白髭白髪の老人の出現>

ところで皆様もすでにお気づきのことと思いますが、ここに出て来た「白髭白髪の老人」こそ、サタンのことです。「人間の記憶」を消すために奔走するサタンだったのです。

  

 

 

『「超常現象」を本気で科学する』

石川幹人 新潮社     2014/5/16

 

 

 

幽霊体験の背後には通常、「霊魂説」が控えています

・本書は「幽霊はいる」とか「超能力は存在する」などと超常現象を肯定するためのものでもなければ、その逆でもありません。そうではなく、超常現象について、今現在、「実際に何がどこまで分かっているか」、「何がどのように謎なのか」を皆さんに紹介しながら、「いかに未解明の現象に取り組んでいくべきか」という「科学的思考」を身につけていただくことを第一にしたいと思っています。

 本書は、あくまで本気の科学の本です。

 

 幽霊体験の背後には通常、「霊魂説」が控えています。人間の肉体には霊魂が宿り、死後に霊魂だけが肉体から離れて霊界へ行くが、この世に生きる私たちも、肉体から離れて浮遊している霊魂と、ときに何らかの交流や交信ができる、という説です。

 

 ・もとより実証されているわけではありませんから、霊魂説とは科学的にはまさに仮説にすぎないわけですが、体脱体験や臨死体験、霊視や憑依などの現象が、この霊魂説を支えるとされます。しかし、そうした諸現象を人間の通常の心理的・生理的現象がもたらした錯覚であるとする仮説も有力で、もちろん、霊魂説は決定的ではありません。

 

 <心霊研究から超心理学へ>

・さて、では超常現象が科学の世界でどのように研究されているかというと、じつは古典型的な幽霊体験より、現在はいわゆる「超能力」へと注目すべき研究テーマが移っています。超能力とは、透視やテレパシーといった未知の能力の総称ですが、超能力と幽霊体験には、かなり共通するところがあります。幽霊体験の多くは、一種の超能力による事象として説明できますし、逆の説明もまた可能だからです。

 歴史的にも、19世紀末から幽霊体験を究明する「心霊研究」と呼ばれたものがありましたが、これが20世紀に入って厳密な科学的手法に則った研究に改められ、超能力研究へと展開し、「超心理学」と呼ばれる研究分野になったという経緯があります。

 

 <幽霊と宇宙人は同じ?>

・ユングの超心理学への貢献は、シンクロニシティにとどまらない大きなものがあります。いわゆるUFOの目撃事例と、幽霊目撃事例の共通点を分析し、それらは心理的に同様の根源をもった超常的体験であるとその晩年に指摘したのです。UFOに乗った宇宙人などは幽霊とはまったく違うものという感じがするかもしれませんが、両方とも異世界から来た者という共通性があるのです。それにもし目撃者にキリスト教などの特定の宗教的背景があれば、幽霊との遭遇は悪魔に会うことに匹敵するので、「幽霊を目撃した」と主張するよりも、「空飛ぶ円盤を目撃した」「宇宙人に会った」と主張する方がまだ無難だということになるのです。ときには、金星人や地底人なども登場しますが、これは目撃者の無意識があたかもSF作家のように創作的に働いた結果でしょう。

 

 ・この指摘は、今日あらためて注目される状況に来ています。というのは、欧米では「宇宙人に誘拐」され、気がつくと宇宙船の中で手足を固定されて寝かされ、身体検査や手術を受けたという訴えが数多くあるからです。お気づきのように、これは、日本における「地縛霊のしわざによる金縛り状況」と同類の構図です。宗教的に地縛霊を持ちだせない場合には。似た効果の別の「実体」がつくられるのだと言えます。

 

 ・日本でも、超能力者を自称する人々には、「宇宙人に会った」と主張する人が多数います。超能力だけでも信じてもらえないのに、さらに宇宙人にまで言及するのは控えた方がよいと私は思うのですが、かなりありありとした体験らしく、本人たちはまじめに主張します。私が懇意にしているある霊能者も、幽霊だけでなくUFOや宇宙人をよく見ると言いす。そして、幽霊が過去の情報に関連するとすれば、宇宙人は未来の情報に関連しているという感触を述べています。これこそ、時間を超えたESP(超感覚的知覚)現象がこうした体験の背後にひかえていることを暗示しているのではないか、と私は思います。

 

 ユングの深層心理学によると、無意識の知恵を意識に伝える「老賢人」という象徴的な存在があるとされます。個々人の内的世界では、老賢人が幽霊の形をとったり宇宙人の形をとったりして意識を支えているのでしょう。もし、その場面が明晰夢を見るようにありありとしていれば、それがその人にとっての「現実」であってもいいわけです。要はその「現実」に個人として、そして社会として、どれほど意味があるかが重要になるのです。

 

 

 

『天国の住民が教えてくれること』

ポール・ミーク  新紀元社  2005/1

 

 

 

<プロのミディアム(霊媒)>

・私は物心つかないうちから常に霊界とともに生きてきた。プロのミディアム(霊媒)となって、25年以上経つ。霊界のために仕事ができて光栄だと思う一方、私は、この仕事に大きな責任を感じる。

 

・私の目的は、霊界とのコンタクトによって、愛する人と死別して悲しんでいる人を慰めること、苦境に立つ人を元気づけることだ。

 

・私は、英国スピリチュアリスト協会のミディアム(霊媒)の試験に合格したのち、ミディアム(霊媒)としてだけではなく、オランダでオペラ歌手として働いた。

 

・死後の世界である霊界のことや霊的な真理について、霊界とのコンタクトを、実例を挙げながら、分かりやすく説明しようとした。

 

イギリスでは、スピリチュアリスト教会が至る所にあります。普通の教会と同じように自由に誰でも参加できます。

 

・プロのミディアム(霊媒)の本として、ドイツでベストセラー、ロングセラーとなった。

 

・イギリスだけでなく、アメリカにも大勢の優れたミディアム(霊媒)がいます。そして、もちろん日本にも。

 

 <スピリチュアリスト教会> 

・死後の生命存在を実証するために、ミディアム(霊媒)が死者たちとコンタクトをとり、メッセージをもらう集会をする教会。

 

<英国スピリチュアリスト協会(SAGB)>

・SAGBと呼ばれる英国で有名な団体。130年の歴史がある。前身はメアリールボーン・スピリチュアリスト協会という、12人の知識人によってはじめられた。その中にはシャーロック・ホームズの生みの親であるアーサー・コナンドイル卿もいる。ミディアム養成のための様々なクラスもある。

 

 <著者の子供時代に病気の時の死後体験でみた霊界>

 <カラフルなインディアンの訪問者>

・何日もの間、私は隔離されて、病院の小さな部屋にいた。毎日、医者たちが回診に来た。

 

・薬は眠りを誘うものだったに違いない。なぜなら、私は、眠ってばかりのようだったからだ。そして、切れ目なしに夢を見ていたのか、霊視だったのか、今となっては確かではないのだが、各国の子供たちが大勢でベッドのまわりで、踊ったり遊んだりするのを何回も眺めたことを覚えている。他にもたくさんの訪問者があった。その中に何年か前、バイオリンを習えなかった時に慰めてくれた“真っ白な衣装を着た女性”もいた。

ほぼ毎日ある訪問者の中に“カラフルなインディアン”がいた。彼は来ると決まって私を寝かしつけてくれた。眠くならないときには、半分眠っているような夢心地になった。

 

<霊界には夜がないし、眠る必要がない。>

・ そこには夜のようなものがない。私達は、眠る必要がないのだから、休息や細胞組織の再生を必要とする物質の身体がないのだ。それに、ここ地上にいるとき時は違って、太陽や月に支配されて生きているのではないから、時間に制限されない。

 

・ 魂の集団全体が霊界で完全に揃うまで待つのである。地上は多くの魂にとって最大の学校であるが、霊界でも魂は学び向上するための無数のチャンスがあるというのだ。

 

 <あなたが人生を選ぶ>

・ もっと高次元の進歩を遂げた魂のことを、私達は、霊的な教師と呼んでいる。霊的な教師は、悟りを開く準備が整い、進歩を熱望する者たちをいつでも助け、指導する用意がある。喜んで未熟な魂たちの手助けをして、さらに道案内してくれるのだ。霊界の生活は大部分の魂にとってこの上もなく心地よいものである。霊的な進歩という点から、そこで多くのことを得ることができる。

 

・ しかし、霊界であまりに長く過ごさず、この世に転生する例外的なケースもある。この世でのほうがある特殊なレッスンのために都合がいいというケースだ。戦争や災害で魂がこの世でのレッスンを完了しなかったということもある。

 

・まず、生まれ変わる、つまり転生するのは自分の選択で、私達の自由な意思である。ある期間を霊界で過ごしたあと、私達は、自分の限界に気づき、もっと進化したいと思うようになる。その時、より高い界層からの指導と霊的な教師の手助けによって、この世での新しい人生を計画するのだ。そして、霊界の潮流から押し出され、この世に戻ってくる。

 

 <霊界を思い出すことが重要>

・死と再生の循環にも終わりがある。この世で必要なことをすべて体験し、習得したときに、自由のきかない肉体をまとうことをもはや望まず、霊界にいる状態に満足したとき、その時こそが、霊界のより高い界層を昇るときである。霊界には豊富な知識や知恵を得ることができる界層が数多くある。

 

 <前世は知らないほうがいい>

・ 人の魂は、みな進化と発展の途中であるということを理解して欲しい。私達は、みな過去において生き延びるためにあらゆる手段を使って戦ったのだ。だから、「私達がこの世に生まれる際に過去のあらゆる記憶は、自動的に消去される」という宇宙の法則は、ありがたいものである。体験したことを全部覚えていれば、いたたまれない人もいるだろう。

 

 <輪廻転生>

 <人生という舞台>

・新しい人生が地上で始まるとき、私達の魂は、新しい肉体に宿る。新しい脳、初めて抱く感情・・・。新しい身体は、明らかに前世の身体とは何の関係もなく、新しい脳も前世の脳と何の関係もない。生まれる前に霊界で過ごした時の記憶もない。

 

・ 例外として、前世のぼんやりした記憶や出来事のかすかな部分を思い出す人々もいる。子供の中にはそういった事を話す人もいるが、地上での年月が経過するにつれ、そういう記憶も薄れて、はっきりしなくなる。この情報や記憶力は、魂から来るのでしょう。意識や潜在意識から来るのではない。

 

 <霊界で過ごす時間>

・ 「魂は、次にこの世に生まれるまで霊界でどのくらいの時間を過ごすのか?」は、よくある質問だ。それぞれのケース(それぞれの魂)で違っており、決まった期間というものはない。

 

・ 私達は、みな「カルマに基づく魂の集団」家族と呼んでもよい集団とつながっていることを改めて理解してほしい。私達は、偶然この世に生まれるわけではなく、魂の成長のために生まれるのだ。

 

・ 霊界には時間が存在しないという事実から私達が、霊界で実際に次の生まれ変わりまでどれくらい時間があるのかの答えを出すことは、困難だが、一般的には地上の時間で、約150年から200年、霊界で過ごすと言っていいだろう。

 

・ この世では、日数や季節で、春夏秋冬で時間を数える。しかし、霊界にあるのは光のみ、多くのスピリチュアリストが、霊界をサマーランド(常夏の地)と呼ぶのはこの事実による。

 

 

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(5)

2023-10-25 11:54:18 | 森羅万象

 

<マーク・トゥエインの話>

・マークが家の外で葉巻を吸っていると、見知らぬ男がこちらへ向かって歩いてきた。と、つぎの瞬間、男は姿を消してしまった!前々から幽霊を見たいと思っていたマークが、このことを書き留めようと思って家のなかへ駆けこむと、玄関ホールの椅子に、くだんの男が腰かけているではないか。何か用事があってやってきたらしい。マークに仕える黒人の使用人は、ふだん玄関のベルが鳴ると「そのうちあきらめて帰るだろう」という調子で延々と客を待たせるのが常だった。ところがこの日マークは、客が通りすぎたところも見なかったから、いきなり自分の目の前から消えたことがまったく解せなかった。考えられる説明はただひとつ、自分でも気づかぬうちに眠ってしまったということぐらいだ。消失は、出現と同じくらい謎めいていて、消失のほうがずっと珍しい

 

このように、ごく短い時間眠ってしまったときに幻覚を見る――すなわち身のまわりのことを知覚していて、自分では目覚めていると思いながら眠ってしまったときに幻覚を見ることがあるという考え方は、幽霊の説明として18世紀によく使われた。ブルーアム卿やリトルトン卿をはじめとして、幽霊や幻覚を見た教養人は、みなそういう理由づけを用いた。ところが幽霊として現れた人物とその人の死が重なると、教養人たちは、夢はかぎりなくあるのだから、そのうちのいくつかが偶然に現実と符合してもふしぎではないと、理屈に合わない主張を始める。どうも彼らは大切なことを頭から閉め出そうとしていたようだ。睡眠時の夢はありふれたもので数かぎりなく事例があるが、覚醒時に夢を見る例はきわめてまれで、たとえばブルーアム卿の場合も、それが生涯ただ一度の体験だったのだ。だから偶然の一致が起こる機会は、非常にかぎられている。

 

・夢がいい話の種になるのは、夢で見たものが過去現在未来のまだ知られていない事実と符合し、それを十分に描き出しているときにかぎる。たとえば、メアリー・スチュアートの秘書リッツィオの殺害事件をありありと夢に見たとしよう。この事件は、歴史や芸術を通じて誰もがよく知っている事柄だから、それを夢に見たとしても驚く人はいないだろう。しかしメアリー・スチュアートの生涯のうち記録に残されていない場面を夢に見、夢を書き留めたあとでその正しさを証明する文書が始めて発見されたとしたら、それは驚くべき夢として語り草になるはずだ。あるいは簡単に推測したり知ったりできないような事柄を夢に見て、その夢が(事実を知らされる前に夢を記録しておかねばならないが)あとから来た知らせと一致する場合もあるだろう。さらには、あるできごとを夢に見てそれを記録したところ、あとから同じことが起こるという場合もあるかもしれない。いずれのケースでも、時間が延びたり縮んだりするというふつうの夢のふしぎさに、未知のできごとが実際に起こるという要素が加わっている。

 

<古い証券>

・ある女性が、夢で窓辺にすわり、晩秋の夕日が沈むのをながめていた。そのとき玄関でノックの音が聞こえ、やがて紳士と婦人が部屋に通されてきた。紳士は19世紀初頭のような古めかしい黄褐色のスーツを着ている。実際それはナポレオン戦争で、フランスにおいてイギリス人捕虜になっていたことのある年老いた叔父だった。いっしょに来た婦人はとても美しく、スペイン風のマンティラと呼ばれるベールをかぶっている。ふたりは珍しい細工をほどこした鋼鉄製の箱を持っていた。会話が始まる前に、夢のなかのメイドが婦人のおみやげのチョコレートを持って入ってくるとふたりは姿を消したが、メイドが退出するとまたテーブルのそばに現れた。見ると鋼鉄の箱がひらいており、老紳士がなかから黄ばんだ紙を取り出した。色あせたインクで何か文字が書かれている。老紳士は、これはわたしが持っていた証券の記録だ、と話し出した。1800年代の初頭に彼はフランスにいて、隣の美しい婦人と婚約したのだという。

「今、証券は、金庫に入れてある」と紳士は言った。「ほれ、あの会社の――」。ここでまたノックの音がして、こんどは夢ではなく、本物のメイドが本物のお湯を持って入ってきた。起きる時間だった。おそらく夢全体が、最初のノックの音をもとにして生まれ、客人がやってくるというドラマチックな形に脚色されたのだろう。現実の時間でほんの2、3秒のできごとだったはずだ。メイドの2度目のノックで、「あの会社」がどの会社だったのかは明かされぬままになったが、おそらくマンティラをかけた婦人同様、架空の存在だったのだろう。

 このように夢は、気がつかないほどの、ごくかすかな現実の刺激をドラマに仕立てあげる。そしてただの空想(古い証券の話がそうだ)や、一度はあったが完全に忘れ去っていた事柄、あるいはちらりと頭をよぎったがしっかり考えることのなかった推論などが、夢の劇場の登場人物の口から「明かされる」。その登場人物は、生きている人のこともあれば、死んだ人、あるいは架空の人物の場合もある。

 

<夢と幻視>

事実と符合する夢、過去、現在、未来の知られざるできごとが明かされる。「精神的電信」すなわち「テレパシー」の理論では、未来を予見する夢を説明できない。

 

・当人が知らない、そして知り得ない事実をぴたりと言い当て、しかも作り事ではないと証明された夢には、ほかの何ものも――幽霊すらも――かなわないほど大きく信念を揺るがす力がある。遠い場所や遠い過去に起こったできごとが夢に出てきた場合でも、その謎を解き明かすのは難しい。ましてや未来のできごとを当てたとなると、「まぐれだ」とでも言うしかない。たとえばわたしが遠くで起こったできごとを夢に見て、先にその夢を記録したり、夢に従って行動したりしてから、それが実際のできごとであるとわかったとしよう。さらにその事柄が、病人が亡くなるとかレースや選挙の結果を知るといった、推測可能なものではなかったとしよう。そういう夢も十分ふしぎではるが、登場したできごとは、生きている誰かの頭のなかにあるはずのものだ。もしも「精神的電信」あるいは「テレパシー」といったものがあるとしたら、わたしの心は夢のなかで、その事実を知っている人の心のなかに分け入ったのかもしれない。

 

こんなふうに考えるとまことにやっかいだが、それにもかかわらず人間は3種類の夢、すなわち知られざる過去の事柄、現在の事柄、そして未来の事柄を知らせる夢を3つながら信じてきた。当然のことながら慎重派は、そんな夢は偶然のたまものか、忘れていた記憶がよみがえった結果か、記憶違いの幻想か、あるいは意図的にせよ無意識的にせよとにかく作り話だとして退ける。それでも物語は語られつづけるし、本書の関心は物語にある。

 

<ガラガラヘビ>

・アメリカ、フィラデルフィアにあるエピファニー教会のキンソルビング博士は、「ガラガラヘビと遭遇する」夢を見た。「殺すと、尾に黒っぽいガラガラがふたつついており、尾の骨に奇妙な突起があった。皮膚の色もふつうのガラガラヘビに比べて薄かった」。翌日、兄と散歩していると、キンソルビング博士は、ガラガラヘビを踏んづけそうになった。「わたしが心の目で見たガラガラヘビと、こまかい点までそっくりそのままだった」。しかしキンソルビング博士の兄は、弟と力を合わせてこの不運なヘビを退治したあと、「ガラガラはひとつだけだった」と述べている。兄弟は、互いに相談することなく、べつべつにこの件を手紙に書いていた。兄の言うとおりだとすれば、ガラガラがひとつだけのこのヘビは、夢に現れたヘビではないということになる。兄弟の住まいはヘビの多いウェストバージニア州にあった。

 

<幻覚>

・事実と符合する幻覚は、科学では認知されないか、または偶然、でっちあげ、記憶違いなどで説明される。それらは、一般には生き霊または幽霊と呼ばれる。

 

・水晶玉による幻視は、誰でも自分で、あるいは信頼できる仲間とともに実験することができる。それは意図的に作り出した幻覚で、簡単な手順を経れば、可能な範囲で幻覚を呼び覚ましたり、引き起こしたりすることができる。いっぽう、意図的でなく、覚醒時に不意に起こる幻覚は、フランシス・ゴールトン氏の研究によれば夢ほど日常的ではないものの、やはり健全な精神のなせる業であることに変わりないさて、幽霊あるいは生き霊というものは、すべて幻覚である。

 

<生き霊>

・スコットランドのハイランド地方では、生きていて元気だがよそのいる人が姿を現すことを「生者の霊」と呼び、セカンド・サイトという特別な能力を持った人のもとにちょくちょく現れると広く信じられている。訪問者が客から見知らぬ他人か、あるいは相手が持っているかいないかを問わず、本人の到着より前に生き霊が到着するというのだ。読者諸氏は、通りで知り合いに出くわした経験がおありだろう。その人とすれちがって、ものの100メートルと歩かないうちに、またしてもくだんの相手と出くわして立ち話をする。その相手が印象的な格好をしていたり、風変わりな人だったりすると、知り合いに出くわした体験自体が、不可思議なものに思えてくる。おそらくは、現実のできごとに多少の幻覚がまぶされているのだろう。このごくふつうの体験が「アライバル」と呼ばれる体験への入り口だ。「アライバル」とは、ある人の姿を見たり聞いたり、ときには言葉を交わしたりしたのに、その人はまだ移動中でその場に到着していないという現象である。マーク・トゥエインは、みずからの体験を記している。ある大人数のレセプションで、トゥエインは、人ごみのなかに昔好きだった女性がいて、こちらに近づいてくるのに気がついたが、近くまでくると姿を見失ってしまった。夕食会のとき彼女に会うとレセプションのときと同じ服装をしていたが、レセプションの時間には彼女はまだ汽車で会場のある町へ向かっている最中だったという。

活字になっている例もたくさんある。ある紳士が婦人とともに窓辺でいると、兄とその妻が、何週間も外に出していない馬に馬車を引かせて通りすぎるのを見た。まもなく兄夫婦の娘が訪ねてきたが、娘はちょっと前に家を出たところで、そのとき両親はまだ家にいたというのだ。その10分後、本物の兄夫婦が、馬から何かさっき見たままの姿で到着した。

この話は「まぼろしの馬車」の一例でもある。

 

<幽霊と幽霊屋敷>

<近世の幽霊屋敷>

・シュチーポフ夫人のような事例は、幽霊屋敷特有の例だと言える。われわれの祖先、たとえば近世の中国人は、そうした事例を、通常の死者の幽霊ではなく悪魔憑きのせいで起こるものだと考えた。悪魔憑きの例は数が非常に多く、詩人のコールリッジの言葉を借りれば、みな同じ「症状」が表れる。コールリッジは、そのような症状は、目撃者のあいだに、観察神経の障害が伝染するせいで起こるのだと考えていた。この手の事例のなかで最もよく知られているのが、作家のウィリアム・ハウィットが取材してつづり、同じく作家のキャサリン・クロウが『自然の夜の側』で借用したウィリントン製粉所の幽霊譚だろう。

 

<さらなる幽霊屋敷>

・先に記したようにロシアのシュチーポフ夫人の事例では、少なくとも医師が夫人を診ているあいだは、魔物を抑えこむことができた。この手の騒動には、明らかに医師の目配りが必要だと思われる。とはいえ、もしこれらの騒動のすべてが自作自演だとするなら、その俳優や女優はみな驚くほど似かよった症状を示しているし、また誰も彼もが恐ろしいほど放火好きだということになる。著名な心理学者のウィリアム・ジェームズ教授は、よく似た10件の事例をあげて「自然に生まれた型があるのではないか」と述べている。それはつまりヒストリー症状のひとつの型ということなのだろうか?

 

<訳者あとがき>

・本書は1897年に初版が出版された。

 

・……と、ひと言で言ってしまうと簡単なのだが、その関心の分野がじつに幅広い。詩作、小説、随筆、評論、人物伝、歴史書、人類学や民俗学の研究書。いっぽうでは先に触れたとおり世界各地の民話の蒐集を続けて、1889年に『あおいろの童話集』を出版。

 

・『アンドルー・ラング世界童話集』には、この原書の挿話が収録されている。そして民話の蒐集や、人類学、民俗学研究の延長線上にあるのが、本書『夢と幽霊の書』に代表される心霊現象への関心だった。

 本書にも民話と実話の中間のような物語がいくつか収められているが、伝承物語である民話と、「実話」と称される怪奇譚の境目は、じつはあやふやであることが本書を読むとよくわかる。また、世界各地に同時発生的に同じパターンの話が存在する民話と同様、怪奇譚も世界各地に時代を超えて類話が存在する。そのような物語に接したラングは、民話蒐集家としての血が騒ぐと同時に、人類学的、民俗学的な興味をおおいにかき立てられたのではないだろうか。

 

・だがラングを心霊研究に向かわせた要因は、それだけではあるまい。みずから水晶玉をのぞいたり、「出る」といわれる屋敷に泊まったりという本書のエピソードから推察すると、どうやら純粋に心霊現象というものに惹きつけられてもいたようだ。その裏には「心霊主義」が一種のブームを巻き起こしていた当時の社会背景があるだろう。アメリカやイギリスでは1850年代から「霊媒」と呼ばれる人たちがスターのようにもてはやされたり、各地で降霊会が催されたりするようになっていた。

 

ラングも1882年の設立当初から心霊現象研究協会の会員として名を連ね、亡くなる前年の1911年には会長も務めている。会員にはほかにも、のちの首相で『バルフォア宣言』で有名になるアーサー・バルフォアや、数学者で『不思議の国のアリス』の著者であるルイス・キャロル、シャーロック・ホームズの生みの親アーサー・コナン・ドイルら、英国の代表的な知識人がそろっていた。

 ラングはこのなかで、ドイルとはちょっとした縁があった。

 

このあとドイルは1893年に心霊現象研究協会に入会する。彼の人生をくわしくたどることは避けるが、ドイルは次第に霊魂の存在を確信するようになり、第1次大戦を経て晩年に差しかかるころには、心霊主義の啓蒙活動を人生の中心に据えるようになっていた。ふたりの少女がいたずらででっちあげた妖精の写真をドイルが本物の信じ込んで本まで出版した「コティングリー妖精事件」もよく知られている。いかに心霊ブームがあったとはいえ、こうした一連の行動がドイルの名声を傷つけたのは確かで、やはりこの分野とうまくつきあっていくのは、相当難しいことなのだと思わされる。

 

・「すべての幽霊は幻覚である」と言い切り、まだ科学的には立証されていないものの、「テレパシー」が、その幻覚を引き起こしていたのではないかと説明を試みるラング。

 

<「120年の時を経てあらわれた幻の本」   吉田篤弘>

・先にも書いたとおり幻想文学的興味から民俗学関係の本を読んでいたとき、またしても、アンドルー・ラングの『夢と幽霊』に突き当たった。水野葉舟の『遠野物語も周辺』(図書刊行会)という本である。帯の謳い文句に「いま蘇る第2の遠野物語」とあるとおり、水野葉舟は柳田國男の『遠野物語』が刊行される以前に、遠野に伝えられてきた奇談、怪談の数々を収集してはいくつかの雑誌に発表していた。のみならず、柳田を遠野にガイドしたのも水野であり、この人なくして『遠野物語』は成立しなかったと云われている。

 

水野はそうした本邦の怪談を紹介するだけではなく、海の向こうにも自分と同じような「収集家」がいるのを知って、いち早く翻訳を試みていた。これは明治41年に『趣味』という雑誌に掲載されたもので、『怪夢』と題して6篇の小話を紹介し、その冒頭にこう記している。

不思議な夢について、アンドリュー・ラング氏の集めた話の中の二三をここに書いて見る

 この六篇だけではなく、水野は何度か「ラング氏の集めた話」すなわち本書から翻訳した数篇をあまり知られていない小さな雑誌に細々と発表していた。

 

 

 

『英国の幽霊伝説』  ナショナル・トラストと怪奇現象

シャーン・エバンズ   原書房  2015/1/26

  

 

 

イギリス人口の半分近くは幽霊を信じている

・本書ではナショナル・トラストの管理スタッフやボランティア、見学者たちが実際に体験した奇妙な出来事や、何世紀にも渡って語り継がれてきたミステリーを収集。幽霊城や呪われた館の撮影で著名なサイモン・マースデンの作品をはじめとする、幻想的な写真とともに幽霊譚を紹介する。

 

 ・人がそこに住み、そこで死を迎えたすべての家は幽霊屋敷だ。開いたドアから、何かの目的を果たそうと、悪意のない幽霊たちが滑るように姿を現す。彼らの足が床に音を立てるとことはない。

 

 ・古い建物には強烈な個性が宿ることがある。人々が暮らし、愛し合い、争い、勝利し、絶望した場所はどこでも、そこならではの特徴がある。そうした古い建物の中で一定の条件が整うと、ほんの一瞬、過去の出来事が現在に投影される。まるでちょっとした電気障害が起こったときのように。私たちはこうした場所を「とりつかれている」と言い、その劇中の主人公(ドラマティス・ペルソナエ)を幽霊と表現する。

 

 ・古くは旧約聖書の時代から、世界中のあらゆる文化の伝統の中で、幽霊は死んだ人たちが現れる現象と考えられてきた。彼らは生きている人たちの前に姿を現し、何かのメッセージを伝えたり、危険が迫っていることを警告したりする。もう少し時代が下ってからは、新しい説として、私たちが幽霊と呼ぶものは迷える魂ではなく、古い時代の「記録」なのだと唱える人たちも現れた。つまり、現代の目撃者が別の時代、別の次元のシナリオの一部を垣間見ているということだ。時代を隔てていたヴェ―ルがほんの一瞬すべり落ち、その間に古い時代の断片的な記録が再生される。

 

 ・古い場所に幽霊がすみつくと信じられている理由は実にさまざまで、答えを見つけるのは簡単ではない。たとえば、強烈な個性の持ち主が彼らの特定の場所に「刻みつける」のかもしれない。

 

 ・これは驚きの結果と言えるかもしれないが、イギリスのNOP[全国世論調査会社]が2000年に実施した調査によれば、イギリス人口の半分近くは幽霊を信じている。約42パーセントのイギリス人が、幽霊や亡霊、その他の超自然的な存在を信じていると答えたのである。

 

 ・スコットランドと北イングランドでは、3分の2近くの人が幽霊を見た、あるいはその気配を感じたことがあると認めているのに対し、南部の人や年配の人たちはもう少し懐疑的だった。

 

 ・本書は、ナショナル・トラストの管理下にある歴史的重要性を持つ特徴的な建造物や美しい自然に関連する古い物語を記録する目的でスタートし、そこから徐々に発展したものである。

 

 ・ナショナル・トラストの所有地と結びついたバラエティに富む幽霊物語は、十分な証拠に裏づけられたものもあれば、時には歴史的事実と矛盾する内容のものもある。

 

 ・しかし、それぞれの物語の核心にはいつも一粒の真実がある。そして、優れた幽霊物語とは要するに、その特別な場所をつくり、そこに住んできた人々について想像力豊かに語られた物語が、彼らの子孫や相続人たちによって語り直され、解釈され、修正されてきたものなのだ。時には歴史的事実が含まれることもあるものの、神話や伝説として語り継がれるこれらの物語は、今も私たちの民間伝承の力強い底流を成している。これらの物語はイギリス文化史におけるひとつの豊かな鉱脈であり、重要な口承文化の伝統が現代に受け継がれている証でもある。

 

 調査を始めるとすぐに、幽霊たちには出没期限がないことが明らかになった。つまり、ある場所に幽霊が出たという記録があれば、たいていの場合、その幽霊は時代を超えて存在し、はっきりした終わりというものがない。古くから「とりつかれてきた」とされる建物の現在の管理者――スタッフ、その家族や友人、ボランティアや訪問者――を直接訪ねてみると、多くの場所で、今そこにいる人たちも同様の奇妙な体験をしていた。そのため、特定の場所の古い民間伝承を収集しようとして始めたことが、その場所を語るにふさわしい人たちにインタビューするうちに、あっという間に彼ら自身が経験した奇妙な出来事を語ってもらうという、ユニークな口述歴史プロジェクトに変わっていった。ナショナル・トラストのスタッフ4500人[当時]、ボランティア4万人、見学者のうち、話を聞かせてもらった人たちの多くが、自分の経験を語ることを快く承知してくれた。

 

 ・幽霊が出るとされる場所では、幽霊の存在を信じる人と疑う人の両方による調査が数多く実施されていて、そうした調査によって物語に興味深い情報が付け加えられることも多い。また、超常現象の調査は、室温の明らかな変化、「玉ゆら」(写真や映像にはっきり写っているが、撮影時には見えなかった円形の光)などの説明できない現象を記録することがある。しかし、もちろん幽霊はこちらの注文どおりには現れてくれない。実際、この本のために集めた物語を見ると、幽霊が現れるのは目撃者がいつもどおりの日常的な作業をしているとき、あるいは何らかの害のない行動に熱中しているときが多いように思える。

 

 ・私たちはこうした「予期せぬ物語」と、これから本書で紹介する次のような物語をきちんと区別して考えらなければならない――ある教育コーディネーターは壁から灰色の霊が現れて窓から出て行ったのを見て仰天し、ある学芸員はディズレーリの幽霊から非難めいた視線を向けられた。また、ある清掃係はティールームにいるときに清教徒革命時代の給仕の少年から嫌がらせを受けた。ベルファストのバーではヴィクトリア朝時代の洋服を着た4人の人物が突然現れた。上半身のない足だけが現れ、掃除したばかりの床に足跡が残された。階段を下りるローダーデール公爵夫人の亡霊の足音が聞こえ、そこにはバラの香りが漂っていた……

 <アバコンウィ・ハウス>

・ウェールズ北部の古都コンウィは、幽霊に関しては幽霊に関してはちょっとした評判で、城壁の上を歩く番兵の姿が目にされることもあれば、溺れ死んだはずの漁師が突然波止場に姿を現したという話もある。

 町の中央にひときわ目を引く建物がある。石積みの上にハーフティバー様式[むき出しの木の骨組みと塗り壁やレンガ壁から成る]の外壁を組み合わせた15世紀初期の家だ。アバコンウィ・ハウスは、この城塞都市の激動の歴史を生き残った唯一の中世の商家で、ウェールズに残る最古のタウンハウスである。

 ・奇妙な出来事が最も頻繁に起こるのはジャコビアン様式[ジェームズ1世時代(1603~25)風]の部屋で、スタッフや見学者、ボランティアの何人かが「ヴィクトリア朝時代の格好をした紳士」の姿を目にしたと報告している。管理人はもっとはっきりと、「……背の高い、フレッド・ディブナーに似た人物」と表現する。[フレッド・ディブナーはとび職人からテレビの人気パーソナリティになった人物で、歴史家でもあり、無類の蒸気機関車好きで知られた]。この紳士の幽霊は階下でちらっと姿を見せることが多いのだが、夜遅くにジャコビアン様式部分に現れたことが少なくとも一度あり、部屋の中に入っていったものの、そこですぐに姿を消してしまったという。部屋への入口は一か所だけなので、物理的には不可能な現象だった。

 この紳士が現れるときには、その前兆としてパイプたばこの匂いや花の香りが漂うことも多い。スタッフは彼のことを「ジョーンズ氏」と呼んでいる。1850年から1880年まで妻と10人の子どもたちと一緒にこの家に住んでいた人物の名前だ。

 

 <エイヴベリー>

・エイヴベリーはヨーロッパでは最も重要な巨石記念物のひとつで、広大なエリアに立石が散らばっている。

 ・エイヴベリーには、この遺跡の数十年前の様子を目にしたという女性の奇妙な話もある。第1次世界大戦中の10月のある夜、教区牧師の娘で農耕部隊の一員でもあったイーディス・オリヴィエという女性が、はじめてエイヴベリーを訪れた。遺跡への道はよくわからなかったのだが、かまわずベックハンプントンを出発した彼女は、霧の立ち込めた西からのルート沿いにある、巨石のそそり立つ道に魅了された。ある村に着くと、村人たちがどことなく田舎風の市場に集まっているのが見えた。その巨大な道は1800年までに消滅しただけでなく、その村では1850年を最後に市が開かれたことがないと彼女が知ったのは、それから9年後のことだった。

 地元住民が夜中に石の周りで幽霊のような人影を見たり、動く光を見たりといった話は山ほどあり、亡霊が歌を歌っているのを聞いたという話もある。そのため、巨石群は今もかなり丁重に扱われている。地元では、立石の一部だった石を使って建てられた建物は、「幽霊の来訪」と呼ばれるポルターガイスト現象を引き起こすと信じられている。

 

 <バッダスリー・クリントン>

・このロマンチックなマナーハウスはフェラーズ家が代々暮らしてきた邸宅で、15世紀に周りに堀をめぐらして建設され、17世紀以降はほとんど変わっていない。エリザベス朝時代には迫害されたカトリック教徒の避難場所になり、建物の中に三つの隠れ場所がある。

 バッダスリー・クリントンの歴史を考えれば、この家に多くの幽霊物語が生まれたのも不思議ではないだろう。1930年代にフェラーズ家によく招かれていたある老紳士は、この家の飼い犬の一匹が突然起き上がり、誰にともなく甘えた仕草をしていたことを覚えている。一家は「幽霊に甘えている」のだと言っていた。

 

・現在のスタッフも不可思議な現象を目にすることがある。「幽霊など絶対に信じない」と断言する今の資産管理人でさえ、彼が経験した次の出来事については説明できなかった。ある夏の夜の午後9時ごろ、彼は邸宅内のオフィスでひとり残って仕事をしていた。よく晴れた日で、風もない静かな夜だった。ところが突然、階段を上りオフィスのほうに歩いてくる足音がはっきり聞こえた。最初は何かの用事で同僚のひとりが戻ってきたのだろうと思い、気にしなかった。足音はだんだん大きくなり、閉じたドアのすぐ前までやってきたが――それっきり音は止み、家の中は再びしんと静まり返った。資産管理人はデスクから立ち上がり、誰だろうと思いながらドアを開けたが、そこには誰もいなかった。

 

 ・緋色の上着に白い帯をたすき賭けにした男性の姿を目にしたという人たちもいた。その後、レベッカが見つけた第9歩兵連隊のトーマス・フェラーズ少佐の細密画が、目撃された男性の描写にぴったり合っていた。フェラーズ少佐は1817年にフランスのカンブレーで任務についている間に、城壁から落下して死亡した。レベッカがフェラーズ少佐のためにミサを開いてからは、足音が聞こえることはめっきり減ったという。

 

 <ベルトン・ハウス>

・この静かな環境にたたずむ邸宅には、数多くの幽霊話が伝わる。1685年から88年にかけて建設されたベルトン・ハウスには、王政復古時代(1660~88)のイングランドの自信と楽観主義が表現されている。19世紀にはカリスマ性のある第3代ブラウンロー伯爵のもとで、ベルトンは第2の黄金時代を謳歌した。

 ・ここには多くの幽霊がらみの物語があり、謎めいた「黒い服の貴婦人」の幽霊についてはさまざまな目撃報告がある。また、対照的に黄金の光に包まれた「ベルトンの輝きの婦人」が、しばしば主階段のホールに現れるという話もある。

 

 <ベニンバラ・ホール>

・「ヨークのカントリーハウスと庭園」として知られる現在のベニンバラ・ホールは、同じ敷地内のすぐ近くにあった後期エリザベス朝様式の家を建て替えたもので、1716年に完成した。この家は有名な殺人事件の現場になったが、それがいつ起こったのかについては1670年代とも1760年代とも言われている。痴情のもつれにより殺害された犠牲者の幽霊が、その後何世代にもわたってこの家にとりついてきた。

 

 <ナショナル・トラスト>

・英国人は幽霊や不思議なものを愛する国民性があるといわれ、かの国の歴史と幽霊をテーマにした本や、怪談・超常現象をまとめた本は、これまでに数限りなく刊行されている。なかでも本書が特別である点は、まえがきにおいて著者自身が述べているとおり、英国ナショナル・トラスト保護資産に対する調査プロジェクトを発端としていることにある。

  

 

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(4)

2023-10-25 11:53:11 | 森羅万象


<天国・地獄・煉獄について>
・以上のことはみんな、私たちが子供のころ教わった天国や地獄とは、ほとんどなんの関係もない、とあなたはいわれるだろう。しかしそういうことが、これらの伝説の背後に実在してあったことは事実である。
 たしかに地獄というものは存在しない。それでも、大酒飲みとか好色家は、それほど(地獄に)似ていなくもない境遇を、自分から作りだす用意をしていたのかもしれないことが解るであろう。ただその境遇は永遠に続くことはない。彼はいつでもそれを止めることができる――もし彼が、これらの現世的な激情を支配するだけ十分強く、十分賢くなり、完全にそれらを克服してみずからを高めるなら。
 これが煉獄という教義の底に横たわっている真理である。それは、死後、ある量の苦しみによって人間のなかの悪徳を消滅させなければ、天国の至福を楽しむことはできないという思想である。
 
・死後の生には、天国についての理性的な観念と非常によく対応した、第二の、より高位の段階がある。このより高位のレベルは、あらゆる低位の、利己的な激情が完全に消滅したとき到達できる。そのとき彼は、この地上生活でエネルギーを注いだ方面に応じて、宗教的法悦とか、高度の知的活動といった境遇に入っていく。
 それは彼にとってこの上ない喜悦の期間、真実に対するはるかに大きな理解、あるいはそれに向って、より接近する期間である。しかもこの喜びは、ただ特別に敬虔な人たちだけでなく、すべての人に与えられるのである。
 
<人間の真の生涯>
・人間の生涯は、あなたが考えておられたよりもはるかに長く、はるかに広大である。神から出てきたこの分霊は、彼に回帰していかなくてはならない。しかし私たちは、いまだ完璧な神聖からはほど遠い。
 すべての生命は進化の過程にある。なぜなら、進化は神の法則だからであり、ひとは他のあらゆるものとともに、ゆっくりと、しかし着実に進歩しているからである。
 
<死者の悩みを除く>
・死者は、あとに残してきた人たちに対する心配に煩わされることはないか、とお聞きになるかもしれない。時にはそういうことも起こり、そういった心配が彼の進歩を妨げもする。それゆえに、私たちはできるだけそういう機会を与えないようにすべきである。
 
<子供たちの場合>
・彼らは愛する両親や兄弟や、姉妹や友だちを失ってはいないことを思いだしていただきたい。子供たちは彼らと、(今は)昼の代わりに、夜と呼ぶ時間に遊ぶだけである。したがって子供たちは、失ったり別れたりした感じは持っていない。昼のあいだも、彼らは一人ぼっちではない。というのは、そこでは、ここと同じように、子供たちが集って一緒に遊んでいる――至福の楽土で、たぐいまれな楽しみにあふれて遊んでいる――からである。
 
・ふつうそのような赤子は、霊界にはほんのしばらくしか留まらず、もう一度地上に、それもしばしば同じ父母のもとに、帰ってくる。
 
<わたしたちのとるべき態度>
・これまでのところ私たちは、睡眠中に昇っていって死者に会う可能性――これは正常な、自然な方法である――についてだけ語ってきた。もちろん、異常で、非自然的な、心霊主義的な方法もある。その場合死者は、しばらくのあいだ肉の衣装をつけ、もう一度私たちの肉眼で見えるようになる。
 
<おわりに>
・以上の全体を、まとめて理解するよう努力してほしい。一なる神があり、全てのものは「彼」と一つである。この永遠院の「愛」のきずなを十分に自覚することができるなら、もはや私たちにとって悲しみはなくなるであろう。
 
<神智学を学ぶものの心構え>
・西洋の読者には、この点についてキリスト教の聖典の教えが、神智学の教えとまったく同等のものであることを想起されるなら、興味ぶかいものがあろう。
 
・神智学の学習を進めていくには、まったく新しい態度をとる必要がある――すなわち、私たちは心の窓を開き、宗教を、ちょうど科学に対してするように、良識をもって扱うよう学ぶべきである。
 
・神智学に対する私たちの態度は、私の考えるところでは、次のように特徴づけられるべきである。
1、    私たちは教会の権威に対する盲目的な信仰を、神智学の特定の教師に対する、同じような盲目的な信仰をとり換えるべきではない。
2、    私たちは偏見を捨て、知性ある、心を開いた態度をとるべきである。
3、    私たちは、与えられた真理を作業仮説として受け入れ、私たちの力でそれらの証明に向かって努力すべきである。
4、    私たちは、これらの教えが「彼」の宇宙に対するロゴスの計画を提示するものであり、その宇宙のなかで進歩していくための条件は、その計画の諸法則を学び、それらに反抗してではなく、それらに基づいて努力することであると悟るべきである。
5、    私たちが進歩や向上を望むのは、私たち自身のためではなく、得られた知識が人類の福祉のために使われ、人類の奉仕者として適った者になるためである。
6、    私たちは人生に対する見方をまったく変えるべきである。世のなかの悲しみや苦しみについて考えるとき、神学者たちの絶望的な態度を退け、希望に満ちた態度をとるべきである。なぜなら、神智学の教えは、あらゆるものは結局全てよくなるという、ゆるぎない確信をもって私たちを満たすからである。
 
<神智学的真理における重要さの序列>
・もう一度くりかえせば、神智学は、人間と宇宙のなりたちについて、またそれらの過去と未来について、膨大な量の新しい真理を示してくれる。
 
・これら高位の体も、肉体と同じようにその力と才能とを持っている。このことを理解すれば、私たちはそれらの力を全て、私たち自身の向上のために、また同胞の援助のために利用することができるであろう。
 
<訳注>
●ロゴス:ギリシア語の「ことば」で、隠れた思考の顕現とみなされている。
●エーテル:オカルト科学でいうエーテルとは現代物理学のエーテルとは別で、形成力のある、宇宙の根源的な物質さし、宇宙内の全てのものはこれから生じるとする。
●界面:宇宙を構成する全物質(顕現)をその「密度」の精粗にしたがって7層に分け、それぞれ界面または界と呼ぶ。神界、モナド界、精霊界、直感界、メンタル界、アストラル界、物質界がある。
●超人に開かれた7つの道
1,ニルヴァーナ(涅槃)に入る。2,ニルヴァーナ(涅槃)に入る。3,次の「連鎖」の援助を準備する。4,ロゴスの役員として加わる。5,デーヴァ(梵天)や天使たちのグループに加わる。6,人類とともに止まる。ニルマーナカーヤとして。7,人類と共に止まる。ヒエラルキーの役員として。
●道の4つの段階:1,ソターパンチ(流れに入った者)、2,サカダーガーミン(もう一度帰ってくる者)、3,アナーガーミン(もはや帰らない者)、4,アラハット(阿羅漢)(尊者)、
アセクハ(超人・大師)(全てを学びとった者)
 
●メンタル体:低メンタル界に対応する、「真我」の媒体。知生体と訳される。
●再生:死によっても消滅しない「真我」が新しい肉体をつけて再び現世に誕生すること。またその繰り返し。ちなみに動物などの、より低位の種族への生まれかわりは「転生」として区別され、神智学ではその可能性を否定する。
●コーザル体:消滅することなく再生を繰り返す「真我」の、より正確には「霊的魂」の、高メンタル界における媒体。
●エゴ:「自己」すなわち自我意識。普通再生する自己、「真我」をさす。心理学でいうエゴとは別語。
●天国界:メンタル界にある、特に保護された世界で、アストラル体を脱いだ後に入る。肉化と肉化のあいだの休息と至福の期間をすごす世界。
●サイコメトリ:物を見たり触れたりするだけで、その持主、あるいはその物に関係ある人についての知識を超感覚的に得る方法。見たり触れたりしないでも、これが可能であるとする霊能家もいるようである。
 
<神智学とはなにか>
・神智学は謎とみえる人生に英知の光をそそぎ、人生の苦しみや悲しみ、恐れや不満を超えて真の安心立命を与える。また人間と宇宙に関する啓発的な説明を、それらの起源・進化および目的にわたって説き、宇宙に君臨する法則を明示する。
 
  
 
『アストラル界』   精妙界の解明
C・W・リードビター 神智学協会ニッポンロッヂ  昭和59年5月
 
 
 
<アストラル界>
・しかし、今、われわれが考えようとしているのは、この見えない世界の低い部分であって、それは人間が死後、直ちにはいって行くところである。ギリシャでいう、「よみの国」即ち、地下の国であり、キリスト教のいう煉獄、即ち、中間地帯であって、中世紀の錬金術師達はアストラル界と言っていたところである。
 
・このアストラル界を説明する際に、明らかにしておく必要のある第一点は、アストラル界の絶対的な現実性である。
 
・アストラル界のものや住者は我々の家具や家や記念碑などが、本物であるという意味である。
 
・普通の知性をもつ人々が、肉眼で見えないものの実在を理解することはどんなにむずかしいか私は知っている。
 
・これらの諸界に普通つけられている名称は具体性の順序に従い、密度の濃いものから希薄なものへとあげて、物質界、アストラル界、メンタル界、ブディー界、ニルヴァナ界といっている。最後の界より高い界がもう2つあるが、それらは我々の現在の概念の力は及ばないので、しばらく考えない方がよかろう。
 
<風景>
・まず第一に、アストラル界には7つの部分界があり、各部分界にはそれ相応の具体性とその界に応じた資質の状態があることを理解せねばならぬ。
 
<アストラル界は物質界よりずっと大きく、地球の表面の上部数千哩にひろがっている。>
・アストラル界の規模はかなりのものである。我々のアストラル界は月が最も地球に近づく、近地点には触れるが、遠地点には達しないという事実から、我々のアストラル界の規模を或る程度正確に決定できる。その接点は最高のタイプのアストラル資質に限られている。
 
・しばらく、7番目の部分界はさておき、アストラル界の4・5・6部分界を考えると、これらは我々が生きている物質界と、物質界の付属物すべてを背景としているといえる。第6部分界の生活は物質体とそれに必要なものを除けば、この地上の普通の生活と同じようなものである。だが、第5、第4部分界へと昇るにつれ、だんだんと具体的でなくなり、我々のいる低級界とその興味からだんだん離れて行く。
 このような低級部分の風景は我々が知っている地球の風景と同じである。しかし実際には、それ以上のものである。
 
・またアストラル界の正規の住者は、普通の状態ではアストラル界のものだけを意識しており、物質資質は全く見えないのである。それは、人類の大半にアストラル資質が見えないのと同じことである。
 
<アストラル界の最低界、7番目の部分界にとっても、この物質界は背景であるといえる。>
・このレヴェルにいる不幸な人間にとって、「地球は暗黒と残酷な住民で満ちている」ということはまことに真実である。しかし、その暗黒は、自分自身の中から発し、それが悪と恐怖の永遠の夜に自分を進ませたのである。つまり、本当の地獄である。だが、それは他の凡ゆる他の地獄と同じように、全く人間が創造したものである。
 
<第1、第2、第3部分界は同じ空間であるが、物質界からずっと離れている印象を与える。>
・この領域は心霊術の会で、度々聞く“サマーランド”であり、そこからやって来て、それについて述べている者は、確かに、彼等の知識の許す限りは真実を述べているのである。
 “霊達”が一時的に彼等の家や学校や町等を造りあげるのは、このような部分界である。
 
・それでもそこにある想像物の多くは一時的な美ではあるが本当に美しく、高級なものを何も知らなかった訪問者は十分に満足して、少なくとも物質界のものよりもずっとすぐれている森や、山や、美しい湖や、美しい花園をさまようことが出来る。又は、この人は、自分自身の空想に合わせてそのような環境をつくることさえできる。これら3つの高級部分界の違いの詳細は、多分、我々がその界の人間住民をあつかう時にもっともよく説明出来よう。
 
<住者>
・アストラル界の住者は非常に多種多様なので、それらを整理したり、分類することは大変むずかしい。おそらく最も便利な方法は、人間、非人間、人工霊の3大クラスに分けることだろう。
 
<人間>
・アストラル界の人間住民は当然2つにわけられる。即ち生きている者と死者、もっと正確に言えば、まだ肉体をもっている者と、持っていない者とである。
 
<生きている者>
・物質生活中にアストラル界に出現する人々は4つのクラスに細別される。
 
1.  アデプトとその弟子達
・このクラスに属している人達は、普通、媒体としてアストラル体を用いず、マインド体をつかっている。それはアストラル界のつぎに高い界の4低級レヴェル、即ち4ルーパレヴェルの資質で出来ている。この媒体の利点はメンタル界からアストラル界へ即時に行ったり来たりすることが出来、メンタル界のより大きな力とより鋭い感覚とをいつも使うことが出来ることである。
 
・マインド体は当然、アストラル視力には全然、見えない。従ってマインド体で働いている弟子は仕事中に、低級界の住民達をもっと効果的に助ける為に、彼等に自分を知覚してもらいたいと思う時は、一時的にアストラル資質のヴェールを自分のまわりに集めるのである。
 
・調査者は時々、アストラル界で、神智学徒達のよく知っている大師方と全く無関係な団体に属している世界のあらゆる部分から来たオカルティズムの学徒達と出合うことだろう。その学徒達は多くの場合、大変熱心で自己犠牲的な真理の探究者である。しかしながら、このような団体はすべて少なくとも大ヒマラヤ同胞団の存在に気付いて居り、そのメンバー達の中には今、地上で知られている最高のアデプト達がいらっしゃることを認めていることは注目すべきことである。
 
1.  大師の指導をうけずにサイキック的に進歩している人
・このような人は必ずしも霊的に進歩しているとはいえない。霊的発達とサイキック的発達とは必ずしもつり合わないからである。
 
(3)普通の人
・これはサイキック的に発達していない人である。睡眠中はアストラル体で漂って居るが、多かれ少なかれ無意識状態のことが多い。深く熟眠中はこの人達のアストラル媒体の高級本質は肉体から常に出て行き、肉体のすぐ近くをさまよっているが、全く進歩していない人々の場合はその肉体と殆んど同じように実際には熟睡している。
 
1.  黒魔術師とその弟子
・このクラスは最初のアデプトとその弟子のクラスと似た所がある。異なる所は善ではなく悪のために開発が行なわれ、得られた力は人類の福祉のためではなく、全く利己的に用いられることである。
 
<死者>
・先ず第一に、「死者」というこの名称は、全く、誤ったよび方と言わねばならぬ。この項目のもとに分類されているものの、多くは我々自身と同じように完全に生きているからである。だからこの言葉は単に、しばらく肉体から遊離している者達という意味に理解せねばならぬ。これは10の主なクラスにわけられよう。それは次の通りである。
 
1.  ニルマナカーヤ
・涅槃の永続的な楽しさを享受する権利をかち得られたが、人類の仕合せの為に働こうと自らを捧げ、その権利を放棄されたお方である。
 
(2)輪廻を待つ弟子
・弟子が或る段階に達すると、自分の大師のお助けで、普通の場合には人間がアストラル生活を終えると天界にはいるという自然の法則の作用から逃れることが出来ると、度々、神智学書では言われている。
 
(3)死後の一般人
・このクラスの人々はこれまで述べてきた人達よりも何百万倍も多いことは言うまでもない。そしてこのクラスの人々の性格や状態は非常に広大な範囲に亘って様々である。アストラル界での生命の長さも同じように様々で、2、3日か2、3時間しかそこに居ない人々もいるし、何年も、何世紀もこのレヴェルにとどまる人達もいる。
 
・死の経過の第一歩に、先ず肉体を脱ぎ捨て、殆どそのすぐあとにエーテル複体を脱ぎ捨てる。そして出来るだけ早くアストラル体即ち欲望体も脱ぎ捨て、自分の霊的熱望が完全な実を結ぶ唯一の世界、天界にはいって行くことが予定されていることを理解せねばならない。高尚で清い心の人は天界に早く入ることだろう。
 
・死後は誰でも天界への途中、アストラル界のあらゆる部分界を通って行かねばならぬ。
 
・アストラル界の最低レヴェルで、普通に意識が目ざめている人達だけが、欲望が粗野で獣的である。例えば、酒飲みや好色家等のようなものである。
 
・第3部分界に達する頃には、この特長はアストラル界に実際にあるものを見ているということに、全く代ってしまっている。なぜなら、アストラル界では人々は自分自身の想像の町に生きている――つまり、天界の場合のように、全く自分自身の思いで各人が進化しているのではなく、前の人達の思いで造られたものをうけつぎ、これに自分の思いを加えているに過ぎない。降霊会で度々説明されている、教会、学校、「サマーランドの家」があるというのはこのことである。だが、その教会や学校や家は喜んでつくった者達には本ものであり、立派なものに見えるだろうが、偏見のない、生きている観察者には真実でも立派でもない。
 第2部分界は特に利己的で霊的でない宗教家のいる所のようである。
 
・前にも説明したように、空間という観念とこれら部分界とは一緒にして考えるべきではない。これら部分界で働いている死者はイギリスからオーストリアに容易に行くことが出来るし、又はふと行きたいと思ったところへもすぐに行ける。しかし、じぶんの意識を一つの部分界からその上の部分界に移すことは、すでに説明した分離の過程が完成するまでは出来ないのである。
 
・死者が霊媒を見つけることが出来なかったり、霊媒の利用の仕方が分からない時には、自分自身で接触しようと、不器用な下手な努力をすることがある。
 
(4)亡霊
・本質の分離が完了すると、その人のアストラル生活は終る。そして、前に言ったように、メンタル界に移行する。しかし、死ぬ時、物質界に肉体を残すように、アストラル界で死ぬ時は崩壊しつつあるアストラル体を残して行くのである。
 
・亡霊の生命の長さは、それを活気づけている低級マインドの量によって様々であるが、これはいつも消え去って行く過程にあるので、亡霊の知性は、或る種の動物的な抜け目のなさはあるかもしれないが、着実に消えて行くものである。
 
1.  魂殻
・これは、マインドのあらゆる分子が去ってしまったあと、アストラル体分解のずっとあとの段階での単なるアストラル死体にしか過ぎない。
 
・こうして、この世から天界に進む連続的な段階で、人間は少なくとも3つの死体。つまり、濃密な肉体、エーテル複体、アストラル媒体を脱ぎ捨て、ゆっくりと分解するに任せるということが解るだろう。この3体すべて、段々とその構成要素を崩壊し、その資質は大自然のすばらしい化学によって、各々の世界で改めて活用されるのである。
 
1.  活気づけられた魂殻
・厳密に言えば、これは「人間」の項目に入れるべきではない。何故ならば、これはかっては人間の付属物であった、受身的な感覚的な殻、外側の衣にすぎないからである。
 
1.  自殺者及び不慮の死の犠牲者
・十分に健康で力強いのに、事故か自殺で、急に肉体生命から引き裂かれる人は、老衰や病気で死んだ人達とかなり違う状態でアストラル界に来るものである。老衰や病気で死んだ人の場合には、この世的な欲望の保持は多少弱くなっているのは確かである。おそらく最も濃密な分子はすでに除かれているので、その人はアストラル界の第6か第5にいるようである。或いはもっと高い部分界にいることもある。その人の諸本質は徐々に分離の用意がされたので、ショックはそう大きくない。
 事故死や自殺の場合にはそのような準備が出来ていないので、肉体から諸本質を分離するには、未熟な果物から種子を引き離すのにたとえられる。その人格のまわりにはまだ、濃密なアストラル資質がくっついており、それでアストラル界の最低界、第7部分界に留まることとなるのである。
 
1.  吸血鬼と狼人間
・我々のこの題目を完了する前に述べねばならぬものが2つ残っている。それは前のよりはもっと恐ろしいものであるが、幸いにもあまり沢山いる可能性はない。これらはいろいろな面で大変違うがおそらくはこの2つを一緒にした方がよい。彼等は2つともこの世のものとは思えぬ恐ろしい性質をもっているが、ごく稀なものだからである。
 
・だが、今でも時々、ロシアやハンガリーのようなように第4人種の血が比較的流れている国では、その例が見られるのである。
 
1.  灰色の世界の人間
・吸血鬼と狼人間が前時代の遺物であり、もっと前の根本人種の進化に属していたことをすでに説明して来た。しかし、我々は前時代の根本人種のあらわれの特別な形体を越えて進歩して来たが、別の生活があるという確信がないために絶望的に物質生活にしがみついているタイプの人がまだ我々の間にいる。
 
1.  黒魔術師とその弟子
・これは「死んだもの」の第2のクラスの「再生を待つ弟子」と同程度のものである。しかし、この場合、進歩の並はずれた方法を選ぶ許しを得るかわりに、黒魔術師やその弟子は魔法技術によりアストラル生活で自活することで進化の自然の過程を無視している。――これは往々にして最もおそろしい性質である。
 
<人間でないもの>
・人間でないものをまとめる最も便利な方法は4つのクラスに分けることだろう。—―この場合、前のようにクラスは小さい部分ではなく、普通、自然の大界を少なくとも例えば、動物界、植物界のように大きく、分けるのである。このクラスのあるものは比較的人間より下にあり、或るものは人間と同等であり、他のものは善と力の点で我々より上の位置にある。或るものは人間の進化系統に属している――つまり彼等は我々のように人間であったか、人間と似ているものである。他のものは我々人間とは全く違った線で進化している。
 
1.  我々の進化に属しているエレメンタル エッセンス
・この論説では、エレメンタル エッセンスとは単に、進化の或る段階中のモナディック エッセンスに用いられている名称に過ぎないことを理解しよう。モナディック エッセンスとは霊即ち神の力の物質の流出と定義するのがよかろう。
 
1.  動物のアストラル体
・これは非常に大きなクラスであるが、普通アストラル界には短時間しかとどまっていないので、特に重要な位置は占めていない。
 
(3)凡ゆる種類の自然霊
・このクラスには非常に沢山の、様々な種類があるので、この題目だけの独立した論文にする方が、公正であろう。
 
・中世紀の本では、土の霊はノームといわれ、水の霊はアンダイン、火の霊はシルフ、エーテルの霊はサラマンダーといわれている。一般には次のようないろいろな名前で知られている。
 妖精(フェアリーやピックス)、小妖精(エルフやブロウニー)、仙女(ペリ)、小人(トロール)、半人半獣の森の神(サタ)――馬の耳と尾を持ち、酒と女が好きで、酒の神バッカスの従者。林野牧畜の神(フォーン)、小妖魔(コボルド、半人半山羊でみだらな性質をもつ)、インプ(小鬼、悪魔の子供)、妖魔(ゴブリン)等といわれている。これらの名称の或るものは1種類にだけもちいられているが、多くはすべてのものに無差別につかわれている。
 彼等の形はいろいろあるが、多くの場合、人間に似ており、大きさがやや小さい。アストラル界の殆んどの住民のように、彼等は思いのままにどんな姿をとることも出来るが、確かに自分自身の明確な形体を持っている。或いは他の形体をとる特別な目的のない時にまとう気に入りの姿と言う邦画よいかもしれない。普通の状態では彼等は全然肉眼には見えないが、見られたいと思う時には物質化によって姿をつくる力を持っている。
 彼らには非常に沢山の種類があり、人類の場合のように知性や性質が一つずつ違う。
 
(4)デヴァ
・この地球に関係のある進化の最も高いものは、我々の知る限りではヒンズー(ヒンズー教を奉ずるインド人)がデヴァと呼んでいるものの進化である。デヴァはほかの場合では天使とか神の子等といわれているものである。彼等は人類のすぐ上にある世界にいるものと考えられている。人類は動物界のすぐ上の世界にいるのであるが、人類と動物には重要な違いがある。つまり、我々の知る限りでは動物には、人間界以外の如何なる世界への進化の可能性もないが、人間は或るレヴェルに達すると、自分の前に開けているいろいろな前進の道があることを知るのである。このすばらしいデヴァ進化もその一つである。
 ニルマナカーヤの崇高な放棄に比べると、デヴァの進化路線を受入れることは、いろいろな本の中に「神となる誘惑に負けること」と書かれているが、デヴァの道を選んだ人には何か非難すべき影がある等とこの言葉から推論してはいけない。
 
<人工的なもの>
・これはアストラル存在物の最大クラスであり、人間にとって最も重要なものである。全く人間自身の想像物であって、最も密接なカルマ的なつながりとその人への作用によって、その人間と互いに関係し合っている。それは半知性的存在の未発達な巨大な集団であって、人間の思いが違うように様々であり、実際に分類とか整理のようなことは出来ない。普通行うことの出来る唯一の分類は人類の大半によって無意識につくられた人工的四大霊と、明確な意図をもって魔術師によって作られたものとの違いによるものである。
 
1.  無意識につくられた四大霊
・普通の人間の思いは主に自分自身にさしむけられるので、出来上がった人工霊はその人のまわりをうろついており、常にその人工霊があらわしている考えの反復を挑発する傾向がある。
 
1.  意識的につくられたエレメンタル
・明確な、有能な守護の天使がこのような方法で与えられることがある。だが、このような決定的な介入が1人の人の人生にカルマが許すのはおそらく稀なことである。
 
・極めて悪性で力のある人工的エレメンタルをつくる技術はアトランチスの魔術師の専門の一つだったようである。つまり、「暗黒の顔の君達」の専門であった。
 
1.  人的人工霊
・だが、確かに人間ではあるが、今までの所、普通の進化のコースからはずされており、全く、それ自体の外部の意志によってつくられたものなので、おそらく人工的なものの間におくのが最も自然であろう。
 
<現象>
・幽霊は、今、述べたことの好例である。厳密な意味ではないが、幽霊という言葉は普通アストラル界の殆どの住者に対して使われている。心霊的に進歩した人達は絶えずこのようなものを見ているが、普通の人が、普通の表現での「幽霊を見る」場合には次の2つの事のうちの1つが起こっているに違いない。つまり、幽霊が物質化したか、幽霊を見たという人が一時的なサイキック知覚の閃きを得たかの何れかである。もし、これらのことはいずれもありふれたことではないという事実がなかったら、我々は生きている人に会うと同じように、町で度々、幽霊に会うことだろう。
 
<我々の惑星チェーン>
・人類が地球上で関係を持っている生命波の仕事は、第4図をよく見れば解るだろう。生命波はその成長の為に、太陽系の7つの惑星が必要なのである。それらの中3つは物質の惑星で、それは、地球、火星、水星であるが、あとの4つは眼には見えぬ惑星である。これらの4つにも眼に見える
惑星と同じように、太陽のまわりをまわっているが、その惑星の資質は、超物質的なものである。
 
・第4図の地球をあらわしている部分をよく見ると地球は、アストラルと、低級メンタルと高級メンタルの外皮でとりまかれた物質で出来ていることが解る。高級で希薄なものが、それよりも濃密なものの中に浸みこむことはいうまでもない。だから、アストラル資質は地球の表面の何哩も上の方に拡がっているだけではなく、地球の中にもしみこんでいるのである。同様にメンタル資質の外皮もアストラル界と物質地球にしみこんでいる。地球のまわりにあるアストラル外皮と地球にしみこんでいるアストラル資質がアストラル界である。低級メンタル資質は低い天国であり、高級メンタル界は高い天国をつくっている。勿論、図では示されていないが、ブディー、アートマ及びそれよりも高級な資質でつくられる高級な界にも同じことがいえるのである。
 
・物質天体である同じ型の火星も、アストラル外皮と、低級高級メンタル資質の外皮をもっている。物質天体の火星にしみこんでいるアストラル外皮は、火星のアストラル界である。しかし、この火星のアストラル界は、地球のアストラル界とは全く違っている。その上太陽系の空間の中では、地球と火星の間に物質的な種類の連絡はあまりない。それと同じように地球のアストラル界と火星のアストラル界の間にも連絡はない。火星にも、低い天国と高い天国がある。全く同じことが水星にもいえて、水星にも水星のアストラル界、低級メンタル界、高級メンタル界がある。
 

 
『夢と幽霊の書』
アンドール・ラング 作品社  2017/8/22
 
 
 
<あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚>
・現代の学説によれば、あらゆる「幽霊」は「幻覚」すなわち偽の知覚であり、実際にそこにはないものを認識する現象である。
 知覚(偽物であれ本物であれ)にまつわる心理的、生理的仕組みを論ずるところまでは必要ないだろう。あらゆる「幻覚」は「そこに本物の物体があるかのような正真正銘の実感である。「こちらのほうがはるかに起こる頻度は高いようだ。そしてこのような幻覚は、どんな学説をもってしても、くわしく理解するのが難しい」と、ハーバード大学教授のウィリアム・ジェームズ氏は述べる。「それらはきわめて鮮やかな幻覚である場合が多く、しかもその多くが事実と符合する――すなわち実際に起こった事故や死と一致する――ということが、話をさらにややこしくする」。幽霊は、万が一見たとすれば、間違いなくたいへんあざやかな幻覚で、まるで本物の人間が生身の身体で、しかもたいていは服をまとって現れたかのような印象を与える。だが実際には服をまとった生身のその人は、そこにはいない。つまり今のところすべての幽霊は幻覚であり、そのことは船乗り風の言い回しを使えば「賭けてもいい」ほどで、科学のさまたげにも、宗教や常識のさまたげにもならない。それが幽霊に対する今日の考え方だ。
 
・そして現代の科学は、心身が健康な人にもときおり幻覚が生じることを認め、したがって幻影の存在も認めている。幻影とは、ここでは、心身ともに健康な人が見るまぼろしのことだ。ただ、そういったまぼろしが、それを見た当人以外の精神的な要因――すなわち第3者(生死を問わず)の心の動きによって引き起こされたものではないかという問いを投げかけると、話がややこしくなる。それは正統派の心理学が立ち入ろうとせず、どのような証拠が供されても手を触れない領域である。
 
・本書は、決して有力な証拠の集大成を気取るつもりはなく、単なる実話の集成に過ぎない。
 
・具体的には(1)アイスランドの幽霊譚には、素朴で劇的な物語として独特の文学的な力がある。
(2)ウェスリー家に取りついた幽霊や、バッキンガム公暗殺の危険を警告した幽霊、リトルトン卿に死期を告げた幽霊、ティローン卿の幽霊、パーシバル首相暗殺の予知夢を見たウィリアム氏の話などは、どれも比較的よく知られているものだろう。しかしそれらのもととなる史料は、これまで冷静な史的批評精神にのっとった精査を受けていない。その精査のために、ごく初期の原稿や書物同士の比較考量が有効である。
(3)幽霊話にも、幻覚であれ、妄想であれ、あるいはいたずらであれ、とにかくもととなる事実がある。それらは最低でも「人間の記録」だ。面白味のない現代の語りのなかでは抑制されてしまうそうした事実(いたずらや、幻覚や、その他もろもろ)を受け入れれば、批判的精神の薄かったわれわれの祖先が、それらを核にして壮大な伝奇物語をつむぎあげたことが見て取れる。実際、悪魔憑き(精神病やてんかんとは別物)の物語は、二重人格の症状が核になっていると論じる人もいる。二重人格の患者は、性格も、考え方も、癖も、そして声までもが変わってしまう。昔、このような症状を前にしたら、患者のなかに見知らぬ何者か――すなわち「悪魔」―—が入りこんだと考えるのが、最もわかりやすい対処法だったことだろう。
 
・またいわゆる「幽霊屋敷」で起こるもろもろの現象(もとがいたずらか、幻覚か、その両方かを問わず)も、たちまちふくらんで、アイスランドのグレティルとグラームの伝説や、おぞましい魔女裁判のような事象を生んだに違いない。死んだ人が本人の家に現れるという単純な幻覚にも、やはり説明が求められる。そんなとき、あれは死者の魂がなんらかの目的を果たすために煉獄や墓から抜け出してきたものだという伝説を作りあげれば、簡単に説明がつく。われわれの時代、幽霊話は数あれど目的を果たしにきた幽霊の伝説がいたって少ないのには、何か理由があるはずだ。おそらく神話を創造する力が衰えてきたことがその原因だろう。
 
<夢>
・夢では時間や空間が無視されるので、離ればなれになった恋人たちも、夢のなかでなら幸せでいられる。だから記憶にあることないことが奇妙に入り乱れる夢のなかで、われわれは過去のできごとを見たり(わたしは夢でカローデンの戦いにも、トロイアの包囲戦にも身を置いたことがある)、遠く離れた場所に行ったり、いない人を目にしたり、死者と会話したり、時には未来のことまで(偶然にもと言っておこうか)言い当てたりする。
 この最後の部分以外は、夢を見る人なら誰でも体験したことがあるだろう。また、催眠状態にある人が、催眠術師の言葉によって、ふつうの夢と同じような、だがいっそう生々しい疑似体験をすることも確かめられている。たとえば、水をワインだと思いこみ、それを飲んで酔っぱらうこともある。
 さて幽霊体験というのは、目覚めているとき、あるいは目覚めていると思われるときに、夜ごとの夢と同じようなものを見ることだ。目覚めている人、あるいは目覚めていると思われる人が、今、近くにいない生者の姿を見れば「生き霊を見た」ことになり、死者の姿を見れば「幽霊を見た」ことになる。ただし、聖アウグスティヌスも言うように、幻覚となって登場した遠くの人や死者は、その幻覚のことなど知るよしもなく、またその幻覚を引き起こしたりもしていないのかもしれない。それはちょうどわれわれが夢で見なれている遠くの人や死者が、夢のことなど知るよしもないのと同じことだ。さらに、ふたり以上の覚醒した人が、同じ「幽霊」を同時に、あるいは続けざまに見たとされる比較的珍しい事例も、よく似たケースが夢に存在する。すなわち、ふたり以上の人が同時に同じ夢を見た例があるのだ。
 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(3)

2023-10-25 11:51:22 | 森羅万象

 

 

『未来人への精神ガイド 神智学入門』

科学と宗教と哲学を結合し宇宙に君臨する法則の下に人間の行くべき道の復権を求める

C・W・リードビーター たま出版   1990/8/1

 

 

 

神智学とは

・神智学は謎とみえる人生に英知の光をそそぎ、人生の苦しみや悲しみ、恐れや不満を超えて真の安心立命を与える。また人間と宇宙に関する啓発的な説明を、それらの起源・進化および目的にわたって説き、宇宙に君臨する法則を明示するのである。

 

神智学は、人間を中核に据えての、太陽系宇宙の文字通り満物満生の進化とその相互関係、それら全てを貫く宇宙意志など、を明確にする体系である。したがってその全内容はとうぜん複雑であり多岐である。

 

神智学のアウトライン

神智学とはなにか>

・神智学は、外部の人びとにたいしては、宇宙に関する知的理論ということができるであろう。しかし神智学を学んだことのある人びとにとっては、それは理論ではなく事実なのである

 

どのようにして知られたか

・この神の計画を完全に掌握していた高度に発達した人間の一群――ただ一国の人たちだけでなく、あらゆる発達した国ぐにの人たち――が、つねに存在していたのです。

 

ほかのどんな科学の場合とも同じように、この魂の科学においても、その完全な詳細はそれに生涯をかけて追及する人びとにのみ与えられる。十分に知っている人たちは――これらの人たちは超人(アデプト)と呼ばれるが――完璧な観察に必要な力を辛抱づよく発達させたのである。

 

観察の方法

・全体的な神の計画は、他の神智学の書物で十分に説明されていることが解るであろう。さしあたって、これはまったく振動の問題である、といっておけば十分としておく。外部世界から人間に到達するあらゆる知識は、なんらかの振動という手段によって――それが視覚を通してであれ、聴覚・触覚を通してであれ――彼に到達する。したがってもし人が余分の振動を感じることができるならば、余分の知識を獲得するであろう。彼はいわゆる「透視家」となるであろう。

 

・こういうふうにして、彼は巨大な見えない宇宙が、生涯を通じて彼の周りに存在していること、また、気づかないかもしれないが、その宇宙は多くのしかたで不断に彼に影響を及ぼしていることを知るのである。

 

・わたしたちの世界の、普通は見えないこの部分を見るとき、きわめて興味ぶかい、まったく新しい膨大な一群の事実が、ただちに私たちの知識として加わることになる。

 

・これらの事実は、大論争の的であった幾多の疑問――たとえば人間は死後生き続けるのか、というような疑問――を、一瞬のうちに解決する。それはまた教会が、天国や地獄や煉獄について説く途方もない、ありそうもない説教のすべてに真の解明を与える。

 

一般原理

・では、神智学学習の結果として導きだされる大まかな原理の、そのもっとも顕著な天の講述から始めよう。ここで、信じようもないことがらとか、先入観とまったく相反する事項にであう方たちがあるかもしれない。もしそうなら、そういう方々には、私はこの論述を理論として――形而上的推論とか、私個人の宗教的意見として――ではなく、はっきりとした科学的事実として提出していることを思いだされるようお願いする。

 

三つの偉大な真理

・ごく初期の神智学の書物の一つに、絶対的であって失うはずはないが、しかも言わないでおくと公表されないままになるかもしれない、三つの真理のあることが書かれている。

 

一 神は存在し、神は善である。神は偉大なる生命の基であって、私たちの内部に、また外部に宿っている。神は聞こえもせず、見えもせず、触れもしないが、しかも知覚しようと願う人には知覚される。

二 人間は不死であり、彼の未来はその栄光と荘厳に限界がない、そういう未来である。

三 絶対的正義という神の法則が世界を統御しており、したがって実に各人みずからが自分にたいする審判官であり、栄光なり陰うつなりの授与者であり、彼の生涯、報酬、懲罰の判決者である。

 

系(コロラリー)

・これらの偉大な真理の一つ一つに、一定の付随的、注釈的な真理がともなっている。

 第一の偉大な真理からは、つぎの真理が続く。

一 いろいろな足掛けにもかかわらず、あらゆるものは明確かつ適切に、すべて善に向って進歩していること。あらゆる境遇は、いかに不遇にみえようとも、実際はそっくりそのまま必要なものであること私たちを取りまいているすべてのものは、私たちを妨害しようとしているのではなく、ただ理解しさえすれば、私たちを援助しようとしているのだということ。

二 このように神の全計画は人間の助けになろうとしているのであるから、それを理解しようとして学ぶことは、明らかに彼の義務であること。

三 こう納得したとき、この計画にたいして理解ある協働をなすべきこともまた、彼の義務であること。

 

二番目の偉大な真理からは次のものが続く。

一 進の人間は魂であること。またこの体は、ただ付属物にしかすぎなこと。

二 したがって、彼は、あらゆるものを魂の見地から見なければならないこと。また内部葛藤が起こる場合にはいつも、彼の本質は高位のものであって低位のものではない、と悟るべきであること。

三 私たちが普通に生涯と呼んでいるものは、より広大な真の生涯のただの一日にすぎないこと。

四 死はふつう考えられているより、はるかに重要性の少ない問題であること。なぜなら、それは決して生涯の終りではなく、ただ生涯の一つの状態から次の状態への転移にすぎないからである。

五 人間はその背後に無限の進化を経てきていること。これについて学ぶことはとても魅力的で、興味があり、有益である。

六 人間の前途にはまた、素晴らしい進化が控えていること。これを学ぶことは、さらに魅力的で有益であろう。

七 人がどれほど進化の行程からはずれたように見えようとも、全ての人間の魂は究極的達成を果たすことにいささかの狂いもないこと。

 

三番目の偉大な真理からは次のものが続く

一 あらゆる思考、ことば、あるいは行為は、その明確な結果をもたらすこと――それは外部から課せられる報酬とか懲罰ではなく、原因結果の関係のなかで、その行為と明確に結びついているところの、行為それ自体に内在する結果なのである。原因結果とは、実は一つの全体の、二つの分離すべからざる部分にすぎない。

二 この神の法則を注意深く研究することは、人間の義務であると同時に利益でもあること。それによって自分をその法則に適応させ、ほかの偉大な自然法則を用いると同じように、それを用いることができるようになるために。

三 ひとは自己にたいする完全なコントロールを獲得することが必要であること。自己の生活を、この法則にもとづいて上手に導いていくことができるように。

 

この知識によって得られる便益

・この知識が十分に理解されると、それが生活のありかたを完全に変えてしまうため、そこから出てくる全ての便益を列挙することは不可能であろう。私はこの変化の起こってくる主要な道筋をいくつか述べうるにすぎないが、読者自身で考えていただくことによって、それらの当然の帰結である無数の細目を、多少なりとも確実に補っていただけることであろう。

 しかし漠然とした知識はまったく不十分であることを理解すべきである。

 

・さて自然法則に対するこういう信念は、私たちにとって非常に確かで現実的なものであるが、それは知識に基づいており、日々の経験によって例証されているからである。まったく同じ理由によって、神智学徒の信条もまた、彼にとっては同じように現実的で確かなものなのである。そしてこれが、その信条から以下に述べるような帰結がでてくることを認める理由である。

一 私たちは人生について納得のいく理解を得る――私たちはいかに生活すべきか、またなぜかについて知り、人生は正しく理解されれば、生きるに値するということを学ぶ。

二 私たちは自分をいかに規制するか、したがってまた、いかに向上させるかを学ぶ。

三 私たちは愛する人たちを助けることがいかに最善の道であるか、また、つきあう全ての人びとにたいし、究極的には全人類にたいし、いかにして役に立つ人間になるかを学ぶ。

四 私たちはあらゆる物事を、より広範な哲学的な観点から――決して些細な、まったく個人的な側面からだけでなく――眺めることを学ぶ。

五 人生上の問題はもはや、私たちにとっては大したものではない

六 私たちは境遇や運命について、決して不公平の感をもたない。

七 私たちは死の恐怖からまったく解放される。

八 愛する人たちの死に際しても、悲しみははるかに和らげられる。

九 私たちは死後の生についてまったく異なった見解を得、私たちの進化過程上での死の位置を理解する。

一〇 私たちは、自分の対する、あるいは友人に対する宗教的な恐れ、ないし悩み――たとえば魂の救済についての怖れ――から、完全に開放される。

一一 私たちはもはや将来の運命のあてのなさに悩まされることはなく、全くの静穏と完璧な平安のなかで生活する。

 

神性

・神の存在を私たちの原理の唯一最大のものとして主張するとき、はなはだ誤用されてきた、しかもなを強力な、この神と言うことばを、私たちはどういう意味で使うか定義しておく必要がある。

 

次に私たちは、無限存在としての神と、宇宙を進化させ教導する顕われた神としての、この至高の存在の示現とを区別する。「人格神」ということばは、この限定された示現についてだけ適用すべきである。神自身は個性の限界を超え、「全てなかに、また全てを通して」存在し、実にまた全てである。そして無限、絶対、全なるものについては、私たちはただ「『彼』は存在する」といえるだけである。

 

・神が私たちの外にあると同様に、内にもあるということ、ことばを変えていえば、人間自身はその本性において神的なものであるということは、もう一つの偉大な真理である。

 

・さしあたり、人間の本性が神聖であることは事実であり、あらゆる人間が究極的に神のレベルまで回帰していくという保証が与えられている、といっておけば十分である。

 

神の計画

たぶん私たちの一般原理のうち、この第一の偉大な真理の一番目の系ほど、普通の人にとって大きな困難と見えるものはないであろう。日常生活でまわりを見まわすと、幾多の悲惨や苦しみが見られる。そのため悪が善に勝つようにみえ、またこれらすべての明らかな混乱状態を、実際に秩序ある進歩の一部だと考えることは、ほとんど不可能なようにみえる。しかしこれは真理であり、この外部世界でのもがきによって起こった塵けむりから逃れでると同時に、真理として見ることができ、その全てを、十分な知識と内的平静をもった有利な地点から見上げることができるようになる。

 

・実際、私たちの三つめの偉大な真理が語るように、絶対的な正義が私たちすべてに割り当てられており、したがって、どのような境遇にあろうと、それは他のだれによってでもなく、彼自身が招いたことを承知している。しかし彼はまた、さらにそれ以上のことを知っているかもしれない。すなわち、進化の法則の働きのもとでは、ものごとは彼にとって最も必要な資質を発展させるために、できるかぎり最善の機会をもたらすよう配置されているのであるが、彼はそのことに安んじているかもしれないのである。

 彼の境遇は必ずしも、決して自分から選んだと思われるような境遇ではないかもしれない。しかしそれらは、まさしく彼に値する境遇なのである。

 

・人びとはしばしば「自然」の力が、彼らに陰謀を企んでいるかのように語る。ところが事実は、周りにあるすべてのものが、彼らの向上を助けるために注意深く準備されているのである。

 神の計画が存在するのであるから、それを理解しようとするのは人間の役目である。

 

人間のなりたち

・そのうえ、さらに探求していけば、別のもっと繊細な物質が存在していることも明らかになる――あらゆる知られている物質に浸透するものとして現代科学によって認められたエーテルばかりでなく、逆に別種の物質が存在していてエーテルに浸透しており、それはちょうどエーテルが固体よりも繊細であるのと同じくらいエーテルよりも繊細であることを明らかにしている。

 

・人は次第に、これらさまざまな媒体の使い方を学び、そのようにして、彼の住んでいるこの偉大で複雑な世界についての、はるかに完全な概念を獲得するのである。

 

・これらの内部世界、つまりさまざまなレベルの自然に対して、私たちは普通界面(プレーン)という名前をつけている。私たちは見える世界を「物理界」と呼ぶ。とはいえ、その名前で、私たちは気体や、いろいろな段階のエーテルをも含めているのであるが。

 次の段階の物質性には「アストラル界」という名称が、その存在をよく知っていた中世の錬金術師たちによってつけられ、私たちはこの名称を受け継いでいる。このアストラル界のなかに、もっと微細な物質からなる、さらに別の世界が存在している。私たちはそれを「メンタル界(精神界)」と呼ぶ。それはその物質が、普通人間の精神と呼ばれているものからできているからである。

 ほかに、さらに高位の界面も存在しているのであるが、それらの名称で読者をわずらわす必要はない。私たちは今は、人間の低位界での現れだけを取り扱っているのだから。

 

・全ての物質は、本質的に同じものであることを想起していただきたい。アストラル界の物質が、その本質において物質界の物質と違わないのは、氷がその本質において水蒸気と変わらないのと同じである。それは単に異なった状態での同一物なのである。ただ物質が十分に細分され、適切な速度で振動するようになれば、物理的物質がアストラル的になり、アストラル的物質がメンタル的になりうるのである。

 

真の人間

・それでは真の人間とはなにか。それは実にロゴスから放射されたもの、神なる光の分霊である。彼の内にある霊はまさしく神の本質からできており、その霊は魂を衣服のように着用しているのである――

 

再生

・繊細な運動は、始めは魂に影響を与えることができないので彼は自己のまわりにより粗雑な物質でできた衣服をつけ、それによってもっと重い振動が伝わるようにする必要がある。それで彼は、自己の上に次々とメンタル体、アストラル体、そして肉体をつけるのである。

 

もっと幅のひろい見方

・肉体的生涯は(長い真の生涯という)学校での1日以外の何物でもないこと、また彼の肉体は、単にその1日のうちで学習する目的のために着用した、仮の衣服にしかすぎないことを自覚するとき、その人生にいかに急激な変化がもたらされるか、ちょっと考えてみればすぐ明らかになるだろう。

 

・死が人生の終わりとして、ぼんやりとした、しかし恐ろしい未知の世界への通路として考えられている一方、それはまた、はっきりとした恐怖ではないにしても、多くの不安をもって見られているのは珍しいことではない。なぜかというと、そうではないと説くあらゆる宗教の教えにもかかわらず、これが西欧世界で普遍的に取り入れられた見解だからである。

 

・彼が地上生活中、心にいだいた思念や欲望は、はっきりした生きた実体としての姿をとり、彼がそこにつぎ込んだエネルギーが消滅するまで彼の周りをうろつき、反応し続ける。そういう思念や欲望が強力で頑固な悪であったときは、それによって創られる(アストラル界の)期間は実に恐るべきものであろう。しかし幸いなことに、アストラル界の住者のあいだでは、そういう例は極めて少数に属する。

 

・彼はまた、この素晴らしい死後の生活に、もう一つの、もっと高位の段階もあることを、はっきり理解している。ちょうど欲望と低級な思念によって、自分でアストラル生活の環境を作りあげたように、彼は高尚な思念と高貴な熱望をもって、自分で天国界での生活を作り出すのである。

 なぜなら、天国は夢想ではなく、生きた栄えある実体だからである。そこは、選ばれた少数の人の住処として予約された、真珠の門と黄金の道をもつ星のかなたの街ではなく、地上の生涯と生涯の合い間に全ての人が入っていく意識の状態なのである。実際そこは永遠の住処ではないが、何世紀と続く、筆舌に尽くしがたい至福の状態である。それだけではない。というのは、そこには、さまざまな宗教によって提示された天国についての、もっとも優れて、もっとも霊的な、全ての考えのうちにある実体が含まれているが、決してその観点だけから考察されるべきものではないからである。

 

・低級な思念と欲望の媒体であるアストラル体が次第に摩滅し、脱ぎすてられると、人はメンタル体と呼ぶ、より精妙な物質でできた、あのもっと高位の媒体に宿っていることを知る。彼はこの媒体の中で、外部世界の対応する物質――メンタル界の物質――からやってくる振動に感応することができる。

 

人間の過去と未来

・そういうわけで、このエッセンス(分霊)はまず単なる力の流出として出てきたのである――たとえその力は神の力ではあるにしても、そのエッセンスは、それぞれ自己をロゴスにまで発達させる能力をもった何千何万という偉大な超人(アデプト)の形をとって回帰していくのである。

 

原因と結果

・したがって、行為の意図は決して何の違いも起こさないと考えてはならない。それどころか、意図は物理界での結果になんの影響も及ぼさないが、その行為との関連ではもっとも重要な要因だということである。私たちが忘れがちなのは、意図はそれ自体ある力であり、その力はメンタル界で作用しているということと、メンタル界では、物質は私たちの低位界でよりもっと精妙であり、はるかに迅速に振動するから、同一量のエネルギーは途方もなく大きな結果を生むということである。

 

・しかしオカルトの学習者は、この自己制御をそれ以上にずっと広げる必要があり、そのいらだちの思念を外面的な現れとともに徹底的に抑止すべきことを知っている。それは彼が、次のことを心得ているからである。すなわち彼の感情は、アストラル界に途方もない力を及ぼすこと、これらの力はちょうど物理界で与える打撲と同じように、いらだちの対象に向って作用すること、そして多くの場合、その結果ははるかに重大で、永続的であるということである。

 

・このようにして人は現生涯で、着実に自分の性格を作りあげることができるばかりでなく、その性格が次の生涯でどのようなものになるかも正確に決めることができるのである。なぜなら、思念はメンタル体の物質の振動であり、絶え間なく繰り返されるその同じ思念が、コーザル体の物質の(いわば1オクターブ高い」振動に対応した振動を引き起こすからである。

 

神智学の与えるもの

・注意ぶかい読者にはすでに明らかになったに違いないが、それは、ひとたび神智学の諸概念をはっきり確信すれば、それが人生に対する見方全体を根本的に変えてしまうということである。それにともなう多くの変化の方向と、その変化のよって立つ根拠についても、すでに述べたとこころから看取しておられるであろう。

 

肉化と肉化のあいだの人間の生涯を注意深く研究すれば、全生涯にたいして占めるこの肉体的生涯の割合はいかに小さいものであるかが解る。どの高等民族でも、普通の教育と教養のあるひとの場合には、一生の期間――つまり真の生涯の1日にあたる期間――は、平均して1500年ぐらいであろうこの期間のうち、おそらくは7・80年が肉体的生活に費やされ、約15年ないし20年がアストラル界、残り全部が天国界で過ごされるであろう。天国界はしたがって、人間の生存のうち飛びぬけて重要な部分をなしているわけである。

 もちろんこれらの割合は人種の違いによって相当に異なっている。劣弱民族に生まれてくる、あるいは私たちの民族でも下層階級に生まれてくる若い魂を考えると、これらの割合はまったく変わり、アストラル生活がもっと長く、天国生活がずっと短くなる傾向のあることが解る。

 

思念のもつ力と効用

思念の力

・神智学を学習することによって、そこから人生上の実際的な規範がでてくる――それは、生活のあらゆる瞬間において(神智)学徒の思索と行動に影響を与えずにはおかない規範である。このことは主として、神智学があるがままの人生の探究を含み、したがって神智学徒は、世界の中の一番些細な部分だけを知る代わりに、彼の住んでいる世界全体を知ることになるからである。

 

思念の特性

それでは「思念」とはなんであり、それはどのように作用するのか。ざっとでも神智学の書物に眼を通した人なら、私たちの太陽系の、相互浸透している各世界に応じて、人はそれぞれ一つの媒体を持っていることを知っている。また、アストラル体は、彼の欲望・情熱・感情の媒体であり、彼の思念は私たちが普通メンタル体と呼んでいる、いっそう繊細な物質でできた、より高位の媒体を使って作用していることも知っている。

 思念が最初に透視家の眼に写るのは、このメンタル体の中であり、その物質の振動として現れる。この振動はさまざまな効果を生じるが、それらは全て、この物質界での科学的な効果と非常によく似たものである。

 

それはちょうど同じように人間のアストラル体の動揺(感情)は、メンタル体に振動を与え、その感情に応じた思念をひきおこす。逆に、メンタル体の動きは、もしその動きがアストラル体に影響するような種類のものであれば、それに影響する――つまりこれは、ある種の思念は容易に感情を刺激することを意味する。ちょうどメンタル体の振動が、それより濃密なアストラル体の物質に伝わるのと全く同じように、それより繊細なコーザル体の物質にもまた、必然的に伝わっていくのである。このようにして、ひとの習慣的な思念は、彼自身の「エゴ」の特質を作りあげていく。

 

思念波の働き

・では、思念力のこの二つの働きを、別々に考察していこう。振動は、思念の特性に応じて単純であることもあり、複雑なこともある。しかしその力は、主としてメンタル物質の四つのレベルのどれか一つに向けられる。四つのレベルとは、メンタル界の下位部分をなす四つの亜層である普通の人の思念は、たいてい彼自身や、彼の欲望・感情を中心としており、したがってメンタル物質の、最下位の亜層の振動である。実際、大多数の人の場合、メンタル体のそれに対応する部分だけが、これまでのところ十分に発達し、活発になっている。

 

天国界では、しかしながら、ひどく違った状態にあることが解る。というのは、彼のメンタル体はまだとても十分には発達していないからである。このメンタル体の発達ということが、現在、人類のかかわっている進化(課程)中の一コマとなっているのである。

 メンタル体は「奥儀体得者(イニシエイト)の大同胞団」に属する「教師たち」のもとで、その使用について特別に訓練を受けるものだけが、媒体として使うことができる。普通の人の場合、メンタル体はただ部分的にしか発達しておらず、意識の独立した媒体として用いることは決してできない。

 

思念像の働き

・これを充電したライデン瓶にたとえるのも、あながち不当ではないだろう――体をつくっているメンタル界とアストラル界の物質は、瓶に象徴され、そこにこもっている思念の波動エネルギーは充電された電気に相当する。

 

思念をどうコントロールするか

・彼は、感情を出ていくままにするかわりに、徹底的にコントロールすべきである。現在私たちが到達している進化段階は、メンタル体の発達であるから、彼はこの問題もまた慎重に取り扱い、その進化を助けるうえで何ができるかを考えてみるべきである

 

他人に及ぶ思念の影響

きわめて多くの人びとが内部に邪悪の芽を持っている。しかしその芽は、外部からある力が働いて活動させないかぎり、花をつけ実をならすことは決してないであろう。

 

一つの実例――ゴシップの場合>

・以上の考察から、ゴシップやスキャンダルの習慣は――多くの人びとは考えもしないでそれにふけるのであるが――実際、恐るべき悪習だということが解る。これに対する非難は、どれほどの表現を使っても強すぎることはない。

 

思念による自己開発

・人はしばしばいう――自分は思念なり激情をコントロールすることができない。何回もそうしようとしたがいつも失敗した。だからそんな努力は無駄だという結論に達したと。この考えかたはまったく非科学的である。

 

思念による援助

・これら思念の流れの用い方を知っていれば、だれかが悲しんでいたりするのを見るとき、いつも援助の手をさしのべることができる。この物質界では、苦しんでいる人になにもしてやれないことがよく起きる。

 

死者を悼むかたがたに

・死はない!死と見えるものは転移なのだ。この現身の世は、楽土の世界の外郭にすぎない。その楽土への門を死と呼ぶのだ。

 

・霊は生まれもせず、死にもしない。時はかつて存在せず、終始は夢である!永遠なる霊は不生にして不滅、不変。死も触れはしない、たとえその住処は死んだと見えても!

 

はじめに

・あなたが考えておられるのは、主にあなた自身のこと、あなたの耐え難い喪失感、である。しかしもう一つの悲しみもある。あなたの悲嘆は、あなたの愛していた人が、死後どんな境遇にあるか確信がないために、もっと強まる。

 

三つの命題

・私にはあなたのお気持は十分に解る。しかしばらく我慢して、これから述べる三つの主な命題を理解してみてほしい。私は始めにまず大まかな命題として述べ、ついで確信のもてる細目へ入っていこうと思う。

 

一 死は、あなたの見方からはそう見える、見かけ上の真実にすぎない。私は別の見方をお見せしたい。あなたの苦しみは、大いなる幻影の、かつ自然法則に対する無知の、結果である

二 あなたの愛する人の(死後の)境遇について不安になったり、半信半疑になったりする必要はない。なぜなら、死後の生涯はもはや謎ではないからである。死の向こう側の世界も、私たちが科学的正確さをもって探求し、調査してきたこの世界と同様の自然法則によって存在しているのである。

三 あなたは死者を悲しむべきではない。なぜなら、あなたの嘆きは愛するひと(死者)を悲しませることになるからである。ひとたび真理に対して心を開けば、もはやあなたは嘆き悲しんだりはしない。

 

人間のなりたち

・あなたが人生として考えてきたものは、実は魂としてのあなたの生涯のただの1日であり、このことは(亡くなった)あなたの愛する人でも同様である。したがって、彼は死んだのではない。放り出したのは、ただ彼の体にすぎない。

 

誤っていた教会のドグマ

・現在、死後の生活について多くの理論が行なわれてきているが、それらの大部分は、古い聖典の誤解にもとづいている。永遠の刑罰と呼ばれたおそるべき教説が、かってヨーロッパでほとんど普遍的に受け入れられていたけれども、それはいまでは、どうしようもないほど無知な者のほかは、だれも信じてはいない。永遠の刑罰とは、キリストによるあることばの誤訳にもとづいてたのであるが、それによって無知な大衆を恐れさせ、善行に向かわせる便利なおどしとして、何世紀にもわたって用いられたのである。

 

科学的探究

・事実は、盲目的な信仰の時代は終ったということである。科学的な知識の時代が来たのである。

 

・私たちは霊である。しかし私たちは、物理界、それも部分的にしか知られていないが、そういう一つの世界に住んでいる。その世界について私たちが持っている知識は、全て感覚を通してくる。しかしこれらの感覚は、非常に不完全なものである。

 

・それにもかかわらず、そういう繊細な物質に接触することができ、探求することもできるのであるが、それはすでに言及した「霊体」を使ってのみ可能なのである。というのは、「霊体」は、肉体が持っていると同じように、感覚を持っているからである。

 

死とは一つの転移にすぎない

・私たちが知る第一のことは、私たちが無知から考えてきたように、死は人生の終りではなく、人生の一つの段階から、次の段階への一つのステップにすぎない、ということである。すでに述べたように、死とはオーバーコートを脱ぎ捨てることであって、その後で、人はなお彼の普段着、つまり「霊体」を着ているのである。

 

死者のゆくえ

・理解すべき最初の点は、死者と呼ぶ人たちは、私たちから離れ去ったのではないということである。

 

死者との交流

・さしあたり関心のある全てのことは、肉体を手段として見たり触ったりできるのは、物理界だけであり、「霊体」を手段として見たり触ったりできるのは、霊界のものごとだということである。そして思いだしていただきたいことは、霊界は決して別の世界ではなく、ただこの世界の、より繊細な部分にすぎない、ということである。

 もう一度いえば、別の諸世界も存在しているのであるが、いまは、それらを問題にしていないだけである。死んでいったあなたが考える人は、実はやはり、あなたといっしょにいるのである。

 

死者が送る死後の生活

・このようなことが、死者が送っている生活について考えさせることになる。そこでの生活には、多くの、大きな変化があるが、少なくとも、地上の生活よりはほとんどいつも、もっと幸福である。

 

・私たちは古くさい理論から眼を覚ますべきである。死者は信じがたい天国へいっぺんに跳びこむのではない。もっと信じがたい地獄へ堕ちるのでもない。じっさい、古い、悪い意味での地獄などは存在していないのである。自分から創りだしたものより他には、どんな意味でも、そこにも、地獄などありはしない。

 はっきり理解していただきたいことは、死は人間にたいし、いかなる変化ももたらさないということである。彼は突然、偉大な聖者や、天使になることもなければ、突然、幾時代にもわたる知恵のすべてを身につけるわけでもない。死んでからも、死ぬる前と同じような人間――同じような感情、同じような性質、同じような知性をもった人間――なのである。違っていることはただ、肉体がないだけである。

 これはどういうことを意味しているか考えてみてほしい。それは痛みや疲れの可能性からの完全な自由を意味している。またあらゆるいやな勤めからの自由、まったく自分のしたいことを(おそらくは彼の生涯で始めて)する自由を意味している。

 

この霊界ではお金は不要である。食物も住居ももはや必要がない。なぜなら、そこでの栄光と美は、お金も価もなく、その住人の全てのものに自由に得られるからである。

 その希薄な物質、つまり「霊体」のなかで、彼は思うがままに、どこへでも行くことができる。

 

・それなら、その世界には不幸な人はいないのか。いや、いるのである。そのわけは、そこでの生涯も、かならずここでの生涯の続きであり、彼はあらゆる点で、肉体を脱ぐ前と同じ人間だからである。

 

死者の見ているわたしたちの霊体

・それでは死者たちには、私たちが見えているのか、私たちの言うことが聞こえているのか、とお聞きになるかもしれない。もちろん彼らは、私たちがいることに気づいており、私たちが幸福か不幸かが解るという意味では見えているのである。しかし彼らは、私たちの言うことばは聞こえないし、私たちの行為の詳細までは解らない。


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(2)

2023-10-25 11:50:23 | 森羅万象

 

 

『魂でもいいから、そばにいて』

3・11後の霊体験を聞く

奥野修司   新潮社    2017/2/28

 

 

 

<旅立ちの準備>

死者・行方不明者1万8千人余を出した東日本大震災。その被災地で、不思議な体験が語られていると聞いたのはいつのことだったのだろう。多くの人の胸に秘められながら、口から口へと伝えられてきたそれは、大切な「亡き人との再会」ともいえる体験だった。同時にそれは、亡き人から生者へのメッセージともいえた。

 

 津波で流されたはずの祖母が、あの朝、出かけたときの服装のままで縁側に座って微笑んでいた。夢の中であの人にハグされると体温まで伝わってきてうれしい。亡くなったあの人の形態に電話をしたら、あの人の声が聞こえてきた。悲しんでいたら、津波で逝ったあの子のおもちゃが音をたてて動いた……。

 

・事実であるかもしれないし、事実でないかもしれないが、確実なのは、不思議な体験をした当事者にとって、それは「事実」であるということである。

 

 東日本大震災の2年後から、僕は毎月のように被災地に通いつづけた。なにやらそうしないといけないような気がして、まるで仕事にでも出かけるかのように通った。ボランティアではない。もちろん物見遊山ではない。それは霊体験ともいえる。きわめて不思議な体験をした人から話を聞くことだった。

 

<お迎え率>

・「お迎え率って知らねえだろ。うちの患者さんの42%がお迎えを経験してるんだ。お迎えを知らねえ医者は医者じゃねえよ」

 

・今から千年以上も前に、天台宗の僧・源信を中心とした結社が比叡山にあった。彼らは亡くなっていく仲間の耳元で、今何が見えるかと囁き、末期の言葉を書き留めたという。死ぬ直前に極楽か地獄を見ているはずだから、最初に何を見たか、死に逝く人は看取る人に言い残すことを約束したのである。このとき何かを見たとすれば「お迎え」に違いない。千年も前からお迎えがあったなら、お迎えは特殊な現象ではなく、人が死んでいく過程で起こる自然現象と考えたほうがいいのではないか。そんな思いを、このとき僕は岡部さんとはじめて共有できたのだ。

 

・お迎えの話に導かれるように耳に入ってきたのが被災地に「幽霊譚」だった。

 

 実際、僕が聞いた話にこんなものがある。たとえばタクシーの運転手だ。

古川駅(宮城県)から陸前高田(岩手県)の病院まで客を乗せたんだが、着いたところには土台しか残っていなかった。お客さん!と振り返ったら誰も乗っていなかったんだよ

 仙台のある内装業者は、一緒に食事をしたときにふっとこんな話を漏らした。

 

「震災の年の夏だったが、仮設住宅で夜遅くまで工事をしていたら、いきなり窓から知らない人がいっぱい覗いていた。そのとき頭の中に若い女性の声で「わたし、死んだのかしら」なんて聞こえた。驚いてあらためて窓を見たが、年寄りの幽霊ばっかりだった」。

 

・またある女子大生の話。

「閖上大橋のあたりに行くと、高校時代にいつもそこで待ち合わせていた親友が立っているんです。でも、その子はお母さんと一緒に津波で流されたはずなんです」

 ある婦人のこんな話もある。

 

「ある日、ピンポンと鳴ったのでドアを開けると、ずぶ濡れの女の人が立っていました。おかしいなと思ったんですが、着替えを貸してくださいというので、着替えを渡してドアを閉めたら、またピンポンと鳴った。玄関を開けると、今度は大勢の人が口々に、“着替えを!”と叫んでいた」

 

 石巻では、車を運転中に人にぶつかった気がするという通報が多すぎて、通行止めになった道路もあると聞いた。まるで都市伝説のような恐怖体験だが、当時はこんな話は掃いて捨てるほどあったのである。

 

「これはお迎えと同じだよ。きちんと聞き取りをしたほうがいいんだが」と、岡部さんはさりげなく僕の目を見て言う。

 

 お迎えは、僕の中で実体験としてあるが、霊体験となるとそうはいかない。当時の僕にすればUFOを調べろと言われているようなものだった。

 

・「柳田國男が書いた『遠野物語』も、考えてみればお化けの物語だよ。ところが、第99話で柳田は、男が明治三陸地震の津波で死んだ妻と出会う話を書いているよな。妻が結婚する前に親しかった男と、あの世で一緒になっていたという話だ。なんでわざわざ男と一緒に亭主の前に出てくるのかわからんが、死んだ女房に逢ったのに、怖いとはどこにも書いていない。恐怖は関係ないんだ。つまり家族の霊に出合ったときは、知らない人の霊に出合うときの感情とはまったく違うということじゃないか?」

 

 沖縄戦のさなかに、北部のあるヤンバルという山中で逃げまどっているとき、先に戦死した兄の案内で九死に一生を得たといった霊的体験を沖縄で何度か聞いたことがある。それを語ってくれた老人は、一度も怖いと言わなかったことを僕は思い出した。

 

<この人たちにとって此岸と彼岸にはたいして差がないのだ>

・「石巻のあるばあさんが、近所の人から『あんたとこのおじいちゃんの霊が大街道(国道398号線)の十字路で出たそうよ』と聞いたそうだ。なんで私の前に出てくれないんだと思っただろうな、でもそんなことはおくびにも出さず、私もおじいちゃんに逢いたいって、毎晩その十字路に立っているんだそうだ」

 

<『待っている』『そこにも行かないよ』>

<津波はリアス式の三陸に来るもの>

・「今年(2016年)の正月明けでした。これからどう生きていけばいいのか悩んでいたときです。このとき娘はいなかったのですが、これまでと違ってはっきりとした像でした。夢の中で妻はこう言ったんです。

 

「いまは何もしてあげられないよ」

 

 そう言われたとき、あの世からそんな簡単に手助けはできないんだろうなと、私は夢の中で思っていました。

 

・「ええ、父も私もしゃべっています。父が出てくる夢は毎回同じでした。バス停とか船着き場とか電車のホームで、いつも乗り物を待っている夢なんです。父が待っているので私も一緒に待っていると、『まだ来ねえからいいんだ。おれはここで待ってる。おめえは先に行ってろ』と父は言うんです」

 

・「今でも忘れない不思議な出来事が起こったのはその頃です。東京に行く用事があったので、震災の年の7月3日に気仙沼のブティックで洋服を買っていました。4人ぐらいお客さんがいて、1人ずつ帰っていき、私も洋服を手にしてレジに向かったら、最後まで残っていた女性のお客さんから『どなたか亡くなりましたか』と声をかけられたんです。びっくりして振り向くと、『お父さんとお母さんでしょ? あなたに言いたいことがあるそうだから、ここで言ってもいい?』

 

 店の人が言うには、気仙沼で占いを職業にしている方で、女性雑誌にも出ているそうです。私はほとんど反射的に『はい』と返事をしていました。私は、その頃、左の腕が重いというか、肩こりでもない、筋肉痛でもない、なにか違和感があってので、原因がわかるかもしれないという気持ちがあって承諾したのだと思います。

 

「あなたは胃が弱いから胃の病気に気を付けろとお父さんが言ってます。お母さんは、ありがとうと言ってますよ」そこで号泣してしまいました。

 

・「父は港町でかまぼこ屋をしながら、船をかけたりしていました。ああ、船をかけるというのは船主になることです。50年もかまぼこ屋をしながら、船主になりたくて、全財産を失ってしまいました。6航海のうち、黒字になったのは1回だけ。赤字で帰ってきても、船主は人件費や燃料費を支払わないといけないから、バクチのようなものです。それでもやってみたかったんでしょうね。市会議員も2期やって、今思えば好きなことをやってきた人でした。借金を抱えて全財産を失ったあと、実家はうちの叔母が肩代わりをして買い取り、下を駐車場にして、2階に管理人として住んでいました」

 

<兄から届いたメール≪ありがとう≫>

・被災地の不思議な体験で圧倒的に多いのが、亡くなった家族や恋人が夢にあらわれることである。それもリアルでカラーの夢が多い。中には4Kのように鮮明で、夢かうつつかわからないことがあると証言した方もいる。面白いのは、電波と霊体験に親和性があるのか、携帯電話にまつわる話が多いことだ。

 

 たとえば、のちに詳しく紹介するが、余震で家の中がめちゃくちゃになって暗闇の中で途方に暮れていたら、津波で亡くなった夫の携帯電話がいきなり煌々と光りだしたという証言。また、津波で逝った“兄”の声を聞きたいと思って電話をしたら、死んだはずの“兄”が電話に出たという話。

 

・「朝8時半でした。役場で死亡届を書いているときにメールを知らせる音が鳴ったんです。従妹が『電話だよ』と言ったので、『これはメールだから大丈夫』と言って、死亡届を書き終えて提出しました。そのあと受付のカウンターでメールを開いたら、亡くなった兄からだったんです。

 

≪ありがとう≫ひと言だけそう書かれていました。

・余談がある。震災の年の夏、陸前高田にボランティアでオガミサマがやってきたという。オガミサマというのは、沖縄のユタや恐山のイタコに似て、「口寄せ」や「仏降ろし」をする霊媒師のことである。沖縄では「ユタ買い」という言葉があるほど、日常生活に密着しているが、かつて東北にもオガミサマは生活の一部としてあった。たとえば誰かが亡くなったとすると、仏教式の葬儀を執り行なう前にオガミサマを呼び、亡くなった人の魂を降ろしてきて、口寄せで死者とコミュニケーションをとったそうである。オガミサマは東北地方の「陰の文化」としてあったのだ。

 

・常子さんがこのオガミサマに兄のことをたずねると、口寄せでこう言ったそうだ。

 

「おれ、死んだんだな。でもよかった。これでよかったんだ。みんなに、自分が動けなくなって寝たきりになる姿を見せたくなかったし、これでよかったんだ」

 

 オガミサマを信じない人にはたわごとでしかないが、信じる人にはあの世に繋げるかけがえのない言葉である。死者とコミュニケーションをとれることは、遺された人にとって最高のグリーフケア(身近な人の死別を経験して悲嘆に暮れる人を支援すること)なのだと思う。

 

<「ママ、笑って」―—おもちゃを動かす3歳児>

東日本大震災における宮城県内の死者・行方不明者は1万2千人弱を数えるが、このうち3977人と最大の人的被害を出した町が石巻市である

 

・大切な人との別れは、それがどんな死であっても突然死である。とりわけ津波で亡くなるような場合、死を覚悟する時間がなかっただけに強い悲しみが残る。その悲しみは、幾年を経ても消えることがない。もういちど逢いたい、もういちどあの人の笑顔が見たい、ずっと一緒にいたい、そんな強い思いに引かれて、亡くなったあの人があらわれる。生きていたときの姿のままで、あるいは音になって、あるいは夢の中で、そのあらわれ方はさまざまだが、その刹那、大切なあの人は遺された人の心の中でよみがえり、死者と生きていることを実感するのだろう。

 

 後日、由理さんから電話があり、夜中に康ちゃんがボール遊びをしているのか、黄色いボールが動くんですと笑った。

 

<神社が好きだったわが子の跫音(あしおと)>

・今回の旅のきっかけは、『遠野物語』だったと思う。あの中に地震の後の霊体験はたった一話しかなかったが、もしも明治三陸地震の直後だったら、柳田國男はもっとたくさんの体験談を聞いていたのではないだろうかと思ったのだ。

 

・恵子さんと先に登場した由理さんには共通する点がたくさんある。いや、二人に共通するのではなく、大切な人を喪ったすべての遺族に共通するのかもしれない。たとえば由理さんが、あの子がそばにいると思うと頑張れると言ったが、恵子さんもそうだった。

 

「迎えにも行ってあげられなかったし、助けてもあげられなかったのに、天井を走ったりして、私たちのそばにいてくれたんだと思うと、頑張らなきゃと思う」

 

<霊になっても『抱いてほしかった』>

・秀子さんが不思議な体験をしたのは夫の遺体が見つかる前日だった。

 

「今日は駄目だったけども、明日はきっと見つけてやっからね、と思って2階に上がったときでした。なんだか気になったから、ひょいと下を見たら、ニコッと笑ったひょいひょいと2回あらわれたのが見えたんです。それも鉛筆で描いたような顔でね。そこは支えるものがいから、人が立てるようなところじゃないの。でも、すぐお父さんだとわかったわ。どうしてわかったのかって?私のお父さんだから、雰囲気でわかるわ。だから『あっ、来たのね』って声に出したの。義姉も一緒に住んでいたので、念のために『義姉さん、お父さんの顔見た?』って訊いたけど、もちろん知らないって言ったわ。

 

 2回目は夕方でした。洗濯物を取り入れていたんだけど、ふと見たら白いドアの前に黒い人型の影がぽわっと立っているんです。ゆらゆら動く影を見て、ものすごい鳥肌が立ちました。『お父さん、そばまで来ているんだね。それとも誰かに見つけてもらったかな』って声をかけました」

 

<枕元に立った夫からの言葉>

・「お父さんは大船渡の出で、あの日はよく行く大船渡のお寺でお祓いをしてもらって帰ったんだけど、寒くてストーブを焚いた記憶があるからお盆ではないよね。あれは夢だったのか、それともお父さんの霊だったのか、いまだによくわからないんだね。私が布団に入っていたから、夜だったことは間違いないけど……、ああ、時計は一時だったね。目が醒めると、白い衣装を頭からかぶったようなお父さんがふわっとやってきて、

 

『心配したから来たんだぁ』と私に言ったんです。顔は暗くてよくわからなかったのですが、格好はお父さんだし、声も間違いなくお父さんなんです。それだけ言うと、誰だかわからない、同じ衣装を着た別の人が、お父さんを抱きかかえるようにしてドアからすーっと消えていきました。お父さんといえば、ふわふわと風船のように浮かんでいて、まるで風に流されるように離れていくんだね。あれは突然やってきて、突然いなくなった感じでした。お父さんはよく夢に出てきたけど、あれは夢とはちょっと違ったね」

 

・あれは遺体が見つかってから2ヵ月経った5月20日……、ああ、発見された日と同じだねぇ……。あの頃の私たちはまだ親戚の家の納屋に避難していましたが、仕事も始まってようやく気持ちも落ち着いてきました。その日は平日でしたね。世話になったおじちゃんだから、なんとなく電話したくなったの。一人でぼんやりしていると、ああ、おじちゃん、どうしているかな、逢いたいなあと思って、軽い気持ちで携帯で電話したんです。

 

 ブルルルルって鳴ったかと思ったら、突然電話に出たんですよ。

 

「はい、はい、はい」そう言って3回、返事をしました。「エエエッ!」

 

 声は克夫おじちゃんとそっくりです。いやいや、克夫おじちゃんに間違いないです。本当に嘘じゃないんですよ。自分で電話して驚くのもおかしいですが、あのときはもうびっくりするやら、信じられないやらで、怖くなってすぐ携帯を切ったんです。

 

《誰? なんでおじちゃんが出るの》

 

 ちょっとパニック状態でした。そしてしばらくしたら、というより数秒後でしたが、克夫おじちゃんの携帯から折り返しの電話があったんです。私の携帯に(番号登録した)『伊東克夫』って出たものだから、もう背筋が寒くなって、さすがに出られません。ベルが鳴り終わると、すぐにおじちゃんの番号を削除しましたよ。

 

・「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人もいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になってほしいんです」

 

 とはいえ、困ったのは、これが“ノンフィクション”として成り立つのかどうかということだった。なにしろ、語ってもらっても、その話が事実かどうか検証できない。再現性もないし、客観的な検証もできない。どうやってそれを事実であると伝えるのか。

 

 

 

『創』   2016年5・6月号

『ドキュメント 雨宮革命  (雨宮処凛)』

 

 

 

<「幽霊」と「風俗」。3・11から5年が経って見えてくるもの

・一方、最近出版されている3・11をテーマとした書籍の中には、「5年」という時間が経ったからこそ、世に出すことができるようになったのだな、と感慨深い書籍もある。その中の一冊が『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(新曜社)だ。

 

 東北学院大のゼミ生たちがフィールドワークを重ねて書いた卒論をまとめた一冊なのだが、その中には、震災後、宮城のタクシー運転手たちが経験した「幽霊現象」の話を追ったものがある。

 

 季節外れのコートに身を包んだ若い女性が告げた行き先に運転手が「あそこはほとんど更地ですが構いませんか」と尋ねると、「私は死んだんですか」と震える声で答え、振り向くと誰もいなかったという話や、やはり夏なのに厚手のコートを着た若い男性を載せたものの、到着した頃にはその姿が消えていたなどの話だ。

 

このような「タクシーに乗る幽霊」に対しても、自らも身内を亡くした運転手たちは不思議と寛容だ

 

「ちょっとした噂では聞いていたし、その時は“まあ、あってもおかしなことではない”と、“震災があったしなぁ”と思っていたけど、実際に自分が身をもってこの体験をするとは思っていなかったよ。さすがに驚いた。それでも、これからも手を挙げてタクシーを待っている人がいたら乗せるし、たとえまた同じようなことがあっても、途中で降ろしたりなんてことはしないよ」

 

 そう語るのは、津波で母を亡くしたドライバーだ。

 

「夢じゃない?」と思う人もいるだろうが、実際にメーターは切られ、記録は残る。不思議な現象は、事実上「無賃乗車」という扱いになっていることもある。

 

・さて、もう一冊、「5年経てばこういうことも出てくるだろうな」と妙に納得した本がある。それは『震災風俗嬢』(小野一光 太田出版)。帯にはこんな言葉が躍る。「東日本大震災からわずか1週間後に営業を再開させた風俗店があった。被災地の風俗嬢を5年にわたり取材した渾身のノンフィクション」

 

 本書を読み進めて驚かされるのは、3・11後、震災と津波と原発事故でメチャクチャな地で、風俗店はいつもより大忙しだったという事実だ。店によってはいつもの倍近い客が押し寄せたのだという。

 

・そう話した30代後半の男性は、子どもと妻と両親が津波に流されたのだという。妻は土に埋もれ、歯形の鑑定でやっと本人だとわかったということだった。

 

 一方で、風俗嬢たちも被災している。住んでいた街が津波に襲われるのを目撃した女の子もいれば、両親を亡くした女の子もいる。

 

・時間が経つにつれ、「3・11」を巡って、私たちの知らない側面が顔を覗かせるだろう。

 

 とにかく、あれから5年という月日が経った。あの時の、「言葉を失う」感覚を、一生忘れないでいようと思う。

 

 


ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。(1)

2023-10-25 11:47:46 | 森羅万象

 

(2023/10/25)

 

 

 

『イラストで見るゴーストの歴史』

アダム・オールサッチ・ボードマン  マール社 2023/6/23

 

 

 

<はじめに>

・だが、人々はなぜ幽霊を信じるのだろう?ある人は文化や伝統の影響だという。幽霊は神話や伝説にも登場しているのだ。また、信仰には説明できないものに育まれる。

 

幽霊とは何か?

・幽霊は死んだ人の霊で、その人にとって生前重要だった場所の近くに潜んでいることが多いと考えられていた。英語のゴーストという言葉はゲルマン語で魂や諸神を意味する「ガスト」を語源とする。

 どの時代でも多くの人が幽霊を見たと話している。幽霊との遭遇は、怪しく光る墓場の霊を垣間見たというものから、嵐の海で幽霊船を見たというものまで、幅広い。現代の説明とは別に、幽霊は神話や伝説を通じて伝承されてきた。

 

伝説】伝説は人々と場所についての物語で、史実であることもそうでないこともあるが、たくさんの人々によって信じられているものである。

 

神話】神話は聖書や古代ギリシャ神話のように信仰と強く結びついた物語だ。神話が出来上がるまでは数千年を要し、神秘的な現象の説明として使われることも多い。

 

幽霊の種類

幽霊の性質は文化によって説明と定義が違うので、混同しやすい。

 

・エレメンタル(精)(妖精やゴブリン、魔物など)/ポルターガイスト(ドイツ語で騒がしい幽霊という意味)/伝統的な幽霊(安らかになれない死者の霊で、ひどくおしゃべりなこともある)/精神的痕跡(歴史的な出来事によって物質世界に取り残された霊姿)/危機と死を生き延びた姿(死に臨む人の友人や家族が見る霊姿)/タイムスリップ(ある地点にタイムトラベルで現れた幽霊で、歴史的な場所に突然出現する)/生き霊(霊能力者による精神的投影)/物体に取り憑いた幽霊(霊的な活動をみせる物体や媒介物

 

ホーンティングとは何か?

幽霊が決まった場所に住み着いていると信じられているとき、これをホーンティング(取り憑き)という。伝統的には、幽霊は自分が死んだ場所や自分にとって生前重要だった場所に取り憑くと考えられてきた。

 

・人々は奇妙な現象を多数目撃すると、ホーンティングが原因だと考えた。

 

・霊姿(幽霊としか思えない姿の全体または部分が見えた)/物体引き寄せ(物体が突然現れる)/電気的干渉(電灯が暗くなり電化製品が奇妙な動きをする)/幽霊が書いた文字(壁や鏡に書かれたメッセージ)/ノック音や足音(日常的な音だが、何が原因かわからないもの)/奇妙なペット(動物の奇妙な行動)/ファントム・ミュージック(どこから聞こえるかわからない音楽)/虚空からの声(はっきりしない囁き声や主のいない会話)/コールド・スポット(部屋が異様に寒い)/霊染(染みや印が出現する)/異常な負傷(ポルターガイスト活動の結果として報告されるこぶ、あざ、ひっかき傷など)/空中浮遊(物体が自ら宙に浮いているように見える)/憑依(人間は物や邪悪な霊に取り憑かれて勝手に動かされる)/ハイ・ストレンジネス(夢の中のような感じで起こる遭遇

 

懐疑的調査

・超常現象だという主張をそのまま信じて受け入れずに、証拠を詳しく調べることを懐疑的調査という。歴史を通じて、懐疑論者だと自認する人々が有名な心霊現象の科学的な説明を提供すべく、調査を行ってきた。

 

・不安定な基礎(基礎部分に損傷がある建物は揺れたり、奇妙な音を発生させたりする)/配管(パイプやボイラーは、幽霊のような奇妙で多様な音を発生させることが知られている)/イカサマ(人々は様々な理由で偽の心霊現象をでっち上げる。一杯食わせてやろうというイタズラから、詐欺のための人だましまで、理由は幅広い)/幻覚(幻覚は、頭部の怪我や精神疾患が原因で起こることがある)/不気味な這い虫(クモやハエ、小動物などが記録装置のカメラの上を這って、幽霊と間違われることがある)/錯視(光と影のトリックが幽霊のように見えるもの)/超低周波(低周波の音が不安やめまい、吐き気などを引き起こすという研究結果がある)/パレイドリア現象(無関係なものにランダムなパターンを見出して、それに意味を与えてしまう現象)/金縛り(睡眠中に夢を見ているような状態で起きると、胸の上に重みを感じた幻覚を見たりする)/確証バイアス(目撃者が元々、超常現象を信じていると、他の説明を拒否することがある)/一酸化炭素(幻覚を見たりする)/電磁場(電磁場が人に影響を及ぼすかどうかは、今も激しく議論されている

 

近代以前

死後の世界

・古代の神話の多くでは、幽霊は死後の世界に行くことを避けた死者の魂だと信じられていた。

 

リンボ(辺獄)

・カトリックの神学は、死んだ罪人はリンボ(中世ラテン語で「境」という意味)に行くとされた。魂は自由にリンボからさまよい出ることができて、この世に幽霊として現れるのだと信じられていた。中世ヨーロッパでは、リンボに行きたくないという人々に教会が免罪符を売っていた。

 

ハントゥ

・インドネシア、マレーシア、そしてこの近隣地域に住むマレー人は、ハントゥという霊について、多数の神話を発展させてきた。

     

ダビー

・カリブ海地方では、安らげない幽霊はダビーと呼ばれている。ダビー信仰はたどると西アフリカにさかのぼる。ダビーは動物のような形になることも、人間のような形になることもあると考えられている。

 

幽霊の訪問

・幽霊の集団が、現実世界をしばしば訪れる地域もある。これは悪い予兆だと考える文化もあるが、お祭りで幽霊を客として歓迎する文化もある。

 

ラ・サンタ・コンパーニャ

・大昔から、ポルトガルとスペインの人々は、伝説にある幽霊の行進、ラ・サンタ・コンパーニャ(聖なる訪問客)を目撃してきた。幽霊たちはガイコツの姿を白いフードで隠していて、集団の先頭にはトランス状態になった地元の人間がいる。この人間は翌朝起きたときには、夜の不気味な行進のことは全く何も覚えていないという。

 

・幽霊祭り(中国、マレーシア、ベトナムなどで大昔から続く祭り)/鬼王(儀式の中心となるのは大きな鬼王の絵姿)/最前列の席(目に見えない死者が座る席)/冥銭(死者への供物として冥銭という特別な紙を燃やす)/景色、音、匂い(幽霊を案内するために使われる

 

季節のお祝い

・死者を祝う行事でもっとも有名なハロウィーンと死者の日で、一年のうちの同じような時期に行われる。現代知られているような形での祭りは、両方とも現代的にはカトリックの万聖節に基づいているとされているからだ。起源は同じといっても、2つの祭りはそれぞれはっきりと違う。

 

・死者の日(メキシコ)/死者を装う(カラベラは装飾を施した頭蓋骨のモチーフだ)/オフレンダス(祭壇)

 

ハロウィーン】ハロウィーンは元々、11月1日の諸聖人の日、あるいは万聖節の前日のヨーロッパの祭りだった。時を経るに従って、万聖節イブがハロウィーンとなった。もっと古いケルト人の祭り、サムハイン(「夏の終わり」)がルーツだと信じる人々もいる。これは冬の始まりを告げるもので、アイルランドでは「超自然的な世界との境目が弱くなる日」だとされていた。

 

トリック・オア・トリート】近所の住人を仮装して訪ねると、甘いお菓子が振る舞われる。この伝統は、人々が良からぬ霊を追い払うために動物の皮を身にまとったサムハインの祭りにさかのぼると考えられている。この他にゴシックな飾り付けをしたり、カボチャをくりぬいて飾ったり、ホラー映画を見たりする習慣も一般的だ

 

歴史に残るホーンティング

・古い神話や伝説の他に人々は幽霊との遭遇を記録している。現存するもっとも古いホーンティングの記録は古代ギリシャのもので、多くの伝説や口承で伝えられているものと似ている。

 

アテナイの幽霊

ギリシャ アテナイ、紀元1世紀

・もっとも古いホーンティングの記録は、紀元1世紀頃の日付のある手紙に書かれたものだ。小プリニウスは友人に宛てた手紙の中で、古い幽霊屋敷の話をいささか面白がって書き記している。

 

テッドワースのドラマー

英国イングランド地方 テッドワース、1661-1663年頃

・1661年、地主のジョン・モンベッソンが英国で最初に記録されたポルターガイスト現象のひとつを経験した。この事件は、目に見えない太鼓を叩くような音と、モンペッソンの家の中の物体が動き回るというものだった。

 

ゴーストハンターグランビルは屋敷を徹底的に調べ、ゴーストハンターの先駆けとなった。グランビルの死後出版された『サドカイ派への勝利』(1683年)は、他の魔法、幽霊、魔女の妖術などの証拠とともにテッドワースでの体験を詳しく書き記している。

 

魔物

・神話や伝説では、魔物は人間ではない霊で、イタズラや邪悪なものと関連付けられている。伝統的な幽霊とは別の存在だが、魔物のホーンティングは幽霊のそれと非常に似通っていることもある。例えば魔物も、物体を移動させ、奇妙な音を立て、厄介ごとを起こすと信じられている。

 

古代の神々キリスト教の神話には、堕天使だとされている多彩な魔物が登場する。その名前の多くはモロクのように聖書以前の信仰に起源がある。

 

イタズラな神(トリックスター)】ジンは様々な超常力を包括した存在で、トリックスターや願いを叶える霊として登場することが多い。

 

幽霊な正体は魔物】16世紀、ほとんどのプロテスタントの主流組織はカトリックのリンボと幽霊についての信仰を拒否した。代わりに、悪魔と手下の魔物がホーンティングを起こしていると説いた。それにも関わらず、幽霊に対する民間信仰は根強く続いていった。

 

霊との交信

・何千年もの間、人々は魔法の儀式を通じて霊を招き寄せようとしてきた。祈祷師は召喚と喚起の2種類を区別している。召喚は霊を誰かに依るように呼び寄せるが、喚起は、サロンや秘密の地下室など霊にとって都合の良い場所に姿を現すように促す。霊を招く者は、霊が病気を治す手助けをしたり、知識を授けてくれたり、時には敵を攻撃してくれると信じていた。

 

・ノアイデ(ヨーロッパ北極圏の霊と話す者)/ジャアクリ(ネパールの祈祷師)/ムーダン(朝鮮半島の霊と話す者)/プラスチック・シャーマン(伝統的な祈禱は、他の文化の人々から不当に盗用されることがある。ネイティブアメリカンの運動家はこれをプラスチック・シャーマンと呼んでいる

 

怪しい古城

・城に、幽霊の伝説はつきものだ。戦いの歴史、恐ろしい地下牢、そして歴史上の人物が、古城を幽霊の物語の完璧な舞台にしている。

 

・姫路城/バンガル砦/ズヴィーコフ城/エディンバラ城/プレドヤマ城/フーカス城/キニティ城

 

護符

・幽霊と邪悪な霊を信じることは、様々な文化において身を守る方策を発展させた。その方策は護符から儀式まで、あらゆる形と大きさのものが作り出されている。霊を避ける方策は、魔除けと呼ばれている

 

イフリート】古代エジプトと近隣の中東地域には、「殺人現場にはイフリートという、復讐心に燃えた霊が取り憑く」と信じる者がいた。霊を追い払うための儀式として、殺人現場に釘を打ち付けるというものがあった。

 

レムレース】古代ローマ人は攻撃的な霊をレムレースと呼んだ。レムーリアの祭りの期間、ローマ人はにごやかなパーティーを開き、レムレースを追い払うための儀式として豆を投げた。

 

ゴルゴネイオン】古代ギリシャ建築には悪霊を怖がらせて追い払うためにゴルゴン(ギリシャ神話の怪物)の姿の画像がしばしば掲げられた。彫刻、レリーフ、モザイク画などがある。

 

クモの巣チャーム】北アメリカのオジブウェ族の人々は、古くからの伝説として、悪霊や悪夢を捕まえるためにクモの巣のようなお守りを作る。このチャームは現代では「ドリームキャッチャー」という名で呼ばれることが多い。

 

グロテスクの彫刻】中世以来、ヨーロッパの教会や城には怪物の彫刻があしらわれてきた。怪物はあざ笑うような顔つきをしていて、悪霊や悪魔の進入を退けると考えられていた。グロテスク彫刻は雨樋に集めた水を吐き出す装置として、屋根の上にも置かれた。これはガーゴイルという。

 

蹄鉄】中東起源の古い魔法儀式では、悪霊払いとして出入り口の上に鉄の蹄鉄をかけるものがあった。ヨーロッパでは、キリスト教と関連付けられるようになり、英国のダンスタン主教が悪魔を蹄鉄で追い払ったという10世紀の伝説が起源だとされている。

 

邪眼】魔除け魔法のもっとも一般的な儀式は、邪眼から身を守るために護符を使うものだ。古代の地中海地方と中東の文化に起源がある邪眼は、人を狙って投げかける呪いの一種だと信じられている。邪眼の護符は、幽霊や魔物などに対してもよく使われている。

 

コック・レーンの幽霊

コック・レーン

英国ロンドン コック・レーン、1762年

・英国でもっとも有名なホーンティングのひとつは、18世紀のとあるロンドンの家で起こった。ファニー・ラインズの死後、彼女の幽霊は、自分が住んでいた下宿屋の部屋で物を叩いたり、引っ掻いたりして音を出すことで、現世の人々と交信しようとしているという噂が立った。

 

19世紀

心霊主義

・大きな悲劇を生んだ米国での内戦後、残された人々は新しく急進的な思想を求めた。改革主義、社会主義、女権拡張活動と並んで、心霊主義と呼ばれる宗教運動が台頭した。

 

フォックス姉妹

米国ニューヨーク州ハイズビル、1848年

・心霊主義はそもそも、交霊会(または降霊会とも書く)という儀式を通じて幽霊と接触しようとする試みだ。交霊会は1848年ニューヨーク州のハイズビル出身のフォックス姉妹によって広く知られるようになった。

 

新しい宗教】心霊主義は霊媒師にとって利益を生む事業であることが証明され、遺族に悲しみからの解放をもたらした。この運動は特に白人の中流階級の人々の間で人気となり、間もなくヨーロッパに輸出された。

 

神智学】1870年代、ウクライナ出身のオカルト主義者ヘレナ・ブラバッキーが心霊主義から派生した宗教運動を創造し、「神智学」と名付けた。神智学では「古代叡智の大師たち」と呼ばれる霊と交信会を行う。普通の死者の幽霊と異なり、大師たちは悟りを通して肉体と魂を分離した人間だと信じられていた。

 

降霊術

・心霊主義の最盛期には、霊媒師は個人のイベントや劇場での公演に引っ張りだこになった。「幽霊は光を嫌う」と霊媒師が主張したため、実演は暗闇の中で行われた。懐疑論者は、「薄暗がりの目的はトリックを隠すためでしかない」と述べていた。

 

交霊会】もっとも人気のある交霊会の形式では、参加者は暗い部屋でテーブルのまわりに座って手を繋ぐ。霊媒師が集まりを主導し、幽霊からと見られるメッセージを伝えた。

 

日本の幽霊

不気味な絵画

・日本の「幽霊」は、かすかな霊、あるいはぼんやりした例という意味だ。19世紀、幽霊は芝居や木版画(浮世絵)の題材として人気があった。幽霊には様々なタイプがあり、それぞれが生きている間に耐えた苦しみの違いによってこの世に現れるといわれている

1、怨霊(おんりょう) 自分を不当に扱った者に復讐しようとする幽霊、2、船幽霊(ふなゆうれい) 復讐を欲する怨霊のうち、海で死んだ幽霊、3、浮遊霊(ふゆうれい) 目的なく浮いてさまよう霊、

4、御霊(ごりょう) 高貴な人の幽霊のうち、自然災害などを起して恨みを晴らそうとするもの、

5、地縛霊(じばくれい) 目的のない浮遊霊に似た幽霊だが、特定の場所に縛り付けられている、

6、座敷童子(ざしきわらし) イタズラ好きな子どもたちの幽霊、

7、産女/姑獲鳥(うぶめ) 出産で死んだ母親の幽霊、

8、悲痛な女性 (絵画では、幽霊は通常、白い着物を着たやつれた表情で髪のもつれた女性として描かれている)

 

北アメリカの幽霊伝説

・北アメリカには非常に多くの幽霊伝説があり、ネイティブアメリカンの神話にさかのぼるものも、またヨーロッパから来た入植者の伝承に影響を受けたものもある。

 

ベル・ウィッチ(ベル牧場の魔女)

米国テネシー州ベル牧場、1817-1821年頃

・伝説によれば、ベル牧場は口うるさい幽霊に取り憑かれていた。地元の人々によれば、この幽霊は地元の魔女ケイト・バッツだという。

 

グレート・ディズマル・スワンプ

米国、バージニア州ノースキャロライナ州18世紀頃

・広大でアリゲーターでいっぱいのこの沼地は、13000年以上にわたって沿岸に住むネイティブアメリカンの人々の暮らしの場となってきた。

 

・「湖の女性」と呼ばれる幽霊は、霧の中から蛍に照らされてカヌーを漕いで現れるという。

 

霊応盤

プランシェット

・1850年代、ヨーロッパの製品デザイナーは、プランシェットという鉛筆を挟んで動かす車輪付きの小さな木製パレットを売ることで降霊術を商品化した。参加者がプランシェットの上に手を置くと、霊が手を導いて図形や字を書かせると信じられていた

 

人里離れた怪しい場所

デヴェンネク灯台

・フランスのデヴェンネク灯台(19世紀)はかなりの量の幽霊の話の舞台となっている。

 

心霊写真

・19世紀は、写真家が写真スタジオや交霊会で撮影した「本物の」幽霊の写真を販売するのが流行した。

 

ウィリアム・マムラーのメモラビリア】ウィリアム・マムラーは1860年代に、写真のネガを2枚以上重ねると、幽霊のような姿を映し出せることを発見した。マムラーの妻のハンナは、心霊主義界に精通した霊媒師だった。二人は顧客の亡くなった親族を主役とした写真を売るようになった。南北戦争後、米国には親族を失った人々を顧客とした大きな市場が存在した。二人の顧客となった有名人の中には亡くなった大統領の未亡人、メアリー・トッド・リンカーンもいた。マムラーは詐欺で告発され、裁判で無罪となったが、社会的な評価は大きく傷つくことになった。

 

クラブと協会

・19世紀、西洋では心霊主義が熱狂的に流行した結果、知識人やマニアは幽霊現象を研究、議論する団体を作った。奇妙な現象の研究は、流行に従って名称が変わってきた。一般的な用語としては心霊研究、超心理学、超自然現象研究、超常現象研究などがある。

 

ゴースト・クラブ】ゴースト・クラブは1862年にロンドンで創立された。メンバーには影響力のある著名人が多く、作家のチャールズ・ディケンズ、詩人のW・B・イェーツ、科学者のウィリアム・クルックスなども所属していた。クラブは現在も活動を続けていて、もっとも長期間存続している研究団体となっている

 

心霊現象研究協会(SPR)】1882年に創立されたSPRは、テレパシー、催眠状態と交霊会のデータを収集した。SPRは現在も現地調査、分析、発表の活動を存続している。

 

メタフィジカル・ラボラトリー】ハンガリーの化学者エレメア・チェンジジェリー・パップは、1928年から様々な実験を行った。研究室は中でも、霊媒師が何もないところから物体を突然出現させるトリックに焦点を当てた。パップは霊媒師たちにSF的なつなぎ服を着せて、手品のトリックができないようにした。

 

フォーティアン協会】米国の作家チャールズ・ホイ・フォートの本『呪われしものの書』(1919年)は、奇妙な現象を一貫して収集した最初の本だと考えられている。

 

国際心霊研究所(IMI)】フランスのIMIは1919年に、幅広い現象を研究する目的で設立された。ギュスターヴ・ジュレ博士などの分野で有名な研究者が霊媒師を精査する試みを指揮した。

 

オーストラリア超心理学研究所(AIPR)】1977年に設立されたAIPRは幅広く超常現象を研究している。

 

超能力研究】米軍のスターゲイト・プロジェクトは、1970年代に超能力を実用化するための方法を見つけようとした。リモート・ビューイング(遠隔透視)が敵の秘密を探るために使えるのではないかと信じていたのだ。

 

20世紀

インチキを暴く

・20世紀、懐疑主義者は幽霊信仰のインチキを暴こうとし続けた。幽霊を信じるのは迷信と霊媒のインチキの結果だと信じる人が多かったのだ。米国のマジシャン、ハリー・フーディニは、霊媒師たちがインチキと決まりきったトリックで、悲しむ遺族から金をだまし取るのを見て呆れていた。ローズ・マック・マッケンバーグはフーディニのインチキ暴露作戦に基づく捜査活動を率いていた。証拠を集めるためにマックは様々な独創的な変装をして潜入調査を行った。

 

想念形態

オカルトでいう「想念形態」は、霊能力で考えを移転させることだ。神智学協会のメンバー、アニー・ベサントとC・W・リードビーターは1909年の著書『思いは生きている-想念形態』でこの現象を「放射される波動と浮遊光」として説明した。焦点が外れた想念形態は、幽霊のような現れ方をすると信じた信者もいた。

 

抽象美術】想念形態はこれを主題とした鮮やかで想像力豊かな絵画があった。流行遅れとなった19世紀のリアリズムから逸脱したこの美術は、急成長中の多くの抽象主義の画家たちに影響を与えた。ワシリー・カンディンスキー、カジミール・マレーヴィチ、ピエト・モンドリアンなどの画家はすべて、心霊主義者と神智学の説くところから発想を得ている。

 

タルパ想念形態はチベットのタルパ(応身/化身)という概念に似ている。タルパは精神または霊的な力が作りだした物体や存在だ。タルパは、人や動物として自分自身の人生を歩むとされている。ゴーストハンターのエド・ウォーレンは、ビッグフットのようなUMA(未確認動物)は、実は霊能者が作り出したタルパなのかもしれないと推測している。

 

幽霊が出る廃墟

・廃墟をさらけ出した家は、かつてここで暮らしていた人々の謎めいた記念碑だ。廃墟から悲劇的な様子を見せるようになると、幽霊の伝説が宿される。20世紀になって、自動車と飛行機の登場により、人々が個人的に幽霊が出ると言われる場所を巡る旅へ出られるようになった。

 

ゴーストハンター

・ゴーストハンティングは幽霊が出るという話を調査し、幽霊であるという証拠や合理的で科学的な説明を求める仕事だ。特別な教育体系があるわけではないが、ゴーストハンティングでは幽霊が出るといわれる場所について通常、系統立った調査をする。20世紀のもっとも有名なゴーストハンターは、ほとんどが米国と英国の中産階級の白人男性たちだった。

 

戦争と幽霊

・戦場では人が苦しんで死に、病気も蔓延するため、幽霊が出ると考えられることが多い。20世紀中は、愛国的な寓話や心理戦で、こうした幽霊を積極的に取り上げた。

 

モンスの天使

1914年、ウェールズ出身の小説家アーサー・マッケンが戦場の幽霊を題材にした短編小説を新聞に発表した。この作品は、第1次世界大戦中のこの年、ベルギーのモンスでドイツ軍と戦っていた英国軍の部隊の前に、アジンコートの戦いにおいて活躍した「弓兵」の幽霊が援軍として現れ、追い詰められていた部隊は全滅を免れるというものだった。発表後、マッケンは驚愕のうちに読者が自分の創作を事実として信じてしまったことを知る。英国のジャーナリスト、デイビッド・クラークは、短編がイギリス政府関係機関によって戦争プロパガンダとして推奨された可能性を指摘している。

 

最恐の心霊スポット

ポーリー牧師館

英国エセックス州ポーリー、1927-938年

ゴーストハンターのハリー・ブライスが「英国でもっとも幽霊が出る家」と説明したポーリー牧師館は、数十年にわたって多数の心霊現象と調査が行われてきた場所だ。

 

リミナル・スペース

・幽霊が出るという心霊スポットの中には、恐ろしい景観のせいで評判を得ているものがある。トンネルは光と闇を繋ぐので、リミナルスペース(異なった場所を繋ぐ通路)となる。世界中で多数のトンネルが心霊スポットだとされていて、幽霊の厄介な伝説がつきまとう。

 

清滝トンネル

日本京都、1929年

日本の清滝トンネルは超常現象好きの観光客に人気のある心霊スポットだ。だが、複数の不愛想な看板が訪問客に、車が走るトンネルに徒歩で入る危険を警告している。

 

お化けアトラクション

・20世紀の技術者は、いつでも都合よく出現してお金を稼いでくれる幽霊の代役として模擬アトラクションを作った。もっとも人気のあるアトラクションであるお化け屋敷と幽霊列車は、現在でもテーマパークやイベントで見ることがあるだろう。

 

幽霊列車】幽霊列車ライドが最初に登場したのは1930年、英国イングランド地方の遊園地ブラックプール・プレジャー・ビーチだった。

 

お化け屋敷】お化け屋敷アトラクションは、恐ろしい装飾とお化けを演じる俳優が一杯の構造物を客がさまよい歩くというものだ。アトラクションとしてのお化け屋敷は1920年代の米国で目立つようになったが、舞台マジシャンが企画することが多かった。

 

タイムスリップ

・「別の時代や場所に遭遇した」と報告する人々がいる。英国の詩人で心霊研究者のフレデリックW・H・マイヤーズはこれを遡及的認知と呼んだ。一般的にはタイムスリップと呼ばれているもので、幽霊のような姿や幻のような光景を特徴とする体験だ。

 

フランス ベルサイユ宮殿】1901年英国の学者シャーロット・アン・モバリーとエレノア・ジュールダンが、18世紀のべルサイユ宮殿に迷い込んだという。懐疑論者の推測の一つは、二人が前衛アート的なLGBTQ+パーティーに遭遇したというものだ。ちょうどこの時期に耽美主義詩人のロベール・ド・モンテスキューが華麗なドレス仮装パーティーをここで開いていたのだ。

 

英国リバプール ボルド・ストリート】ボルド・ストリート周辺でタイムトラベルしたという話はいくつかある。一例では、警官が短い間、1950年代のファッションの人々と店に囲まれていることに気がついたという。1967年にいる自分を発見して驚いた、ある男性の話も新聞記事になっている。

 

コンゴ川流域 モケレ・ムベンベ】モケレ・ムベンベは中央アフリカで目撃されたという竜脚類恐竜だ。「竜脚類が奇跡的に絶滅を免れた」と言う人もいるし、「この動物がたまたま劇的にタイムスリップしてしまった」と信じる人もいる。

 

ドッペルゲンガー

ドッペルゲンガー(ドイツ語で「二重に歩く者」)は生きている人々の幽霊のような分身だ。こうした分身の行動だとされているものは、不気味なものから平凡なものまで多岐にわたる。超自然についての概略書として名高いキャサリン・クロウの『自然の夜側』(1848年)では、ドッペルゲンガーは、人が病気のときか眠っているときにもっとも目撃されると述べられている。心理学者は、この現象は「自己像幻視」という幻覚だとしている。

 

20世紀中頃

乗り物の亡霊

・20世紀、車社会がどんどん当たり前になっていくと、車の調子がおかしいのは幽霊に取り憑かれている証拠ではないかと疑う人も出てくるようになった。地上、空、海に出るという乗り物の亡霊は、都市伝説の常連だ。

 

異次元

幽霊は別次元からやってくると考えている人たちもいる。この仮説は、特にUFO研究家に人気で、SFではよくある設定となっている

 

マゴニアへのパスポート】天文学者でUFO研究家のジャック・ヴァレは、著書『マゴニアへのパスポート』(1969年)の中で、20世紀のエイリアンやUFOとの遭遇と、妖精界のような神秘的な場所からやってきた自然の精などの歴史的な物語を比較している。ヴァレは「すべての超常現象は、異次元の力によって起こっているのではないか」と示唆している。

 

ゴブリン宇宙への旅】英国のジャーナリスト、テツド・ホリデーの死後に出版された『ゴブリン宇宙』(1990年)は、ネス湖の怪物からポルターガイスト、UFOまですべてが高い知性を持つ存在だとしている。その後、話が脱線して進化論の批判に及ぶのが厄介である。

 

エセリアより愛をこめて】1950年代、米国の超心理学者ミードレインは、UFOは彼がエセリアと名付けた異次元からやってきているという説を唱えた。レインは「エセリア人が接触してきている」という霊媒師マーク・プロバートとの会話を元にこの推測に至った。

 

不快な渦

・一部の超常現象の専門家によると、異常な現象を地図上に落としていくと特別な特異点が明らかになるという。

 

レイライン】1920年代、英国のアマチュア考古学者のアルフレッド・ワトキンスは、「古代遺跡は意図的に線上に並んでいる」という説を立てた。ワトキンスはこの並びを「レイ」と名付けた。当時の専門家たちは否定したが、この説は1960年代の超常現象研究家の間で人気となった。レイラインは魔法に満ちていて、心霊現象の原因となり、UFOを呼び寄せると彼らは信じている。

 

バミューダ・トライアングル】この北大西洋の大まかな海域は、数多くの消失事件で知られている。もっとも有名なのは1945年米海軍の5機からなる第19飛行部隊が同時にすべて消失した事件だ。この説の一部の信奉者によれば、バミューダ・トライアングルは世界最大の心霊地域かエイリアンがはびこっている場所なのだという。

 

ドラゴン・トライアングル】この海のトライアングルは日本の南にあり、何隻かの船が消失している。

 

幻の動物

・動物のような形で現れた幽霊を目撃した人もいる。未知動物学(UMAを研究する学問)では、こうした動物をクリプティッドと呼ぶが、幽霊とモンスター(怪物)、UMAの違いは文化によって説明が多様なためにはっきりしないことが多い。

 

ネス湖の悪魔払い】一部のUMA研究家は、ネス湖の怪物は奇跡的に絶滅を免れた古代の生き物だと信じている。だが1975年、教区牧師がこの有名な生き物に対して悪魔払いをしようとした。彼は、「これは悪霊で、地元地域で心理的にアルコール依存と鬱病を引き起こしている」と信じていたのだ。

 

幽霊の出る病院と学校

ポヴェーリア島

ヴェネツィア イタリア、1960年代頃

ヴェネツィアの潟にあるポヴェーリア島は、18世紀に隔離用の島となった。100年以上に渡って隔離地域となり、多くの腺ペスト患者がここに置き去りにされて死を待ち、その死体は火葬されるか集団墓地に埋葬された。1922年に島の建物は精神病院に改装されて、その後1960年代に閉院、廃墟となった。2016年、5人のアメリカ人観光客が恐怖のあまりゴーストハントを放棄して島から救出された。

 

メディアの中の幽霊

・映画の中に初めて幽霊が登場したのは、フランスの映画監督ジョルジュ・メリエスの『悪魔の館』(1896年)だ。この時代の作品の典型で、幽霊は白いシーツを被ったひらひらする姿で描かれている。その後、何十年もの間、幽霊は映画、テレビ、テレビゲームに登場し続けている。

 

ポストモダン期

ハイゲイト墓地

・ポストモダン期になると、テレビや新聞のマスメディアを舞台として、ホーンティングが素早く、広く伝えられるようになった。あるメディア由来のヒステリア(社会現象的パニック)のケースとしては、怪奇小説的なビクトリア朝のハイゲイト墓地に、超常現象研究家、墓荒し、自称エクソシストが押しかけたlことが挙げられる。

 

ハイゲイト墓地

英国ロンドン、1960年代

 事件は1968年に、不埒な悪党が棺桶を貫く鉄の杭を打ち込んだことで始まった。その後、墓地をさまよう灰色の幻姿が目撃され、超常的な不法侵入者と対峙しようという期待に満ちたゴーストハンターたちが到着した。

 

取り憑かれた物

・多くの伝説では、物体に侵襲的な幽霊、魔物、あるいは呪いが取り憑いた様が説明されている。取り憑かれる物体はもっぱら古いもので、まるで古さが霊を招いているようだ。

 

ゴーストタウン

・放棄された居住地は、ゴーストタウンというあだ名で呼ばれがちだ。

ゴーストタウンは、幽霊の目撃体験がほとんどなくても「幽霊が出る」という評判を得ることが多い。

 

ホワイト・レディ

・幽霊の伝説でもっともよくあるのが、ホワイト・レディだ。女性の幽霊で白い服がふわふわとなびいて漂うのでそう呼ばれる。

 

アミティヴィルの幽霊屋敷

米国ニューヨーク州ロンフアイランド アミティヴィル、1975年

・1975年、23歳のロニー・デフェオ・ジュニアは、自宅で自分の家族を6人を殺したことを認めた。その後、間もなくジョージ・ラッツと妻キャシーが3人の子どもとこの事件のあった家に引っ越してきた。幽霊が出るかもしれないと心配したラッツ一家は神父を招いて家をお祓いしてもらった。だが、すぐに一家は過剰なほどの超常現象に気がつく。

 

悪魔パニック

・幽霊や交霊会に興味を持つことに対して「こうした活動は悪魔を刺激して扇動する」と反対する人々がいる。もっとも有名な1970年代から北アメリカに広がったモラル・パニックだろう。この間、信者たちは、秘密の悪魔崇拝者たちが政府、メディア、公的機関の中枢で働いていたと主張した。

 

メディアに登場するゴーストハンター

・小説や映像作品に登場するゴーストハンターたちは、スピリチュアル戦士ヒーローから口の上手い興行主まで、多様だ。もっとも有名なのは1984年の映画、『ゴーストバスターズ』だろう。

 

21世紀

ゴーストハンティング テレビ番組

・21世紀初頭から、テレビのリアリティー番組がゴーストハンティングのありかたに大きな影響を及ぼした。

 

・ゴーストハンティングの番組は主に米国で製作されるため、主役は白人男性がほとんどで、幽霊調査には演出が加えられている。

 

現代のホーンティング

シャーマン牧場

・シャーマン牧場は幽霊、UFO、UMAなど多種多様な異常現象が起こる場所といわれている。

 

幽霊が出るホテル

ホテルは、幽霊が出るという場所の常連だ。お客やスタッフが死んだという噂がつきものだからだ。中には英国のジャマイカ・インのように、幽霊をアメニティ-として遠慮なく宣伝している場所もある。幽霊が出るという部屋は泊まりたいという客が多いために別料金になっていたりする。

 

ファーストワールド・ホテル】2001年に建てられたばかりにも関わらず、マレーシアのファーストワールド・ホテルにはかなりの幽霊伝説がある。

 

インタ―ネット幽霊

・インタ―ネットの幽霊伝説は創作ホラーとして始まったものが多く、写真修正ソフトを使って作られた不気味な画像を伴っているのが典型だ。ネット上で広く拡散することで、元の文脈が抜け落ち、またたく間に本物の怪奇現象の報告だと見なされるようになった。現代の批評家はこの種の伝説を「デジタル民間伝承」と呼んでいる。

 

消えない伝説

・この本で取り上げたホーンティングの大部分は、特定の場所や時間と結びついているが、現在でも新しい幽霊の目撃報告や物語が世界中で生まれ続けている。

 

幻のヒッチハイカー】幻のヒッチハイカーは都市伝説で良くある話で、20世紀に有名になった。1940年代に民俗学者リチャード・ビアズリー、ロザリー・ハンキーはこの話の異なる70以上のバージョンを採集している。この伝説は学問的な考察をしたジャン・ブルンヴァンの著作『消えるヒッチハイカー』(1981年)によって広く知られるようになった。

 もっとも一般的な話では、心優しい運転手が夜、ヒッチハイクをしている人を拾う。乗ってきた人は奇妙な振る舞いをし、走行中にまるで手品のように消えてしまう。困惑した運転手は地元の人々と話し、ヒッチハイカーが幽霊だったことを知る

 

現代の幽霊

・現代でも、友人や家族から聞いたり、本やメディアで幽霊の話を耳にすることはあるだろう。あなたにも、何か語りたい話はあるのだろうか?

 

・幽霊は宗教的な祭りの中心にして、私達に「死者に敬意を払い、暗闇に注意するように」と気づかせてくれる。幽霊は小説、映画、テレビゲームなど創作作品の奥深くに宿り、恐怖と喜びをもたらす。