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メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

声は外堀から埋めてゆく

2009年11月10日 15時38分21秒 | mai-mai-making
 おとといの続き。

 とりあえず、山口県出身俳優、タレントのリスト、山口県出身声優のボイスサンプルをもらいましたが、その段階ではまったく方向性の方針などノー・コントロールに、とりあえずこういう人がいますよ、という参考程度です。
 最初の声優オーディションは、2008年5月10~11日、新橋の録音スタジオで。大人のキャラクターはなるべく山口県出身のベテラン声優から募ることにして、現場に安定感を作り出そうと思っていました。そういう現実的な側面から固めてゆくわけです。
 ここで出現したのが、野田圭一さん、竹本英史さん、谷山紀章さん。
 特に野田さんの演技「喘息で咳き込む小太郎」は素晴らしい。と、思っていたら、演技を終えた野田さんがおっしゃるには、
「最近・・・・・・友人を喘息で失ったばかりでして・・・・・・」
 それはまた・・・・・・。
 竹本さんは、前作『アリーテ姫』の騎士ダラボア役以来。
 この三人は山口県出身なので、方言の点でひじょうに有利です。

 試しに山口県出身でない俳優も知り合いふたりほどに来てもらっていました。小山剛志さんと喜多村静枝さん。小山さんは『アリーテ姫』の悪役・魔法使いボックスだったのですが、次に映画やるならまた呼んでくださいね、?といわれてましたので。舞台演劇から声優に転進中の練習生である喜多村さんには、この作品の女の子の声、男の子の声を大人の女性声優が演じたらどうなるのか、ちょっと試してみたい、という含みがありました。


 ところで、この頃、タツヨシの演技プランがどうも定まりきらずにいました。演技というのは、作画的のものも含めて、です。演出家が喋り方をイメージできていないと、作画上の動きのタイミングも定まってきません。タツヨシというのは通り一遍等ではない、どこかむずかしいところのある人物でした。
 そこで、喜多村静枝さんに、タツヨシの叩き台作りに協力してもらおうことにしました。こちらもふだんあまりやらない音声演技指導の練習をしておきたかったですし。
「ボソボソした喋り方にしたいんだけど」
「ボソボソ、ですか」
「っていっても、ダラダラ喋ったら台無しだよねえ」
「まあ、やってみます」

 (この間の経過省略)

「ええ、と、高倉健! タツヨシは小学生だけど高倉健! 『・・・・・・ジブンは・・・・・・ブキヨウですから』、そんな感じ」
「はあ」
 ずいぶんムチャな注文ばかり出したのですが、ちゃんとついてきてもらえてよかった。なんとなくタツヨシの喋り方のタイミングが頭の中にできあがってきました。
 喜多村さんにはその後もムチャな注文を繰り返して、本番ではバー・カリフォルニアの女、絵のうまい吉岡さん、ラジオドラマの彦八郎など、何役も演じてもらっています。


 さて、そんな感じで外堀が埋まってきたあたりで、メインどころのキャスティングに入ります。
「新子は福田麻由子で」
 と、いうと、たちまち、
「福田麻由子は、今までのイメージからいって、貴伊子じゃないですか?」
 という反応がズラリと。
 わかっとらんなあ。
 福田麻由子のこともわかっとらんし、貴伊子のこともわかっとらんのだから。

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ちりめん猫

2009年11月09日 16時55分42秒 | mai-mai-making
 新子の家の中の様子は、できるだけ原作『マイマイ新子』で述べられていることとつじつまが合うようにしようとは思っていました。
 その原作には、「母の鏡台にはちりめんに猫の絵が描かれているカバーがある」と書かれていました。
 どんなデザインなのでしょう。イメージに困りました。
「日光の眠り猫みたいな?」
 うーん、そうですねえ。それで行きましょうか。
 こんな感じに仕上がりました。
             
 これはセル描きなのですが、ちょっとしたテクニックを使って、いかにも布目に見えるように作ってあります。
             
「だけどさ、鏡台のカバーって、絵コンテではめくる動きがあることになってるよ」
「うーん」
「これ動かせっての?」

 ・・・・・・この成り行きの結果は映画を見て確かめてください。

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台詞を山口弁に書き換える

2009年11月08日 20時21分31秒 | mai-mai-making
 シナリオをもとに絵コンテが作られ、そこで若干の台詞修正を加えて、ふつうならそこからアフレコ台本が作られます。しかし、この作品ではいきなりそうできない事情がありました。
 台詞をすべて山口弁に変えなければならないのです。
 この作業だけはわれわれの手に余るものです。けれど山口県防府市にはうってつけの人物がいる、と聞かされ、台詞の山口弁化作業をお願いすることにしました。といっても、表現のかなめである台詞を他人様におまかせしなければならないというのは、脚本家として正直、身構えてしまうことだったりもします。

 2008年4月6日。
 われわれが待つ東京の録音スタジオへ、防府から森川信夫さんがやって来られました。こちらから送付済みの台詞原稿を山口弁に翻訳したものを携えて。
「当時の山口弁は今の山口弁とは異なります。たとえば今の山口で話される『ぶち』などという言葉は当時ありません。あれはもっとあとの時期に県外の西の方から入ってきた言葉です」
 森川さんは、そんなふうにひとつひとつの言葉だとか、イントネーションの変化について、いつ頃どこで発生した言葉なのか、学究的にわきまえておられるました。とても博識でありつつ、お話がわかりやすい。
「ですから、台詞は今の山口弁ではなく、昭和30年の山口弁になるようにしました」
 こちらからはあらかじめ、山口弁をしゃべる登場人物ひとりひとりについて、「この人は昔ながらの方言を使う」「この人はかなり標準語化されている感じ」などと指定しておいたのですが、そうしたことにも柔軟に対応していただいていました。その上で、
「光子の方言の度合いが両親よりも深いのはうなづける話です。幼児は年寄りの祖父母に面倒見られることが多いわけですから」
 と、こちらのプランを、説得力たっぷりに肯定してくださいます。

 この日、森川さんを招いした場所が録音スタジオだったのは、森川さんに山口弁ぼ台詞を朗読してもらい、それを録音しておこうと考えていたからです。
 森川さんは貴伊子の台詞まで読んでいかれます。それもまた趣のある、どこか懐かしい当時の東京方言として。森川さんは貴伊子の人となりに感受性を刺激されてもいたようです。
 すっかり安心し、信頼させられてしまいました。

「じゃあ、新幹線の時間がありますから」
 録音を終えた森川さんは、つむじ風のように帰っていかれました。
 われわれの手元には、森川さんが吹き込んだ山口弁の全台詞を収めたCDが残されています。これが、これから作られてゆく演技の土台になってゆきます。
 声優のオーディションを始める1ヶ月前の話です。すでに、山口県出身の役者のリストアップが進められつつありました。

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そもそものはじまり

2009年11月07日 10時04分47秒 | mai-mai-making
 さて、いろんな意味で話を端折りすぎてるのかもしれません。


 2004年10月の時点で、片渕はスタジオ4℃とマッドハウスの両方の作品を、同時並行で準備しつつありました。
「企画は水もの」という感じもあり、どちらの企画もすんなり通るにはまだまだ何かありそうな雰囲気が漂っていました。

 11月1日はたまたまスタジオ4℃の机にいたのですが、そこにマッドハウスのCCO丸山正雄プロデューサーからメールで「こういう企画を進めることになったので」と一報をもらったのが、自分と『マイマイ新子』との出会いです。小説『マイマイ新子』はその一月ほど前の9月末に刊行されたばかり、という時期のことでした。本の発売と同時にマッドの丸田社長が気に入ってしまっていたわけです。

               

 マッドハウスのそれまでの作風と『マイマイ新子』のようなものは、一見縁遠いようにも見えますが、実のところ、そういうわけでもありません。その昔、片渕は『うしろの正面だあれ』(有原誠治監督)という海老名香葉子さん原作の本のアニメーション映画化に携わったことがあり、丸山さんはそれが他社の仕事でありながら気に入ってしまったようで、マッドでも同じような傾向の『お星さまのレール』を作ったり、それから、『うしろの正面だあれ』のエンディング・クレジットからわざわざ片渕の名前を探し出して、「この人は今どこで仕事してるの?」とアプローチしてくれたりしたのです。
 たまたまそのときには片渕はスタジオ4℃で『MEMORIES』(大友克洋監督)という3部構成のオムニバス映画の第3話に関わっていたのですが、マッドハウスはその第2話を作っていたところで、「なんだ、同じ映画を作ってたのか」とわかり、「とにかく一回、マッドに来て」と、人づてに誘われたのが1996年のこと。
 それ以来のマッドとの付き合いです。
 そういう経緯でのマッドハウスと片渕との出会いであったのですから、『マイマイ新子』のような企画でまず監督候補に登らされるのは、まあ自然な成り行きだったともいえます。


 さて、2004年秋当時、スタジオ4℃で進めていた企画は、日ロ合作企画だったのですが、片渕がやらんとすることとロシア側の意向がうまく噛み合わなくなり、11月12日にはこの仕事から離れなければならないことになってしまいました。
 やはり「企画は水もの」だったわけで、その時点から、もう一本マッドハウスで「シリーズ構成」兼「脚本」という距離感で関わっていた『ブラック・ラグーン』に仕事を集中させることになり、当初監督不在のままだったこの作品の監督の立場に就くことになってゆきます。そうした中で、さらに先を見据えた仕事としていくつかの企画を並べられましたが、何より『マイマイ新子』をまず頭においといてね、といわれています。

 『ブラック・ラグーン』はすぐに現場的な作業に移行してゆき、以降丸2年間にわたってこれに従事することになります。
 その間にも、『マイマイ新子』の片渕なりの映画化プランも平行して作りはじめていました。
 2005年4月19日からは、若い友人でありシナリオ・ライターの練習生だった経験を持つ八木陽一さんを話し相手に選んで、最初のストーリー検討に着手しています。
 ファースト・インプレッションは、

      「青い麦がさわさわ揺れる中を真っ直ぐにとおった細い道。
      そこにぽつんと一軒建った家がお船みたい」

 という部分にまずありました。
 緑色に支配された世界・・・・・・。


 この年の7月22日には、ほぼプランが出来上がってきたように感じられましたので、翌日にはマッドハウスの方に、「『マイマイ新子』の製作に着手していただけないでしょうか」とお願いを出してしまいました。『ブラック・ラグーン』第1話の完成前後のことだったのではないでしょうか。
 この頃すでに、完成した映画で実際に語られている台詞のかなりの部分が出来上がっています。
 ただ、千年前に起こる出来事だけは、まだどんなものにしてよいのかわからずにいます。


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全力運転371日

2009年11月06日 23時26分57秒 | mai-mai-making
 いろいろ取材していただく機会が増えてきて、『マイマイ新子と千年の魔法』という映画についての自分の考えが語るごとに整理されてゆくような気がします。作ってるあいだはもっと本能的に動いてる感じです。「なぜ、何のためにこの映画を?」みたいなことは、作りはじめる前か、今みたいな作り終わったあとで考えることだったりします。

 先日、とあるインタビューの中で、
「この映画を作る中で一番つらかったことは何ですか?」
 と、たずねられました。
「つらかったこと? はて・・・・・・」
 と、ずいぶん長い時間考えて、
「あ・・・・・・」
 人間、つらいこと、苦しいことには封印してしまうものです。
 こんな一番肝心なことを忘れていたとは。

 2007年12月1日から2日にかけて、「これからはもうしばらく休めなくなるから」と、箱根に家族旅行をしました。
 次の日から本当に休みがなくなり、映画がエンディングを除いてこちら側作業がいったん完了したのが2008年12月8日。この間、丸1年、土日がないどころか、お正月も1日しか休みを取れず、原画チェックをようやく終えて「これからの日曜日はみんな休めますよね」と制作の方でもすがるような目でこっちを見るので、「うん」と答え、翌9月14日(日)に一日休み、調子よく翌15日(祝)も休んでしまったら、とたん、制作からの電話で「今からすぐに出て来て下さい。仕事が待ってます」と呼び出され、そのほか、風邪引いて2日くらい休んだでしょうか。その1年で休んだ合計はどう思い出しても合計で8日を超えません。

 ピークの時期には帰宅時間も遅くなり、しかも、実は作監の浦谷というのがうちの妻だったりして同じ時間帯に動いているものですから、両親そろって家の子どもたちに飯を作ってもやれず、深夜営業のスーパーで子どもでも調理できそうな食料品を買って帰り、冷蔵庫に詰めておいてやるくらいしか出来なくなってしまったのですが、そしたらそんなある日、帰宅したら冷蔵庫の上のホワイトボードに末っ子の書いた文字が。

           「もう食べるものがありません。冷凍食品買ってきて」

 この作品の思い出、というとこれに尽きるわけです。



   おっと、自分ちのことばっかり。
   この辺は、美術の上原伸一・桐山成代夫妻の場合もたいへんだったと思います。
   小学校が休みの日には、娘さんが仕事場におもちゃのお人形の家を持ってきて、ずっと遊んでましたから。
                

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