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メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

昭和30年の宣伝

2009年11月19日 09時41分06秒 | mai-mai-making
 山口県の先行上映キャンペーンでは、福田麻由子、水沢奈子が口をそろえて、「白銀のかまぼこが美味しい」といいまくったために、最終日に「白銀本舗杉本利兵衛本店」から、かまぼこ詰め合わせのお土産をいただいてしまいました。奈子くんのブログにも書いてあります。
水沢奈子オフィシャルブログ「ナコの宅急便」
 お礼を述べるのは良いことです。
 僕も食べましたが、たいへん美味しいものでした。

「白銀って、あれ? そういえば・・・・・・」
ふと思い出して、こちらの所蔵資料をゴソゴソ引っ張り出してみました。

 これは昭和31年の防府市街地図、観光用の地図で、いろいろな官公庁、会社、商店などの一覧と所在地が乗っているという、なかなか得がたいものです。
 その裏表紙ともいえるところに、すでに「白銀」の広告は大きく出ておりました。当時からすでに大きな老舗だったことがうかがえます。

 クローズアップにしてみると、電話番号なんかも書いてあるのですが、もちろんこの電話番号では今は通じません。3桁、4桁しかない電話番号は、自動交換機のためのものでなく、「何番をお願いします」と、あいだに交換台に入ってもらわなければならなかったわけです。



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最遠方ロケハン 直距1000キロ

2009年11月18日 07時02分41秒 | mai-mai-making
 ここのところ、メイキング記事が滞っていましたので、今日はもうひとつ話題を。

 防府市国衙の地面は「白い」です。
 先日の先行上映のあと訪れて、あらためてそう思いました。
             
 これは、北側にある多々良山から流れてきた土砂でできた扇状地だからです。明治時代以前の多々良山は木が失われて、白い山肌がむき出しになっていました。
             
 山から白い、石灰岩質の土砂が流れ込んでできたのが、国衙のあたりの地形なのです。

 千年前を想像してみましょう。
 埋め立ての進んだ今では自然の海岸線が残っていませんが、多々良山から海に注ぐ千年前の多々良浜は真っ白な真砂だったはず。
 海の水もきれいに澄んでいたはず。
 それはいっそ、今でいえば南の島を思い浮かべるべきなのでは?

 写真は、2007年8月に旅行した小笠原の南島の浜です。
             
 小笠原の砂浜の色と、国衙の地面の色は変りません。
 片やサンゴが波で砕かれて出来た砂、片や砕かれたサンゴが太古に石灰岩に変成し隆起した山から流れてきた砂。
 平安時代の浜などというと、古式ゆかしい感じですが、思い浮かべるべきは、こんな父島の風景に似た鮮やかな海なのだろうな、と思いました。
             
 江戸時代以降埋め立てられた多々良浜はかつては遠浅であったに違いなく、大きな舟は沖合いの江泊に入っていたのでしょう。
 平安時代には、浜は白く、底に白砂が敷き積もった遠浅の海はエメラルドに、コバルトブルーに輝いていたのではなかったでしょうか。ああ、そんな光景を見たいなあ、そう思いました。
             
 この場面の背景は、『紅の豚』の美術監督・野崎佳津さんに描いてもらっています。

 小笠原に旅行した頃には、すでに多々良浜の場面のイメージも抱き始めていましたので、父島や南島では映画で使うことを意識して写真を撮ってきています。『マイマイ新子と千年の魔法』の最遠方ロケハン場所は、そんな東京から1000キロの南方だったりしてしまうのです。

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2008年夏、山口オーディション 記憶修正版

2009年11月18日 06時13分03秒 | mai-mai-making
 ちょっと記憶が違ってました。

 2008年8月には、福田麻由子さんのテスト録音はまだやってませんね。
 この時期、進んでいたのは映像の編集で、8月21日Aパート編集、8月22日Bパート編集カット390まで。カット391以降は作業が進んでいないので、また後日です。
 翌8月23日、山口オーディションへ出発ですが、午後ぎりぎりまで東京で仕事して、羽田発17時5分の飛行機です。で、宇部へ着陸して列車で移動、22時35分に徳山へ着。このとき、引退間際の新幹線0系(引退記念塗装)に乗ることができてしまいました。

 そして8月24日、日曜日、午前9時から徳山の山口放送本社で、県内から集った子どもたちから声優オーディション。脇田美代アナウンサーに進行役をお願いしました。子どもたちには、完成画面を見ながら、マイクの前で一人ずつ喋ってもらいました。福田新子の音声との掛け合いじゃなかったでしたね。男の子たちにはシゲルかタツヨシ、女の子には新子、貴伊子、光子のいずれかの役の台詞をもらったのでした。

「番組に作るので、ワッキーがオーディションやってる風景も撮りたいので、一応やらせてみて」
 という話があって、脇田さんにもひづる先生の台本を渡してありました。
 オーディション用マイクの前に立った脇田アナは、まず自己紹介。
「脇田美代、23歳です」
 ???
「え? は、はい??」
「わたし、23歳です」
「は、はあ」
 たしかにお若いのですが、実力発揮中のアナウンサーの方と思ってたものですから、そんな大学出たてとは。
「ひづる先生、23歳ですよね」
 あ・・・・・・そういうこと。
 でも、台本のどこかにそんなこと書いたったけ、俺?
 いやいやいやいやいや、どこにも書かなかったぞ、そんなこと。
 読み込んで、役作り、きっちり作って来てる?
 ひょっとして、有望?

 さらに、現地の大人の方々に集まっていただいて、山口弁のガヤ収録を行いました。三田尻駅のプラットホームと、駅前で使うためのもので、これはオーディションではなく本番用素材です。完成していた映像に登場する駅前の通行人たちの風情に合わせてシチュエーションを決め、方言監修・森川信夫さんに来ていただいて、きわめて方言度の高い台詞を作りました。
 ここで山陽楼新築工事の人足役をやってもらったのが、先日のトーク&ライブ舞台監督の大橋さんでした。
「まあ、夏までにはなんとかせるいの」
 後日、千古役になる奥田風花ちゃんにも居残ってもらって、防府高校三人組のひとりとして、ここでも登場しています。天神さんの梅が枝餅を食べたがってる女子高生の役です。
「梅が枝餅食べようやあ」
で、「あんた食べすぎでね」といわれてしまいます。

 全部終了が18時。
 夜、「おつかれさま」と打上げをやった席上、脇田さんは、
「わたし、録音のために東京に行けるでしょうか?」
 内心、かなりOKかも、と思い始めておりました。
 その後、山口湯田温泉へ移動して一泊。せっかくの温泉ですが、羽をのばす暇もなし。翌日の昼食はもう、東京・荻窪でコンビニのうどんをすすっていました。この日、まだ作画担当者未定で残っていたカットを、13時からの作画打ち合わせで全部消化してしまおう、ということになっていましたもので。

 9月1日、キャスティング会議。
【新子、福田麻由子に決定済み】
【諾子、森迫永衣。交渉に入る】
【長子、本上まなみ。交渉に入る】
【ひづる先生 候補 脇田アナウンサー】
 主要キャスティングもかなり埋まってきました。
 あとは、シゲル、タツヨシら台詞の多い男の子たち。それに貴伊子が未定で残っています。
【貴伊子 声優案、俳優案を福田テスト収録後に再度選定 涼やかで高い声の人】

 9月2日、福田麻由子さんに渡す新子テスト収録用台本を作成。これで新子の音声を録音して、残るキャスティングのオーディションを録音新子との掛け合いで行う予定。

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2008年夏、山口オーディション

2009年11月13日 22時10分47秒 | mai-mai-making
 2008年8月には新子=福田麻由子で決定。
 そう決定すると同時に、麻由子くんだけを音響スタジオに呼んで、新子の台詞をいくつか演じてもらいました。録音した声の中に、子どもらしいバイタリティに溢れた新子が、たしかにそこにいました。
 これからのキャスティングすべての基準となるのはこの音声です。

 麻由子くんの新子像が新鮮な自然さをはらんでいたので、バランスをとる上でほかの子どもたちの役に大人の声優を使うのは難しい、と思いました。
 それでいて、この映画の中の子どもたちはリアルな山口弁を話さなければなりません。ハードルが高いのです。
 ならば、まず、山口弁をネイティヴに喋る子どもの中に「使える子」がいないか探すことです。
 山口放送に協力いただいて、山口県内から夏休みの子どもたちを集めてオーディションを行うことに決めました。応募総数○○名。中には「子ども限定」という応募資格なのに、大人の方からの応募もありました。将来プロの声優を志望しているという、中高校生も結構いました。
 そうした応募書類をマッドハウスの会議テーブルの上に並べて一次選考したのですが、一番大きな会議テーブルの上が応募書類で埋まってしまっていました。。

 そうして絞らせていただいた子どもたちを山口放送のスタジオに集め、オーディション本番を行ったのが8月25日。
 ひとりひとりに福田麻由子が演じる新子の音声と掛け合いをやってもらいました。
 こうした中から現れたのが、ヒトシを演じることになる川上聡生くんと、千古役の奥田風花さんでした。小学○年生の聡生くんの演技度胸、将来声優を志望して家で自前のマイクで練習しているという風花さんのしなやかに自然な感じ。このふたつを見つけることができたのは大きな収穫でした。

(今日はその同じ山口放送のスタジオを久しぶりに訪れ、オーディションのとき司会をつとめていただいた脇田美代アナの番組『熱血テレビ』で映画の紹介をさせてもらいました)

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森繁久弥さん

2009年11月11日 09時33分40秒 | mai-mai-making
 森繁久弥さんは、別に『マイマイ新子と千年の魔法』に出演してはおられるわけではありません。
 けれど、ちょっとだけ関係がありました。先方はまったくご存じない、こちらから一方的なものなのですが。

 とある登場人物のキャラクターデザインをどうするか相談していたときに、
「昭和30年ぽい人物像って、どんなのかなあ」
 と、いうと、キャラクターデザイナーの辻繁人さんが、
「若い頃の森繁なんてどうでしょ」
 というわけです。辻さんは映画を数多く見てる人なので、こういうとき引き出しがたくさんあってよいです。
 ああ、それいいね、といってすぐに絵にしてもらいました。といっても、別に似顔絵を描くわけではないので、あくまでフンイキの話なのですが。

 ほかの主だったキャラクターにも、新子、シゲル、ヒトシくらいを除いて、ほとんど何らかの形で造形のモデルがあります。色んな世界を取り込みながら、この映画独自の世界を膨らませてゆく作業は、なんだか楽しいものでした。

 ということで、あえてここに絵を出しませんが、「首から上が若い頃の森繁久弥風、首から下が『ゴジラ』に出演中の志村喬風」というキャラクターができあがりました。
 昭和の残り香。

 

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