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太平洋のスペイン船(19)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

The Spaniards in the Pacific (19)
 The prince of Arima and his men arrived, with a crowd of boats filled with soldiers, to carry out the Shogun’s orders. They immediately surrounded the Madre de Dios, which in the very light wind, and that dead foul, could do nothing. So the Spaniards prepared to defend themselves, or to sell their lives as dearly as possible.

 Against their guns and muskets the Japanese found it no easy task to get on board. For a long time they tried it with the most determined, the most reckless bravery, but were beaten back. In vain they pressed on to the assault; the Spanish fire carried death through their ranks; and the sight of their comrades, blown into bits, or thrown back dead or dying into the boats or the sea, at last struck something like terror into the hearts of these daring soldiers.

太平洋のスペイン船(19)
 有馬氏と部下は兵士を満載した多数の小舟と共に、将軍の命令を実行すべく到着した。  彼らはすぐに、微風のため何もできない、運の尽きた“マドレ・デ・デウス”を包囲した。  スペイン人達は自身を守る準備をし、自分たちの命をできるだけ高く売ろうとした。

 スペイン人達の大砲やマスケット銃に対抗して、日本人は敵船に乗り移るのが容易でないことを悟った。  何回も決然と不屈の勇気で攻撃したが、そのつど撃退された。  むなしく攻撃を続行したが、スペイン人の砲火は彼らに死を運んだ。  ばらばらに吹き飛ばされたり、殺され打ち払われたり、小舟や海上で死に掛けている戦友の光景は、この向こう見ずの兵士達の心に恐怖に似たものを生じさせた。
 
(ひとこと)
 種子島に火縄銃(マスケット銃)が伝来したのは1543年、8年後には実戦に使用された。その後各地で大量生産されて、合戦に鉄砲隊が登場、戦場の様相を一変させた。  1575年に行われた長篠の合戦では3千挺の鉄砲が使われたという。  有馬氏にも鉄砲隊があり、決して日本人にとりびっくり仰天するものではなかったと思われる。
     
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