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太平洋のスペイン船(20)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

The Spaniards in the Pacific (20)
 But the Shogun’s order was positive. The Spanish ship and her crew were to be destroyed; and the Prince of Arima knew very well that, for him at least, failure would be held to be disobedience and be punished with death. If, he explained to his men, we have to die, ‘tis better to die here, doing our duty, than to be put to death by the Shogun’s order for not doing it; to say nothing of the tortures that will certainly make this death more painful.

 As he spoke, he hurled himself again at the Madre de Dios, and his men pressing on with him, succeeded in making good their footing on the ship’s deck. Others followed, and the deck appeared won. The Spanish defense collapsed; the Spaniards ran down below, closing and making fast the hatches as though bent on defending themselves there.

太平洋のスペイン船(20)
 しかし、将軍の命令は絶対だった。  スペイン船と乗組員は段々と破壊されていった。  有馬氏は、この任務の失敗は不服従とみなされ、死をもって償うことになるだろうことを十分良く知っていた。  彼は部下に“もし死なねば成らないのなら、任務の失敗により将軍の命で死罪になるより、任務を遂行してここで死のう”と説いた。  死罪になることは、死をより悲しいものにする苦しみ以外の何ものでもない、と話した。

 その後、有馬氏は先頭に立って“マドレ・デ・デウス”を再び強襲し、部下も彼に続いた。  そして、ついに敵船のデッキに足場を築くことに成功した。  他の者もそれに続き、デッキは奪取された。  スペイン人の防衛は崩壊した。  彼らはデッキ下に走りこみ、そこで防りを固めるため、ハッチを閉じて堅固にした。
 
(ひとこと)
 本文にでてくる有馬氏は肥前有馬家当主有馬晴信のことで、キリシタン大名として知られている。  史実は本文と若干違っている。  1609年にマカオで晴信の朱印船が襲撃され、乗務員と家臣が多数殺された。  その後、マカオから“マドレ・デ・デウス”号が長崎に入港したので、報復のため同船を襲撃、“マドレ・デ・デウス”号は爆沈した。  本件に関連して家康の怒りをかい、晴信は切腹した。
〔参考文:“有馬晴信”、Wikipedia〕
     
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