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無敵艦隊(8)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

THE INVINCIBLE ARMADA (8)
     “Rendezvous for the shipment of seamen were opened in every seaport town; while throughout Philip’s vast dominions there was not a hamlet so insignificant, or a cottage so lowly, but that the recruiting sergeant made his way to it, in his eagerness to raise troops for the grand army, which, blessed by the Pope, and led by the famous Duke of Parma, was destined, it was confidently believed, to march in triumph through the streets of London, and, by one sweeping auto-da-fe, extirpate heresy from that accursed land which every Spanish Catholic was taught to regard as the stronghold of the devil.”

"Volunteers of every degree, and from every corner of Europe, hastened to enlist under the banner of Castile. Of these, many were religious bigots, impelled to the crusade against English heretics by fanatic zeal; a few men of exalted character, not unknown to fame; but by far the greater number, needy adventures, seeking for spoil. At length, in April, 1588, after nearly three years of preparation, the army of invasion, 60,000 strong, was concentrated at Dunkirk and Nieuport, where large, flat-bottomed transports were built, ready for its reception.

無敵艦隊(8)
船乗りが乗船する集結地点はすべての港町に開かれた。  フェリペの広大な領土で、兵員募集の軍曹が仕事をしなかった村は一つもなかった-たとえその村がどんなに小さかろうと、その平屋がどんなにみすぼらしかろうと。  軍曹たちは熱意をもって、偉大な軍隊のための部隊を立ち上げようとした。  その軍隊は教皇に祝福され、有名なパルマ公に率いられロンドン通りを凱旋行進する運命にある、と堅く信じられていた。  そして、猛烈な異端者火刑などにより、のろわれた大地-すべてのスペインのカトリック教徒は(イングランドは)悪魔の砦だと教えられた-から異端を一掃しようとした。

     すべてのレベルの志願兵が、ヨーロッパのすべての場所から、カスティリア王国の旗のもとに入隊しようと急いだ。  もちろん、多くはイギリスの異端に対する十字軍を熱狂的に推し進めようとする、宗教的に偏狭な人々だった。  少数の立派な品性の人や名声とは無縁の人がいた。  しかし、ほとんどの人は略奪品を求める、冒険野郎だった。  ついに1588年4月、ほぼ3年の準備の後、6万人の強力な侵略軍はダンケルクとニューポートに集結した。  そこでは、大型の平底輸送船が建造されており、出陣式の準備をしていた。

(ひとこと)
スペインはブラジルを除くアメリカ大陸を支配し、その資源を収奪した。  特に“銀”は大変な量がインディオの奴隷労働により掘り出され、スペインに運ばれた。  1545年に発見されたペルーのポトシ銀山は有名で、16世紀半ばからの100年間、スペインの黄金時代をささえた。  南ドイツで産出される銀が年30トンの時代、新大陸からは年平均200トン!!が、年間100隻のスペイン船で本国に運ばれた。  カリブ海では、それを狙って海賊船や私掠船が襲い掛かった。  輸送船イコール軍船だった。
〔参考文献:岩根圀和著「物語スペインの歴史」、中公新書〕
〔参考文献:増田義郎著「図説 海賊」、河出書房新社〕
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