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無敵艦隊(9)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

THE INVINCIBLE ARMADA (9)
"But still the Armada, that was to convoy the transports and cover the landing of the troops on their arrival in England, loitered in Lisbon, waiting for a favorable wind. Toward the end of May it moved out of the Tagus by detachments, and passing the dangerous shoals called the Cachopos in safety, took its departure from Cape Roca, the westernmost point of Portugal, and of the continent of Europe, on June 1st, sailing due north, with a light southwesterly breeze. The fleet consisted in all of one hundred and thirty-two vessels, carrying 3165 guns, 21,639 soldiers, 8745 seamen, and 2088 galley slaves; and its aggregate burden was not less than 65,000 tons.”

The San Martin, a vessel of fifty guns, belonging to the contingent furnished by Portugal, carried the flag of the commander-in-chief, the Duke de Medina Sidonia, already mentioned.

This great Armada was very unwieldy, and contained many dull sailors, so that, making its way at the average rate of only about thirteen miles a day, it passed the Berlingas, crept by Figuera, Oporto and Vigo, and finally lay becalmed off Cape Finisterre. Up to this time the winds, if baffling, had been moderate, the weather pleasant, and the sea smooth as glass.

無敵艦隊(9)
     “しかし、輸送船を護衛し、イングランドに上陸する部隊をカバーすべき”アルマダ“はまだリスボンで順風を待って、ぐずぐずしていた。  5月末に向けて艦隊はタホ河から動き出し、カチョーポスと呼ばれる危険な浅瀬を無事通り過ぎ、ポルトガルの最西端、ヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬を6月1日に回りこんだ後、南西の微風に乗って北に帆走した。  艦隊は全部で132隻、3165門の大砲、21,635人の兵士、8745人の船員、2088人のガレー船の漕ぎ手奴隷を積んでいた。  その総計積載量は65,000トンを下回ることはなかった。

     50門の砲を積んだサン・マルティン号はポルトガルにより派遣された船団に属し、既に述べたように総司令官メディナ・シドーニア公爵の旗艦だった。

この偉大なる“アルマダ”は大変扱いにくい上、多くの未熟な船員を抱えていた。  そのため、一日平均たった13マイル(約21Km)の速度でベルリンガスを通り、ゆっくりとフィゲイラ、オポルト、ビゴと進んで行き、ついにフィニステール岬沖で風がなくて止まった。  この時まで、風は不可解なほど適度にあり、天候は申し分なく、海はガラスのように滑らかだった。

(ひとこと)
      帆船は自然の風を利用して進む。  したがって目的地に行くためには風の向きを考慮して、帆を操作し、舵を調整する必要がある。  追い風の場合は容易だが、向い風の場合は風に船首を向けて走ることはできない。  風向とジグザクに風をきって進むため、ひどく時間がかかった。  横帆船(四角帆船)の場合は風向きに対して約67度の方向までしか進めなかったが、縦帆船(三角帆船)では55度まで進めるようになった。  現在のヨット(縦帆)は約40度まで風をきって進める。
〔参考文献:ジョン・R・ヘイル著「探検の時代」、タイムライフブックス〕
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