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第2話(4)

 カリーニングラードの歴史(4)

 20年後、復讐を誓うドイツ第3帝国総統ヒットラーはポーランドに侵攻、イギリス、フランスはドイツに宣戦布告した。(第2次世界大戦)

 フランスを降伏させたヒットラーは、ドイツ騎士団の夢想した東方植民地を再現しようと、1941年ソ連に侵攻する。
最初は電撃戦でソ連軍を圧倒したドイツ軍だったが、長期戦になるにつれ、戦力を消耗し、ソ連軍に押される一方になった。

 1944年秋、ソ連軍は東プロイセンに迫った。

 東プロイセンの中心都市、カリーニングラード(ケーニヒスベルク)は3ヶ月間の包囲戦の後、陥落した。
この闘いで、ドイツ様式の美しい街は灰燼に帰してしまった。


 まもなく、ドイツは全面降伏する。
カリーニングラードを含む東プロイセン北半分はソ連領に、南半分はポーランド領になった。

 そして、プロイセンに住んでいたドイツ人は全員、ドイツ本土に追放されたのである。

 代わって、ソ連邦カリーニングラード州にはロシア各地からロシア人が移住してきた。

 ヒョードルの両親も、豊かさを求めてウラル地方から移ってきたのだった。

 参考図:「図説 プロイセンの歴史」、セバスチャン・ハフナー、東洋書林、2000
     
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