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ソ連の原爆開発計画

5.ソ連の原爆開発計画 

 懸念されていたナチス・ドイツによる原爆開発計画は、初期段階で止まっていた。

1943年、ヒトラーが原爆開発よりロケット兵器開発を優先させたためだ。

 

 ソ連においては、戦前より物理学者イーゴリ・クルチャトフのチームが、

核物理学の研究を行っていた。 

 しかし、1941年から始まったドイツのソ連侵攻により、中止される。

 

 1943年に、ソ連情報部は原子爆弾の実現可能性に関するイギリスの

極秘資料を入手する。

 その情報を得たソ連の独裁者スターリンは、クルチャトフに原子爆弾

の開発を命ずる。

 しかし、国の存亡をかけた独ソ戦が続いていたため、クルチャトフの

原爆開発プログラムは、遅々として進まなかった。

 

 当時、ソ連は全世界に強力なスパイ網を持っていた。

 

 アメリカの「マンハッタン計画」の中に、自主的にソ連に情報を流すスパイ

(ロシア人ではなく)が何人かもぐりこんでいた。

 彼らは上部命令により動くスパイというより、自主的な秘密情報提供者

といった方が正確だった。

 

 セオドア・ホールは1944年秋、開発間近のプルトニウム型原爆の全体像の情報を、

ソ連のエージェントに渡す。

 クルチャトフにとり、この情報は原爆開発にとって非常に貴重なものとなった。

試行錯誤の過程を省き、得た情報の再試、確認を行えばよかったのである。

 

 ドイツや日本との戦争が終わった1945年には、さらに詳細な情報がソ連に渡った。

 その情報は、マンハッタン計画で重要な役割を担っていたクラウス・フックスから

ソ連に手渡されたのである。

 フックスはドイツから亡命していた理論物理学者で、ホールと同じく、

自主的なスパイだった。

 

 1945年8月に、戦後の米ソ対立を見据えたスターリンは、原子爆弾開発を全速力

で行うよう、命ずる。

 クルチャトフらは、フックスやホールから得られた情報の、

理論的および実験的検証を行った。

 

 そして1949年、アメリカの予想より数年早く、ソ連はプルトニウム型原爆を開発し、

核実験を成功させたのである。

 

 参考図:「スターリンと原爆」、デーヴィッド・ホロウェイ、大月書店、1997

     

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