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第1話(3)

 約束の地、ギネーへ(3)

 15世紀、ヨーロッパの片隅に位置する小国、ポルトガル王国(推定人口150万人)にとって国力を高めるには、海に出て行くしかなかった。

 13世紀には、いち早くイスラム勢力を駆逐し、農業や醸造業、造船などの国内産業を育成した。
外国との貿易を始めたが、地中海を通る豊かなアジアとの貿易ルートは、イスラム勢力に完全に押さえられている。
さらに、隣にはカスティリアという強国がいる。

 当時、ヨーロッパ諸国は、肉料理には欠かせないアジアの香料を、法外な価格でイタリア商人やイスラム商人から購入していた。
香料が同じ重さの金と取引されることもあった。

 イスラム世界を通さないで香料を手に入れられれば、莫大な利益を得られる。
アフリカ大陸西岸のどこかにアジアへの入口があるかもしれない。

 古来より伝えられている、アフリカの南にあるというプレスター・ジョンのキリスト教国と組んで、イスラム勢力を挟み撃ちにできる可能性もある。
さらに、キリストの教えを、未知の世界に広げるという崇高な戦い(聖戦)も行える。


 上に述べたような理由により、イスラム勢力を駆逐した国土回復運動(レ・コンキスタ)の情熱の延長線上に、西アフリカ探検が行われた。
それを推進したのが、ジョアン1世の三男、エンリケ親王だった。

 キリスト騎士団団長であるエンリケはその豊富な資金を活用し、15世紀初頭から西アフリカ探検事業を押し進めたのだった。
 
 参考図:「モンゴルVS西欧VSイスラム」、伊藤敏樹、講談社、2004
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