皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

世間のことは

2010年09月03日 21時19分18秒 | 随想

この世間のことは突き放して見る以外にないと考える。病む人、貧しい人、自分に救える力とその意思があるなら助けるための挑戦をすればいい。が、無いなら冷酷に突き放して見る以外に術は無いのである。そして心中秘かに罪人の如く苦渋を味わうことだ。


社会に対して、見て見ぬ振りをしてはならない事を見て見ぬ振りをし、見て見ぬ振りをすべきことを見て見ぬ振りができないのが人なのである。見て見ぬ振りをしてはならない事を見過ごさず行動を起こすには勇気がいる。見て見ぬ振りをすべきことを見て素知らぬ振りをするには忍耐が要るのだ。そして勇気や忍耐はそれ程無いのが普通なのだ。


誰だって無用の軋轢は厭なのです。大衆というものは無責任で勝手なものです。自分にとって都合が良いことには、匿名で顔が見えなければ、衆を頼んで尻馬に乗って支持しますが、都合が悪くなれば知らん振りをするのです。梯子は何時でも外されるのです。そんな世間は当てにせぬことだ。


勇敢であらねば何も出来ぬが、勇敢であるには強くなければならぬ。しかし強さは時として酷薄さを伴うのだ。優しいことは安らぎを与えてくれるが頼りにはならないのだ。優しさは時として弱さを伴うのである。


しかしながら、臆病であることは何も恥ずべきではない。卑屈になる事もない。年から年じゅう勇敢なんてものは無分別な粗暴というものです。勇敢である人間のほうが時として厄介で使いにくく始末に負えなくて困ることがあるのです。


勇気というものは、いざというギリギリのところで、小便をちびり脱糞してでも奮うものです。そして、我々に問われるのはそのことなのです。



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