皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

感動という事

2010年08月27日 20時33分25秒 | 随想

今の映像伝達手段の発達した時代、映画やテレビなどを通して、数多の男優、女優、芸能人をいやというほど見せられ、また街中で一般人でも美男、美人、容姿の良い人を見ることが多々あります。あぁ綺麗だなぁ、素敵だなぁとは思っても感動とは程遠いのです。


そんな私も人生の中で、人の姿そのものに感動した経験が二度あります。ともに私が二十代前半の頃だったと思います。


一は、市内電車に乗っていて、斜め向かいに老齢に差し掛かったと思われる細面の大柄でないことだけは確かな和服姿の婦人がいました。羽織を着ていたかどうかは記憶が定かではありません。足先両膝を揃え、膝を足先より少しひねり気味に座り、膝の上に風呂敷包みをそっと置き、身体そのものは正面を向き、少し斜め前方に視線を向けていました。優雅であって強い感じがして、侍の妻はかくやあらんという感じでした。


二は、郊外電車に乗っていて、私の座っている右前方のドアの前に、座る席は空いているのに、学校に入る前くらいの幼い男の子と母親が手を繋いで立っていました。少年は大股開きではない足を開き気味に立って微動だにせず、ドアの外をじっと見つめていました。母親も同じくじっと前方を見つめていました。私とその母子と、どちらが先に降りたか記憶が定かではありませんが、降りるまでその姿勢は変わりませんでした。繋ぐ手はまるで母を守らんが如く、微動だにせぬ姿勢は目には見えぬ強い意志を感じさせました。


凛然とか毅然とかいう言葉は知っていますが、それだけでは言いようのない衝撃的な感動をその姿に覚えました。


人には目・鼻・口・手・足・といった具体的な造作物そのものとは別に、人相、表情、というものがあります。また、仕草、立居、振舞というものがあります。


教養、品格といった精神性の高さは学校で身につくものではなく、日々の生活の中で如何なる意識を以って如何なる行為を積み重ねるかで身に付くか付かぬか決まるのでしょう。その結末がおもてに現れて来るのでしょう。我々は知らず知らずのうちに人の姿の中にそれらを見ているのかもしれません。




パグ犬きなこの写真日記

日記No.2……2010年3月~

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