皆無斎残日録

徒然なるままに、日々のよしなし事を・・・・・

秋めいて

2021年10月17日 13時34分56秒 | 自然・風景

夜来の雨も早朝にはあがり、昼前には青空も見えて風も程よくあって、本当に秋らしいさわやかな日になりました。
昼ご飯を済ませて、歩いて15分位の所にあるショッピングモール「エミフル松前」まで散歩がてら行ってみました。
ドッグランにも数家族いて、増えていきそうな感じでした。久しぶりにおパグちゃんの新しい子をみかけ、何度かあったことのあるブルのきなこちゃんとも会いました。




道々塀際に花が咲いていました。それにしても、日本人というのは少しでも空きスペースがあると花を植えますね。なんと勤勉な国民だろう





伝習録

2021年10月14日 12時42分59秒 | 思想・哲学

朱子学にしろ、陽明学にしろ、儒学というものは支配する側にとって都合の良い学問である。孔子その人自体、自ら国々を遊説して回ったのは、どこかの国で自らの思想を現実政治に活かしたかった爲だろう。
それは取りも直さず、国の中でそれなりに地位を占め、民を、いや王侯さえも自らの思想に染め、指導したいという夢があったのだろう。
説教臭いと言われても、個人の道徳律としての儒学はそれなりに人としての道を指し示して納得することが多々ある。
しかし、仁義礼智信孝悌といった語などは、どれをとっても「逆らうな」「従順であれ」という要素が含まれる。これほど支配する側にとって都合のいい考えはないではないか。


それでもなお、私は王陽明の伝習録の中の次のこの一節に、悔しいけれど惹かれてしまうのだ。
この一説、情けないことに何度も筆写してしまった

「先生曰く、人生の大病は、只是れ一の傲の字なり。子と爲りて傲なれば、必ず不孝、臣と爲りて傲なれば、必ず不忠、父と爲りて、傲なれば必ず不慈、友と爲りて、傲なれば必ず不信なり。
故に象と丹朱と倶に不肖なるも、亦只だ一の傲の字、便ち此の生を結果し了ればなり。諸君常に此れを體することを要す。
人心は本是れ天然の理にして、精精明明、纎介の染着無し。只だ是れ一の無我のみ。胸中切に有る可からず。有れば即ち傲なり。
古先聖人の許多の好處も、也只だ是れ無我のみ。無我になれば自ら能く謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆惡の魁なり。」


「先生曰、人生大病、只是一傲字、爲子而傲、必不孝、爲臣而傲、必不忠、爲父而傲、必不慈、爲友而傲、必不信、
故象與丹朱倶不肖、亦只一傲字、便結果了此生、諸君常要體此、人心本是天然之理、精精明明、無纎介染着、只是一無我而已、胸中切不可有、有卽傲也、
古先聖人許多好處、也只是無我而已、無我自能謙、謙者衆善之基、傲者衆惡之魁」

供養塔

2021年10月11日 13時46分33秒 | 自然・風景

私の家の近くにお寺が二つある。一つは檀寺であるが、そうでないお寺の塀越しに、高い供養塔がある。
私は、この前を通った時は、必ず足が一瞬止まってしまう。何度かは、それに彫られた文字を読んでみた。名と生年月日と享年と死亡理由と行年である。
一人だけは戦病死だが他三人は戦死である。みんな若い。



私は思う、彼らのうち結婚していた者はいたのだろうか?又は恋人はいたのだろうか?他に兄弟姉妹はあったのだろうか?そのあと家はどうなったのだろう?
色々な想いが取りとめもなく頭の中を駆け巡る。彼らの一生というものに思いを馳せると粛然とさせられる。
我が息子四人を戦争で失った両親の心はいかなるものか?想像するだに万感胸に迫って言葉がない。


あの戦争は世界侵略のため日本が始めたものであり、悪逆の限りを尽くしたのであり、すべての責任が日本にあり、死んだ兵士は無駄死にであった、などという考えを日本人がいう事は、
とりもなおさず、彼らに唾を吐き汚泥をかぶせ、ひいては日本国及び日本国民そのものに謂われ無き侮辱をすることになるのではないか。

彼らの胸に秘めた思いがどうであれ、戦死者の家族にだけは、彼らが国家と家族のため尊い命を捧げた英霊であることに尊崇と矜持を持って欲しい。
それよりも、それら英霊が眠る靖国神社に参拝することに他国の許しでも要るかのように、したり顔で説教がましく批判して、他国の内政介入を煽り立てる日本のメディアと言ったら・・・

戦後のGHQのWGIPの毒は、今なお我が国に残っているように思えてならない。
名残の秋桜が線路脇の民家の庭に咲いていた。




秋桜が綺麗でした

2021年10月10日 19時17分16秒 | 自然・風景

こんな近くに、このような良い場所があるなんて知らなかったわぁ"(-""-)"
エミフル松前の敷地に隣接して、こんなお花畑が整備されてたなんて! 町が管理しているみたいです。春は菜の花、夏は向日葵、秋は秋桜のようです。
今朝ジムに行く前の7時半、早速写真と撮りに行きました。今頃がちょうど盛りのようです。








来年の春、夏は忘れないように行ってみなくっちゃ (^^♪

江藤淳氏の著書

2021年10月04日 08時37分57秒 | 思想・哲学
かなり以前に読んだ本ですが・・・・・、
江藤淳氏の著書「忘れた事忘れさせられた事」の中で、北方領土に対する日本人の意識の問題点について正鵠を射、日本人としてしっかり理解して記憶に留めておかねばならないと思う一節が有るので紹介しておきます。
ポツダム宣言は無条件降伏ではないという事は、この一節以前の文中で、法学者の見解などを例に挙げ解き明かしてくれています。

「・・・・。現在私どもは、ソ連の北方領土占拠がはなはだ不当であるとしてその返還を要求していますが、その論拠も実はこの第八項にある。
なぜならソ連は、一九四五年七月二十六日のポツダム宣言における宣言署名の段階においてはこの宣言の署名国に加わっていませんけれども、八月八日深夜、対日宣戦布告と同時にポツダム宣言に加入する意思を表明して、署名国に加入いたしました。
それはとりもなおさずポツダム宣言によって拘束せられる立場になったということであってカイロ宣言が領土拡張を求めないという連合国側の意思を表明している以上、そしてソビエト連邦社会主義共和国が連合国側に加わって、対日戦に参戦しポツダム宣言の署名国となった以上、ソ連は当然カイロ宣言の条項に拘束されぬわけにはいきません。
にもかかわらずソ連はあたかも日本国が無条件降伏したかの如く北方領土を軍事占領しつづけている。だからこそわれわれはこれを不当だといっているのです。
ポツダム宣言は三十三年前の夏の夜話ではありません。サンフランシスコ平和条約に調印しなかったソ連に対しては、今も生きているのです。
一方でソ連に北方領土の返還を迫りながら、他方ポツダム宣言によって日本が無条件降伏したというような、精神分裂症のようなことを言う人間がいるとすれば、その人間はよほどどうかしているといわねばなりません。今日の日本人の意識は、どうやらこの点について、はなはだ遺憾ながら病的な自己分裂を露呈しているように思われます。・・・・・・」

これは昭和五十四年の著作ですが平成七年に文庫本が出ています。多くの日本人が誤った教育を受け、未だにここで指摘された意識から脱しきれていないように思われます。否もっと混迷した意識の迷路にはまり込んでいるように思われます。
全文を読んでいただきたいものです。当該著作中に紹介されている富桝周太郎氏の『「太平洋戦争史」論』が巻末に掲載されています。

時として、己の迷妄を破り、蒙昧を啓き、心を揺さぶられる本に出会う事があります。


パグ犬きなこの写真日記

日記No.2……2010年3月~

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