カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

誰も何も言わなくなった。Vol.2

2011-10-06 | 人間観察
日本の常識になってしまったのだろうか?
本当のことを誰も言わなくなってしまったような気がする。

僕たちが子供の頃、常識に外れたことをすると、何かと口うるさい人たちが注意をしてくれた。
嫌だなぁと思いながらも、その苦言をいつしか取り入れ、僕たちは大人になってきた。

今は、そんなことを言う人は本当にいなくなった。
変な《優しさごっこ》で、過ごしてしまう人たちばかりになってしまった。
わざわざ苦言を呈して嫌われることなど無い、と考えてしまうのか、それとも本当に何も感じないのか?

とにかく嫌な世の中になってしまったと思うのは、僕が年を重ねてしまったことの証なのかもしれないけれど・・・・。

5+5が6だと答えてしまう人たちにも、「ああ、そうですね」と答えてしまうことが、単に、争いを避けるためだけとは考えられない。
間違いを間違いだといわないということは、その人のためではなく、自分のためにもよくないと僕は思う。

最近、箸のもてない人が増えた。
「お箸の国、日本」の人間として、とても情けない話だ。
僕の店には、外国の人も来ることがある。ヨーロッパの人は全員が箸をきちんと持てる。
「日本のことを知るために、箸が持てないと何も始まらない」そうだ。
だから、日本に来る前から、箸の持ち方を学んでくるのだそうだ。
ところが、箸の持てる外国人と一緒にきている日本人が箸を持つことができない。
誰も何も言わない。
見苦しいばかりの箸の持ち方に嫌悪感さえ感じてしまう。

つい先日、某一流企業の役員が若い人を連れてきた。
そこで、一番若い人が、箸のもてない先輩に厳しく注意した。
「先輩、その箸の持ち方は無いですよ。営業に出たら、こんな人が社員だなんて思われるのは嫌ですよ、僕は。子供たちだってこんな親父に育てられたことをいつかきっと後悔しますよ。きちんと持ってください。こんな上司は尊敬できませんから」

気持ちよかった。
こんなに堂々と言える人もいるんだと、少し若い人を見直した。

子供の教育どころか、箸の持てない母親が多くなっているのも事実だ。
汚い食べ方、好き嫌い、食べ終わっていても話に夢中で他の客が座れないほど満席でも動こうともしない。

こんな母親が素直で常識を持った子供が育つはずなど無い。

ところで、なぜ、箸をきちんと持てないといけないのか?

それは、売春婦の独特の持ち方だったからだ。
夜鷹といわれる売春婦をご存知だろうか?
江戸時代、川べりの茶店で男を待ち、草むらに茣蓙を敷いて身体を売る女のことだ。
彼女たちは、狙いをつけた男を見ると、箸を重ねて親指を立てて持ち、食べ物をクロスさせて口に運ぶ。
「私とセックスしませんか?」という合図である。
だから、普通の人は、売春婦の持ち方を嫌ったのだ。

ただ、この時代の売春婦は、きちんと箸を持てた。
男を誘うときだけ、箸を持ち替えるのだ。
現代の箸の持てない女性は、いつも「セックスしましょう箸使い」しかできないのだ。

見合いや結婚式、葬儀、祝い事や弔事、すべて食事の席を設ける。
食事は「お里が知れる」といわれるように、その人の素性や育ちや教養が全て現れるのだ。

注意してあげて欲しい。
怒ってもかまわない。
正しくの本の文化を伝えていくことをしないと、本当に日本はイエローキャブの国に成り下がってしまうのだ。
いや、もうすでに、海外では「日本人の女は軽い!」と思われている。

日本がこれ以上恥ずかしくない国民になるためにも、常識人よ、がんばってください。