カウンターの中から客をのぞくといろんなことが見えてくる

日本人が日本食を知らないでいる。利口に見せない賢い人、利口に見せたい馬鹿な人。日本人が日本人らしく生きるための提言です。

誰も何も言わなくなった。Vol.1

2011-10-03 | 人間観察
つい昨日、常連客の一人がポツンと言った。
「僕、リストラ対象になっちゃってねぇ」
周りの人たちもびっくりしたような表情を見せる。
「今はどの会社も厳しいからね」
「会社ってのは、会社の都合だけで社員のクビを切るからねぇ」
「そんな会社なんか、さっさと辞めて、違う会社に勤めたほうがいいよ。あなたなら、どこだって勤められるよ」 

みんな優しい! なんて感じさせてくれる場面だったに違いない。少なくともリストラを宣告された人にとっては。

本当に親切だったのかな? と思うのは僕だけではなかった。
みんな、彼に優しい言葉をかけながら、「このままじゃぁ、この人は人並みの生活なんて送れない」ことを確信していた。

彼が帰ったあと、みんなが言う。
「あの人は、かなり自己改造しないとどこへ行ったって嫌われ者だよ」
「零細だったらもうとっくにクビになってるのに、大企業ってのは何もできない人でも今まで残れたんだね」
「悪い人じゃないんだけどね。人と普通に付き合うってことができないからなぁ、彼は」
「尺度が違うんだな、あの人は。社会じゃ生きていけないよ」
「オレが社長だったら、もっと早く辞めさせていたと思うよ」

みんな無責任。親切そうに振舞うのではなく、彼に直接言ってやればいいじゃないか、と思う。

「そんなこと、可哀相で言えないよ」

本当に?

本当は気がついた事を言ってあげればいいじゃないか。
嫌われるかもしれないし、聞く耳を持たないかもしれない。
でも、言えばわかることもある。
言わなかったら、何にも変わらない。
言わずにわからないままいるより、きちんと言って分かってもらえなければそれまでのこと。

確かに彼は少し人と違う。
彼の会社の同僚たちも彼のことを嫌っている。
多分、仕事も与えられたことしかしない。
ゴルフもマージャンも、ギャンブルも、スポーツもしない。
友達も殆どいない。もちろん彼女もいないし、結婚もしていない。
政治の話や経済の話、芸能界の話、音楽の話、何もかもが普通の人と話し合うことなどできない。
スナックなど、行った事も無いという。
社会人として、欠陥だらけの人間なのだ。

でも悪意を持った人でもなければ、言葉使いが悪いわけでもない。

ただ、親の教育のせいか、社会性が皆無なのだ。

そんなこと、誰もがわかっている。
本人だけが分かっていないのだ。

教えてあげればいいと思う。

妙な優しさばかりが氾濫して、彼のためになることを言うなんてことはない。

本当の親切って一体なんだろう?
次回もこのことについて考えてみようと思う。

友達のいない人ほど、群集の中の孤独を好む

2011-10-01 | 人間観察
僕の店は圧倒的に一人の客が多い。
ご夫婦も多いのだが、男女を問わず、一人の客が一番多い。
そこには、単身赴任の人も、独り者も、バツイチもいる。

僕は今まで、ひとりで来る人たちは、《息抜き》と《気分転換》にやってくるのだと思っていた。

いや、殆どの人がそうなのだと思う。それに少しばかり美味しいものが食べられれば、少しは幸せに感じてくれるのだと。

一人で食事を作るのも面倒くさいし、何といっても買い物や後片付けが嫌だから。コンビニ弁当では身体を悪くしてしまうし、一人で食べるのも少し味気ない。同僚や接待では、どうしても飲みすぎてしまう。
そんな人たちが、《現実逃避》というのは言いすぎかもしれないが、いつもの生活からの開放、喧騒やうっとうしい人間関係からの一時避難みたいなものだろうと考えていた。

だから多くの一人客は、仕事関係から開放され、ストレス発散をかねて、いろんな話題を振りまき、楽しく過ごそうとする。
ゴルフの話題、マージャンの出来事、ギャンブルの失敗談、嘘だろうとわかるけど周りを楽しませる武勇伝、女の話し、男の話、シモネタからテレビや政治の話しまで。

でも最近、そうではなくて、一人でいることが辛いので、わざわざ喧騒の中に入って、楽しそうでもなく、一人で酒を飲んでいる人がいることに気がついた。

みんなと話すわけでもなく、自分から話しかけるわけでもない。
人の話に聞き耳を立て、ウン、ウン、と声を出してうなずいたり、人の話に少しばかり、頬が緩むこともある。
それでも、積極的に話すことも無く、自分に興味の無いことには全くの無反応だ。

誰かが声をかけた。
「あなたもゴルフはやるでしょ?」
すると「ゴルフですか? やりたいと思ったこともないですね」

店の会話はここでピタリと止まってしまった。

また誰かが聞いた。
「スナックやキャバクラ行ってもそんなんなの? 誰とも話さずつまらなくない?」
「水商売の女の店なんか不潔ですから」

またまた店の客同士の会話はピタリと止まった。

それでも、また誰かが聞く。
「会社でも、そうやって誰とも付き合わないの?」
「必要なこと以外に話す気にはなれませんから。それに仲良くしたい人もいないから」

みんな何となく納得した感じになった。

《この人は、会社でも嫌われてるんだ》

みんなそう思ったに違いない。

こんな人が最近よく見受けられる。

こういう人とは対照的な人もいる。
公務員で、いたって真面目な人で、物静か。
しかし、暗くもないし、普通に会話もし、時には女の話で盛り上がる。

彼の趣味は旅行。
現実から逃れて、一人で何かに挑戦したいのだと言う。
「職場ってのは、場所も仕事も全て準備されていて、自分で考えて行動するといっても、与えられたことをどうやって効率よくやるかと言うことくらいしか頭を使わないんです。だから休みが3日もあると、僕は飛行機のチケットを取って海外に一人で行くんです。ホテルも、行きたいところも、食べたいものや店も全部自分で選べるんです。拘束されないって、一人って本当にいいなぁって思えるんです」

彼は、友達から離れることも大切だと力説する。
その通りだと思う。

しかし、友達のいない人は、いつも一人に馴れているはずなのに、独りっきりになることを恐れているのだと感じた。

休みに、一人っきりになろうなんてことはしない。
繁華街のショッピングだったり、図書館だったり、美術館だったり、人が集まる店だったりするのだ。
一人が好きなら、弁当を持って、一人で誰もいない湖で時間をつぶすことだってすばらしい。
一人で渓流釣りをしたってかまわない。
しかし、友達のいない人は、「一人が好きだ」と言いながら、パチンコに行ったりする。

僕はひとつの結論を発見した。
友達のいない人ほど、一人になることを恐れるのだと。
友達のいない人ほど、群集の中の孤独を好むのだと。

旅行と言うと、団体ツアーに参加し、決められたスケジュールや食事を、群衆の中で過ごす。
他の人たちが、グループやカップルで参加していて、誰とも楽しく会話を交わすこともできなくても、彼にとって安心感を得るのだろう。

彼らにとって、本当の独りっきりになることは、完全な疎外感を覚えるに違いない。

こんな寂しい人は一体どうやって生きていくのだろう。
誰か助けてやってくれないものだろうか?