近くのファミレスに行った。
そこは、禁煙席と喫煙席に別れている。
僕は普段はタバコを持ち歩かないので、禁煙席なのだが、この日は仕事の打ち合わせがあり、喫煙席に座ることにした。
そこで見たものは、喫煙席に子供がいるのだ。
母親と一緒に来ている子供が喫煙席に座っているのだ。
母親がタバコを吸い、うしろの席でも横の席でもタバコをすっている。
そりゃそうだ。タバコを吸える場所がなくなって、喫煙者はタバコを吸うためにやってくるのだから。
でも子供に良いわけがない。
こんなとき昔なら誰かが言ったに違いない。
「子供を喫煙席につれてくるんじゃない」と。
今は誰も言わなくなった。
周りの人も、店の人間も、一緒にいる人も。
「注意をして、因縁でもつけられたら嫌だから」とでも考えているのか、どうでもいいことだと考えているのか、よくわからない。
本当は、喫煙席の前に、「未成年の方は喫煙席に入れません」という張り紙を張り出すだけのことだ。
僕の店の壁には、こういう張り紙を張り出している。
「当店は禁煙席を設けておりませんし、大人がお酒を楽しむ場所でもありますので、中学生以下のお子様の入店をお断りしております」
これだけで子供連れは簡単に断ることができ、子供にとって環境の悪いところに連れて来られることもなくなる。
直接言えなくても、いろんな方法があるはずだと思うのだが・・・・。
確かに注意されると、切れる馬鹿な客も多い。
僕は、置きタバコをする人には灰皿に水を入れてやる。
客は怒る。
「まだ吸ってるのに何をするんだ」
僕は決まって言う。
「置きタバコをするならタバコを吸うな。周りの客の迷惑も考えられないなら、タバコを吸うな」と。
僕は好き嫌いを威張っている奴も大嫌いだ。
社内の食事会に使ってくれる会社がある。
若い女性が多く、いつも和気藹々と気分がいい。
しかし、本部長と呼ばれるオッサンがいるときは、女の子の元気がない。
席に座るや否や、
「おい、俺には刺身なんか出すなよ。俺は刺身なんか大っ嫌いなんだ。刺身なんか食う奴は生臭くってな」
これを聞くと、女の子はもう刺身なんぞ頼めなくなってしまう。
「部長はどこの国の人なんですか?」と僕は大きな声で聞く。
「俺が日本人に見えんのか?」と怒る。
「日本人なの? 帰化したの? 刺身を食べない日本人なんかいるわけないじゃないですか。DNAを調べてみたらどうですか?」
客に注意するということは客を無くすということだ。
しかし、僕はこういう連中を見て見ぬ振りはできないのだ。
現に、オッサンは来なくなったが、女の子は、個人的に店に来てもらっている。
彼氏や家族などの新しいお客を連れて。
子供の頃は、味覚が発達していないので、酸っぱいものや苦いものは好まない。
しかし、好き嫌いというのは、母親が少しづつ手を変え品を変え、好き嫌いをなくしていくものなのだ。
嫌いなものがあってもかまわない。
しかし、嫌いなものでも、出されたものは食べるのが礼儀であり、教育なのだ。
大人になって好き嫌いをいうのは、本当に恥ずかしいことなのだ。
「私の家庭では、きちんとした教育を受けていません」と言っているようなものなのだ.
今の時代は、嫌いなものを食べなくたって、ほかで栄養が取れるんだと思っているのかもしれない。
しかし、それは全く違う。
目の前の困難をひとつづつ克服していくということができなくなる人間になるのだ。
嫌なことを避けて通るということが、人生において如何に卑屈な人間を作り上げていくのかを考えてもらいたい。
好き嫌いを自慢するような連中には、大きな声で笑ってやることが必要なんだ。
「そんなものも食べられないんだ。うゎ~っ、恥ずかしい! お子さんもそういう風に教育してるんだ。子供が可哀相」なんてね。
そこは、禁煙席と喫煙席に別れている。
僕は普段はタバコを持ち歩かないので、禁煙席なのだが、この日は仕事の打ち合わせがあり、喫煙席に座ることにした。
そこで見たものは、喫煙席に子供がいるのだ。
母親と一緒に来ている子供が喫煙席に座っているのだ。
母親がタバコを吸い、うしろの席でも横の席でもタバコをすっている。
そりゃそうだ。タバコを吸える場所がなくなって、喫煙者はタバコを吸うためにやってくるのだから。
でも子供に良いわけがない。
こんなとき昔なら誰かが言ったに違いない。
「子供を喫煙席につれてくるんじゃない」と。
今は誰も言わなくなった。
周りの人も、店の人間も、一緒にいる人も。
「注意をして、因縁でもつけられたら嫌だから」とでも考えているのか、どうでもいいことだと考えているのか、よくわからない。
本当は、喫煙席の前に、「未成年の方は喫煙席に入れません」という張り紙を張り出すだけのことだ。
僕の店の壁には、こういう張り紙を張り出している。
「当店は禁煙席を設けておりませんし、大人がお酒を楽しむ場所でもありますので、中学生以下のお子様の入店をお断りしております」
これだけで子供連れは簡単に断ることができ、子供にとって環境の悪いところに連れて来られることもなくなる。
直接言えなくても、いろんな方法があるはずだと思うのだが・・・・。
確かに注意されると、切れる馬鹿な客も多い。
僕は、置きタバコをする人には灰皿に水を入れてやる。
客は怒る。
「まだ吸ってるのに何をするんだ」
僕は決まって言う。
「置きタバコをするならタバコを吸うな。周りの客の迷惑も考えられないなら、タバコを吸うな」と。
僕は好き嫌いを威張っている奴も大嫌いだ。
社内の食事会に使ってくれる会社がある。
若い女性が多く、いつも和気藹々と気分がいい。
しかし、本部長と呼ばれるオッサンがいるときは、女の子の元気がない。
席に座るや否や、
「おい、俺には刺身なんか出すなよ。俺は刺身なんか大っ嫌いなんだ。刺身なんか食う奴は生臭くってな」
これを聞くと、女の子はもう刺身なんぞ頼めなくなってしまう。
「部長はどこの国の人なんですか?」と僕は大きな声で聞く。
「俺が日本人に見えんのか?」と怒る。
「日本人なの? 帰化したの? 刺身を食べない日本人なんかいるわけないじゃないですか。DNAを調べてみたらどうですか?」
客に注意するということは客を無くすということだ。
しかし、僕はこういう連中を見て見ぬ振りはできないのだ。
現に、オッサンは来なくなったが、女の子は、個人的に店に来てもらっている。
彼氏や家族などの新しいお客を連れて。
子供の頃は、味覚が発達していないので、酸っぱいものや苦いものは好まない。
しかし、好き嫌いというのは、母親が少しづつ手を変え品を変え、好き嫌いをなくしていくものなのだ。
嫌いなものがあってもかまわない。
しかし、嫌いなものでも、出されたものは食べるのが礼儀であり、教育なのだ。
大人になって好き嫌いをいうのは、本当に恥ずかしいことなのだ。
「私の家庭では、きちんとした教育を受けていません」と言っているようなものなのだ.
今の時代は、嫌いなものを食べなくたって、ほかで栄養が取れるんだと思っているのかもしれない。
しかし、それは全く違う。
目の前の困難をひとつづつ克服していくということができなくなる人間になるのだ。
嫌なことを避けて通るということが、人生において如何に卑屈な人間を作り上げていくのかを考えてもらいたい。
好き嫌いを自慢するような連中には、大きな声で笑ってやることが必要なんだ。
「そんなものも食べられないんだ。うゎ~っ、恥ずかしい! お子さんもそういう風に教育してるんだ。子供が可哀相」なんてね。