『原子論の歴史』を読む
いよいよ今日から仕事始めですね。皆さんくら~い顔して出勤されていましたね(笑)ナショナル・ジオグラフィックで紹介されていましたが、3000年前の古代エジプトのビール醸造者のお墓が見つかったとか。お墓の主は「コンソ・イムヘブさん」という名の方のようで、この方は倉の管理者だったようです。さらにビールは地母神ムトの儀式で使われたとのことです。
http://www.nationalgeographic.co.jp/
昔からお酒と祭儀は密接にかかわっており、古代中国でも殷王朝(紀元前17世紀~紀元前11世紀頃)では祭儀にお酒がよく用いられたそうです。酔っぱらったあの感じが何モノかを憑依しやすくしているのでしょうか?もしくはトランス状態を誘発しやすいからのかもしれませんね。殷王朝はお酒の飲みすぎで滅んだという人がいるようですが、それは祭儀に用いられていただけで、酔っぱらいすぎて国が滅んだというのはさすがにないでしょう^_^;
ちなみに、私はお正月はプレミアムモルツ、キリン淡麗、神の河、泡盛残波、カナディアン・クラブ、ワイン・・・を飲みました。家で祭儀をしていたわけではなく、何もせずにお酒ばかり飲んでいました(; ・`д・´)
お正月の休みから板倉聖宣『原子論の歴史』を読んでいます。この本はこれまでの古代ギリシアの科学に対するイメージを完全に覆してくれました。古代ギリシアの原子論は火、水、土、空気・・・などなど現代の私たちからするととても「原子」とは思えないようなものばかり。しかも古代の人々がそのように考えた根拠も、私は本書ほど豊富な事例をあげて紹介している本を見たことはありませんでした。そのため、古代の人たちは考えすぎて頭がおかしくなったんちゃうか??なんて能天気なことを考えていました。しかし、本書を読んでみると古代ギリシアの原子論は身近な体験や現象を根拠として、見事な論理展開されていることがわかってきました。本書を読んで自分の頭の中の古代ギリシアの世界観が大きく変わろうとしています。著者は高校生向けに書いたと言っていますが、内容的には十分大学生や社会人でも楽しめるものです。
技術水準は時代の制約があり、今の目線で見ると低く感じてしまいますが、彼らのやろうとしていたことは立派に「科学」であることがわかってきます。惜しむらくは、「物理量を測定するのに必要なテクノロジーが十分に発達していなかった」のと「量と量の間の関係を見つける」ということはなかったので、近代科学の誕生は17世紀まで待つことになったのでしょう。ただ、遠隔力概念の導入が魔術思想を通じて獲得された(山本義隆「磁力と重力の発見」)ことを考えるとそう単純な構図でもないのかもしれませんね。
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