動いている物体の電気力学
大学から卒業して、はや5年が経過。6年目に突入する今年、やっとアインシュタイン「動いている物体の電気力学」を読みました。子供の頃に憧れた「物理」がそこにありました。論理がシンプル・明解で自然の本質をギュ!と捕まえてしまう天性の嗅覚にはただただ憧れるばかりですね。
ただこの本ちまたの解説書には「中学生でもわかる数学」などという言葉だけが独り歩きしているように思われる。言いたいことは、本当に相対性理論のすごさを実感するには、「力学と電磁気学の間にある溝を理解できることが前提」なのだ。確かに数学そのものは高度なものではないが、その理論が生まれてきた背景を理解することはなかなか難しいと思うのだ。(私だけだろうか??)そのキーワードが「光エーテル」「絶対静止空間」なわけだが、やはり多少は過去の論争を知らないといきなり新しい理論が出てきてもそのすごさは分からない。そういう意味では相対性理論も(全ての理論がそうだが)過去の理論と連続的につながっているのだ。
例えば次の一文「1個の磁石と1個の電気の導体との間の電気力学的相互作用について考えてみよう。・・・・ところが電気力学による、普通よく知られている解釈によれば、磁石と導体のうちの一方が静止しており他が動いている場合と、これら両者の状態を逆にした場合とでは、電流発生に対する説明は全く異なったものとなる。」他にも「光を伝える媒質」云々の話もあるが、光についての過去の論争を知らないと正直よくわからないと思う。
なぜこんなことを言うのかというと「価値の発見」が非常に大切だと思うようになったからだ。もう10年ほどになるか、、、野依良治氏がノーベル化学賞を受賞した時、事実ではなく「価値の発見」の大切さを訴えていた。その価値を発見するためには、(この場合)過去の理論をきちんと理解して、新理論のギャップをつかむことが欠かせないのだ。相対性理論によってどのようにパラダイムが転換する可能性があるのかを押さえてマクロにコスモロジーの変遷を眺めていく、そういう勉強の仕方にやっとたどりついた。
中学生や高校生に進めるのならば、やはりアインシュタイン インフェルト「物理学はいかに創られたか」だ。この本上下巻に分かれているが特に上巻のほうが個人的には面白い。力学的自然観の勃興、凋落の変遷→まさにそこから相対性理論が生まれてくる土壌が準備される!力学的世界観が何に成功して何に躓いたのか?読んでからのお楽しみです。もう一冊吉田伸夫「思考の飛躍」も面白い。著者も「はじめに」で
「アインシュタインがどのような発想に基づいて理論を構築したか、そのやり方が他の物理学者の方法論といかなる点で異なるかに注目する」
と記載しているが、まさにアインシュタインの頭の中をのぞいているようだ。どこまで肉薄できているかは各個人の判断となってしまうが、相対性理論誕生の経緯やEPRのパラドックスにおけるボーアとの論争などだけでも一読の価値はあるだろう。
さて、アインシュタインは「動いている物体の電気力学」の運動の部のなかで時間の遅れに関するある定理を述べている
「いま点Aに、同じ時刻を示す2個の時計があるとする。そのうちの1個の時計を、一定の速さvで、Aを通る任意の閉曲線にそってt秒かけて一周させ、再びAに戻したとする。この時計がAに帰着したとき、それの示す時刻は、Aに留まっていたもうひとつの時計に比べてt・[(v/c)^2]/2だけ遅れている」
論文の中で時間のズレの議論は一直線上の運動に限定して結論を導き出していたのに、突然任意の閉曲線の運動でも成立することを宣言してしまうわけだ。そこまで明らかではない気がするが・・・アインシュタインはこの定理から赤道に固定し、地球の自転とともに動く時計はいずれかの極に置かれた時計よりも非常にわずかに遅いテンポで時を刻むことを指摘している。
ちなみにざっくり計算すると
・地球の赤道での速度v:464m/sec 光速c:3.0*10^8m/sec 極の時計t:1sec
極にある時計が1秒進むごとにΔt=0.0000000000012sec(一千億分の1秒)だけ遅れる計算だ
このままではピンと来ないので赤道側の時計は極にある時計と比較して、1万年経つと・・・おおよそ3.8秒遅れる計算となる。なんとも遠い話ですね(^。^)
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