9月15日(水)
朝5時、MAさんの原稿終わる。
東京の部屋へ帰宅。寝る。
夜10時頃、目が覚める。KY先生に電話。KY先生のアシ作業しに、自転車で向かう。(続く)
9月14日(火)
MAさんのアシする。
9月13日(月)
不動産屋へ行く。更新しない旨伝える。
茨城へ。MAさんのアシ作業する。
9月12日(日)
足立真一さんとこで、夕方目覚める。よさこい野郎さん来る。ちょっと話する。眠りこけながら、「ファミコン探偵団」クリア。足立真一さん就寝。私は帰宅。
「学校を救済せよ」(宮台真司、尾木直樹。学陽書房)読む。とても面白い。
9月11日(土)
この日は、私にとってこの秋一番のイベントである「ホシヅルの会」があった。8月に実家でめちゃツライ労働の日々を送る中で、やっとこで参加料振込みしていた。
実家の部屋で目が覚めると、午後1時半。あ。寝過ごした。もう「ホシヅルの会」には間に合わない。とほ。生の小松左京見損ねた。(後日聞くとこでは生小松左京はいなかったそうだけど)
人間は人生の三分の一を眠らないとならない、ということを忘れていた。
意気消沈し、バスに乗って駅へ。駅で考える。予定空いちゃったから、みいちゃんに会いに行こうかな。電車来る。電車に乗って東京へ。オレって意気地なしだなあ。
東京に着いたのは午後5時。HYさんと足立真一さんから留守電。HYさんに電話。留守の様子。留守電に吹き込む。足立真一さんに電話。9月4日に行こうとしていた絵の勉強しに行く約束する。出かける前、念のためHYさんに電話。通じる。ほぼ同じにHYさんが私に電話したが、通じなかったそうだ。どういうことかな? それはそれとして、取材に関することとかお話させていただく。HYさんとの要件終了。足立真一さんとこへ。
バス。電車。バス。足立真一さんの住む埼玉はそこかしこに堆肥やら牛の糞やらの匂いが漂う。そういう季節なのかな。足立真一さんと話をする。劇場版ナデシコを観ようと薦められる。遠慮する。絵を描く。足立真一さんからアドバイス受ける。
BGVにエヴァ劇場版かけてもらう。つい、観る。見終わった後、やはりこの映画のメッセージは宜しくない、という話を足立真一さんに力説する。庵野の直観力は素晴らしい。だが庵野にはロジックがない。人生経験の幅も狭い。そのことそのものは必ずしも否定されるべきではないが、この作品にとって、作者による限界がメッセージの点で明らかになっている。
個体としての他者と、立場の違いによって発生する他者性の区別がこの作品にはない。綾波とカオルくんを、「わかりあえるかもしれない、という、祈り」と劇中で解説しているが、綾波とカオルくんはともに(醜いオタクである)シンジのアニマ、自我の投影であり、どのみちシンジ(庵野)は他者を見ていない。一面においてそれは正直なメッセージだが、もう片面の真実、(自身にしか愛情を感じない/他者に愛情を感じない/愛情を求めているが与えようとしない)ということから作者は目を背けている。矛盾するメッセージ。そこに作者は無自覚だ。無自覚で混乱しているゆえに、受け取る視聴者は、個々人ごとにあまり程度の宜しくない誤った哲学(オカルト)を内面に構築するだろう。そこが宜しくない。
エヴァ世界はオカルト世界の中にある。作者にとって世界はオカルトなんだろう、と足立真一さんに言う。『ソフィーの世界』の言葉を使うなら、哲学とオカルトの関係は、本物の恋愛とポルノの関係だ。ポルノを本物の恋愛と錯誤するのは危険だ。
オカルトは真中にブラックボックスを置き、その周囲にブラックボックスを示唆する雑学を散りばめた形をしている。
たしかに個人にとって世界は見通しがたいし、全てを見通すことは個人にはできない。
だが、オカルトにおいては、非合理で不可解なブラックボックスが存在すること自体を真理の証明としている。ブラックボックスが「真理」であり、ブラックボックスの存在が「真理の証明」、という同語反復論法だ。理性による解析は、そこにはない。これを「超越的」思考と言う。世界がわけわからない代物であるのは、神のせいだ、と、超越者を設定することで、思考停止する。
「超越的」思考を克服するのは、「超越論的」思考だ。世界は見とおしがたい。個人個人の人間にとって、世界は不可解だ。だが、個々の非合理的現実は、高いレベルで、合理的科学的に人間に把握できる。人間の心は不可解だ。だが、フロイトの発見した「無意識」というモデル(超越論)を用いることにより、人間の非合理的行動は「超越論的」に理解説明が可能だ。人間の行動は不可解だ。だが、マルクスの「下部構造」「上部構造」というモデル(超越論)を用いることにより、人間の不思議な行動は「超越論的」に理解説明可能だ。
シンジはオカルト世界を作中否定できていない。自覚も批判もできていない。このシンジの位置は作者の練度に制限されている。
作者にとり、他者の世界はイコールオカルトなのだ。それは正しい世界認識ではない。少なくとも、「現実に帰れ」というメッセージが自己矛盾を起こしている。そのことへの作者の直感が、ラストのシンジの行動とアスカの台詞を吐かせている。(その、直感に正直な態度は非常に尊いものだ)
といった話を足立真一さんにする。オカルト世界観がなぜ恐いのか、足立真一さんにはピンと来ない、と言われる。なるほど、と思う。ここは重要な点だ。これは宿題にしよう。
足立真一さんから「ファミコン探偵団」薦められる。する。食事行く。
足立真一さんの冬の同人誌のマンガのネタ、二人で考える。お馬鹿なメイドもの。
足立真一さんとこで就寝。
9月10日(金)
MAさんのアシ作業、朝5時までする。途中で一度寝ていいと言われたが、電車の中で寝ればいいやと思って、眠らず作業する。(後でこれは失敗だったと気づく)
東京の部屋に戻らず、茨城から、そのまま実家へ。電車の中で「権力の予期理論」(宮台真司)、「オリエンタリズムの彼方へ」(カン尚中。岩波書店)読もうとするが、寝不足で脳味噌が腐り果てて全く文意を追えない。マンガ家は頭が悪くなる。無理して読もうとすると読解できないという理由でこれらの本に悪印象持つかもしれない、と、気づき、読もうとするのやめて電車の中で寝る。乗換駅、2回寝過ごす。普段の倍近い時間食って田舎の駅に。
駅のバス停で学生らしき人々がたむろっている。ひょっとして後輩さんたちかな? とも思うが疲れていたので声かけず。バス停に車来る。サークルの後輩さんの車。乗せてもらう。
実家へ。学生時代所属していたサークルの合宿、私の実家で開催してくださるようになって、たぶんもう10年になるのかな。直接の後輩でなく、学部の違う後輩さんたちの合宿。ありがたやありがたや。
眠すぎたので寝る。2時間ほど寝て、起きて、合宿に参加。食後、テーブルトークRPGに混ぜてもらう。
Sさんにえらい久しぶりに会う。ここのページ見てる、という話伺う。少しだけ会話。
寝ようと思うが、いつものごとく自分は父母の手によって自分の就寝スペースからロックアウトされている。外に出て、どうにか部屋に戻り、就寝。
9月9日(木)
(前日から)
掲示板のレス溜めていたので、8月以降について返信を試みる。二人ぶんで挫折。てゆーかこんな濃ゆい返信にわざわざしないでいいだろオレ、省力化しろ。とか思う。
いかがわ四郎さんとこのチャットで遊ぶ。
眠り損ねたまま、電車に乗って、茨城のMAさんとこのアシに行く。自分の力弱さを確認。作業途中で眠くなる。
(翌日へ)
9月8日(水)
HYさんに郵送。遅くなってごめんなさい。
曽さんから頼まれていたことについて、FAXしようとする。あう。国際電話、止まってる。料金払い損ねていたか。ごめん曽さん。
MAさんから電話。とりあえず明日手伝いに行く、という話に。
いつ自分の原稿描けばいいのだ。と、一瞬頭をよぎる。それはあとで考えよう。(翌日へ)
9月7日(火)
(前日から続き)
朝4時アシの仕事一旦終了。夜食を買って食べ、朝6時までKY先生の仕事場で「戦争論妄想論」読む。KY先生の仕事場に泊まる。
昼からアシ仕事。おお。寝る直前に物食べると、お腹の調子が良くないものだなあ。夜9時頃KY先生の仕事終了。自転車で帰宅。
にゃんこMICさんにお願いがあって電話する。興味深いお話、伺う。自分の仮説は正しいようだ。
9月6日(月)
(前日から続き)
朝4時頃アシ仕事一旦終了。一時間ほどKY先生の仕事場で「戦争論妄想論」(教育史料出版会)、宮台真司氏による、小林よしのり氏批判の部分、読む。KY先生の仕事場に泊まる。
昼からアシ仕事。身体がバキバキ言っている。昨日の筋肉痛だ。(翌日へ)
9月5日(日)
朝5時ごろ起きる。見ると、曽さんの荷物、人間ほどもある大きさのバッグに二つ。それでも収まりきらず、残りは郵便で、船便で送ってくれ、と曽さんが言う。了承する。
「このバッグも、郵便で送ったほうが良いんじゃないか?」と曽さんに訊く。
「どうやって?」と曽さんが応える。
…難しいのかな。まあ、飛行機で持って行ければ、それが一番簡単だよね。なにも私の仕事増やすことはない。
バッグは物凄く重い。殺人的だ。アパートの階段を下ろすとき、二人がかりでもしんどいので、ゆっくりと転がして下ろす。
バッグには底に小さな車輪が付いている。上部に引っ張る取っ手がある。それで引こうとする。重過ぎて動かない。無理をすると取っ手がちぎれる。
曽さんが機転を利かせ、バッグの底の方をビニル紐で縛り、取っ手を作る。それで引っ張る。なんとか動く。二人で、一つずつバッグを引く。
100メートルほど引いたところで、曽さんの引いていたバッグが動かなくなる。調べると、底の車輪が一つ壊れたのだと判る。どうしよう。
…同人誌運ぶときのカートがあるじゃないか。あれに載せてみよう。と、考える。少なくとも荷物を半分箱詰めして分けるだけでもだいぶ楽なはずだ。
…本当は台車があったんだが、と、思う。Nに貸したまま返ってこない。奴め。くそ。おのれ。と、忘れていた怒りを思い出す。…台車が今ここにあればずいぶん楽なのに。こういう時に台車は必要なのに。「イベントのとき以外はいらないでしょう」とはふざけたこと言いやがって。今度こそとり返してやる。どんなことしても。…待てよ。同じこと、前考えたな。実行したな。そうか、紛失したって言ってたっけな。返せよなあオイ。お前はそんなだから。…誠意ある態度ってものがなあ。と、恨みつらみが渦巻いたが、気分を切りかえる。
カートとダンボール箱持って、バッグのところへ。車輪の壊れたバッグをカートに載せる。収まる。ダンボール箱は不要なので近くのゴミ捨て場に置いて移動。カートの扱いは私のほうが慣れているので、カートのほうを私が引く。
部屋から250メートルほどの地点で、曽さんが引く、壊れていないほうのバッグも、車輪が壊れる。私は走って部屋に戻る。ついでにゴミ捨て場に置いたダンボール箱回収する。もう一つのカートを持ち、自転車に乗り、曽さんの元へ。
車輪の壊れたバッグを新しいカートに載せる。自転車はコンビニの近くに置いておく。移動開始。
私のほうが曽さんより体力がやっぱりあるんだなあ、と、思う。私はわりと体格がいい。そのことで得したと思ったことはなかったが、やはり体力は体格にある程度比例するんだな、と、思うことが、8月15日の人力荷物運びのときにもあった。非常に単純で古めかしい結論。
曽さんの体格は、中学生のようだ。
私も、ディグさん、足立真一さん、いつきこうすけさんと並ぶと、その中では一番背が低かったりするのだが。余談でした。
部屋から500メートルくらいのところで小休止。部屋までタクシーを呼べば良かった、と後悔。
遅れてきた曽さんがカートを乱暴に放す。カートが倒れる。カートのパイプが曲がる。あうち。乱暴に扱わないで下さい、曽さん。
駅。ホームまで下ろすのに、エスカレーターがない。人力で下ろす。しんどくて死にそう。
飛行機の時間間に合うか? 電話したほうが良いんじゃないのか? と曽さんに尋ねる。
ギリギリ間に合う。と、曽さんが応える。
電車に乗せるのは人力で移動。すごくしんどい。
乗り換え。エスカレーターで上る。曽さん一人でこの荷物を運ぶのは無理だと思うので、成田までつきあうことにする。
成田エクスプレスの中で、曽さんと色々話する。
荷物運びを付き合ってくれてありがとう、と、曽さんが言う。よかった。最後に曽さんに嫌な思いをさせなくて。曽さんが私に好感を持って発ってくださるなら、大成功だ。
日本に来る前、曽さんは香港でけっこういい条件の契約でマンガを描いていた。だが、曽さんは日本で成功したいと思っていたので、当時仕事を熱心にしなかった。日本に来て、考えが変わった。来て良かった。来なかったらずっと、「日本にさえ行けば…」と思っていただろう、と、曽さんは言う。
「やはり経験て大事だね」と、曽さんに応える。
日本のアシ先で、仕事場の仲間と話したそうだ。マンガは金のために描くんじゃない、楽しいから描くんだ、自分の描いた物が10年後20年後残るから描くんだ。曽さんはそう言った。仕事場の人々は冷笑したそうだ。生活するために描くんだと。
曽さんはアシして稼いだ金の多くを、家族に送金している。…「生活のために描くんだ」と曽さんを冷笑した人々は、おそらく現実には経済的に自立していないのだろう。実家から通い、アシ代は自分の小遣いにしているのだろう。経済的に自立できていないから、精神が依存しているから、生活者に劣等感を覚えているから、「生活」「生活」と言うのだろう。そう曽さんに訊いてみた。その通りのようだ。
鎌やん、香港に遊びに来いよ、と、曽さんが言う。
「金がたまったらね」と応える。色々話する。
「俺、5年後には、日本で一番有名なマンガ家になっているよ。…頑張ろう」と、曽さんに豪語する。
成田空港。空港用のカートがある。カートにバッグを積替える。エレベーターに乗る。成田空港のエレベーター、なぜこんなに小さいのだ。
「香港の空港に、弟を呼んである。荷物たくさんあるから、と、弟に言ってある」と曽さんが言う。
チェックインに向かう。もう時間がないから、と、別な窓口を係員に教えられる。
手荷物…ここまで苦労して持ってきたバッグを測ると、重量オーバー。手荷物扱いで送ると、7万円を越えるそうだ。そんなには払えない。
二つあるバッグのうち、一つのみを手荷物とし、もう一つは船便で運ぼう、と、曽さんと打ち合わせる。それでも重量オーバーで一万円強かかるが、その程度は仕方がない。
フライト時間ギリギリなので、曽さんとはそこで別れる。
曽さんのげろくそ重いバッグ…40キロ以上あるそうだ…を、カートに積み直す。往路を戻る。二人で来た道を、死にそうに重い荷物抱えて帰る。
駅から部屋までタクシーで帰る。死ぬような思いして部屋に曽さんのバッグを運び入れる。ぜえはあぜえはあ。ちょうど昼12時。
以上、午前中、朝5時から昼12時までの出来事。
今日からアシスタントに行く予定だ。KY先生に一時間遅れる旨電話し、シャワー浴びる。自転車に乗り、KY先生の仕事場へ。
力仕事した後だったので、やや不安だったが、さほど問題もなくアシ作業する。(翌日へ続く)
9月4日(土)
早朝3時ごろ、足立真一さんから電話。「見映え」について気づいたことなど話するうち、じゃあ、今から足立真一さんとこへ絵の勉強しに行く、という話になる。出かける準備をする。
朝7時ごろ、曽さん、帰宅。曽さんは、アシ先での連載終了の打ち上げに参加していた、とのこと。
私は今から足立真一さんとこに行こうと思う、と曽さんに告げる。曽さんが驚く。自分は今日までしか日本にいない、翻訳を手伝ってくれ、と曽さんが言う。
そうだったか。…って、帰る仕度まだ曽さん何もしてないじゃないですか。帰れるのですか? とは思ったが、翻訳を手伝うことにする。足立真一さんに電話してその旨伝える。
翻訳作業、開始。曽さん、体調が悪いのはまあいいが、私に向かってゲップをするのは勘弁されてください。 疲れてくると、発音をはっきりさせないと話が通じないので、やや大声でまくし立てる感じになる。
昼1時すぎ、翻訳作業終了。
曽さんが換金したいと言っていた切手の買取業者に連絡。海外の切手は今在庫がだぶつき、引き取り手がないという話を伺う。換金をあきらめる。
曽さんの古本を古本屋へ持っていき、売る。
今訳した曽さんのマンガの批評をする。
結局、日本にいても、どこにも遊びに行かなかったね、今度来たときはそのときこそは案内するよ、彼女と一緒に来てよ、といった話する。
曽さん、新宿に用があるとのことなので、夜あたり、何かうまいものを食べよう、という話をして、別れる。
定食屋で昼食。「サラリーマン金太郎」あったので読む。メチャメチャ面白い。食事すんだ後一時間粘って8巻まで読む。古本屋へ行き、新刊本屋へ行き、19巻まで購入。
本屋ブラブラしている間に、そういえば「権力の予期理論」(宮台真司。ケイ草書房)まだ買ってなかったことが気になる。読まないでどうする。
隣駅のデパートの大きい本屋まで自転車で行く。見つからない。どこだコーナーは。それとは別な欲しい本が色々見つかる。「権力の予期理論」発見。他のたくさんの本と一緒にレジへ。昨日のアシ代全部はたいて購入。
本屋を出る。自転車を見る。ない。嘘。どこ。盗まれた? 撤去された? うろうろうろ。ずいぶん長い時間本屋にいたからなあ。ちょっとの間でも駐輪場に置かなかったのは失敗だったなあ、返ってこないだろうなあ、幾ら損したことになるんだ、と、陰陰滅滅な気分になる。道を、ガーディアンエンジェルズが闊歩している。見るのは初めて。こいつらかなあ、とか思う。
電車で帰ろう、と、トボトボ歩くうち、デパートの出口が二つあり、自分は出口を勘違いしていたことに気づく。自転車発見。良かった。ガーディアンエンジェルズの行進の後を負うかたちで帰路へ。この人たちも何かに貢献したいのだよね、何かに貢献していると感じなければ生きていくのは辛いものね、社会貢献欲求自体は肯定されるべきものだよね、と、優しい気分になる。
部屋へ。曽さん就寝中。
「サラリーマン金太郎」19巻まで読了。10巻の、アラブのエピソードまでは非常に面白い。そこから先は質が下がる。
人生は、意外な、優れた人間と、何人出会えるか、知己となれるか。自分の認める人間から、認められるかどうか。これが大事だ。これはたしかに幸運に支えられている。努力はこの幸運の確率を上げるためになされるのだ。その幸運、僥倖を得られた喜びは、他に比較できない。その幸運が、人生を開かせる。そんな風に私は思う。
アラブのエピソードまでの「金太郎」は、その僥倖を得ていく話だ。そこには共感する。そこを面白いと感じる。
だが、それ以降は、主人公が、ビッグ・パパ、ビッグ・ママに守られていく話だ。本宮ひろ志にはビッグ・パパ、ビッグ・ママへの宜しくない憧れがある。砕いて言うと、マザコンでファザコンだ。その悪い面が後半には顕わになっている。エピソードもだれる。20年前の少女マンガのようなストーリーになっている。奥さんにストーリー練らせたのかな、と、邪推する。感心しない。
HYさんから電話。依頼ごと一つ受ける。代わりにお願いもする。
就寝。
9月3日(金)
(前日から続く)
帰宅。早朝、眠る前、「少女帝国」さんから電話。色々話する。
男性でも女性でも、オタクの世界でも活動の世界でも、壊れた人は多い、といった話をする。だが、壊れたとき、女性のほうが壊れっぷりが凄い。それは、女性のほうが、社会的により制約されているから、抑圧されているものの量が多いからだ。という話になる。
「壊れている」女性は、たいがい、「パパのお庭」に住んでいるつもりになっている。そして他者に「パパのお庭」での作法を押し付ける。
押し付けられる側にしたらとんでもない非常識であり大迷惑なのだが、「壊れている」女性は、そのことに決して気づかない。
彼女は決して自己を省みない。彼女の主観では「パパのお庭」だけが世界であり、彼女自身は「パパのお庭」の忠実で善良な住人なのだ。
なるほど、男性でも「壊れている」人はよく似た思考をしている。
念のために書いておきますが、以上の文は女性蔑視を意図したものではない。「少女帝国」さんは、セクシャリティやフェミニズムに造詣の深い文章系女性サークルさんです。
明け方に就寝。この日はそのまま寝て過ごす。
9月2日(木)
KY先生の仕事場で起きる。アシ作業する。
脳味噌がなかなか起きない。コーヒー飲みたいなあ、と、思う。KY先生は煙草もコーヒーも飲まれないので、ヘビースモーカーな私はちょっと気を遣う。煙草チェーンスモーク結局させていただきましたが。深夜、仕事終了。アシ代いただき、帰宅。
曽さん、寝ている。曽さんはもうじき日本を発つ。曽さんと暮らしたのは、約一年。
同居人は曽さんで3人目だ。もう、この先、同性の同居人(居候)を置くことはないだろう。
これは贖罪なのだ。自分自身が、地方から上京するとき、友人の誘いがなかったら決してその一歩を踏み出せなかった。その友人にそのお礼を尽くせなかった。それが人に自分の部屋での居候を勧める動機だ。
一人目の同居人とは、早々仲が険悪になり、その後つきあいがない。そのことも自分の内面で負い目になった。
二人目とは、わりあいうまくいった。
三人目の曽さんとも、わりあいうまくいった。
これで、内面のわだかまり、何かへの負い目は償ったように思う。同居人の方々にとっては関係のない話だ。私の自己満足だ。だが私にとってはこの自己満足を満たすことが大事だった。そしてピリオド。これから先は、誰かのためにではなく、徹底して自分のために動こう。
(翌日に続く)
9月1日(水)
昨夜11時に起きてから、眠らないまま、昼、学研の編集さんと隣駅で待ち合わせ。喫茶店に入り、KY先生と対面。仕事場へ。
絵はわりと簡単な絵柄に見えたので、気負いもせず、楽しく仕事させていただく。そのまま泊り込み。
夜、原稿を見ると、おそらくさらさらと先生が描いたであろう非常に上手な風景画発見。え。と、ショックを受け、色々考える。
画力と、見映え・キャラ映えはおそらく別だ。ならば私はキャラ映えについて今、今日から真剣になろう。内容・視点では誰に負ける気もしない。そして読者はキャラ映えだけでマンガ家を測る。ならば、勝てる。勝つ。(と、自分を鼓舞するために書いたけど、その後何もしていない 2000,1,11)
朝5時、MAさんの原稿終わる。
東京の部屋へ帰宅。寝る。
夜10時頃、目が覚める。KY先生に電話。KY先生のアシ作業しに、自転車で向かう。(続く)
9月14日(火)
MAさんのアシする。
9月13日(月)
不動産屋へ行く。更新しない旨伝える。
茨城へ。MAさんのアシ作業する。
9月12日(日)
足立真一さんとこで、夕方目覚める。よさこい野郎さん来る。ちょっと話する。眠りこけながら、「ファミコン探偵団」クリア。足立真一さん就寝。私は帰宅。
「学校を救済せよ」(宮台真司、尾木直樹。学陽書房)読む。とても面白い。
9月11日(土)
この日は、私にとってこの秋一番のイベントである「ホシヅルの会」があった。8月に実家でめちゃツライ労働の日々を送る中で、やっとこで参加料振込みしていた。
実家の部屋で目が覚めると、午後1時半。あ。寝過ごした。もう「ホシヅルの会」には間に合わない。とほ。生の小松左京見損ねた。(後日聞くとこでは生小松左京はいなかったそうだけど)
人間は人生の三分の一を眠らないとならない、ということを忘れていた。
意気消沈し、バスに乗って駅へ。駅で考える。予定空いちゃったから、みいちゃんに会いに行こうかな。電車来る。電車に乗って東京へ。オレって意気地なしだなあ。
東京に着いたのは午後5時。HYさんと足立真一さんから留守電。HYさんに電話。留守の様子。留守電に吹き込む。足立真一さんに電話。9月4日に行こうとしていた絵の勉強しに行く約束する。出かける前、念のためHYさんに電話。通じる。ほぼ同じにHYさんが私に電話したが、通じなかったそうだ。どういうことかな? それはそれとして、取材に関することとかお話させていただく。HYさんとの要件終了。足立真一さんとこへ。
バス。電車。バス。足立真一さんの住む埼玉はそこかしこに堆肥やら牛の糞やらの匂いが漂う。そういう季節なのかな。足立真一さんと話をする。劇場版ナデシコを観ようと薦められる。遠慮する。絵を描く。足立真一さんからアドバイス受ける。
BGVにエヴァ劇場版かけてもらう。つい、観る。見終わった後、やはりこの映画のメッセージは宜しくない、という話を足立真一さんに力説する。庵野の直観力は素晴らしい。だが庵野にはロジックがない。人生経験の幅も狭い。そのことそのものは必ずしも否定されるべきではないが、この作品にとって、作者による限界がメッセージの点で明らかになっている。
個体としての他者と、立場の違いによって発生する他者性の区別がこの作品にはない。綾波とカオルくんを、「わかりあえるかもしれない、という、祈り」と劇中で解説しているが、綾波とカオルくんはともに(醜いオタクである)シンジのアニマ、自我の投影であり、どのみちシンジ(庵野)は他者を見ていない。一面においてそれは正直なメッセージだが、もう片面の真実、(自身にしか愛情を感じない/他者に愛情を感じない/愛情を求めているが与えようとしない)ということから作者は目を背けている。矛盾するメッセージ。そこに作者は無自覚だ。無自覚で混乱しているゆえに、受け取る視聴者は、個々人ごとにあまり程度の宜しくない誤った哲学(オカルト)を内面に構築するだろう。そこが宜しくない。
エヴァ世界はオカルト世界の中にある。作者にとって世界はオカルトなんだろう、と足立真一さんに言う。『ソフィーの世界』の言葉を使うなら、哲学とオカルトの関係は、本物の恋愛とポルノの関係だ。ポルノを本物の恋愛と錯誤するのは危険だ。
オカルトは真中にブラックボックスを置き、その周囲にブラックボックスを示唆する雑学を散りばめた形をしている。
たしかに個人にとって世界は見通しがたいし、全てを見通すことは個人にはできない。
だが、オカルトにおいては、非合理で不可解なブラックボックスが存在すること自体を真理の証明としている。ブラックボックスが「真理」であり、ブラックボックスの存在が「真理の証明」、という同語反復論法だ。理性による解析は、そこにはない。これを「超越的」思考と言う。世界がわけわからない代物であるのは、神のせいだ、と、超越者を設定することで、思考停止する。
「超越的」思考を克服するのは、「超越論的」思考だ。世界は見とおしがたい。個人個人の人間にとって、世界は不可解だ。だが、個々の非合理的現実は、高いレベルで、合理的科学的に人間に把握できる。人間の心は不可解だ。だが、フロイトの発見した「無意識」というモデル(超越論)を用いることにより、人間の非合理的行動は「超越論的」に理解説明が可能だ。人間の行動は不可解だ。だが、マルクスの「下部構造」「上部構造」というモデル(超越論)を用いることにより、人間の不思議な行動は「超越論的」に理解説明可能だ。
シンジはオカルト世界を作中否定できていない。自覚も批判もできていない。このシンジの位置は作者の練度に制限されている。
作者にとり、他者の世界はイコールオカルトなのだ。それは正しい世界認識ではない。少なくとも、「現実に帰れ」というメッセージが自己矛盾を起こしている。そのことへの作者の直感が、ラストのシンジの行動とアスカの台詞を吐かせている。(その、直感に正直な態度は非常に尊いものだ)
といった話を足立真一さんにする。オカルト世界観がなぜ恐いのか、足立真一さんにはピンと来ない、と言われる。なるほど、と思う。ここは重要な点だ。これは宿題にしよう。
足立真一さんから「ファミコン探偵団」薦められる。する。食事行く。
足立真一さんの冬の同人誌のマンガのネタ、二人で考える。お馬鹿なメイドもの。
足立真一さんとこで就寝。
9月10日(金)
MAさんのアシ作業、朝5時までする。途中で一度寝ていいと言われたが、電車の中で寝ればいいやと思って、眠らず作業する。(後でこれは失敗だったと気づく)
東京の部屋に戻らず、茨城から、そのまま実家へ。電車の中で「権力の予期理論」(宮台真司)、「オリエンタリズムの彼方へ」(カン尚中。岩波書店)読もうとするが、寝不足で脳味噌が腐り果てて全く文意を追えない。マンガ家は頭が悪くなる。無理して読もうとすると読解できないという理由でこれらの本に悪印象持つかもしれない、と、気づき、読もうとするのやめて電車の中で寝る。乗換駅、2回寝過ごす。普段の倍近い時間食って田舎の駅に。
駅のバス停で学生らしき人々がたむろっている。ひょっとして後輩さんたちかな? とも思うが疲れていたので声かけず。バス停に車来る。サークルの後輩さんの車。乗せてもらう。
実家へ。学生時代所属していたサークルの合宿、私の実家で開催してくださるようになって、たぶんもう10年になるのかな。直接の後輩でなく、学部の違う後輩さんたちの合宿。ありがたやありがたや。
眠すぎたので寝る。2時間ほど寝て、起きて、合宿に参加。食後、テーブルトークRPGに混ぜてもらう。
Sさんにえらい久しぶりに会う。ここのページ見てる、という話伺う。少しだけ会話。
寝ようと思うが、いつものごとく自分は父母の手によって自分の就寝スペースからロックアウトされている。外に出て、どうにか部屋に戻り、就寝。
9月9日(木)
(前日から)
掲示板のレス溜めていたので、8月以降について返信を試みる。二人ぶんで挫折。てゆーかこんな濃ゆい返信にわざわざしないでいいだろオレ、省力化しろ。とか思う。
いかがわ四郎さんとこのチャットで遊ぶ。
眠り損ねたまま、電車に乗って、茨城のMAさんとこのアシに行く。自分の力弱さを確認。作業途中で眠くなる。
(翌日へ)
9月8日(水)
HYさんに郵送。遅くなってごめんなさい。
曽さんから頼まれていたことについて、FAXしようとする。あう。国際電話、止まってる。料金払い損ねていたか。ごめん曽さん。
MAさんから電話。とりあえず明日手伝いに行く、という話に。
いつ自分の原稿描けばいいのだ。と、一瞬頭をよぎる。それはあとで考えよう。(翌日へ)
9月7日(火)
(前日から続き)
朝4時アシの仕事一旦終了。夜食を買って食べ、朝6時までKY先生の仕事場で「戦争論妄想論」読む。KY先生の仕事場に泊まる。
昼からアシ仕事。おお。寝る直前に物食べると、お腹の調子が良くないものだなあ。夜9時頃KY先生の仕事終了。自転車で帰宅。
にゃんこMICさんにお願いがあって電話する。興味深いお話、伺う。自分の仮説は正しいようだ。
9月6日(月)
(前日から続き)
朝4時頃アシ仕事一旦終了。一時間ほどKY先生の仕事場で「戦争論妄想論」(教育史料出版会)、宮台真司氏による、小林よしのり氏批判の部分、読む。KY先生の仕事場に泊まる。
昼からアシ仕事。身体がバキバキ言っている。昨日の筋肉痛だ。(翌日へ)
9月5日(日)
朝5時ごろ起きる。見ると、曽さんの荷物、人間ほどもある大きさのバッグに二つ。それでも収まりきらず、残りは郵便で、船便で送ってくれ、と曽さんが言う。了承する。
「このバッグも、郵便で送ったほうが良いんじゃないか?」と曽さんに訊く。
「どうやって?」と曽さんが応える。
…難しいのかな。まあ、飛行機で持って行ければ、それが一番簡単だよね。なにも私の仕事増やすことはない。
バッグは物凄く重い。殺人的だ。アパートの階段を下ろすとき、二人がかりでもしんどいので、ゆっくりと転がして下ろす。
バッグには底に小さな車輪が付いている。上部に引っ張る取っ手がある。それで引こうとする。重過ぎて動かない。無理をすると取っ手がちぎれる。
曽さんが機転を利かせ、バッグの底の方をビニル紐で縛り、取っ手を作る。それで引っ張る。なんとか動く。二人で、一つずつバッグを引く。
100メートルほど引いたところで、曽さんの引いていたバッグが動かなくなる。調べると、底の車輪が一つ壊れたのだと判る。どうしよう。
…同人誌運ぶときのカートがあるじゃないか。あれに載せてみよう。と、考える。少なくとも荷物を半分箱詰めして分けるだけでもだいぶ楽なはずだ。
…本当は台車があったんだが、と、思う。Nに貸したまま返ってこない。奴め。くそ。おのれ。と、忘れていた怒りを思い出す。…台車が今ここにあればずいぶん楽なのに。こういう時に台車は必要なのに。「イベントのとき以外はいらないでしょう」とはふざけたこと言いやがって。今度こそとり返してやる。どんなことしても。…待てよ。同じこと、前考えたな。実行したな。そうか、紛失したって言ってたっけな。返せよなあオイ。お前はそんなだから。…誠意ある態度ってものがなあ。と、恨みつらみが渦巻いたが、気分を切りかえる。
カートとダンボール箱持って、バッグのところへ。車輪の壊れたバッグをカートに載せる。収まる。ダンボール箱は不要なので近くのゴミ捨て場に置いて移動。カートの扱いは私のほうが慣れているので、カートのほうを私が引く。
部屋から250メートルほどの地点で、曽さんが引く、壊れていないほうのバッグも、車輪が壊れる。私は走って部屋に戻る。ついでにゴミ捨て場に置いたダンボール箱回収する。もう一つのカートを持ち、自転車に乗り、曽さんの元へ。
車輪の壊れたバッグを新しいカートに載せる。自転車はコンビニの近くに置いておく。移動開始。
私のほうが曽さんより体力がやっぱりあるんだなあ、と、思う。私はわりと体格がいい。そのことで得したと思ったことはなかったが、やはり体力は体格にある程度比例するんだな、と、思うことが、8月15日の人力荷物運びのときにもあった。非常に単純で古めかしい結論。
曽さんの体格は、中学生のようだ。
私も、ディグさん、足立真一さん、いつきこうすけさんと並ぶと、その中では一番背が低かったりするのだが。余談でした。
部屋から500メートルくらいのところで小休止。部屋までタクシーを呼べば良かった、と後悔。
遅れてきた曽さんがカートを乱暴に放す。カートが倒れる。カートのパイプが曲がる。あうち。乱暴に扱わないで下さい、曽さん。
駅。ホームまで下ろすのに、エスカレーターがない。人力で下ろす。しんどくて死にそう。
飛行機の時間間に合うか? 電話したほうが良いんじゃないのか? と曽さんに尋ねる。
ギリギリ間に合う。と、曽さんが応える。
電車に乗せるのは人力で移動。すごくしんどい。
乗り換え。エスカレーターで上る。曽さん一人でこの荷物を運ぶのは無理だと思うので、成田までつきあうことにする。
成田エクスプレスの中で、曽さんと色々話する。
荷物運びを付き合ってくれてありがとう、と、曽さんが言う。よかった。最後に曽さんに嫌な思いをさせなくて。曽さんが私に好感を持って発ってくださるなら、大成功だ。
日本に来る前、曽さんは香港でけっこういい条件の契約でマンガを描いていた。だが、曽さんは日本で成功したいと思っていたので、当時仕事を熱心にしなかった。日本に来て、考えが変わった。来て良かった。来なかったらずっと、「日本にさえ行けば…」と思っていただろう、と、曽さんは言う。
「やはり経験て大事だね」と、曽さんに応える。
日本のアシ先で、仕事場の仲間と話したそうだ。マンガは金のために描くんじゃない、楽しいから描くんだ、自分の描いた物が10年後20年後残るから描くんだ。曽さんはそう言った。仕事場の人々は冷笑したそうだ。生活するために描くんだと。
曽さんはアシして稼いだ金の多くを、家族に送金している。…「生活のために描くんだ」と曽さんを冷笑した人々は、おそらく現実には経済的に自立していないのだろう。実家から通い、アシ代は自分の小遣いにしているのだろう。経済的に自立できていないから、精神が依存しているから、生活者に劣等感を覚えているから、「生活」「生活」と言うのだろう。そう曽さんに訊いてみた。その通りのようだ。
鎌やん、香港に遊びに来いよ、と、曽さんが言う。
「金がたまったらね」と応える。色々話する。
「俺、5年後には、日本で一番有名なマンガ家になっているよ。…頑張ろう」と、曽さんに豪語する。
成田空港。空港用のカートがある。カートにバッグを積替える。エレベーターに乗る。成田空港のエレベーター、なぜこんなに小さいのだ。
「香港の空港に、弟を呼んである。荷物たくさんあるから、と、弟に言ってある」と曽さんが言う。
チェックインに向かう。もう時間がないから、と、別な窓口を係員に教えられる。
手荷物…ここまで苦労して持ってきたバッグを測ると、重量オーバー。手荷物扱いで送ると、7万円を越えるそうだ。そんなには払えない。
二つあるバッグのうち、一つのみを手荷物とし、もう一つは船便で運ぼう、と、曽さんと打ち合わせる。それでも重量オーバーで一万円強かかるが、その程度は仕方がない。
フライト時間ギリギリなので、曽さんとはそこで別れる。
曽さんのげろくそ重いバッグ…40キロ以上あるそうだ…を、カートに積み直す。往路を戻る。二人で来た道を、死にそうに重い荷物抱えて帰る。
駅から部屋までタクシーで帰る。死ぬような思いして部屋に曽さんのバッグを運び入れる。ぜえはあぜえはあ。ちょうど昼12時。
以上、午前中、朝5時から昼12時までの出来事。
今日からアシスタントに行く予定だ。KY先生に一時間遅れる旨電話し、シャワー浴びる。自転車に乗り、KY先生の仕事場へ。
力仕事した後だったので、やや不安だったが、さほど問題もなくアシ作業する。(翌日へ続く)
9月4日(土)
早朝3時ごろ、足立真一さんから電話。「見映え」について気づいたことなど話するうち、じゃあ、今から足立真一さんとこへ絵の勉強しに行く、という話になる。出かける準備をする。
朝7時ごろ、曽さん、帰宅。曽さんは、アシ先での連載終了の打ち上げに参加していた、とのこと。
私は今から足立真一さんとこに行こうと思う、と曽さんに告げる。曽さんが驚く。自分は今日までしか日本にいない、翻訳を手伝ってくれ、と曽さんが言う。
そうだったか。…って、帰る仕度まだ曽さん何もしてないじゃないですか。帰れるのですか? とは思ったが、翻訳を手伝うことにする。足立真一さんに電話してその旨伝える。
翻訳作業、開始。曽さん、体調が悪いのはまあいいが、私に向かってゲップをするのは勘弁されてください。 疲れてくると、発音をはっきりさせないと話が通じないので、やや大声でまくし立てる感じになる。
昼1時すぎ、翻訳作業終了。
曽さんが換金したいと言っていた切手の買取業者に連絡。海外の切手は今在庫がだぶつき、引き取り手がないという話を伺う。換金をあきらめる。
曽さんの古本を古本屋へ持っていき、売る。
今訳した曽さんのマンガの批評をする。
結局、日本にいても、どこにも遊びに行かなかったね、今度来たときはそのときこそは案内するよ、彼女と一緒に来てよ、といった話する。
曽さん、新宿に用があるとのことなので、夜あたり、何かうまいものを食べよう、という話をして、別れる。
定食屋で昼食。「サラリーマン金太郎」あったので読む。メチャメチャ面白い。食事すんだ後一時間粘って8巻まで読む。古本屋へ行き、新刊本屋へ行き、19巻まで購入。
本屋ブラブラしている間に、そういえば「権力の予期理論」(宮台真司。ケイ草書房)まだ買ってなかったことが気になる。読まないでどうする。
隣駅のデパートの大きい本屋まで自転車で行く。見つからない。どこだコーナーは。それとは別な欲しい本が色々見つかる。「権力の予期理論」発見。他のたくさんの本と一緒にレジへ。昨日のアシ代全部はたいて購入。
本屋を出る。自転車を見る。ない。嘘。どこ。盗まれた? 撤去された? うろうろうろ。ずいぶん長い時間本屋にいたからなあ。ちょっとの間でも駐輪場に置かなかったのは失敗だったなあ、返ってこないだろうなあ、幾ら損したことになるんだ、と、陰陰滅滅な気分になる。道を、ガーディアンエンジェルズが闊歩している。見るのは初めて。こいつらかなあ、とか思う。
電車で帰ろう、と、トボトボ歩くうち、デパートの出口が二つあり、自分は出口を勘違いしていたことに気づく。自転車発見。良かった。ガーディアンエンジェルズの行進の後を負うかたちで帰路へ。この人たちも何かに貢献したいのだよね、何かに貢献していると感じなければ生きていくのは辛いものね、社会貢献欲求自体は肯定されるべきものだよね、と、優しい気分になる。
部屋へ。曽さん就寝中。
「サラリーマン金太郎」19巻まで読了。10巻の、アラブのエピソードまでは非常に面白い。そこから先は質が下がる。
人生は、意外な、優れた人間と、何人出会えるか、知己となれるか。自分の認める人間から、認められるかどうか。これが大事だ。これはたしかに幸運に支えられている。努力はこの幸運の確率を上げるためになされるのだ。その幸運、僥倖を得られた喜びは、他に比較できない。その幸運が、人生を開かせる。そんな風に私は思う。
アラブのエピソードまでの「金太郎」は、その僥倖を得ていく話だ。そこには共感する。そこを面白いと感じる。
だが、それ以降は、主人公が、ビッグ・パパ、ビッグ・ママに守られていく話だ。本宮ひろ志にはビッグ・パパ、ビッグ・ママへの宜しくない憧れがある。砕いて言うと、マザコンでファザコンだ。その悪い面が後半には顕わになっている。エピソードもだれる。20年前の少女マンガのようなストーリーになっている。奥さんにストーリー練らせたのかな、と、邪推する。感心しない。
HYさんから電話。依頼ごと一つ受ける。代わりにお願いもする。
就寝。
9月3日(金)
(前日から続く)
帰宅。早朝、眠る前、「少女帝国」さんから電話。色々話する。
男性でも女性でも、オタクの世界でも活動の世界でも、壊れた人は多い、といった話をする。だが、壊れたとき、女性のほうが壊れっぷりが凄い。それは、女性のほうが、社会的により制約されているから、抑圧されているものの量が多いからだ。という話になる。
「壊れている」女性は、たいがい、「パパのお庭」に住んでいるつもりになっている。そして他者に「パパのお庭」での作法を押し付ける。
押し付けられる側にしたらとんでもない非常識であり大迷惑なのだが、「壊れている」女性は、そのことに決して気づかない。
彼女は決して自己を省みない。彼女の主観では「パパのお庭」だけが世界であり、彼女自身は「パパのお庭」の忠実で善良な住人なのだ。
なるほど、男性でも「壊れている」人はよく似た思考をしている。
念のために書いておきますが、以上の文は女性蔑視を意図したものではない。「少女帝国」さんは、セクシャリティやフェミニズムに造詣の深い文章系女性サークルさんです。
明け方に就寝。この日はそのまま寝て過ごす。
9月2日(木)
KY先生の仕事場で起きる。アシ作業する。
脳味噌がなかなか起きない。コーヒー飲みたいなあ、と、思う。KY先生は煙草もコーヒーも飲まれないので、ヘビースモーカーな私はちょっと気を遣う。煙草チェーンスモーク結局させていただきましたが。深夜、仕事終了。アシ代いただき、帰宅。
曽さん、寝ている。曽さんはもうじき日本を発つ。曽さんと暮らしたのは、約一年。
同居人は曽さんで3人目だ。もう、この先、同性の同居人(居候)を置くことはないだろう。
これは贖罪なのだ。自分自身が、地方から上京するとき、友人の誘いがなかったら決してその一歩を踏み出せなかった。その友人にそのお礼を尽くせなかった。それが人に自分の部屋での居候を勧める動機だ。
一人目の同居人とは、早々仲が険悪になり、その後つきあいがない。そのことも自分の内面で負い目になった。
二人目とは、わりあいうまくいった。
三人目の曽さんとも、わりあいうまくいった。
これで、内面のわだかまり、何かへの負い目は償ったように思う。同居人の方々にとっては関係のない話だ。私の自己満足だ。だが私にとってはこの自己満足を満たすことが大事だった。そしてピリオド。これから先は、誰かのためにではなく、徹底して自分のために動こう。
(翌日に続く)
9月1日(水)
昨夜11時に起きてから、眠らないまま、昼、学研の編集さんと隣駅で待ち合わせ。喫茶店に入り、KY先生と対面。仕事場へ。
絵はわりと簡単な絵柄に見えたので、気負いもせず、楽しく仕事させていただく。そのまま泊り込み。
夜、原稿を見ると、おそらくさらさらと先生が描いたであろう非常に上手な風景画発見。え。と、ショックを受け、色々考える。
画力と、見映え・キャラ映えはおそらく別だ。ならば私はキャラ映えについて今、今日から真剣になろう。内容・視点では誰に負ける気もしない。そして読者はキャラ映えだけでマンガ家を測る。ならば、勝てる。勝つ。(と、自分を鼓舞するために書いたけど、その後何もしていない 2000,1,11)