カルトvsオタクのハルマゲドン/虚業BLOG

オタクと政治に関するBLOG

「従米無罪」

2005年11月30日 04時39分11秒 | Weblog
西村眞悟の名義貸し逮捕の件。
西村眞悟は住吉会系日本青年社(「救う会」構成組織の一つ)と仲良しで、この「名義貸し」にも住吉会が関わっている〔注〕わけだが、それはそれとして、この西村眞悟逮捕は「国策逮捕」であり、「右翼が一匹やられた、ざまあみろ」などと考えるべきではないと、私は思う(いや、ざまあみろと思うのはいいのだけど、そこで思考停止してはダメだ)。西村眞悟が「国策逮捕」されたのは、西村眞悟が「国粋右翼」路線で、「従米右翼」の色が薄かったから、ということがあると思う。
日本では「愛国無罪」なのではなく、「従米無罪」なのだ。「だからアメリカのケツを舐めるべきだ」、と思っている連中は死ね。
ちょうど、1940年代、左翼勢力・リベラル勢力が潰された後、リベラル思想家を弾劾糾弾していた蓑田胸喜ら民間右翼が不要になり、官憲により潰される、という「狡兎(こうと)死して走狗烹(に)らる」が再演されているのだと思う。
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竹内洋『丸山真男の時代』(中央公論社、2005年) から〔以下引用〕
蓑田や原理日本社の論理と運動が、国体学者東京帝大文学部教授平泉澄から無視されたのは、思想上の違いというよりも、蓑田と原理日本社が知識人圏から排除された存在になっていたからである。〔87P〕
知識人圏や大学が、日本主義や国体論の体裁をととのえると、排除された排除する存在だった蓑田たちは、排除する対象を失い、排除されるだけの存在になっていく。蓑田一派はうとましい存在になる。蓑田は大政翼賛会からもはずされる。〔102P〕
〔太平洋戦争前に東京帝大への軍部・右翼からの攻撃弾圧は下り坂になる〕下り坂の理由は、大学を含めて世の中が蓑田化し原理日本化しただけのことなのである。社会が、そして帝国大学が蓑田化(汎原理主義化)することによる落差の消滅から、蓑田や原理日本社が用済みになったからである。まさに「狡兎(こうと)死して走狗烹(に)らる」(兎が死ねば猟犬が不要になり煮て食われる)である。
丸山は「戦前における日本の右翼活動」論文の中で「過激分子が必死となって道を『清め』たあとを静々と車に乗って進んでくるのは、いつも大礼服に身をかため勲章を一ぱいに胸にぶらさげた紳士高官たちであった」と書いている〔略〕。〔103-104P〕
さらに蓑田を最終的に打ちのめすような事件がおきた。蓑田たちの原理日本社と連携して運動していた民間団体、精神科学研究所(一九四一年二月創立)は、打倒東条英機を叫んでいたため「最も知能的なマルキスト」として、当局から目をつけられていたが、一九四三年二月一四日、憲兵隊によって一斉に検挙される。〔104-105P〕〔以上引用〕
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「歴史は繰り返す、二度目は茶番として」と言われるけど、どこまでこの茶番が続くんだろう。どうも我々は1930年代の人々より愚かなようだ。初回のときは前例がなかったから同情に値するが、二回目は前例があるのに、なぜ同じ轍を踏んでいるのだろうなあ。同じ轍を踏んでいるのは西村眞悟ではなく、我々皆である。「日本人は歴史から何一つ学ばない」というのはカマヤンの自家製箴言なのだが、本当に日本人は歴史から何一つ学ばないバカ揃いなのだろうか。そうじゃないと信じたいのだが。
 〔注〕WEBの記事では「住吉会」「日本青年社」の名前が出ていないっぽいが、紙媒体の新聞には「住吉会」「日本青年社」の名称が出ている。
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共謀罪と公選法  鎌倉圭悟(『進歩と改革』原稿)

2005年11月30日 02時01分52秒 | Weblog
共謀罪と公選法  鎌倉圭悟(『進歩と改革』原稿)
共謀罪と公選法
共謀罪創設は、六百以上の刑法を書き換えることを意味します。たとえば公選法を含みます。
公選法は、温泉街の増築に次ぐ増築を繰り返した旅館みたいなもの。と、言われてます。何をどう守っているのか、原則も何も意味不明。火事が起きても避難通路も不明、どう逃げればいいのか不明。運悪く煙に巻き込まれたら、それでお終い。
公選法運用は地域ごとにバラバラで、守りようのない法律の一つです(公選法の判例集すら存在しないそうだ)。
公選法違反の「共謀罪」となると、選挙期間中の選挙活動がほぼ全てアウトで。選挙を話題にすること自体アウトです。
共謀罪のない二〇〇五年衆院選ですら、筆者の電子掲示板は「公選法違反の疑」でサービス停止になりました。
二〇〇七年の選挙ラッシュ前に、公選法新案を(野党合同で)用意して、webや雑誌でキャンペーンできないかなあ。そのくらいのことしないと、「護憲」どころではないと、個人的には思うんですが。
世代論からオタク論へ
「世代論」が熱かったのは、六〇~七〇年代でした。
戦前は、出身地ごとの帰属意識が強かったわけですが、敗戦を何歳で迎えたか、という世代ごとの共通体験が、戦後、重要となります。この頃、「若者」が「世代」で語られました。
だいたいオイルショックから八〇年にかけて、「世代」の共通体験が失われていきます。「終戦」が遠くなりすぎて。
以後は、テレビなどのサブカルチャー経験が「共通地平」を代用します。結果、
「趣味」が共通項となり、「若者」が細かい集団に分岐していきます。
九〇年時点の「若者」分類を宮台真司らが行なってます〔注〕が、現在では「新人類」が消滅し、再調査が必要とされると思います。

90年ごろの「若者」の五類型
1;「新人類」先端情報に敏感でオシャレ
2;「ガンバリ屋」体育会系努力家
3;「オタクリーダー」趣味的情報に敏感で発信力あり
4;「ミーハー」新人類の真似をする人々
5:「オタク追随者」オタクリーダーの真似をする人々

人生、何が起きるか判らない
人生、何が起きるか判らんもので、私の住んでるアパートで殺人事件が起きました。(二〇〇五年十一月二三日頃)
被害者と面識なかったし、物音も聞いてないから、何も描けること、ないんですけどね。しばしば腐るほど警察官を見かける街なんですが。
〔注〕宮台真司他『サブカルチャー神話解体』(PARCO出版、1993年) ここで紹介した類型名称は、鎌倉が仮につけなおした。
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[宗教右翼]yahooと日本神軍

2005年11月30日 01時57分52秒 | Weblog
「悪徳商法?マニアックス」から

http://beyond.cocolog-nifty.com/akutoku/2005/11/138_da3d.html
フォトレポート:138万人が選んだ「ラーメン」--ヤフーのブロガー試食会
岩本有平(編集部)
2005/11/21 01:04 Trackback(12)
 ヤフー、グロービートジャパン、ジャパンフリトレー、東洋水産の4社は、Yahoo! Japan上での投票により企画された「濃厚豚骨醤油ラーメン真骨頂」を店頭で発売するほか、スナック菓子やカップラーメンとして全国のコンビニなどで発売する。発売に先駆けて、11月19日に「ブロガー向け先行試食会」を開催した。

13hz!から
http://www.13hz.jp/
普通の企業はそんな企業との僅かな付き合いすら、あるいは噂すら、不祥事として恐れるものですが‥‥。Yahooというのもつくづく凄い企業ですね。まぁ、ソフトバンクグループ全体にそういう兆候がありますけどね。

Yahooというと…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1046951285/l50
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/535/1046951285/21-27
顧客情報流出事件とか、その恐喝で創価学会・公明党と自民党の“影のパイプ役”を果たしていた、会社社長で創価学会幹部の竹岡誠治の逮捕とかあったわけだけど。
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浜田知明

2005年11月30日 01時54分23秒 | Weblog
鹿野政直『兵士であること』(朝日新聞社、2005年)を読んで、銅版画家・浜田知明の存在を知る。ここにメモする。

「ボス」

「初年兵哀歌 歩哨」

「ボタン(A)」

浜田知明の代表的連作『風景』(同名作品が多数あるみたい)の画像を探したのだけど、残念ながらweb上にはないっぽい。どういう「風景」なのかというと、日中戦争従軍時に浜田知明が日常的に見た、日本兵が殺した中国人子女の殺戮したいが転がる風景の連作です。
鹿野政直について。
鹿野政直は99年まで早稲田大学で日本近現代史の教授をしていた。私が鹿野政直の名を知ったのは、私の敬愛する日本近現代史教授が、最も影響を受けた人物としてその名を挙げていたことから。
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