家事塾ブログ~家のコトは生きるコト~

家事塾代表・辰巳渚の、講座日誌や家事エッセイ、お知らせなどを掲載します。

お手伝い塾in茅ヶ崎館を開催しました

2009年05月31日 | 活動報告-基本事業
5月30日~31日に、お手伝い塾を開催しました。
小学校1年生から5年生まで、4組の親子が参加しました。

今回は、なんと、男の子だけの回。そしてお父さん一人、お母さん三人という構成でした。
男の子だけで、しかも1年生が2人いる状態で、どの程度のことができるのか、正直なところドキドキしつつ、でもわくわくしつつのスタートでした。

でも、素直な1年生、のびのびとした3年生、しっかりしてよく気がつく5年生、と違う学年がよいチームワークで課題や実習に取り組めたと思います。
そしてやはり男の子。廊下掃除を競争でしたり、じゃんけんで順番を決めるようなときは、生き生きとして「やったるぞ!」と気合が入っていました。
家庭でも、じょうずに男の子らしさを考えて、うまく乗せるとお手伝いを楽しんでくれるかもしれませんね。

今回、参加されたみなさんにお願いです。
事前に、なにをしに来るのか、家庭でお話になっていることを前提としてスタートしましたが、お子さんによってはお手伝いが具体的に何をすることか、ぴんときていなかったかもしれない、と思いました。
私からもっと「お手伝いって、何をすること?」と引き出せばよかったのですが、あとになって気がついたことでした。

どうぞご家庭で、「お母さんは、こういう家の仕事をしているんだよ」「朝は何をして、昼には何をして」などと、具体的にお話してみてください。

目黒区の講座、ありがとうございました

2009年05月28日 | 活動報告-基本事業
今日が最終回だった目黒区の連続講座、最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
アンケートも見せていただいて、みなさんが満足してくださったことを、ほんとうに嬉しく拝見しました。

お子さんやご自身が体調を崩された方も多く、子育て期間はほんとうに子どもと自分の体調管理にもエネルギーを使う時期ですね。
みなさん、どうぞお体大切に。

講座では、もっともっとみなさんからの質問を受けたかったのに、結局、話したいことがたくさんありすぎて、お話を聞く時間をうまく取れませんでした。質問があった方、ごめんなさい。

このブログでは、ぜひみなさんの質問も共有したいと思っています。
他の講座の参加者、あるいはブログを見てくださっている方も、どうぞ質問や疑問があればコメントをくださいね。
できるかぎりお返事します。
もちろん、最後の課題(?)も、送っていただければ必ず返信します。お待ちしていますね。

三鷹市市民大学とNHK「となりの子育て」

2009年05月26日 | 活動報告-基本事業
今日は、三鷹市市民大学事業の講座「自立を目指す子育て講座」の3回目でした。
毎回、遅延する湘南新宿ラインのおかげで、いつも5分くらい遅刻してしまい、ばたばたと駆け込んでいる情けない講師になっています。

今回のテーマは「お手伝い」。親しか仕込めないよね、小さいうちに身体に染み込ませて身につけてほしいことだよね、という話をたくさんしました。

2時間ほぼぶっとおしでいっぱいお話しましたが、真剣に聞いてくださって、とても嬉しかったです。
そして、いつも育児中のお母さんから聞く「私の時間がなくて、余裕がない」というコメントは、身につまされます。
気の持ちようとわかっていても、どうしようもないことでもありますね。
それでも、最初の回に「自分が育つことが子育て」という意見を言ってくださった方もいるように、試行錯誤しながら、いろいろな視野が開けながら、自分も育っていけるのが、子育てのすばらしいところですね。

今日は、NHK「となりの子育て」の収録もありました。
もう一人のゲストの、「雨上がり決死隊」の宮迫さんのお子さん(小3、息子さん)は、私の友人の息子と同級生でした!
そして、VTRに登場した小3の男の子とも、同級生。

なーんてピンポイントで偶然が起きるんだ、と嬉しくなってしまいました。
偶然って、単なる偶然で終わらせることもできるし、「いまはそういう風が吹いているんだ」と自分を鼓舞する材料にもなる。

私、がんばろう!と思った一日でした。
「となりの子育て」の放映日は、6月20日の予定です。またこのブログで告知します。

お片づけ塾in明日館を開催しました

2009年05月24日 | 活動報告-基本事業
今日は、池袋で、小学生のための「お片づけ塾in明日館」を開きました。
お子さん22名、最初からあるいは途中から見学のお母さまを含め、おおぜいの方にご参加いただいて、ありがとうございました。

小雨が降る日曜日で、五月のバラ咲き誇る明日館の庭を散歩できなかったのは残念ですが、雨に濡れる緑の庭もまた美しく、しっとりとした落ち着ける雰囲気の日でしたね。

およそ2時間の講座で、生活のリアリティも少ない小学生のお子さんに、どのように「片づけ」について伝えようか、いろいろと考えました。
ゲームを取り入れたり、マイルールを作ったり、とやってみましたが、参加者のかたはいかがだったでしょうか。

今回集まってくださったのは、とてもしっかりとしてお子さんばかりでした。
お母さんの丹精込めた教育がうかがわれる、かしこくて、まじめなお子さんたち。
「片づけって何をすること?」という問いかけに、すぐ「物を元に戻すこと」という答えが出てきたのは、お母さんの日ごろのしつけのたまものでしょうか。
それとも、もしかしたら、私の本など見てくれていて、お母さんに教わっていたのでしょうか。

いずれにしても、片づけとはなにか、どうしたらいいのかなどは、しっかりと理解しているお子さんたちでしたが、一方で、日常生活はどうなのでしょうか。
頭ではわかっていることも、身体ではできないことが多い。
それは、どうしたらできるようになるのか。

今日の講座に参加してくださったお子さんたちに、直接、会って、いちばん伝えたいと思ったのは、「頭で理解していることを、身体を使ってやってみる」ことのたいせつさでした。
うまく伝えられたかどうか、わかりませんが、「今日が第一歩だよ」という言葉は、ちゃんと届いた気がします。

生活のことは、頭でわかるだけでは足りない。やってみて、修正したり、気がついたりするなかから、どんどんいいやりかたがみつかり、身についていく。
そんな話を、ご家庭でできると、今日の意義がもっと深まると思いました。

夏休みの「お手伝い塾in茅ヶ崎館」募集開始

2009年05月23日 | 講座の募集告知
そろそろ、夏休みの計画を立て始めている方も多いかと思います。
家事塾でも、明日館での講座にお申し込みをいただいていますが、宿泊型のお手伝い塾を開催することにいたしました。

日時:8月18日13時ごろ~19日11時ごろ
場所:神奈川県茅ヶ崎市、茅ヶ崎館
対象:小学生の親子ペア参加
費用:1組2万8千円(宿泊費+夕食+朝食)

夏休みも後半に入った時期です。
自由研究のレポートとできるようにテキストおよびワークシートも工夫します。
また、夏休みの過ごし方について、親子でふりかえって、残りの期間をどのように過ごすか考える機会としても、ご利用ください。

詳しくはこちらから。

朝、5分で準備をする息子をよしとするか

2009年05月22日 | 「家事」ってなに?
昨日のつづきです。

前の日にきちんと準備をするお子さんは、段取りがわかっていて、ほんとうに頭のいい子と言える。
では、「準備は前の日にするのが正しい」と教えられて、そのとおりにするのは、それでいいのか。

たとえば、私の息子の場合、いつも朝になって5分であたふたと用意をして、飛び出していく。
親として「困ったものだ」とあきれつつ、それで息子はなんとか乗り切っているのだから、それでいいのだとも思う。

つまり、彼は、「僕は前の日からきちんと用意しなくてもいい。僕は朝5分で準備できる」と考えていて、現実に、それでなんとかやっているのだから、なにも問題はない。
そういう自己分析?ができるのは、私はやはり頭のよさといっていいと思う。

……そんな話をしました。
すると、こんな質問をいただきました。

「『5分で準備できる!』と自負されているお子さんの言葉を信じてあげられるのは、やはりお子さんを信用していらっしゃるからですか? 頭ごなしに『前の日に準備しなさい』とはおっしゃいませんか。それはどうして?」

そうですよねえ。そう言いたいし、息子を信じているわけではなく「いつか大失敗するだろう」と危惧はしています。

理屈の部分は、講座でもいっぱいお話したのでここでは省きます。

それで、最終的にそれでよしとしているのは、なぜなのか。
簡単に言えば、私自身が、「学校の準備なんて、前日にきちんと用意しなくてもなんとかなる」と思っているからでしょうね。
旅行でも、準備万端整えて行くよりは、ある程度、いいかげんなほうがプロセスが楽しい。
ハプニングも、失敗も、本当に困りきることも、とっても大切。そういうのは、たいへんだけど、大好き。
予定どおりの人生よりも、「気がついたらこんなところにいた」という人生のほうが、たいへんだけど、ずっと楽しい。
そんな理由かな。

それから、「できないことは、できないのだ」という思いがあります。
これを自覚したときに、私は大きく変わったのですけれど。
通勤電車に毎日乗るのが、私には「いやだけど、がんばろう」ということではなく、自分を損なってしまうくらいに「できない」ことだった。
そんな小さな自覚が積み重なって、「できないこと」をはっきりさせると、自分に「できること」が見えてくる、という信念になりました。

「前日の準備」なんて、労力としてはささやかだけれども、息子(や私)の人格や生活の営み方全体をみたときに、「できないこと」なのだと思います。
でも、一般的に言って、できるほうがいいことだろうから、息子や私はダメダメなんだけど、それでいいじゃない、と思っているわけです。

私は、「前日の準備」はまあどうでもいいけど、「言われたときにぱっと立つ」ができないのは許せん、という、統一感のない親なんですね。
そういう親を持った彼は、ラッキーなのかアンラッキーなのか、わかりませんが。

家事は自然に身につくもの?

2009年05月21日 | 「家事」ってなに?
今日は、目黒区の「子どもを伸ばすお手伝い」講座の日でした。
前日夜に、都内で新型インフルエンザの患者が見つかったとの報道に、「これは中止かな」と心配したのですが、無事、3回目を開くことができて、とても嬉しかったです。

どんな場所の、誰を対象とした講座でも、その都度楽しみで、そして緊張し、反省したり学んだりすることがあるものです。
この目黒区の講座は、毎回、行くのが楽しみな講座となりました。

今日の講義のあと、感想文のなかに、疑問や質問がありました。
ブログを見てくれている人とも共有したい内容でした。
長くなるけれども、ここで紹介しますね。

「家事とは、生活の中で自然に身につくものではなく、やはり技術として仕込むものなのでしょうか。であるとすると、親もその技術を持っていないと教えられないですね」

私は、生活技術や生活文化が、家庭で育つうちに、自然に身につくものではなくなったことに、現代の困難があると認識しています。
戦後の生活文化の激変が、戦後3世代経たいまに至って、家庭で自然に身につくこと、受け継ぐことを、家庭から失わせている。
それと同時に、家庭の仕事が電化されて、作業量としては減っていて、母親一人の手でもなんとかこなせる。

理想は「自然に」だけれど、「自然に」とは「何もしない」ということでないのではないかしら。
親が技術(とか、身体の動きとか、家事の流れとか、役割とか……)を意識しないでも身体が動くくらいに身につけている。それらを、やはり意識しないでも口うるさくしつけたり、子どもの手を当てにしたり、「子どもがすること」として組み込んでいて、自然に子どもに伝えている。

そんな自然にいろいろしている状態が、いいなあと思います。

私たちは、戦後から次の時代への橋渡しとして、あるいは明治以来の和魂洋才から(グローバリズムを凌駕するものとしての)ローカリズムへの自信を備えた者として、いま、意識的にいろいろなことをなすことで、「自然に」の生活文化を作り出す役割を持っている気がします。

技術・家庭分野の「学力調査」の報告がありました

2009年05月20日 | 家庭科ムーブメント
国立教育政策研究所が、中学校の技術・家庭科についての学力調査(特定の課題に関する調査)を行い、報告が出ています。
興味がある方は、ぜひごらんになってください。なかなか大部ですが、細かく見ていくとおもしろい調査です。

調査の方法も、ペーパーテストのほかに、実技、コンピューター画面、ビデオ映像と、さまざまな方法を使っています。技術・家庭科の学力調査は41年ぶりだそうです!
そして、実技調査は初めての試みだとも。

家事塾では、とくにお手伝い塾やお片づけ塾など、お子さんになぜ家庭の仕事をさせてほしいのか説明するときに、「生きる力」や「見えない学力」の話をします。
このような調査がなされたこと自体、生活体験に基づく思考力が重要なのだ、という認識が定着していることの表れですね。

私も、もう少し読み込んだら、また改めて内容についての分析を書きますね。

お母さんに対する相反する思い出

2009年05月19日 | 子どもたちのこと
今日は、三鷹市の市民大学事業の「自立をめざす子育て講座~子どもが家を出る日のために~」の2回目に行っていました。

親が子どもにしてあげられることは、なんだろう。
そんなことを考えるワークショップでした。
素材として、「いま、大人になった私が、お母さんに対してありがとうと伝えたい思い出」と「いま、大人になった私が、お母さんに『こうしてほしかった』と伝えたい思い出」をとりあげてみました。

みなさん、改めて思い出しながら、とくにマイナス面の思い出については「でも、私も同じことをやっている」「そういえば、こんなこともあった」といろいろ思うことがあったようですね。

お母さんが与えてくれたものと、与えられていなかった(と感じていた)もの。
それは、いわば裏表であって、どちらも愛情からくるものだったのだなあ、という発見もありました。

そう考えていくと、いま、母親である私たちが、いろいろ思い悩みながら子どもを育てていても、「それでいいのだ」と思えてきませんか。
かつて、子どもだった私たち自身が、親のよい面も足りない面も、すべていったん受け取って育ちながら、自分なりに消化・昇華して、いまがあるんですね。