古から脈々と受け継がれてきた遺伝子の為せる業なのであろうか?
買ってきた折りに膨らんでいたつぼみがあえなく散ってしまっても、次々と小さなつぼみが頭を擡げてきているのだよ。
📸2024年2月6日:茶枯れた花被片を発見。
( 画像のクリックで大きな画像を表示。{戻る}ボタンで元のページに復帰)📸2024年2月12日:乾涸びてきた花被片。
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上記二葉はいずれも再掲の写真であるが、ご覧の通り、日を経るごとにつぼみが崩れていったのがお分かりいただけると思う。
山野草の専門店ではなく、農産物直売所の花売り場などで購入したことを悔いていたのだが、杞憂に過ぎなかったようだ。
最初に見つけたとき、一芽だけだろうと思っていたが、そんなちっぽけな人間の想念など嘲笑うように、また一芽、また一芽と、次々につぼみをあげてきた。
千年、二千年と命をつないできた草々の見事さ、凄まじさを目の当たりにした、なんて言ったら大袈裟だろうか。
こちらは他力本願とでもいうのだろうか、今年、城ノ越園芸店で求めたものが花開いたのだ。そう、自らが育てたモノではないのだよ。
一昨年、昨年と、同所で1ポットずつ購入してきており、花後は坪庭に埋めてある。こちらの方は、いまだ地上には出てきていない。消えちゃったのかな?
一日花ではない。咲くと数日開いたり閉じたりを繰り返し、頃合いを見計らって散っていく。
赤紫のブロッチがとてもチャーミングなフウロソウの仲間なのである。
今日は暖かだという。三月下旬の気候なのだとか。う~んっ、ちと風が冷たいのだが・・・。
野菜の調達のために、サイボク・楽農広場に行った。ちょっと楽しようと、ミートショップにも立ち寄り、ゴールデンポークのメンチを調達した。
せっかくこっち方面に来たのだからと、隣接する都市緑化植物園をのぞいてみた。
バラ園には、忙しそうに立ち働く人々が一所懸命に株の周りに穴を掘っている。肥料を施すのだとか。
バラ園に面した園地に、アカバナマンが咲いていた。
紙テープのような花びらを透かして花の中心部を覗く。四枚の萼片にくっきりと浮かび上がったその容貌は、なぜか猿面のように見える。
ここには、真っ赤に染まる赤花のアセビもある。もうだいぶ膨らんでいたが、開花はまだ先のようだ。
和風低木見本園といえば、いまの時期ウメであろう。
いや、ちょっと遅かったようだ。白梅、紅梅は満開を過ぎ、この枝垂れもちょっと時機を逸したかもしれない。
芝生広場の南側にはアジサイ園がある。その園地の外れでは、フクジュソウを見ることができる。
まだ、早いかなと思ったが、7~8芽ほど萌してきており、この陽気にほだされてか、しっかりと花開いている株もあったよ。
中国中部を原産とするマンサクだからシナマンサク、潔いというか、思慮が足らんというかストレート過ぎる命名だ。
マンサクにはあまり葉が見られないが、シナマンサクは干乾びたような葉を伴なって花を付ける。未練なのか。
おっと、忘れるところであった。バラ園の入口にはハンカチノキがあったのだ。「ハンカチノキ」とは真っ白な2枚の苞葉がはためくことからの命名だが、「幽霊の木」という命名も風にそよぐ苞葉からのインスピレーションなのだろう。
いまの時期は、ご覧の通り、3㎝ほどの球形の実が3~4㎝ほどの果柄にぶら下がってい揺れている。
かつて、この植物園の「緑の相談室」で実を配っていたので頂戴してきたが、芽は出なかった。。。
【ご報告】
昨日の今日だけど、エロディウム・ペラルゴニフォーラムが咲いたのだよ。
原種系エロディウムだそうで、とても花付きがよく、花期も長いのだという。
紙を思わせる花びらの質感が印象的だね。
先日、埼玉・日高にある農産物直売所から連れてきたフクジュソウが乾涸びていく。
大きなつぼみが三つ、誇らしげにポリポットからのぞいていたのだが、鉢への植え替えを済ました途端、日毎に花びらが茶枯れていったのだ。
「ダメだな!」と思った。「このまま乾涸びていくのだな。」とも思った。
それがである、確かに、三つあったつぼみは一枚一枚花びらを落としつつあったのだが、その一つのつぼみのなかに、もう一つ別のつぼみが萌していたのを見つけたのだ。
「天はフクジュソウを見捨て給ふや!」などと怨声を忍ばせていたのだが、そう思っていた自分自身を恥じた。今度こそ、健やかに育ってくれよ。
大方の草々はまだ地上部に姿がなく、鉢は用土が見えるのみである。
ヤブコウジや雪割草、キクザキイチゲや黒葉スミレなど、そのほとんどが今年仕入れたモノばかりである。
そう、猫の額の草々は、まだ長い眠りの中にいる。
この実は、いつ朽ちるのだろう。そして、今年は、何時、つぼみが萌すのか。それまでは、何度も、何度も、この真っ赤な実を撮っておこうと思う。
買ってきた折りにほころんでいた花は、すでに散ってしまった。
しかし、何本かの花茎につぼみが上がってきている。これは、これで、面白いもので、毛むくじゃらなその表情を撮ってみようと思った。
気持ちばかりが先行し、肩に力が入るは、シャッターを押すとその拍子に手がぶれるはで散々な出来だね。
有茎種のクリスマスローズは、葉の形状といい、その色柄といい、とても興味深い。
そう、決して、一様ではないからだ。
この植物、実は品種の同定が出来ていない。「春に咲くノコンギクのような花」として愛媛の花友さんに頂いたのだが、その方もずっと頭を悩ましてきたのだとか。そう、ノコンギクは、基本的に秋咲きなのである。
そこで昨年、「ハナノナ」という人工知能花分類システムを開発している千葉工業大学ステアラボの先生方に「この花なんですか?」と、お伺いしたことがあった。
ご丁寧な返信を戴き、「即答するには難易度が高いが、チョウセンシオンである確率が7割、ノコンギクである確率が3割」とのことであった。改めて、この世界の奥の深さを思い知らされた次第である。
まだ、花などないことは分かっていた。それでも、久々に所沢にある「食の駅」を訪れる前に、ちょこっと覗いてみた。
6日朝にかけて降った雪が、まだいたるところに残っていた。花などないと思っていたが、クリスマスローズが咲いていた。早咲きなんだね。
真っ青な空に、毘沙門堂の銅板葺屋根が浮かんで見える。本物の春がこの社に舞い降りれば、この小径の両側に山野草が咲き乱れる。
いま、毘沙門堂へと通じる小径には、真っ白な祈りの花がたくさん咲いていた。
また、ロウバイの小さな黄色い花に交じって、数限りない願いの花も咲いていた。
ここには、人々の祈願の数だけ、真っ白なペーパーフラワーが咲き乱れている。
毎年、クマガイソウが咲く辺りに、小さな、そう、60~70㎝ほどの地蔵菩薩が佇んでいた。
「地蔵菩薩」とは何か? Web上の用語解説サービスとして知られる「コトバンク」の「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」には、次のような解説が付されている。
「大地のように広大な慈悲で生あるものすべてをすくうという菩薩。」
おみくじを木に結ぶという慣習は、神仏とご縁を結ぶということの思いから発したという説がある(もちろん、木の生命力にあやかりたいとか、諸説ある。)。
真っ白なペーパーフラワーに託された祈りや願いは、慈愛に満ちた円満柔和なお地蔵さんがきっと聞き届けてくれることだろう。