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シアワセ、時々、フシアワセ

人生の折り返しをとうに過ぎた
ワタシの喜怒哀楽

淋しいこと・・・続

2023-06-28 | 日記

前回の続きです

 

祖母の生家の床の間に置かれた骨箱を見て、おばが亡くなったと悟ったワタシ

2日後には兄と父の墓参りに行き、その帰りに2人で寄る予定にしてた

そこは亡き母が気にかけていた親戚宅です(年の差ありますが、母とM姉ちゃんが従姉妹同士になります)

 

共に大阪で暮らしてた頃から行き来があり、ワタシ自身も心やすい間柄

月1に行ってる父の墓参りの帰りに寄って、独り暮らしのおばの様子を見て来ましたが

見てると危なっかしくて… 大丈夫なん… いやいや大丈夫じゃないょ… エンドレス

石油ストーブで湯を沸かしコーヒーを入れてくれる手付き

食卓に無造作に置いてある賞味期限切れの惣菜たち

何度も同じ事を言い何度も同じ事を聞くおば、会話の中から困ってる事がないかを探す

ディサービスも拒否してるし、どうしてあげたらいいんだろうか・・・

ワタシより近くに暮らす、兄や従姉妹にも気にかけてあげて欲しいとお願いしてた

SOSを出せば行政が何かしてくれるのかもしれないけれど(見守りサービス的な)

何故、息子さんは手を差し伸べないのか?

『心配して電話をくれる様な気が利く息子じゃないから・・・』

ワタシも家庭事情は知ってるし、以前おばがそう言ってたから心配してしまう

おばと話す中で

『最近、妹が時々電話くれるし、この前その息子が一緒に外出させてくれたんょ』

そっかぁ。。。(´。`) 90代と80代の姉妹が何とか元気でいて繋がっていて安心した

それはおば宅の日陰に残雪の固まりが残る3月末のことでした

 

おばは週1回タクシーで買物に出掛ける

荷物を玄関に運んでくるから乗ったまま待つ様に・・・と

運転手が戻ってみると、緩い上り坂の上がり口で倒れていて、救急車で大病院へ

転倒して頭を強打、目を覚ますことないまま、当日、19日に旅立った

 

娘であるM姉ちゃんが先立って8ヶ月、おばは1人で良く頑張られたと思います

本当に本当に不謹慎なんですけど

おじやM姉ちゃんの元に行けて、ワタシの母や祖母もいる、あちらの世界

安堵の気持ちさえわいてしまいました( 。-_-。)

孤独死して何日も… 暮らしぶりからしてあり得た、そうでなかったのが幸いとも、勝手に思ってしまいました

 

爺さんが、あと1週間か2週間、もつかどうか・・・

娘と息子に連絡して来たのは、30年近く前に別れた元夫、子供達の父親です

20日に旅立ち、通夜には娘と爺さんと誕生日が同じ孫①(娘が初孫で孫①は初曾孫)と、息子一家

他の孫達は我家でお留守番

行ったものの、今の家族の中で気まずい思いをしていないか、それが少し心配でした

ワタシも知らん顔もできなくてね、花キューピットで花とお悔やみ電報を手配

ちょっと迷いましたが、ずっと交流があり、ただただ感謝の気持ちだけ

元夫家族と今嫁側の身内と娘達の小さなお葬式だったそうです

 

昨日、元夫から、そのお礼の電話がありましたが

孫①が生まれた時が最後かなぁ… 

子供達の人生の節目に電話で話す事はあったけど、今は本人達の気持ちに任せてる

元夫の声… 何年ぶりになるんだろうか…

スマホに名前が出てるのに本人だと思えないほど、声が分かりませんでした!!

別れた元亭主ですもんね、そんなもんでしょーねぇ( ̄∇ ̄;)

(流産や双子を死産、その後に授かった、元夫は独りっ子で大切に育てられた優しい人でしたが、浮気癖アリ)

 

元義母が20数年前に肝癌で亡くなった時にはすでに離婚してましたが

闘病中には子供達を見舞わせて(自分はロビーで待ってる)元気づけたり

最後頃には呼ばれて、生前の元義母を何て呼ぼうか?と思いつつ・・・

「おかあさん… 元気だして治して、今からの子供達の成長を見守って欲しい…」

そう言うと

『まだ、おかあさんって言ってくれるんじゃね』と、涙を流す元義母の顔を今も忘れられません

息子が浮気したのは優しくしてやらん嫁のせい!!なんて言ってたキツイ姑でしたけどね

離婚で切れば簡単に切れた関係でも、関わっていたからこそ、自分も少し報われたし

もっと一緒に過ごしてたら、もっとわかり合えたのかもと、年月を重ね思ったりもします

対面して半月後くらいだったでしょうか

元夫が泣きながら電話をしてきて旅立ちを知り、通夜に母と参列しました

 

元義父は婿養子だったせいか、社交的で明るく人懐こく、誰にでも話しかける人

娘が中学1年生の頃まで、うちに頻繁に泊まりに来ていて、当時はよく嫁の愚痴を言ってたw

その嫁が元夫の浮気相手の1人目と2人目だった人だと、知る事にもなりましたけどね(ーー;)

父ちゃん(夫)含め皆で旅行やバスツアーにも行ったし、変な家族関係ですよねw

子供達が大きくなってからは本人達任せ

ワタシがいつも子供達に言ってたのは

沢山の愛情を注いでもらい良くしてもらったから、きちんと恩返しをするように・・・です

近年で言えば、敷地内同居でも無関心な元夫やその嫁に代わり

前立腺癌の療養、買物等、特に息子と嫁ちゃんは頻繁に関わってきたようでしたし

施設に入所したくて同伴を頼まれた息子の嫁ちゃん、家族でないから駄目だと言われたりして

実の子供がいても頼りたくない、老いた自分では何一つ無理なんだと嘆いていたそう…

思い出すのは、当時、自分の息子が家庭崩壊を招いたのに

『ワシから孫を奪うんかー!!』と、初めて見た温厚な元義父が激怒した姿

バカ親だな・・・そう思いつつも

ワタシの子供達に注いでもらった愛情は感謝でしかなく、心が痛かったんですよね

 

爺さんは息子が大好きで

息子はこの爺さんが大好きで

息子が結婚してからは嫁ちゃんが1人で行ってたり、一緒にあれこれ世話やいてたり

言わずともそうしてる姿に、その気持ちがワタシも嬉しく見守ってました

中々子供に恵まれなかった息子は子供を爺さんに見せたい気持ちが強くって

待望の子供が産まれた日(今は2歳)に爺さんが嬉しそうにワタシに電話をくれました

元気そうな声を聞いたのが自分にはその時が最後

 

爺さん・・・は、もう少しで米寿

元義母が亡くなり

元義父は年の離れた実姉と一緒に暮らしたり、姉を送った後には姉宅の家仕舞もした

(元義父の姉は、元義母の姉妹から風当たりが強かったワタシにいつも優しくしてくれました)

1人で身の回りの事をして過ごし、パチンコと商業施設のテレビの前で仲間と過ごす

息子夫婦を頼らず自立して暮らしてた元義父

病気をしてからも自力で自宅で暮らす元義父の暮らしぶりに

不安を覚えた息子から状況を聞いていましたが

ワタシはもうその立場にないし、家庭内の事は部外者には本当の事はわかりませんもん

子供達には感情だけで動かないようにと忠告した事もありました

最後の最後になって、今嫁さんが3食作り差入れしてくれてたらしい食事

それをビニール袋に入れ車庫に隠してたのが亡くなってから分かったんだそう

病状が悪化してた最後の頃は

『ありがとのぉ』、『ごめんのぉ』、『悪かったのぉ』って

その3つの言葉だけしか言わんかったと、元夫から聞きました

爺さんは最後まで、人に迷惑を掛けたくない思いが強かったのではないかと…

本当に本当に不謹慎なんですけど

元義父の旅立ちも、長い間1人でよく頑張られたと思い、お疲れ様でしたと言いたくなります

ワタシがもっと寛大で良い嫁だったら、また違ってたのかな・・・

淋しいことですが・・・

人は、1人で生まれて、1人で死んでゆく、と改めて深く思い知らされ 

縁があった人生の先輩方の生き様は、自分にとっても学びになりましたし

過去を振り返り、自身を見つめ直す、良い機会を与えられたような気持ちにもなりました

 

おばさん(いつもはおばちゃん♪と呼んでた)、爺さん、心からご冥福をお祈りしています

またいつか、あちらの世界でまた、会えると信じています

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