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シアワセ、時々、フシアワセ

人生の折り返しをとうに過ぎた
ワタシの喜怒哀楽

80歳のおとん

2025-03-12 | 父と継母とわたし

我家の梅の花が・・・やっと咲き始めました

今年は、花芽が沢山ついてて、梅シロップ作る位に実がなったら嬉しいです^^

 

 

今日は父の誕生日

77歳で亡くなりましたが、存命なら…80歳

あちらの世界でどうしてるかな

県境越えの雪の心配がなくなったから、近いうちにお墓参りに行こうと思います(´。`)

 

私達3兄弟の父親は、血の気の多い短気な人

我行動の果て、逆ギレして出てって、熟年離婚&再婚した身勝手な人

物理的には近いはずなのに、母と同様に、私には遠い人、そんな父でした

 

父は認知症で精神科に入れられ、膵臓癌を患い帰らぬ人になりましたが

連絡が取れなくなり、携帯だけで繋がっていたから居所もわからない

やっと父が置かれた状況を知った頃にはコロナ過

生前の父を見舞うこともなく、一報受けて、弟と一緒に対面した亡骸

嫁家族は学会なんで友人葬って言うのかな、嫁家族と私達だけの直葬式

パンチしか見た事なかった頭が素髪で、数年ぶりに見る死顔はとても穏やかで若かった

人生の殆どを、大工として頑張った職人の手を

最後に一目見て握りたかったけれど、顔の小窓しか開かなく

物心ついてから1度も手を繋いだ記憶のない娘の望みは叶いませんでした

 

その4年前

母の葬儀に来なかった父と、父と10年以上疎遠だった兄を繋げた

それは母に手を合わせてやって欲しい

兄の力にもなってあげて欲しい

そう思いましたが

母の農機具を売って、得たお金の殆どを父が横取り、世間知らずの兄は気付かぬまま

仕事はないか?と言う父に、兄は屋根の修理を、大工仕事を頼んだ

それも、お金だけもらって、熱いだの何だのって途中で放棄

人が亡くなった後の諸々

自分の長男が大変な時に… そんな親心もないのかと情けなくて悔しくてたまらなかった

数え切れない程の事までが脳裏に浮かぶ

それ以降、父からの電話には出ないことにした

今となっては消せない父の声、その頃の父の声が何件も留守番電話に残ってる

 

突然に、嫁の代理だと、嫁の長男から、短期スティでホーム居ると聞かされる

その後

父は電話だけだと普通の様、でも居場所を言わない

言わないんじゃなくて、言えない事に私は気付いていなかった

状況が中々見えない中で分かったのは、父は認知症らしいって事でした

 

父からの電話は

生前最後の会話となってしまいましたが

それ前提で、父の話に耳を傾け、話しを合わせ、電話口で笑い合った

『アホかお前っ、ワシの事、ボケとる思っとるやろぉ~、ちゃうで!w』

忘れてるはずの大阪弁(それもまぜこぜ)で、父はご機嫌さんで、私もご機嫌さんで

また電話するわ、と言って切りました

それ以降は繋がらず・・・

それは父が亡くなる前の年の1月のこと

口には出してませんが、その日は亡母の誕生日でもあったんです

 

ボケてる父相手に腹を立てて、言いたい事言って、あっちかこっちが一方的に電話を切って

それっきり・・・

父娘の最後の会話が、そうならなかった事に救われています

 

母の時と同様に、暫くの間、父の遺骨を自宅に持帰ってた私

スカスカになってる父のお骨の上に、手元にある母の遺灰をパラリ

私なりの供養

まだ母が存命だった、亡くなる前の年のこと

父が暮らす地方で仕事してた夫が、私には内緒で父をバイトに使い

父が母を誘って、元夫婦は車で乗り合わせて通って来てたらしい←私はずっと後に聞いた

自分と母のバイト代が同額な事に不満を言いつつ、夫婦漫才な2人のテンション

高校生カップルみたいな、仲の良い2人の姿が忘れられんって、夫は今でも言う

たまに会えば良いんだけど、、、(-.-)

 

この元夫婦は

あちらの世界で会えたのか、何を思い、今どうしてるのかなって

いなくなっても、まだ、そんな事を思ってしまう私です

 

去年6月、学会の嫁さんには三回忌の概念はなく、何もしてあげていませんが

弟の都合がつき3兄弟揃っての初のお墓参り、とても緊張する一時で

嫁さん所にも寄って遺影に手を合せて帰りました

 

私は普通が1番いいと思ってて、でも色々普通じゃなくて、普通に近づけたくて苦戦してきた

人生いろいろです

どんな父であっても父親はおとんだけ

感謝して、父の好物だった【おはぎ】をお供えして、本日終了(´。`)

またいつか

逢いたい人とまた逢えると信じて、私も頑張ろうと思います

 

今日もありがとうございました

 

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父と継母とわたし 2

2023-02-14 | 父と継母とわたし

 ↑ 去年の今頃、フワフワの綿雪が積もりました

今日の我地方は寒くて、時折、小雪が舞っています

 

昨日、祝袋を持って娘宅に行くと、家の前にトラックが止まっていてPに入れない

何事かと思いきや、孫①の机を届けに来た業者さんでした

  

頭の形が一緒(孫②と④)で《恐るべし!DNA》と思った、じいちゃん(婿殿の父)からの贈り物

良かったね~♪ 昨日13日は誕生日だったから、大きな誕生日プレゼントじゃね♡

孫①は父ちゃん(夫)の縁者の人、娘の爺ちゃん(前夫の父・87歳でお元気です)とも同じ誕生日

昨日は、みんな揃って、1つ大きくなりましたね~(笑´∀`)

父ちゃんはじぃじw、婿殿パパはじいちゃんw、孫達は使い分けてるみたいで

貧乏じぃじと金持ちじぃじ、でなくて良かったわぁwww( ̄∇ ̄;)

因みに婿殿パパは40歳代で結婚したから現在77歳です

婿殿(32歳)と妹が小学生の頃に、2人置いて、実母は連れ子だった兄2人と出て行ったんだそぅ

以降、婿殿パパは再婚もせずに会社を興して子供達を育てた、凄い人だと思います

婿殿は母親の愛情を殆ど覚えていないと言いますが(それ以来会ってなく所在不明だそう)

親になった今、感心するほどのイクメンぶりは、婿殿パパの元で育ったからだと思うんです

因みに、去年亡くなった父と婿殿パパは、共に昭和20年生まれの同い年(*゚ロ゚)

そう考えると、人によると言いますか、ただただ驚きしかないワタシです

 

 

さて、 父と継母とわたし1 からの続き

 

あれから半年、1年、父からの電話に一切出なかったワタシ

(留守電に残る『時間がある時に電話下さい』と言う父の声を聞くと、今でも心が痛みます)

夫と息子に、父からの着信履歴がズラリ、かけ直すと出ないらしい

たまには繋がり、やはり『仕事はないか』と言う

(もう知らん(`へ´)と距離を取りつつも、2人から度々聞く父の近況には複雑な思いでした)

息子の所にまで電話して欲しくなくて、文句の1つでも言ってやろうと久しぶりに連絡すると

嫁はパートの仕事、血の繋がらない孫と3人、何とか暮らしてると

相変わらずケロッとちゃんで、悪気無く話す父は機嫌も良く元気そうでした

 

2級建築士の父は弟子を育てる指導員の資格もあり、高度成長期の建設ラッシュで多忙だった

田舎にUターン後に異業種の会社員になった時期もあったけれど

やっぱり職人、人に使われるのは向いていない

ハウスメーカーが増え1から造る建築の仕事が減っていくのは時代の流れ

縁者の家の増改築を請負つつ、夏はエアコン設置、様々な事を器用にしてたと記憶しています

 

仕事仕事って言われてもね・・・父の歳ではそう簡単な事ではありません(._.)

かけてきた年金も国民年金が殆どで厚生年金は少ない

市営住宅に暮らし、嫁と孫とのかつかつの生活

当時74歳位だったと思います

 

その頃から何か心配になって、父に時々、連絡するようにしてました

亡母が、自分は兄にみてもらうけど、あの人は私と弟がみてくれたらいい

母と深い繋がりがあった人から聞いていた、母の遺言の1つでもあったのです

 

父に顔を見に行くと伝えても父は居所を言わない、会話に??が増えていきます

(歳相応の物忘れであろうと、認知症とは全く気付かなかった頃です)

『社長に良くしてもらってて、大工仕事をしながら衣食住を面倒みてもらってる』

何処かで住み込みでも始めたんだろうか?

何か知られたくない事情があるから居所を言わないんだろうか?

『お父さんの所に遊びに来い』と言うから場所を聞くと『〇〇交番で聞けばわかる』と言う

この頃はこんなやり取りばっかり、父と娘を繋ぐ物はスマホだけ;

定期的に連絡して父の様子を探る一方で思いついたのは

シルバーセンターや福祉の作業所、居住地の福祉の相談窓口

何か情報が得られるかも?

問い合せるが、電話だからか、どこも不審がってまともに取り合ってもらえない

携帯番号だけだし、大まかな地域だけで現住所がわからない(10年あまりの間に何回も転居してるから)

前回にも書いた

繋がりを持とうとしなかった、父の嫁の連絡先は知るよしも無い

父の実家の叔父や叔母に聞いても同様、ふらっと立寄る事があっても自宅は分からないと言う

もぅ、どうしたもんかと思いましたょ

だれも父と疎遠ではないのに・・・電話番号しか知らないんです

最後の手段で戸籍を辿ろうとすると、叔父も叔母も知らない、自分の実家に本籍を戻してた

そこから戸籍謄本や戸籍の附票を取寄せて、父の自宅住所を特定

(母と離婚後、自分の実家に本籍を戻すが、姓は旧姓に戻さず婿養子で入った母の姓のまま嫁と再婚していた)

その後、ある時

父が、その社長とやらが側にいると言うので、電話を代わってもらうと

予想だにしてなかった、社長とはグループホームの担当介護士(若い男性)の事だったのです

後日話す事ができた施設長(女性)、父の詳細を詳しく話して下さり、事情が判明

嫁が持病の悪化で入院する事になり、養育してた当時小学生だった孫は母親に戻され

急遽、父は近くの施設でショートスティ

身体は元気な父、そこでは建具の建付けをちゃちゃっと直したりもしたらしく

壊れ始めた父でも、昔取った杵柄は身体が覚えていたのでしょう

父の言う大工仕事って、まんざら嘘でもなかったのです

施設長には、私が問い合せた事を父の家族には極秘にしてもらい

利用料の支払いで何か問題が起きたら連絡下さいとお願いしておきました

 

ずいぶん経ってから知った事ですが

夫の手伝いで山口にいた(2018年1月~3月頃)年の暮れには、お金の計算が難しくなった

(5月に母が急逝し、その頃に1度ほど会った父が、私が見た生前最後の姿になりました)

父の嫁が覚えてる

初めて感じた《お父さんが何かおかしい》と思った瞬間だったそうです

その翌年には、車で行った先で帰り方が分からなくなり、本人も困惑する事が増えてゆく

勝手に出て行くので目が離せなくなり、夜は睡眠薬で眠らせる

どこを目指していたのか、国道のど真ん中を歩いていて通報され、警察が保護した

『〇〇交番で聞けばわかる』とワタシに言った父

何度かお世話になってたらしく、家が分からなくなっても交番は覚えてたんでしょう

私自身は、たまに電話で話す父が認知症だなんて、思ってもいなく

車関係か、短気な父がキレてトラブルか何かで世話になったのかと思っていました

 

2020年12月、施設長と話した数日後、突然父の嫁の息子と名乗る人が電話をして来て

【あなたのお父さんが認知症で施設に入られたのでお知らせします】

年をまたいだ翌月頃

2回目の電話をしてきた嫁の長男に言われたのが

【あなたのお父さんが入所された施設の保証人と利用料を負担して頂きたい】

どちらの時も

母親に頼まれて連絡してきてるので、こちらの問いに即答できるだけの情報がない

 

将来、起こるかもしれないことの為に、付合いをしておくべきだったのに

それをしてこなかった父の嫁さん

こんな事になってから連絡して来て、それもね、本人ではなく息子に連絡させてる

【母が、娘さん(ワタシ)の事が怖い!と言ってるので代わりに電話した】のだそう

父が自分の娘達と交流を持ち、嫁自身も含め、大なり小なり得たものがあったはず

怖いって何なんだろうか( ・_・;)

父の命や将来に関わる事を、何も言って来なかったのはどうかと思うんです

結局、困った事が発生して、自分ではどうにもならなくなって、息子にまで頼む

意地も意気地も無い人

 

もっと早く連絡して来てくれたら・・・と今でも思う

父が生きてる間にひと目会いたかったし、また何かが違ったんじゃないかって(´。`)

自分の知らない父の一面を知るために

娘として最善を尽くすにはどうしたらいいんだろうか

どうしようもない父をもつワタシには、沢山の葛藤があったのでした

 

つづく

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父と継母とわたし 1

2023-02-07 | 父と継母とわたし

ずっと向こうに見えるのは中国地方最高峰、鳥取県の大山です

ズーム! 今回もガスっててよく見えませんね^^;

標高の高さや景観の美しさ、雄々しく聳えるその様から「東の富士山、西の大山」と言われる山

 

ここのスキー場、2月1日で175㎝、今日は140㎝ですって

娘夫婦は平日に2人でスノボに行こうと思ってるらしく

去年から3人の孫守を頼まれてますが、誰かしら風邪ひいてて、まだ未定なんです(^◇^;)

婿殿はプロゴルファーを目指した頃もあり、今でも月2・3回は接待ゴルフのお相手

娘は中高とバスケ、今も社会人チームで月2・3回は汗流してる(33歳、最年長に近いらしい;)

互いが時間を作って、家庭や子供から離れ、好きなことでストレス発散をする

お約束事を決めて夫婦でやりくりしている様です(*^-^*)今時の夫婦ね

幼稚園児の孫娘達も週1でスポーツ教室に通っていて、それなりに楽しそうです

ワタシが子供の頃の習い事と言えば、習字やそろばん

中にはピアノやスケートやバイオリン習ってる友達もいましたが

時代も随分と様変わりしましたね(笑´∀`)

 

日曜日

相続の書類を持って、やっと亡父の嫁さんの所へ行く事ができました(父の墓参りも)

↓ あの山、父ちゃん(夫)のうしろ頭みたいなね( ̄∇ ̄*)って言いながら~www

(落葉樹の葉が落ち、地面に雪が積もってるから~ 地肌が目立つって意味ね^^;フフッ)

今は4WDの車を持ってなくて、用事も無いのに豪雪地帯へ行く事はないですが

昔はね、雪が降ったら山へ『雪見ツアー♪』だと、嬉しげにドライブに出掛けてた我家

ウインタースポーツする訳じゃないのにね、ちょっとテンションが上がるのですょw

犬達が一緒だったら何処かで雪遊び♪をしますが、今回はみんなお留守番

さっさと用事を済ませましょぅ

 

・・・父と継母とわたし・・・

亡父の嫁さんって事は、ワタシにとっては継母

ママハハか・・・( ̄。 ̄;)

この人、どんな人かと言うと・・・一言でいうと意地も意気地もない人 キツイ?(..;)

まぁ、でも、去年77歳で逝った、破天荒な父と最後まで一緒にいてくれた人だから

娘としては少なからず感謝の気持ちもあります

本人は死んでしまいましたが

残された者にとっては終わった事でも無くて、今現在だって色々と思う事がある

重い話になるかもしれませんが、時々、毒を吐かせてください

 

 

現在の、父ちゃん(夫)とワタシと同じ歳の頃になるので不思議に感じますが(うちも9歳の年の差)

9歳違いの2人が再婚したのは、亡父63歳で嫁さんが54歳の頃

(今69歳、前夫とは30歳代で死別し息子と娘あり、娘が育児放棄した男の子(現在中学生)を父と一緒に育てていた)

当初から何度か一緒に食事をする機会があったけど、嫁はいつも来なかった

父が、溺愛していた嫁の孫息子を連れて、2人で来る事が多かったです

我家へ、父と嫁、2人で泊まった事が過去に2回、でもあまり印象に残っていません

ワタシ自身は父も歳を取って行くし

父と嫁とは、それなりの付合いは必要だと思い友好的に接してましたが

父とのみ、年1回会う位だったかな

嫁は両親の熟年離婚に直接関わった人ではない、自分自身は割り切って付合ってましたょ

でも彼女は、父の娘であるワタシとは、あまり接点を持ちたく無かったのかもしれません

 

当時70歳を過ぎた父の口癖は『何か仕事はないか?』

ワタシに、夫に、息子に、頻繁に電話をかけてくる様になります

それで父が時々うちに泊まり込んで夫を手伝ったり

出張先に父を連れて行ってバイトしてもらったり、って事がありました

最後は、山口に半年間滞在してた夫のもとへ手伝いに行った父

当時は本当に仕事が無くて

娘に車を買取って詐欺?実の娘を騙す様なマネをする、生活費に困ってる様でした

父1人なら援助する気持ちもありましたが、父の家の生活費をワタシは負担する気は無い

とち狂って出て行って、あのまま家にいたら、こんな情けない事にはなっていないと思う

そう思うと、母が可哀想すぎて、積極的支援はしたくない

 

器用で何でも出来る大工の父は、身体は元気で働く意力はある

ゴロゴロしてる姿を見た事が無い、止まったら死ぬ、マグロの様な人間でしたからね

だから無理の無いように夫の手元作業、3食温泉付のホテル暮しは悪くなかったと思います

短気で頑固者の父も、夫の言う事は良く聞いてたようだし、夫もよくしてくれましたが

夫任せでワタシは関わっていませんでした

 

そんな中、夫の携帯に嫁が電話してきたんだそう

いつもお世話になってますとか、お礼ひとつ無く、いきなりの開口一番が

『お父さんのバイト代を先に、〇〇銀行に振り込んで』ぶっきらぼうに言ったらしい

常識が無いとゆうか、物の言い方を知らんとゆうか・・・

(先払いしたのにホームシックで中途放棄し帰った事があるから、ワタシは先払いには反対だったのです)

父が夫に自分で言いにくいから嫁に頼んだのかもしれませんが、ムッとしました(`へ´)

その後・・・

母が急逝し、父と久しぶりに会う為に父の実家で待ち合わせました

ワタシが出来る最後の1つとして、疎遠だった兄と父とを繋げておく為だったんですが

この時もすっぽかされたりしてすったもんだしたのです

相変わらず無責任で自分勝手な人だと、さすがのワタシも愛想が尽き凹みました

それでも何だかんだ言って連絡してくる

ワタシの所に来たい(嫁と離婚して転居してくる)と言うから色々準備してると

血の繋がらない孫(嫁の娘の子)と離れたくないから無理だと言い出した

本当に自分勝手で我儘な人で、もう好きにして。。。空しく感じたのを思い出します

 

父は3人の実子のうち弟だけは溺愛してましたが、女の子より男の子がいい人

赤ちゃんだったワタシを抱いた写真もないし、手を繋いでもらった記憶すらない父

子の親になってはいけない人で、犬だって無責任に飼っては棄てを繰り返していた人です

もっと言うなら

私達3兄妹が別々に育ったのも父が原因で、親戚縁者と近所と、沢山のトラブルを作り

母と離婚した原因も

家の一部の立退きの大金を面倒な女に使い込み、逆ギレ(反社の元妻らしく手切金だと持ってかれた;)

激高して勝手に離婚届を出さないよう、母を役場に連れて行き届けを出させたワタシ

家庭裁判所に申し立て

父が反省するようなら復縁も視野に、第三者に間に入ってもらい円満に解決すればとも願った

父自身も、嫁と生活を共にしつつも私達を呼び出し、元の鞘に戻れる様、協力を求めていたり

揺らいでた時期もあったと思う

でも結局ね、父の言い分は兄に頭を下げたくない、家族単位ではない問題に膨らんでいたから

身の回りの荷物も、もっと大きな荷物も、溺愛していた兄の子供達も

みんなほったらかして出て行った

その当時、兄妹弟、うちの夫も含め、憔悴してる母を家族みんなで守ろうとしたょ

本人には内緒のサプライズ、温泉施設で盛大に母の還暦祝い

残された者で協力し合って、力を合わせて頑張ろうと団結し皆で号泣した

 

父は1人が嫌で、女の人がいないと生きて行かれない男なんだと思います

ワタシだったら・・・

こんな旦那はいらないですけどね(´。`)

 

でも、どんな父であっても、添い遂げたい思いが強かった母は昭和の女なのでしょう

家族を巻き込んで振り回し、自分本位に自由奔放な思い付きの人生を歩んだ父

父って、本当はどんな人間だったんだろうか・・・ワタシは欠点しか知らない

いつも怒ってる、自分が1番正しい、母もワタシも機嫌を損ねない様にビクビクしていた

母は母で、子供だったワタシに父への怒りの矛先を向けた

父がいたから今の自分があると思いつつ、でも、反面教師でしかないんです

父が亡くなって早7ヶ月

母とは正反対にも思える継母と過ごした日々を知りたくて

継母との関係は一長一短ありながらも、これからも気にかけてしまうのかもしれません

 

つづく

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