我家の梅の花が・・・やっと咲き始めました
今年は、花芽が沢山ついてて、梅シロップ作る位に実がなったら嬉しいです^^
今日は父の誕生日
77歳で亡くなりましたが、存命なら…80歳
あちらの世界でどうしてるかな
県境越えの雪の心配がなくなったから、近いうちにお墓参りに行こうと思います(´。`)
私達3兄弟の父親は、血の気の多い短気な人
我行動の果て、逆ギレして出てって、熟年離婚&再婚した身勝手な人
物理的には近いはずなのに、母と同様に、私には遠い人、そんな父でした
父は認知症で精神科に入れられ、膵臓癌を患い帰らぬ人になりましたが
連絡が取れなくなり、携帯だけで繋がっていたから居所もわからない
やっと父が置かれた状況を知った頃にはコロナ過
生前の父を見舞うこともなく、一報受けて、弟と一緒に対面した亡骸
嫁家族は学会なんで友人葬って言うのかな、嫁家族と私達だけの直葬式
パンチしか見た事なかった頭が素髪で、数年ぶりに見る死顔はとても穏やかで若かった
人生の殆どを、大工として頑張った職人の手を
最後に一目見て握りたかったけれど、顔の小窓しか開かなく
物心ついてから1度も手を繋いだ記憶のない娘の望みは叶いませんでした
その4年前
母の葬儀に来なかった父と、父と10年以上疎遠だった兄を繋げた
それは母に手を合わせてやって欲しい
兄の力にもなってあげて欲しい
そう思いましたが
母の農機具を売って、得たお金の殆どを父が横取り、世間知らずの兄は気付かぬまま
仕事はないか?と言う父に、兄は屋根の修理を、大工仕事を頼んだ
それも、お金だけもらって、熱いだの何だのって途中で放棄
人が亡くなった後の諸々
自分の長男が大変な時に… そんな親心もないのかと情けなくて悔しくてたまらなかった
数え切れない程の事までが脳裏に浮かぶ
それ以降、父からの電話には出ないことにした
今となっては消せない父の声、その頃の父の声が何件も留守番電話に残ってる
突然に、嫁の代理だと、嫁の長男から、短期スティでホーム居ると聞かされる
その後
父は電話だけだと普通の様、でも居場所を言わない
言わないんじゃなくて、言えない事に私は気付いていなかった
状況が中々見えない中で分かったのは、父は認知症らしいって事でした
父からの電話は
生前最後の会話となってしまいましたが
それ前提で、父の話に耳を傾け、話しを合わせ、電話口で笑い合った
『アホかお前っ、ワシの事、ボケとる思っとるやろぉ~、ちゃうで!w』
忘れてるはずの大阪弁(それもまぜこぜ)で、父はご機嫌さんで、私もご機嫌さんで
また電話するわ、と言って切りました
それ以降は繋がらず・・・
それは父が亡くなる前の年の1月のこと
口には出してませんが、その日は亡母の誕生日でもあったんです
ボケてる父相手に腹を立てて、言いたい事言って、あっちかこっちが一方的に電話を切って
それっきり・・・
父娘の最後の会話が、そうならなかった事に救われています
母の時と同様に、暫くの間、父の遺骨を自宅に持帰ってた私
スカスカになってる父のお骨の上に、手元にある母の遺灰をパラリ
私なりの供養
まだ母が存命だった、亡くなる前の年のこと
父が暮らす地方で仕事してた夫が、私には内緒で父をバイトに使い
父が母を誘って、元夫婦は車で乗り合わせて通って来てたらしい←私はずっと後に聞いた
自分と母のバイト代が同額な事に不満を言いつつ、夫婦漫才な2人のテンション
高校生カップルみたいな、仲の良い2人の姿が忘れられんって、夫は今でも言う
たまに会えば良いんだけど、、、(-.-)
この元夫婦は
あちらの世界で会えたのか、何を思い、今どうしてるのかなって
いなくなっても、まだ、そんな事を思ってしまう私です
去年6月、学会の嫁さんには三回忌の概念はなく、何もしてあげていませんが
弟の都合がつき3兄弟揃っての初のお墓参り、とても緊張する一時で
嫁さん所にも寄って遺影に手を合せて帰りました
私は普通が1番いいと思ってて、でも色々普通じゃなくて、普通に近づけたくて苦戦してきた
人生いろいろです
どんな父であっても父親はおとんだけ
感謝して、父の好物だった【おはぎ】をお供えして、本日終了(´。`)
またいつか
逢いたい人とまた逢えると信じて、私も頑張ろうと思います
今日もありがとうございました