メンタルヘルス…足立から発進

メンタルヘルスに関するボランティア活動や介護を担う人達とのビアサポートをお伝えします。

第19回家族を介護する人をつなぐ会のお知らせ

2015年10月28日 | 介護支援


「家族を介護する人をつなぐ会」からのお知らせです。

介護を取り巻く厳しい環境の中、個々の介護者で介護を完結するのに限界があるのは明らかです。
地域で支えあって、介護者同士が日々の想いを打ち明け合い、生きがいを感じられるような介護のあり方を共に考えていけるような場を作りたい。
そんな思いに心を揺り動かされて当会を立ち上げた発起人は、4月から研修医としてスタートした新井宏和です。
活動場所は梅島駅近くのエルソフィアです。毎回、講師を招いて介護に関する講習会 を開催しています。

講演会開催のお知らせです。
「第19回 家族を介護する人のつどい」
場 所 エルソフィア 第3学習室
日 時 10月31日(土)13:30~16:00
テーマ 「認知症の薬について」
講 師 大内病院 認知症疾患医療センター事務局長 看護師 井手 順子さん 
参加費 200円(会場使用料として)
定員 35名程度

介護に関心がある方は是非おいで下さい。お待ちしております。
問い合わせ先
080-5477-9408(長崎富美男)


内閣府初調査・・・認知症になったら

2015年10月27日 | 介護支援

認知症になったら施設47% 政府、初の意識調査
2015年10月26日 (月)配信共同通信社

 自分が認知症になった場合、介護施設で暮らすことを希望する人が47・7%と半数近くに上ることが23日、内閣府が初めて実施した意識調査で分かった。一方、今まで暮らしてきた地域での生活を希望する人は43・7%と結果が二分した。

 調査は認知症に関する国民の意識を探るため、9月に全国の20歳以上の3千人を対象に個別面接形式で実施。1682人から回答を得た。

 介護施設で暮らしたい人は、「周りの人に迷惑をかけてしまうから」(27・5%)、「身の回りのことができなくなってしまうから」(20・2%)などと回答した。

 地域での生活を希望する場合は「医療・介護などのサポートを利用したい」が30・3%、「できないことを自分で工夫して、自立的に生活したい」が13・4%だった。

 国や自治体に求める施策を複数回答で尋ねたところ、介護施設の充実が62・2%で最多だった。

 厚生労働省は、今年1月に策定した認知症対策の国家戦略で、認知症の人が住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けられる社会の実現を掲げる。同省は「今後の取り組みの参考にしたい」としている。



認知症 「生活できる」4割 家族の負担、7割が不安 内閣府初調査
2015年10月26日 (月)配信毎日新聞社

認知症:「生活できる」4割 家族の負担、7割が不安 内閣府初調査

 内閣府は23日、認知症に関する初めての世論調査の結果を発表した。認知症の人と接したことがある人は56・4%で、認知症について「医療・介護のサポートを利用して今まで暮らしてきた地域で生活できる」などの肯定的な選択肢を選んだ割合は、認知症の人と接したことがない人より高く、認知症に対し前向きなイメージを持っている傾向が浮かんだ。【山田泰蔵】

 調査は先月、全国の20歳以上の3000人を対象に面接で行い、1682人(56・1%)から回答を得た。

 認知症に接したことがある人のうち、家族や親戚に認知症の人がいるか、いた人が約4割、近所付き合いで接した人が33・5%、医療や介護以外の仕事で接した人が17・8%。接したことがない人は43・3%だった。

 認知症のイメージは、回答者全体では、認知症になっても「今まで通り自立的に生活できる」が6・8%、「サポートを利用しながら今まで暮らしてきた地域で生活できる」が33・5%で、肯定的な二つの選択肢は計40・3%。接したことがある人でみると計45・5%で、ない人の計33・7%を大きく上回った。

 一方、認知症になると「身の回りのことができなくなり介護施設に入る必要がある」35・9%▽「暴言や暴力などで迷惑をかけ、地域での生活が難しくなる」7・6%▽「何もできなくなってしまう」10・9%――だった。

 また、認知症になったとしたら、どのような不安を感じるかの質問(複数回答)では、「家族に負担をかけるのでは」が74・9%と突出し、「家族以外の周りの人に迷惑をかけるのでは」も56・5%と多かった。「これまでできていたことができなくなるのでは」56・8%▽「家族や思い出を忘れてしまうのでは」55・8%――など自分の状況への不安より、家族や周囲の人への影響を心配する傾向が強いことが特徴的だった。

 認知症施策を担う厚生労働省は「認知症に対する画一的、否定的なイメージを払拭(ふっしょく)する施策を進め、一層社会の理解を深めていきたい」としている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
認知症といっても、その症状は多様でしょうし、症状、進行の加減によってかわってくるのでしょう。私がお手伝いに行っている施設はとっても広くて機能的で、職員の方達も行き届いています。私が入所するのだったら、室内での手仕事や読書で過ごせるし、何よりも苦手な家事をしなくていいかななんて思ったりもします。明るいホームでも施錠されていて、自由に屋上や外に出られません。安全対策から当然のことなのですが。足腰が不自由になったら、いいかもと思いつつ、散歩や外での交流が好きであったら、お勧めできません。ただ、認知症はどのような経過をたどるのか、私にはわかりません。本当に困ったときに、病院ではない、安心できる施設に緊急入所できたら、そういう選択肢の多い運用を期待します。


病気との闘い続けて.・・・ ザ!世界仰天ニュース

2015年10月23日 | ニュース(精神)
ザ!世界仰天ニュース「脳と心の不思議スペシャル!」【10月21日放送】
2015年10月22日 (木)配信Live on TV

10月21日(水)21時00分~21時54分/日本テレビ

 顔でないものを顔だと認識する現象をシミュラクラ現象といい、人や動物の目と口は逆三角形に配置されているため、点や線が三角形に並ぶと人の脳は顔と判断する。また、お面の後ろ側が突き出て見える現象をホロウマスク錯視といい、人は顔が前に出ている認識があるので、凹面の顔が通常の凸面の顔に見える錯覚を引き起こす。

誰かが自分を監視している

 統合失調症と戦っている佐久本庸介さんは友達を笑わせるのが好きな男の子だった。中学生になり肌が弱かった庸介さんは、頭を掻くクセもありフケが目立っていた。このフケが原因でイジメの対象となり友達とも距離を置くようになった。高校でも友人は出来ず、変わり者のレッテルが貼られた。大学に進み自分を変えたいと思っていたが、何をしていいのか分からなかった。

 19歳の夏、薬を塗っていると誰かに話しかけられたような声が聞こえた。それは庸介さんの隣の部屋に住む男性の声だった。1ヶ月後、前回よりはっきりした声で隣のカップルの声が聞こえ監視していると思うようになった。探偵を雇いたかったが金がなく、徘徊するようになり、庸介さんの父は、そんな事はあり得ないと思いながら部屋を調べたが、何も見つからず引っ越しをした。大学に残った庸介さんだったが、頭の中で聞こえる悪口はエスカレートしていった。

 庸介は統合失調症だった。20歳前後で発症することが多く、日本には7935万人の通院患者と10万人以上の入院患者がいる。原因は不明だが、脳内神経伝達物質のバランスがくずれて起きるという。妄想や幻聴が現れる。本人には、幻聴と区別がつかなくなるという。

 庸介の症状はエスカレートし、みられているというプレッシャーの中で強いストレスを感じていた。眠れない日々が続き、精神が蝕まれていった。ひとりごとが増え、まわりの反応で、自分がおかしいと思われていることに気づいた。同級生が両親に連絡し、精神病院へ入院することになった。統合失調症の治療は、投薬と、心理的な治療だ。

 入院時、無気力感と、意欲が低下していた。陰性症状といわれるもので、なにもやる気がおきず、手が震える。病状が治まり、本人の希望で退院したが、またもや幻聴が聞こえてきた。家族も庸介を励ましたが、それがさらに追い詰めてしまった。2か月後、ふたたび入院。薬が効かなくなり、一度、やめてみることになった。個人差があるのだという。

 ある日、友人からもらった小説を読んでみると、夢中になり、読んでいる間は症状がおさまることがわかった。医師のすすめでデイケアにも通い始めた。そこで、10歳上の男性スタッフに出会った。

 2004年1月、成人式に出席できず社会に適合していない人間だと悩んでいた庸介さんをスタッフが励ました。そして21歳の時、『アルジャーノンに花束を』と出会い小説が書きたくなり、読書サークルに投稿を行った。すると評価を受け、その評価が元気をくれた。

 小説を書く事は庸介さんの元気の源になっていた。

 統合失調症と闘い続ける佐久本庸介さんが病気について「うまく人と付き合えなかったから、多分人を信頼しきれなかったところがあると思いますね。今みたいに何かあったら人に助けを求めて、お互い助けあってやればもっと前に進めたんじゃないかと。どんな困難でも対処できたんじゃないかって思いますね。本当に色んな方に助けて頂いていて、数えきれないぐらいの感謝を言わなきゃいけないぐらいなんですけど」と語った。

 庸介さんは出版社が行ったコンテストで新人賞を受賞し、作家デビューを果たした。作品は自分の体験を元に執筆した「青春ロボット」。現在、次回作を執筆中だという。

認知症などの身元不明者公表せず…東京・神奈川

2015年10月19日 | ニュース(介護)
身元不明者:保護97人公表せず 東京・神奈川、「個人情報」理由
http://mainichi.jp/shimen/news/20151019ddm001040193000c.html?fm=mnm
毎日新聞 2015年10月19日 東京朝刊

 認知症などで保護され身元が分からない人の情報を載せるインターネットの特設サイトに東京都と神奈川県が各1人分しか公表していないにもかかわらず、実際にはそれぞれ49人と50人の身元不明者がいたことが分かった。公表が進まない理由として両都県は個人情報保護条例の制約を挙げるが、他の自治体は公表して身元判明にも結びついていることから、専門家は両都県の対応を厳しく批判している。

 身元不明のまま保護されている人を巡っては、厚生労働省が昨年、各都道府県を通じて初めて全国調査し、昨年5月時点で34都道府県に346人いることが判明した。こうしたことから厚労省は昨年8月、家族による捜索に役立ててもらおうと、ホームページ内に設置した特設サイトに個別の情報を掲載するよう各都道府県に呼び掛けた。

 千葉県や静岡県が写真や保護時の状況など何らかの情報を全員分公表する一方、東京の掲載は稲城市で保護された1人、神奈川は鎌倉市の1人のみで、管内の身元不明者総数すら公表していない。毎日新聞が両都県に情報公開請求したところ、性別や推定年齢、身元確認につながる「有力情報」などの個別内容は黒塗りされたが、昨年5月時点の市区町村別の人数は開示され、東京は計49人、神奈川は計50人いた。

 大半の身元不明者を公表していないことについて両都県は、個人情報保護条例に本人の同意がなければ第三者への情報提供を制限するなどの規定があることを挙げた。その上で、東京は「掲載するかしないかは保護した市区町村の判断」、神奈川は「公表の意思を確認できない人は非掲載」と説明している。

 一方、全員分の情報を公表した千葉はこれまで6人中3人、静岡は17人中5人の身元が判明した。また、大阪府は今年5月、性別や推定年齢などの情報掲載は法令に抵触しないと通知し、市町村に積極的な公表を要請。その結果、39人中38人の性別や推定年齢、身長、体重、保護年月、当時の服装、所持品などが現在公表されている。

 厚労省も6月、「情報掲載は家族らが自治体へ問い合わせるきっかけとなり、身元判明につながり得る。できる限りの情報掲載が重要」と改めて全国に通知し、身元不明者総数の公表なども求めた。しかし、この通知後も東京、神奈川の掲載内容には変化がない。

 個人情報保護の問題に詳しい清水勉弁護士は「身元不明者の情報は本人を元の生活に無事帰すため行政が集めたもので、情報の公表は個人情報保護条例の解釈として問題はない。高齢の身元不明者は体調悪化や老化が進むこともあり、一日も早い対応が必要。実践している県では身元判明の成果が出ている。この動きに呼応しない東京と神奈川の態度は反人権的で意図的な怠慢だ」と指摘している。【銭場裕司】
【毎日新聞ニュースサイトのトップページへ】

精神疾患者と向き合い半世紀…87歳のソーシャルワーカー

2015年10月15日 | ニュース(精神)
精神疾患者と向き合い半世紀 甲府の87歳男性
2015年10月15日 (木)配信山梨日日新聞

 半世紀を越え、統合失調症などの精神疾患がある人と向き合い続ける人がいる。精神科ソーシャルワーカーの先駆け的存在の横谷忠彦さん(87)=甲府市大津町。支援施設の増加など、50年余りで患者を取り巻く環境は大きく変わったが、「患者が地域で暮らすためのサポートは十分ではない」と横谷さん。現在もデイケアで指導員を務め、利用者が社会にとけ込めるよう、支援を続けている。

 「何が食べたい?」。9月のある日、JR甲府駅の駅ビルで、横谷さんは周りの男女に声を掛けた。一緒にいたのは市川三郷町内の精神障害者らが社会復帰のために通うデイケアの利用者。普段は三珠健康管理センターに集まるが、この日は甲府まで足を伸ばし、食事をして電車で帰宅した。横谷さんは「社会で暮らすためのトレーニングの一環」と説明する。

 横谷さんは衆院議員の私設秘書を経て、34歳のとき、甲府市の花園病院(当時)で精神科ソーシャルワーカーとして働き始めた。精神障害がある人の相談に応じたり、生活を援助したりする仕事で、県内では先駆けだった。「当時の院長からは『患者と家族にかかわる全てのことが仕事だ』と言われていた」と振り返る。

 当時、精神疾患の患者に入院を促しても親が反対することが少なくなく、親が納得した場合でも経済的な理由で入院させられないケースもたびたびあった。「家族の理解を得ながら、治療のルートに乗せるのが一番の課題だった」と横谷さん。その後、精神科治療への理解は少しずつ浸透、横谷さんも患者自身と向き合う時間が増えていった。

 精神科医療はその後、入院期間を短くして、再入院せずに地域で暮らし続けられる支援を考える時代に。横谷さんは院外作業に力を入れた。「家族や近隣の住民が、退院した患者の暮らしを支えられるよう、病院の外で日常生活を送る練習を重ねてきた」

 横谷さんはその後、県立精神保健センター(現精神保健福祉センター)や住吉病院(甲府)を経て、市川三郷町のデイケアへ。レクリエーションを企画したり、本人や家族の相談に応じたり、病院外で障害者の地域生活を支援する活動を続けている。

 ただ、活動の難しさも感じているという。「作業所やグループホームの増加に伴ってワーカーも増えたが、仕事は分業化され、支援の輪をつなげられていない」。医療上の必要性は低いのに長期入院する「社会的入院」が批判されることに対し、横谷さんは「きめ細かい支援が整わなければ患者が地域に出られないのも事実だ」と指摘する。

 時代は変わってもワーカーの仕事は変わらないという。横谷さんは「精神障害のある人と向き合い、本人を理解して、家族や病院、地域とのつながりを構築する役割を担い続けたい」と力を込めた。